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怪奇・不可思議事件(さ〜そ)


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さ し す せ そ
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200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
 
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200-20 事件名 470-55 事件の概要および詳細 230-25 その他参考サイトなど
 
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●頭白上人(ずはくしょうにん)伝説【茨城県】
戦国時代の初めごろ(1400年代後半)の話である。筑波山が近くに見える村のだんご屋に, 暗くなるとだんごを買いにくる一人の女がいた。店の者があとをつけていくと女の姿は消えてしまった。すると, 近くから赤ん坊の泣き声が聞こえた。


筑波山が近くに見える小田城のある小田村(現在のつくば市小田)のはずれに一軒のだんご屋があった。
ある夜のこと, しめたはずの店の戸をたたく音がした。戸をあけると, 白い顔をした奇妙な女が立っていて, だんごが欲しいと, か細い声で一文銭を差し出した。
その姿や恰好が, どことなくあわれに思った店の者がだんごを売ってあげた。その後, 女は夜な夜なやってきて, だんごを買い求めて帰っていった。
店の若者が不気味に思い, そっと女のあとをつけて行った。女は小田村から出て人気のない山沿いの暗い道(後に山根街道と呼ばれる道)を明かりも持たずにとぼとぼと歩いていった。
急に女の姿が若者の前から消えてしまった。そこは、小田村から東に一里(約4キロメートル)ほど離れた小高村(現在は土浦市)の山すその道であった。
するとどこからともなく赤ん坊の泣き声がした。それはすぐ近くにある墓地から聞こえてくるものであった。若者は怖くなって, 近くの村人を集めてきて, 泣き声のする墓を掘り起こした。すると, そこには母親の亡骸にすがって泣いている赤ん坊がいた。赤ん坊は, 頭から足先まで全身が真っ白であった。
だんごを買いにきた女は幽霊だったのだ。埋められているこの母親に違いない。聞くところによると, この女は臨月であったが, 数日前に強盗に襲われ殺されてしまったらしく, 哀れんだ村人たちにより, この墓に埋葬されていたらしい。
赤ん坊は, 近くの寺(小高村石崎にあった千光寺;小田村の解脱寺(浄土宗)という資料もあります)にあずけられ, しかし健やかに育っていった。やがて大人になって僧侶となり, 全国を巡礼し, この地に戻り, 母の墓に五輪の塔を建て供養をしたという。
この僧侶は, 生まれたときから頭の髪の毛が真っ白であったので, 「頭白上人(ずはくしょうにん)」 と呼ばれた。多くの人々に慕われた室町時代の天台宗の名僧だったそうだ。

※)頭白上人は, 実際に存在した人物です。母の供養のために五輪の塔を建てたのは1516年とされています。また, 千光寺(天台宗)の第22代住職も勤めたといいます。その千光寺は, 現在, つくば市大曽根(1586年再々建)にありますが, 上人が住職を勤めた当時は, 小高村石崎(現在の土浦市小高)にあったとされています。
【地元のおばあさんの話と下記サイト・本を参考にまとめました】
「茨城の民話Webアーカイブ, 【頭白上人伝説:飴を買う幽霊】, 原文:木村進」
頭白上人伝説:生まれ変わって敵を倒す-茨城の民話Webアーカイブ (pref.ibaraki.jp)
2021ozonemap.pdf (tsukuba.lg.jp)
勢至山 一心院 解脱寺〜頭白上人の伝説(つくば市) | 茨城の寺社巡りなら「茨城見聞録」 (ibamemo.com)
【頭白上人】大曽根の千光寺|つくば市 | 茨城の寺社巡りなら「茨城見聞録」 (ibamemo.com)
頭白上人の五輪供養塔(1) まほらにふく風に乗って (mahoranokaze.com)
頭白上人塚 まほらにふく風に乗って (mahoranokaze.com)
昔話に史実照合謎解き,頭白上人と佐竹氏,伝説…楽天ブログ (rakuten.co.jp)
昔話から史実発掘,お団子談話から当該人物追及…楽天ブログ (rakuten.co.jp)
つくば市小田地区を歩いてみる | はろはろはうすの<何を食べようか> (ameblo.jp)
『茨城の妖怪図鑑』【頭白上人】(著:中沢健, 監修:山口敏太郎, 2019年)
・『茨城の史跡と伝説』(編集:茨城新聞社, 発行:暁印書館, 昭和51年1月)

つくば市小田にある後生車
(★だんご屋は, 現在のつくば市小田のこの石塔・後生車(ごしょぐるま)近くにあったとされている。この石塔は明治33年(1900年)に設置)
■写真は, サイト 「はろはろはうすの<何をたべようか>」 から

※)後生車(ごしょぐるま)とは;丸い石板(石塔の中央にある)を一回転させると, お経を一回読んだことになり, 車輪を回して死者への供養や来世(後生)への祈りを行なったもの。集落の境に設置された。

頭白上人が建てた五輪の塔
(★頭白上人が母の供養のために建てた五輪の塔。小高村(現:土浦市小高)に建てられたものであるが, 後にここ(現在の土浦市沢辺)に移されています)
■写真は, サイト 「まほらにふく風に乗って」 から

下記のような資料が見つかりました。
平成26(2014年)年10月に 「つくば市立小田小学校」 から発行された "小田っ子だより" です。
この裏面に 「小田の歴史 - 頭白上人(団子石の民話)」(「新治村の昔ばなし」 を一部改編)として, 頭白上人についての民話が載っていました。
著者は不明です。内容をそのまま転載します。



小田(おだ)の歴史
「頭白上人(団子石の民話)」
 この地方を小田朝久公(11代)が治めていた頃(室町時代)のお話です。
隣村(旧新治村)の東城寺七坊の1つに東光院という小坊がありました。その門前のあばら屋に集助という浪人夫婦が住んでおりました。この二人は, 似たもの夫婦で毎日ぶらぶら遊んでばかりいる怠け者でした。そのため, お金もなく, その日の食べ物にも困る状況でした。
 ある日, 女房が亭主に 「このままでは, 明日からどうにもならない羽目になってしまうので, こうなったらお前さんに追いはぎでも夜盗にでもなってもらわなければ, のたれ死にするより外はない。しかし, 村の中でやるわけにはいかないので, 人目につかない所で何とか方法を考えてくれないか」 といいました
「思い立ったが吉日」 と集助は, その日の夕方, 追いはぎをするために山根街道の小高山麓(石崎)で身を隠していました。暫くすると小田の方から二十歳ばかりの女が一人通りかかりました。「気の毒だが, お前の懐中物と身ぐるみ残らず置いていけ」 と凄んた。女は 「私は土浦に行くところですが, お腹にやや児がおります。着物を剥がれると寒さでやや児が死んでしまいます。お金はあるだけ差し上げますので, これだけはお許しください」 と願った。「だめだ」 と言ったとたんに, 女が懐剣で集助の太股を刺しました。集助が怯んだすきに, 女は元きた道を小田の方へ走り出し, 「覚えているがいい。追いはぎめ, 小田のお役所へお話しして, ひっ捕まえてもらうから」 と遠くで叫びました。「これは一大事, あの女を小田まで逃がしてなるものか」 と集助は必死で追っかけ刀で峰打ちし, 気絶した女の首を絞めて殺してしまいました。死体は, 街道から少し山の中に入った古墳らしき塚(甲古墳カ)の傍らに捨てました。
 集助は, 女の小袖と財布を女房に渡し, 「このことが分からないよう, 今から死体を埋めてきてくれ」 と言いますと, 女房は 「立派な身なりの女だから, 簪(かんざし)や笄(こうがい)など金目のものを持っているだろう。ついでにそれも取ってこよう」 と鍬(くわ)を持って出かけました。
 さて, 季節が変わり3月となり, 大分春めいてきました。百姓衆も農作業に追われるようになってきました。その頃毎日, 夕方に小田の茶屋に名物の猿子団子(さるこだんご)を買いに来る変な女がおりました。店主の権六が色々尋ねても, にっこり笑うだけで何も喋りませんでした。そこである日, 権六はこっそりと女の後をつけました。すると, 女は山根街道を東にまるで宙を行くような仕草で足音も立てず, かなりの足早で向かいました。そして, 塚のある場所まで来ると三度ほど静かに廻ったかと思うとフッと見えなくなりました。肝をつぶした権六は無我夢中で小田に駆け戻り, 女房に不思議な出来事を震えながら話しました。
 この話は, 忽(たちま)ち近所の評判となり, 狐狸(こり;きつねとたぬきのこと)の仕業ではあるまいかと誰も思ったそうです。
 こうして, 数日が過ぎ, 「正月13日に石崎で若い女が殺された」 という噂が東城寺の村人から流れてきました。集助の女房が, ふっとした病が昂じて重病になり, 熱にうなされて 「石崎で女を殺した」 と口走って, 近所の人を驚かせていましたが, やがて死の間際に罪状を吐いて死んだそうです。小田の城下でもこの不思議な女の話で持ちきりとなり, お陰で猿子団子の評判が益々あがったそうです。
 こんな騒ぎのある日, 小高山に薪を採りに行った者が, 塚の地中から子どもの泣き声がするのに気づきました。びっくりした樵夫(しょうふ;きこりのこと)は, 小高村の不動堂へ駆け込みました。話を聞いた堂守は, 樵夫と共に鳴き声のする場所を掘ってみたところ, 赤ん坊が這い出してきました。よくよく見てみると, 男の子は頭髪が真っ白で, 口の周りには団子の餡(あん)が付いていたそうです。
 殺された臨月の女の腹から奇跡的に助けられたこの話は, 小田朝久公にも報告されました。朝久公はこの子を頭白丸(ずはくまる)と名付け, 菩提所の千光寺にお預けになりました。頭白丸は頭脳明晰で, 神童の誉れ高く, 和尚も将来に大きな望みを託しておりました。
 その後, 頭白丸ほ剃髪(ていはつ)して義宜坊と名乗り, 二十歳の時に千光寺の二十二世の住職になりました。村人は住職を 「頭白上人」 と呼び, 常総きっての名僧となっておられました。しかし, 亡き母の供養だけが心残りだったそうです。
 永正12年2月3日, 遂に母の供養のために大五輪塔を建立することができたそうです。(「新治村の昔ばなし」を一部改編)
*
 皆さんこの話はご存知でしたか。この大切な説話を次の世代に語り継げるよう, 子ども達にも分かり易くお話ししていただければ幸いです。
 さて, 小田に権六のお店があったそうですが, 団子を買いに行ったことがある人がいましたら,是非ご一報を…(笑い)。


 
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