From 桜井昌司詩抄
桜井昌司さんは、獄中で沢山の詩を書き続けてきました。
また、作詞・作曲もこなし、クラシック歌手の佐藤光政さんのご支援で十数年前からコンサートも開かれています。
2000年開催第1回コンサートは、『愛・今あなたに』と銘うって、2月20日(日)に水戸市の常陽芸文センターホールで開かれました。
第2回のCD発売記念コンサートは、9月12日(火)に四谷区民ホールで開かれました。
新曲の演歌『屋台酒』が桜井さん本人によって披露されました。そして、第3回『壁のうたコンサート』は、12月4日(月)に文京区立本駒込地域センターで開かれました。
『 さよなら 』
さよなら 栄二さん
たった42年の生涯で
逝ってしまった栄二さん
さよなら
「それじゃ さよなら」と言って
貴方の棺に最後の釘を打ち据えた
父親の深い慟哭を感じたか
眠れぬ夜に貴方を思い
人に知られぬ涙を流す
母親の嘆きを見ているか
この世で最後に貴方の頬に触れた
貴方の愛した唯一人の女性の
堪え難い悲しみの嗚咽を聞いたか
なぜ死んだ
なぜ死んだ 栄二さん
貴方を家の守り手として
頼っていた両親は
これからどうすればいいのか
貴方を夫として
これからの人生を伴にするつもりでいた
彼女の思いは
どうすればいいのか
貴方を愛した総ての人の
この痛みと虚しさは
どうすればいいのか
なぜ死んだ
なぜ死んだ 栄二さん
貴方が逝ってから
みんな時間を感じない思いだ
月日を失った思いだ
たった42才で逝くしかなかった
貴方の無念さ 悔しさを受けとめて
みんな泣いている 嘆いている
なぜ死んだ
なぜ死んだ 栄二さん
「ちょっと咳き込んだりすると
黙って薬を買って来てくれたんだ」
「この部屋は 何時も子供たちが集まっていたね」
貴方の両親 兄夫婦と姉 五人の甥と姪
そして貴方の「妻」だった女性
みんなで話したのを聞いたか
ぶっきら棒で愛想は無いけど
貴方の優しさ 温かさは
みんな判っていた 感じていた
貴方の遺した喜びの数だけ
みんな泣いている 悲しんでいる
貴方の遺した幸せの数だけ
みんな嘆いている 悔やんでいる
発病から2年半余りで
逝ってしまった栄二さん
さよなら
栄二さん あの虹を渡ったか
貴方を天に送る車が
その下を通過するまで
横一文字の虹が雲を染めていた
貴方の妻が一番に気付いた
今まで見たことが無いと誰もが言う
あの虹は
貴方を愛でる天の御印
貴方を迎える天の御印
私達を慰めた虹を渡って
逝ってしまった栄二さん
さよなら
「ユーミンの歌なんか上手でした」
貴方の彼女が楽しそうに話していた歌
今度会えたときに聴かせてください
「スポーツは何でも上手かったな」
両親も兄も姉も口をそろえて言う競技
今度は一緒にやりましょう
たった六度しか会えなかった栄二さん
今度会えたらば弟のいない私に
すこしは兄の思いを味あわせてください
もう一度会えるときまで
その日が来るまでの間
さよなら 栄二さん
ほんの少しの間
さよなら
栄二さん さよなら( 2001. 4 )
去る4月20日、かねてより悪性の皮膚癌で闘病中だった義弟の仲田栄二さんが永眠されました。享年42才。心からご冥福をお祈りします。
『 記 念 日 』
1967年10月10日
夜風に金木犀は香って
初めての手錠は冷たかった
1967年10月15日
人をだました心が自分をも裏切って
嘘の自白をした
1970年10月 6日
嘘が真実に変わった
人殺しの犯人だと裁判官が言った
1973年12月20日
寒い季節よりも冷たい言葉で
裁判官が誤りを重ねた
1977年 3月20日
母が逝った
それでも春風が吹いた
1978年 7月 3日
看守の鋭い足音が
最高裁判所の決定を運んできた
刑務所生活が始まった
1983年12月23日
再審請求書を提出した父が
一度で認めてほしいと言った1987年 3月31日
年度末の整理だった
棄却決定があった
1988年 2月22日
冬の続きのような言葉が
またも棄却を言った1992年 2月11日
父が逝った
オヤジのバカヤローとつぶやき続けた1992年 9月 9日
25年間の無実の叫びが
たった176文字で退けられた20歳の秋に始まった記念日
オレの記念日は まだ続く( 1992. 9 )
『 指 紋 』
この世には同じ顔をした人が、
必ず何人かいると言われる
でも、どんなに瓜二つでも
指紋は違う
この世に何十億人がいても
絶対に同じ型の人はいない
だから犯罪があれば
必ず指紋の存在を捜査するし
決定的な犯人の証拠ともなる
他人の家に侵入して
人を殺して金を奪ったりすれば
指紋が残らないのが不思議だが
強盗殺人犯とされた私には
何の証拠もない
私の指紋は体質があって
物に触れても残らないものか
実験をしたらば
何のことはない
どんな触れ方をしても
私が私の証明である指紋は
ちゃんと残される
鮮やかに現れる
無実の私に証拠がないのは
ごく当たり前のことだ
何度有罪判決があっても
誰が犯人だといったところで
変わるものではないが
実験で現れた指紋は
その当たり前のことを
明確に証明してくれた私が私の証明である
指紋実験をした日のことを
あの喜びが
きっと勝利の喜びにつながる
そう信じている( 1997. 9 )
『 涙を流すのは 』
“あなたの故郷よ”
いきなり見せられた写真
有るべきものが無くて
有るはずの無いものが有って
道路も家も風景も
どこがどこだか判らない。
その中に
わが家だけが
昔のままにあった。
私が無実の罪に捕らわれたことで
強盗殺人の犯人にされたことで
家族の結び合う心も思いも
引きちぎってしまい
誰も住まなくなった家だけが
二十七年前のままにあった。
さびたトタン屋根
伸び放題の生け垣
無住ゆえの荒廃がある家
そこには
父と母の遺した思いが
今も眠り続けていて
いつの日か
ただいま!
と帰った日に
空白とされた長い歳月の思いを
味わわせてくれよう。
“差し入れようか”
私の思いを見抜いたような声
二十七年間も求めて来て
今もかなわぬ無念さを
我が家の姿に感じて
きっと手にすれば
人に知られぬ涙を流すから
自分の思いに背を向けて
さりげなく断った。涙を流すのは
自由を得たあと
涙を流すのは
ただいま!
と帰った日に
父母の思いを感じたあとに。( 1994. 1 )
『 沈丁花の下に 』
社会へ帰って四日目に
「ほうら、昌司が帰ってきたぞ」
そんなことを言って
涙を流し続ける姉と共に
父母の墓へ行ったもう一度会いたい
それだけを願い続けて
ついにかなわなかった
腹立ちと悔しさの中で
私は泣いたあの日から四ヶ月
彼岸で行ったならば
墓の脇にある木が
沈丁花だと判った刑務所の中で感じる
制限された春の喜びを
「沈丁花」という詩に書いたのは
もう何年前になるだろうか塀の中で春の喜びを味わう度に
故郷の父母の墓では
同じ花が咲いていたのかと思ったらば
父母と会えなかった
悲しみが一度にあふれて
私は悲しみで泣いた
沈丁花の下に
眠る父母の思いと共に
私は悲しみで泣いた( 1996. 11 )
『 この喜びを 』
この喜びを
あなたに伝えたいです
まだ私達の無実を知って下さる人が
ほんの少しだったときに
守る会を組織することからはじめ
真実を広めて
支援者を増やすために
大変なご苦労をされたあなたに
もう逝ってしまわれたあなたに
一人ひとりのあなたに
やっと塀の外へ出られる見通しを得た
この喜びを伝えたいです。この喜びを
あなたに伝えたいです
千葉刑務所へ来てからも
再審を求めて闘う私達に
不自由な立場を忘れるほど
手段を尽くした支援を下さり
今日も支えて下さるあなたに
一人ひとりのあなたに
不本意な仮釈放という
制限された自由への見通しながら
やっと自分の足で活動できる日が来る
この喜びを伝えたいです。この喜びを
あなたに伝えたいです
二十八年九ヶ月目に
やっと得た自由への兆しは
自分だけの喜びなのに
私と同じ思いで喜んで下さる人が
社会に沢山いて下さることは
何よりもの喜びです
自分の喜びが
自分一人の喜びでないことが
何よりもの喜びです
この喜びを
人間としての喜びを
あなたに伝えたいです。( 1996. 9 )
『 現地調査 』
三〇年前に何をしていたか
そんなことを聞かれたって
覚えている人は少ないだろうが
また今年も
遠い過去をたどって歩いた布川の現調は晴れるという
ジンクス通りの炎天下
全国からの一三〇名余りの人々
また今年も
一九七六年八月二八日を歩いた布佐駅へおりて
駅前通りを歩いてバス停へ行き
杉山卓男と会って
玉村象天さん宅へ借金に行き
そして殺したという話が
裁判所が事実と認定した話が
本当に正しいのかどうか
検証をするために歩いた
あの日が暑かったのかどうか
すっかり忘れてしまったが
背中を伝う汗を感じながら
私は歩くたびに
三〇年前を思い出した布川事件の現地調査は
茨城県の利根町布川だが
あの日の夜に
東京にいた私にとっては
東京を歩くことが
本当の現地調査なのだと
私は歩くたびに思った( 1997. 8 )
『 後 遺 症 』
”良くチャンネルを回しますね”
一緒に見る人が呆れるほどだが
これはチャンネルを回す
そんな自由さえもなかった
刑務所暮らしの後遺症だ何時に寝ても午前六時には起きられる
午後九時になると眠くなってしまう
二九年も刑務所にいれば
種々と後遺症が残って当然だ家に居る時に内から鍵をして
留守の時に鍵をしないのは
開けられない部屋の味を
骨身に沁みて知らされた身の
さゝやかな抵抗だ
これも後遺症かも知れない
でも苦しさや辛さがあっても
それを幸せや喜びに感じられ
毎日の時間を尊く思えて
楽しく過ごせるのも
後遺症があればこそだ
私は後遺症の中で
自由な生活を満喫している