●愛犬が消えた怪現象【千葉県】 |
1980年4月6日午後,
魚問屋を営むSさんの自宅の愛犬が目の前で消え,
2時間後にまた現われた。 (★突然,消えた愛犬の秋田犬) この日, Sさん(当時41歳,男性)は,仕事からはなれて自宅の居間にくつろいでいた。 Sさんは娘のKさん(当時15歳)に庭にいる愛犬S(秋田犬・11歳)の首輪をはずすようにいった。 首輪をはずされた愛犬Sは, いつものように座敷に上がろうとし, 縁側のくつかけ石に足をかけ, Sさんのいるコタツに駆け寄ろうとした。 その瞬間, Sさんの目の前わずか2メートルの距離で, 愛犬Sは, かき消すように消滅したのだった。その時, 家が奇妙な音で振動をした。 それは, 大音響とともに何かが破裂したような音であった。 その時, 時計は午後3時9分を指していた。 わが目を疑ったSさんは, 玄関から台所, 家中をくまなく探し回った。 台所と玄関を結ぶ廊下にある窓ガラス(台所の入り口にある扉)が, 粉々に割れて廊下と台所の床に散らばっていた。 それを発見したのは, 午後3時13分 ろであった。 Sさんは近くに住んでいる知り合いの高坂さん(この事件のレポーター)に連絡をした。 そして愛犬Sを発見したのは, 高坂さんで午後4時50分 ごろのことであった。 発見場所はSさん宅の車庫内で, 発見時の愛犬Sは, 犬が運動したあとのようなハッハッとした息づかいはなく, むしろ気力が抜けているような状態に見受けられた。 現場写真を撮ろうとした高坂さんに対し, 愛犬Sは嫌がり, その場所を怖れているようであったという。 車庫から出たあとの愛犬Sは, 怖れることなく写真に納まったという。 また, 愛犬Sの右うしろ腰部の毛が, 縦15センチ, 横10センチにわたって抜け落ちており, 淡いウブ毛だけが残っていたという。 また, 愛犬Sは消滅した場所も恐ろしがって近づかなくなったという。 ところが, 残念なことに, あまり驚いたためか, 全員, カメラのことまで頭に浮かばず,貴重な ”証拠写真” はなしということであった。 【参考文献】 ・『UFOと宇宙(NO.59)』【千葉県松戸市の怪 犬が目の前で消滅した,レポーター: 高坂剋魅】, 1980年 |
●浅野和三郎の数奇な運命【茨城県】 |
1874年(明治7年)に茨城県の河内町に生まれた浅野和三郎は, 英文学者として順風満帆な人生を送っていたが, ある経験をした事から, 心霊研究家に転じた。 浅野和三郎 は, 1874年(明治7年), 源清田村(現・河内町源清田)で, 初代村長を務めた医師・浅野元斎の三男として生まれた。 旧制一高などを経て東京帝大に入学し, 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のもとで英文学を学んだ。 帝大を卒業後, 横須賀にあった海軍機関学校で英語教官に就き, 26歳で結婚。その後, 日本初のシェークスピア全集 「沙翁(しゃおう)全集」 の翻訳に携わり, 「英文学史」 を執筆するなど, 英文学者として順風満帆な人生を送っていた。 しかし, 41歳の時に大きな転機が訪れる。きっかけは, 三男・三郎の原因不明の熱病だった。 * 自伝「出廬(しゅつろ)」によると, 三男は毎朝10時頃に微熱を発し, 夕方になると熱が引くという状態を繰り返した。半年間, 様々な医者を訪れたが治らなかったため, 妻・多慶子が, 石井ふゆと名乗る50歳前後の行者のもとに三男を連れて行った。が, 行者をまったく信用していなかった浅野は, 自分の目で確かめることにした。 行者の家に行き, 試しに 「私の懐(ふところ)のがま口(サイフ)に, いくら入っているか見えるか」 と尋ねてみた。すると, 行者は 「3円25銭ばかり入っている」 と答え, がま口を取り出して調べてみると, 1銭の違いもなく当たっていた, という。さらにある日, 勝手気ままに坂や通りを散策した後, 通った道筋がわかるかと尋ねたところ, ことごとく当ててみせた。そして, 完治すると予言したその日以降, 三男は熱を出さなくなった, という。 行者の "透視能力" を目の当たりにし, 心霊研究に関心を抱いた浅野は, 英文学者の道を捨て, 42歳で海軍機関学校を辞職。当時, 勢いを増していた新興教団 「大本教(おおもときょう」 に入信し, 指導者・出口王仁三郎の右腕として活動するようになる。ちなみに, 機関学校の後任は, 芥川龍之介だった。 1921年(大正10年)の 「第一次大本事件」 で, 不敬罪の疑いで取り調べを受け, 教団を脱退。2年後, 心霊科学研究会を創設し, 心霊研究の道を切り開いていく。 ポルターガイスト という超常現象を 「騒々しい幽霊」 と訳し, 紹介したのも浅野だったという。ロンドンで開かれた心霊研究家の国際会議にも出席するなど, 精力的に活動を続けたが, 37年(昭和12年), 急性肺炎のため62歳で亡くなった。 【参考文献】(以下を抜粋引用) ・『讀賣新聞;茨城版(茨城ミステリー紀行(4);英文学者の道捨て活動), 担当:伊藤譲治』, 2021年8月29日 |
●大野村(現:鹿嶋市)に降った謎の黄色い霧【茨城県】 |
1984年(昭和56年)11月に, 茨城県の鹿島地方に原因不明の黄色い霧が降った。 鹿島地方, とくに大野村(現:鹿嶋市)で, このところ原因不明の黄色い霧騒動が起きている。住民が気がつかない間に, 白色系統の車や, 民家屋根に小雨が降った跡のように, 黄色い液体が粒状に付着, 時間がたつと容易にぬぐい落とせないケースもある。 周辺の住民は 「正体もわからない。被害のひどい時に保健所などで調査してもらわないと気持ち悪くて」 と不安がっている。 【参考文献】(以下を抜粋引用) ・『讀賣新聞;茨城版(不気味?1 黄色い霧が降る), 1981年11月24日 |
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