映画の中のえん罪事件  NO.7


第11回

 とうとう21世紀になってしまいましたが、皆さんお元気ですか・・・? 嬉しいことに、これまで心配されていた世紀末の混乱も、一部の宗教団体とマスコミの営業戦略に貢献した外は大したこともなく、無事に乗り切ることが出来ました。21世紀というのは、ず〜っと遥か先の事だと思われていたのが、本当に現実になってしまいましたネ・・・! 今後とも宜しくお願い致します。

 さて今回とり上げる映画は、クリント・イーストウッドが製作・監督・主演と欲張ってしまったトゥルー・クライムという映画です。この映画は、彼の監督21作目で主演41作目となるサスペンス映画で、1999年に製作されました。原作は、アンドリュー・クラーバンの同名のベストセラー小説です。― この映画は、前回の分類に従えば『 偶然巻き込まれ型 』に該当します。

 実は、昨年中にアップロードするつもりでしたが、この作品はあまりにも重いテーマを含んでいたために、ちょっと時間がかかってしまいました。しかし、えん罪事件を語る上で、<死刑制度の問題はとても避けては通れない問題ですので、不勉強を承知の上で敢えて今回挑戦することにしました。

 映画の舞台は、カリフォルニア州マリン郡にある州立サン・クエンティン刑務所― この刑務所は、実在する刑務所で、「 アメリカ最大の死刑囚監房を持ち、1986年当時で190人(の死刑囚)が収容されていた 」そうです。( イアン・グレイ&モイラスタンレー共著『 死刑・アメリカの現実 』恒友出版 )

 このサン・クエンティン刑務所は、サンフランシスコ市の北にあるマリン半島からサン・パブロ湾の入口に向って犬の<手根骨>のように小さく突き出した岬の突端の南にあり、またリッチモンド・ブリッジを挟んで、対岸にリッチモンド市があります。サンフランシスコ市からはゴールデンゲート・ブリッジを渡って車で約30分のところです。

― ここでちょっと話は脱線しますが、私の悪い癖で、この2ヵ月間、サン・クエンティン刑務所がどこにあるのか分からず非常に悩んでいました。というのは、この映画のDVDの解説には「 サンフランシスコ湾に臨む町オークランドサン・クエンティン刑務所 」という記述があったので、早速サンフランシスコ周辺の地図(1万分の1)を買って来て確認しようとしたら、オークランドはおろか、その周辺のどこにもそのような地名はなかったからです。― アルカトラズ島なら有名なので、ガイドブックにも載ってますが・・・ 。

 そこで、この映画の中に何かヒントはないかと何度も見直してみました。しかし、地名らしきものは新聞社名のオークランド・トリビューン、事件現場となったリッチモンド、それにオークランド動物園( 架空?)、そして裁判所の管轄のアラメダ郡オークランドアラメダ郡に属します ― ぐらいなものです。また、景色の映っているシーンは、何度もコマ送りして見ました。前掲の『 死刑・アメリカの現実 』という本にも、サン・クエンティン刑務所の写真が載っていて、建物やその周辺の景色は映画と全く同一でした。そして、この刑務所の正門前付近からは、対岸に岬のような低い山の連なりが望めますが、オークランドはかなり都市化が進んでいて、このような場所に該当しそうな所は考えられません。

 変な話ですが、この事がずっと私の脳裏から離れませんでした。そんな中、古本屋で偶然このサン・クエンティン刑務所の元刑務所長が書いた『 死刑囚 』(後掲)という本を手に入れました( 何と100円!)。しかし、ここにも「 カリフォルニア州マリン郡 」としか書いてなくて、まだ正確な位置を特定できません。そして、なお悪い事にこの本の中の「 マリン郡の丘の上にある家の居間から、東の方、サンフランシスコから金門湾を見渡せば・・・ 」という文章が、私を悩ませました。というのは、マリン郡にあってサンフランシスコを東に望む所といったらマリン半島の西岸で、ここから見える対岸といったらサンフランシスコ市しかありません。もしそうなら、映画にゴールデンゲート・ブリッジが映っていてもいい筈・・・ 。

 この問題は、意外なところに回答が潜んでいました・・・ 。 何んと、毎日のように見ていたこの本の表紙には、赤茶色にぼやけた古地図が印刷されていたのです。もしやと思って探したら、やっぱりありましたネ!「 灯台下暗し 」とは、正にこの事です。文字が小さくて分かりずらいのですが、"San Quentin" とちゃんと書いてあるではないですか! おまけに、黒点で印まで付いています。― こんな事を際限なくやっていたので、かなり時間が掛かってしまいました。

 余談ですが、サン・クエンティン刑務所のホームページも見つけてしまいました。― 刑務所までホームページを公開しているなんて、さすがにアメリカはやることが違いますネ!― 英語に自信ある方は、一度ご覧になって下さい。( http://www.cdc.state.ca.us/facility/instsq.htm )

 カメラは、眺望美しい岬の先端に建っている、厳(いかめ)しい軍事施設のような建物を次第にクローズアップして行きます。周囲に高い塀は見られませんが、コンクリートの古めかしい建物が中庭を取り囲むように建っている様はとても異様です。― 敷地面積は約18万平方メートルとかなり広大で、この刑務所を中心として看守用の住宅や学校等の施設があり、ひとつのタウンを形成しています。かつては「 砂色のコンクリート塀に囲まれていた 」そうですが、この映像では確認できません。( クリントン・ダフィ著『 死刑囚 』サンケイ出版 )

 よく見ると、手前 ― サンフランシスコ湾側 ― には小さな枡型をした茶色い屋根の4階建の建物があり、その奥に大きくコの字型を崩した様にやはり茶色い屋根の5階建の建物群が建っています。そして、そのずっと手前には監視塔らしい小さな櫓(やぐら)があり、薄っすらとフェンスらしき物も見えます。

 その刑務所にある独房内で、ひとりの受刑者が淡々と医師の検診を受けています。その男の名は、フランク・ビーチャム。第1級殺人罪で死刑判決を受け、翌日の深夜0時1分に処刑されることになっていました。とても落ち着いたその男の表情 ― 微かに不安の陰も ― からは、死刑執行を明日に控えた人間とは到底思えません。本当に、彼が凶悪な殺人事件の犯人なのでしょうか・・・?

 事件は、6年前にリッチモンドのコンビニでアルバイトをしていた白人女性エイミーが銃で殺害され、レジにあった現金と首にさげていたロケットが奪われたというものでした。彼女は、当時19歳の学生でしたが、この時既に結婚していて妊娠6ヵ月でした。

 被告人ビーチャム(アイザイア・ワシントン)は、黒人の自動車整備士で、彼女に対して車の修理代金96ドルの貸金がありました。その為、裁判では、その貸金をめぐって口論の末に銃で殺害したものと見なされたのです。この事件は、被害者が白人で加害者が黒人という典型的なケース。アメリカ国内の人種差別問題も絡み、また被害者が妊娠中の19歳の学生だったということもあり、大きなセンセーションを巻き起こしていました。

 殺人の凶器となった銃は発見されませんでしたが、目撃者が2人いました。1人は白人の主婦ラーソンで、ビーチャムが店の裏口から飛び出して来たところを目撃。もう1人は会計士のポーターハウスで、やはり白人。彼は、車の故障で電話を借りに店に入ったところ、カウンターの陰 ― そこには、被害者が倒れていた ― から立ち上がった血まみれのビーチャムを目撃したのでした。

 また、彼には過去に傷害と麻薬で逮捕暦があり、その時警官を殴って懲役2年の実刑を受けています。そして、その後コンビニ強盗で3年服役しています。この前歴も、彼には不利な状況証拠となってしまいました。結局、「 ビーチャムが銃を持っているのを見た 」とする会計士の証言が有力な手掛かりとなって有罪判決を受け、死刑が確定したのでした。

( 9:00) 偶然な事から、死刑執行直前にこの事件の担当となり再捜査に乗り出したのが、オークランド・トリビューン紙のベテラン記者スティーブ・エベレット(クリント・イーストウッド)でした。それまでこの事件を担当していたミシェルが事故死したために、そのお鉢が彼にまわって来たのでした。あのダーティハリー復活といったところでしょうか? ― いささかお年を召されてはいますが・・・ 。

 彼は、愛すべき家族がありながら少しも家庭を顧みず、デスクの妻とも平気で不倫 ― この浮気が原因で家庭は崩壊 ― をするような元アル中の哀れな男でしたが、新聞記者としては自慢の<鼻>を持っていました。この<鼻>は、調子のいい時には真実を嗅ぎ分けるのですが、時にはとんでもない失敗も・・・ 。― 彼は、路上で女性に卑猥な言葉を投げかけている、嫌われ者の<浮浪者>にとても優しい眼差しを向けますが、それは恐らく、彼の姿に自分を重ね合わせているからなのでしょうネ!

 今回も、彼の自慢の<鼻>がまた何やらを嗅ぎつけます。前任者のミシェルもこの事件には疑問を感じていたのですが、彼はまず目撃者の会計士が本当に銃声を聞いたのかどうかという点に疑いを持ちます。と言うのは、もし銃声を聞いていたとしたら、黒人の多い地区で銃声のした店に危険を承知でノコノコ入って行く筈がありません。

 次に彼は、事件現場のコンビニに立ち寄り、事件当時そのカウンターの横にポテトチップの台があったことを知ります。そしてその後、目撃者のポーターハウスに会い、彼が実際は銃を見ていないことを確信します。何故なら、その時ビーチャムは両手を脇に下ろしていた ― 会計士の証言 ― ので、店の入口に立っていた会計士の位置からはポテトチップの台が邪魔で銃など見える筈がないからです。

(16:04) エベレットは、ビーチャムに面会にサン・クエンティン刑務所へ行き、直接彼の口から事件当日に起こった事を聞き出します。それによると、この日彼は事件のあったコンビニにステーキソースを買いに行き、そこのトイレを借りて用を足していると、犯人とエイミーとが言い争う声と銃声が聞こえた。そして、彼が慌ててトイレから出てみると、カウンターの後ろには血まみれのエイミーが・・・ 。

 間の悪い事に、会計士が店に入ってきたのは、丁度ビーチャムが、瀕死のエイミーを助けようと慌てて人工呼吸をした後で、彼の顔や洋服にはエイミーの血が付いていました。その上まずい事に、その会計士と顔を合わせた途端、ビーチャムは何時もの癖でとっさに裏口から逃げ出してしまったのです。この時、裏の駐車場でバックして来た車と接触、そしてその車に乗っていた主婦にも目撃されたのでした。

 所で、ビーチャムはそれまで散々悪い事をして来ましたが、妻のボニーと出会ってからは信仰に目覚め、今では家族思いの敬虔なクリスチャンになっていました。死刑執行直前のこの日、愛すべきボニーと一人娘のゲイルが刑務所に面会にやって来て、最後の一家団らんのひと時を過ごします。― この辺の刑務所側の配慮も凄いですネ!

 弁護士との電話での遣り取りを聞いて、不安に怯えて泣きながら彼に抱き付くボニー。不条理な運命を既に受け入れているのか、直面している事態に冷静に立向い、逆に妻を励ますビーチャム。そして、父親が置かれている現状を幼心にも感じているのか、彼の傍らで一途に「 天国の牧場 」の絵を描く娘のゲイル ― この小さな女の子が、とても涙を誘うのですヨ!

 そして、このように自らの死を目前に控えた時でも、ビーチャムが一番心を痛めていることは、娘に「 父親が殺人犯だ 」と思われてしまう事でした。そのためにゲイル宛の手紙を妻に託します。

 ここで突然話は変わりますが、この映画を見ていて強く感じることは、ビーチャムが自分に降りかかった<死刑>という苛酷な運命を直視し、その運命を受け入れながらも最後まで希望(恩赦・執行停止)を捨てないでいることです。<ガン告知>の問題にも見られるように、アメリカでは残された時間をはっきり相手に提示して、それまでの時間を有効に活用させるべきだとする考え方が支配的なようです。そして、又それを提示された者も、日本人とは違い精神的に破綻をきたさない強さを持っているように思われます。

 この映画では、何日前に死刑執行令状が届いたのか分かりませんが、シャロン・ストーン主演の『 ラスト・ダンス 』という映画ではシンディに30日前に届いています。恐らく、これは映画の中だけのことではなく、現実でもきっとそうなのでしょう。1ヵ月間も死と向かい合っているなんて、ある意味で凄く残酷な事ですネ! ― 死刑執行当日の朝になって、突然刑務官のお迎えを受ける日本とは何んという違いでしょうか・・・?

 また、それ以上に驚かされるのは、死刑囚の<外部交通権>が余り制限を受けていないことです。この映画の中では、死刑執行直前に妻と娘が面会に来て、娘は先に退室させられますが、妻は19時5分まで一緒に過ごしました。そして、マスコミの取材も本人が承諾すればOK。これも映画の中だけじゃなくて、現実にあるようです。現に1992年5月テレビ朝日の番組キャスターの田丸美寿々さんが、死刑執行の8日前にコールマン死刑囚 ― 彼については、<えん罪>の疑いがありました。― に面会室のガラス越しに直接インタビューしています。この模様は、報道番組『ザ・スクープ』で後日放映されました。( 田丸美寿々・テレビ朝日「ザ・スクープ」取材班編『 死刑の現在 』太田出版 ) ― 日本では、とても考えられないことです。

 さらに、この映画の中では、ビーチャムが弁護士と電話で話をしていましたが、アメリカでは、可能な限り何処へでも自由に電話をかけられ、相手がマスコミだろうと誰とでも話をすることが出来るのだそうです。前述のコールマン死刑囚は、電話を通してテレビの生番組に出演しています。また、これは実際にあった話ですが、皮肉なことに「そこの刑務所の所長に電話をかけて、(死刑執行の前夜に面会に来てヒステリックになった)母親の振舞いについて詫び」た死刑囚もいたそうです。( 前掲『 死刑・アメリカの現実 』) ― 本当に驚くばかりです!

 脱線はここまでにして、また映画の話に戻ります。エベレットは、2人の目撃者以外にもう1人黒人の少年が現場にいたことを突き止めます。名前はウォレン・ラッセル、当時17歳。彼は、警察の事情聴取に対して「 (現場のコンビニの)販売機でコーラを買っていたが、何も気付かなかった 」と供述しています。ちょっと強引ですが、彼は、その鋭い直感で、この少年こそが<真犯人>に違いないと思います。エベレットは、ウォレンの家に直行し彼の祖母から「 当時ウォレンはドラック漬けで、いつも銃を携行していた 」との話を聞き出しますが、既に3年前に何者かによって刺殺されていました。― 万事休す!

 この間刑務所では、着々と死刑執行の準備が進められていました。処刑場にある4本の電話回線 ― この内2本は、司法長官と州知事への直通電話 ― のチェック。また、ここカリフォルニア州では<致死薬注射>による処刑が行われていて、3つの薬剤が静脈注射用の管から死刑囚に投与されます。円筒形をした第1の注射管には、5gのチオペンタールナトリウム ― 鎮痛剤・睡眠薬。第2の注射管には、20ccの食塩水と50ccの臭化パンキュロニウム ― 筋弛緩剤、これによって呼吸停止。そして、第3の注射管には、50ccの塩化カリウム ― これによって完全に心臓が停止します。

― 話は又々脱線しますが、サン・クエンティン刑務所の開所は1852年で、当初は<絞首刑>による処刑が行われていました。1938年12月からは<ガス室>による処刑が行われるようになり、その後1967年4月に行われたのを最後にずっと停止状態が続いていました。しかし、1992年4月ついに25年ぶりに<ガス室>による処刑が再開され、全米に大きな反響を巻き起こしました。この時マスコミにも大きく取り上げられ、折から死刑廃止運動が盛り上がりを見せていた時だけに、刑務所前では<死刑反対派><存続賛成派>双方の大規模な集会が開かれました。なお映画では、その後処刑方法も<致死薬注射>に変わったことになっています。

 エベレットは、万策尽きたとの失望感から、行きつけの酒場で禁酒の誓いを破り、自棄酒を飲みます。店にあるTVでは、30分後に執行される死刑についての報道番組が放送されていました。そして、エイミーの写真が画面に大きく映し出されると、彼女の胸にはロケットが・・・! ― それを目にしたエベレットは、突然閃きます。ウォレンの祖母の胸にも同じロケットが・・・ 。

 これからは、時間を追って画面が何度もカットバックされて、否応無しに緊迫感が高まります。

(23:30) エベレットは、酔っ払っているにも拘らず、猛スピードでウォレンの祖母の家に向かいます。死刑執行まで、あと30分! ― 時間との闘いです!

(23:30) 手錠をされたまま、4名の刑務官と教誨師に付き添われて処刑室へ向かうビーチャム

(23:35) 処刑室の近くの檻のような隔離房に一旦入れられるビーチャム

(23:35) ウォレンの祖母を乗せ、また猛スピードで今度は州知事の公邸へ向かうエベレット。彼女も、ロケットをくれた夜のウォレンの様子を思い出し、この時既に孫の犯行だと確信していました。

(23:40) 潜水艦の減圧室のような、鉄製の八角形をした処刑室に入るビーチャム中央には手術台のような特殊な形のベッド。処刑室の壁には、ベッドを取り囲むように観察のための四角い窓がついています。

(23:45) 両手と両足、そして肩から腰にかけてと処刑台にベルトで厳重に固定されていくビーチャム

(23:45) 不運にもスピード違反をパトカーに発見され、カーチェィスを始めるエベレット

(23:48) 腕に点滴用の注射針を固定され、不安な表情のビーチャム。潜水艦のハッチのような扉が重苦しい音を立てて閉じられ、処刑室にひとり残されるビーチャム

(23:50) エベレットの車とパトカーとの激しいカーチェイスが続く。― 果たして間に合うのか!

(23:50) 立合い人が、ぞろぞろと立合人室に入って来る。その中に妻のボニーの姿も。

(23:55) 昨夜ミシェルが事故死した<死のカーブ>に、猛スピードで突っ込んでいくエベレット。急ハンドルを切りサイドブレーキを引くと、車はスリップしながらも無事に曲がりきることが出来た。

(23:55) 立合人室との仕切のカーテンが開けられると、首をめぐらせて妻を捜すビーチャム

(23:59) パトカーを従えて州知事の公邸に無事到着するエベレット。しかし、もう時間が・・・ 。

(23:59) 死刑執行命令書が所長から刑務官に手渡され、それが読み上げられる。 ― ついに最後の瞬間が! 唇を微かに動かして、妻に<愛の言葉>を伝えるビーチャム。そして、それに答えるボニー

(00:00) 死刑執行開始を告げる<黄色い電話>のベルが鳴る! ― もう絶望か!

(00:01) 秒針は、刻々と時を刻んで行く。緊張が高まる一瞬。遂に時間が来て、微かに頷く所長。2人の執行官がそれぞれ赤いボタンを押すと、第1の注射管の液がチューブを伝ってビーチャムの腕に。次第に意識が朦朧としてきて、抗いながらも目を閉じるビーチャム― ついに始まってしまった!

(00:03) 第2の注射管の液が押し下げられ始めたその時、突然<黒い電話>のベルが鳴ります。州知事からの<執行停止命令>でした! しかし、「 手遅れです!」と叫ぶ刑務官。事情を察した執行官の1人が、慌てて黒い停止ボタンを押します。― 処刑室に緊張が走る! ― 所長は急いで扉を開け、すかさず処刑室に飛び込みチュ−ブを引き千切るように外す。― 果たして間に合ったのか! ― 異変に気付いたボニーは、窓を激しく叩きながら何度もビーチャムの名を呼ぶ・・・ 。

 この映画のシーンにあるように、死刑執行の直前ないしは直後に<執行停止命令>が出されるケースはそれ程珍しいことではないらしく、前述のコールマン死刑囚は、死刑執行の10分前に最高裁から「 15分の執行延長 」という連絡が入り一時中断しましたが、結局、この時は執行されています。( 前掲『 死刑の現在 』)

 また、これは1933年8月に実際にサンクエンティン刑務所であったことですが、州知事からの<執行延期>の知らせが僅か2分遅かったために、間に合いませんでした。( 前掲『 死刑囚 』) ― この時は<絞首刑>だったためで、例えこれが<ガス室>による処刑だったとしても、この映画のようには行かないようです。

 蛇足ですが、『 ラスト・ダンス 』シンディは、死刑執行の僅か3分前に、裁判所からの<執行停止>の連絡が入り一度中断しましたが、この時も結局、再度執行が行われています。

 場面は変わり、時はクリスマス。街は華やかに飾られ、軽快な音楽が奏でられています。サンタクロースの衣装を着たあの<浮浪者>と、街を行き交う人の姿。おもちゃ屋さんで娘に<カバ君のぬいぐるみ>を買うエベレット。店員との会話で、彼がそれとなく<スクープ>をモノにした事が分かります。しかし、彼の悪い癖は相変わらずで、またもや懲りずに店員をナンパしようとしています。― これが、イーストウッドの偽らない生(き)のままの姿なのかも・・・? 彼の娘役で出演していた5歳位のかわいい女の子が、孫じゃなくて<実の娘>だとはネ!

 サンタ姿の浮浪者がエベレットを見つけると、またもや彼にタカリます。すると、プレゼントの手提げ袋を手に別の店から出てくるビーチャム親子。嬉しそうな笑い声。エベレットの姿に気付くと、指を2本立て挨拶するビーチャム。彼を呼ぶ娘の声。ビーチャム一家に幸せな生活が戻った瞬間!

 ついに、<奇跡>が起こったのでした! エベレットこそ、サンタクロースだったのです。 ― この部分は、サン・クエンティン刑務所の所長が別れ際に言った「 サンタクロースじゃあるまいし、・・・ 」という言葉に対応するものなのでしょう。 ― エベレットが独り立ち去っていくと、ダイアナ・クラールの甘く切ない歌声が流れてきます。 ― " Why should I care " ― 彼の家庭は、元に戻るのでしょうか・・・?

 さて、<死刑制度>の是非論は、ひとまず棚上げにして、いろんな点で日本との違いを痛切に感じさせられた映画でした。国民性の違いと言うんでしょうか? <死刑制度>に限って言えば、アメリカでは、現実に<死刑判決>が出された時点でその<執行日>も言い渡されているようで、常に本人だけではなく被害者の遺族を含め、社会全体に<その日>が知れ渡っているということです。― みんなで<カウント・ダウン>しているなんて、全く「 凄いな!」の一言。

 だから、この映画のシーンにもありましたが、死刑執行当日には、刑務所の正門前で大勢の人たちが、プラカードを手にして気勢を揚げていたりするのでしょう。良い悪いは別にして、<密行主義>とか言って誰にも知られずコッソリ<死刑執行>しておいて、後で司法記者クラブの幹事会社に電話(FAX)で連絡してくるだけの日本とは大きな違いです。― それも「 執行した死刑確定囚の名前もなければ、拘置所の名前もない 」( 原裕司著『なぜ「死刑」は隠されるのか?』宝島社新書 )というのでは、全く話になりません。以前は、それすらも秘密にされていたそうですが・・・ 。

 こうした密行主義がまた、冤罪を生み出す温床となるという指摘 」( 前掲『 死刑の現在 』)すらあります。日本の裁判制度が有効に機能していない現在、死刑制度の存在が大きく問われています。もう既に21世紀、過去の野蛮な制度をもう一度考え直してみる時期かもしれません。

 この映画の題名の トゥルー・クライム ( 真の犯罪 ) が、「 17歳の黒人少年による殺人 」を意味している事は言うまでもありませんが、私には「 この映画の中で国家(州)の名のもとにやろうとした事司法による殺人こそ真の犯罪なのだよ 」と言っているように思えてなりません。

( 2001. 1  T.Mutou )

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