ひとり言 <映画の中のえん罪事件> NO.3
今回も、やはりヒッチコック監督作品の中から『 見知らぬ乗客 』という映画をとりあげてみたいと思います。この映画の原作者は、パトリシア・ハイスミス(1921〜1995)で、彼女は、あのアラン・ドロン主演の『 太陽がいっばい 』の原作者としても有名です。但し原作と言っても、この映画ではその<場面設定>を借りただけで、途中からは全く別のストーリーになっています。
ヒッチコックの映画の魅力は、その冒頭から 「 これから一体何が始まるのだろうか?」 と観客を引きつけて放さない、息詰まるようなストーリー展開にあるのではないでしょうか・・・。この映画も、その幕開きから目を引付けられます。それは、二人の男がタクシーを降り列車に乗り込むシーンから始まるのですが、座席に着くまでただ二人の<足もと>だけしか写さないのです。<列車に乗る>というだけの単純な行為の中にも<サスペンス>を潜(ひそ)ませる、ヒッチコック一流の憎い演出です。
ワシントンDCのユニオン駅からニューヨーク行きの列車(ペンシルバニア鉄道)に乗り込む2人の男。ひとりは、この映画の主人公でプロのテニス選手のガイ・ヘインズ(ファーリー・グレンジャー)。彼には上院議員の娘でアン・モートンという恋人があり、妻のミリアムとの間には離婚話が持ち上がっていました。 ― ガイの為に弁護をすれば、原因は全てミリアム側にあります。彼女は、派手な性格で結婚当初から浮気が絶えず、ガイとは別居状態が続いていました。それに、現在は他の男の子供を身籠もっていて、別れ話は彼女の方から言い出したことでした。 ― それで、ニューヨークへ行く途中にメトカフに立ち寄って、ミリアムと決着をつける腹積もりでいました。
もうひとりは、金持ちのドラ息子のブルーノ・アントニーで、厳格な父親を酷く憎んでいる一方、裕福な人間によく有るように、普段の生活に退屈し切っていました。その為、車や飛行機を目隠しをしたままで猛スピードでぶっ飛ばすような、危険な行為に快感を覚えるまでになっていました。
そんな男と偶然(?)同じ列車に乗り合わせた事から、ガイにとっては非情な悪夢が始まるのです。ブルーノは、ガイの事について驚くほど良く知っていました。もしかしたら、ブルーノは初めから計画的だったのかもしれません。と言うのは、自分のコンパートメントを予約しておきながら、ガイと同じ車両の向い側の席に座ったからです。偶然を装い、何食わぬ顔でガイに接近し<交換殺人>を持ち掛ける・・・。私にはブルーノの退屈しのぎの<危険なゲーム>のように思えます。
彼は、ガイを食事に誘っておいて、次のように持ち掛けます。「 2人の男が偶然に出会う。それまで、(2人)の間(には何)の関係もない。」そして「 2人とも殺したい人間がいる。・・・そこで交換殺人(という訳)だ。お互いに相手の殺人を請け負うんだよ。」また、こうも言います。「 犯人が捕まるのは<動機>があるからだけど、この場合は全くの他人なんだから捕まる心配はないよ 」と。
もちろんガイには殺人の意思などサラサラなく、そんな話は冗談だと思って全く取り合おうとはしませんが、ブルーノの方はすっかりその気になっています。別れ際に「 私の考えを気に入ってくれたかい?」となおも執拗(しつよう)に迫るブルーノに、もういい加減にしてくれという気持ちで「 もちろん、パーフェクトだ。」と言ってしまうガイ。 ― この時、ガイは迂闊(うかつ)にもライターをそのコンパートメントに置き忘れてしまいます。 ― 何んと、その言葉を真に受けてブルーノは計画を実行してしまいます。
― 話は横道に逸(そ)れますが、ヒッチコック映画のもう一つの楽しみは、映画の中にあの<でぶっちょ男>を探し出すことでもあります。しかし、それが見つからない場合には何故か不安に駆(か)られてしまいます。ヒッチコックはその辺の心理もちゃんと読んでいるのか、簡単には姿を見せません。私もこの映画を最初に見た時には発見できず、再度見直してやっと見つけることが出来ました。ガイがメトカフで列車を降りた時に、すれ違いにコントラバスを抱えて列車に乗り込む男。横顔しか見せませんが、あの体型はまさしく<でぶっちょ男>。この時「 ヤッタァ!」という気持ちになるのは、何故でしょうか・・・?
メトカフでの離婚交渉は、不首尾に終わります。ガイがプロテニス選手としてすっかり有名になったため、ミリアムは心変わりしていたのでした。そして、ガイの再婚を妨害しようとさえします。ミリアムの余りの身勝手さに腹を立てるガイ。その言い争っているところを、彼女の勤める楽器店の主人や店員に見られてしまいます。興奮の余り、恋人のアンに電話で「(ミリアムを)絞め殺してやる!」とさえ言ってしまうガイ。そして、その夜にミリアムが実際に絞殺されたために、動機のあるガイに容疑が掛かってしまいます。 ― この<絞殺シーン>も、ヒッチコックの演出が冴(さ)えます。草むらに落ちたミリアムの<メガネ>にシルエットだけが映るのです。
― ここで話は、又々脱線します。私は、その事件現場となった<メトカフの遊園地>がいったい何処にあるのか、とても気になって仕方ありませんでした。と言うのは、このような犯罪事件の絡(から)む映画では、<時間>と<場所>がとても大きなファクターに成るからです。映画のストーリーからは、明らかにワシントンDCとニューヨークの間の何処か、それもワシントンDCから1時間位で行ける場所( ボルチモアの近郊?)の筈です。何故なら、後日ブルーノは事件の証拠となるガイの<ライター>をその現場に置きに行くのですが、ワシントンDCの自宅を午後4時20分に出て列車に乗り、午後5時25分にはメトカフ駅に到着しているからです。地図で調べたのですが、そんな地名は何処にもありません。
それならば、原作はどうなっているのかと調べてみると、なんと原作ではテキサス州に在ることになっています。ブルーノとの出会いも、ニューヨークからセントルイスを経由してテキサス州にあるメトカフに帰省する途中という設定になっています。しかし、原作でも具体的な場所については、ボカしてあって特定できません。おそらく原作者パトリシアの出身地のフォートワースの近くではないかと、私は踏んでいます。フォートワースはダラスに程近く、<大陸横断鉄道>の停車駅でもあります。此処(ここ)ならば、ガイはメトカフで途中下車をするが、ブルーノはそのままエルパソまで乗って行く、という原作の内容とも合致します。 ― この点について、もしご存じの方がいらっしゃいましたら、是非メールでお知らせ下さい。 takuo@fureai.or.jp
地図の縮尺で計算すると、フォートワースとワシントンDCとは、直線距離にして約1,900q、そしてニューヨークとは約2,200qも離れていて、おそらく当時は2日がかり ― 現在<アムトラック>を利用して、ワシントンDCからシカゴ経由でのフォートワースまでの所要時間は、約30時間 ― の旅だったのではないかと思われます。余りにも違いすぎるのに、何故ヒッチコックは<メトカフ>という地名に拘(こだわ)ったのでしょうか・・・? これも私の勝手な想像ですが、ヒッチコックは殺害現場が<遊園地の中の湖に浮かぶ小島>という原作の設定が気に入ったからだという気がします。しかし、テキサスではちょっと遠すぎて<緊迫感>が出ないので、場所はワシントンDCとニューヨークの間にした、という苦肉の策ではないでしょうか・・・? もしかしたら、<メトカフ>というのは架空の地名かもしれません。でも、何も知らない日本人ならともかく、現地の人は不思議に思わなかったのでしょうか・・・?
― 後日、偶然手にしたガイドブックのコラムにそのことが記載されていて、それによると、やはり<メトカフ>という地名は実在しないようです。
余談はここまでにして、また映画の内容に戻ります。計画通りにミリアムを殺害したブルーノは、今度はあんたが僕の父親を殺す番だよ、とガイに付きまとって執拗(しつよう)に迫ります。それも次第にエスカレートして、モートン家のパーティーにまでやって来て<ひと騒動>起こす始末。この辺になると狂気さえ感じます。しかし、容疑者のガイは、身柄を拘束はされないものの監視の刑事が常に目を光らせているので、余り目立ったことは出来ません。というのも、俺のことを警察にタレ込んだらお前も共犯で捕まるんだぞ、と脅かされていたからです。
痺(しび)れを切らしたブルーノは、ガイの<ライター>を現場の島に置きに行こうとします。ガイは、それだけは何としても阻止したいのですが、身辺には刑事がいるし、全米テニス選手権大会の試合もあります。試合を棄権すれば警察に疑われるので、それは出来ません。恋人のアンには事情を打ち明けていたので、アンとその妹のバーバラの協力で、試合が終わってからドサクサに紛(まぎ)れてフォレストヒルズ ― ニューヨークのクィーンズ地区 ― のテニスコートを脱出しようとします。
時間を気にしながら、何とか試合を早く切り上げようとするのですが、焦る余り思わぬ苦戦を強いられてしまうガイ。片やメトカフの駅で証拠の<ライター>を排水溝に落としてしまい、悪戦苦闘するブルーノ。この両者が、カットバックで映像に映し出されると、緊迫感はいやが上にも盛り上がります。そして、試合が終わると一目散にペンシルバニア駅から列車でメトカフへ向かうガイ。暗くなるのを待って遊園地の島に渡ろうとするブルーノ。ハラハラ・ドキドキの連続です。結局、ブルーノは島には渡れずに、<ライター>を手に握りしめてメリーゴーラウンドの下敷きになって死んでしまいます。
この映画の中で、殺人事件の容疑者になったガイには、実は立派な<アリバイ>がありました。犯行時刻は、夜の9時30分頃ですが、その時間にはニューヨークからワシントンDCへ向かう列車の中にいて、証人も1人います。デルウェア工大のコリンズ教授で、ニューヨークでの講演の帰途でした。同じ展望車に向い合って座っていて会話まで交わしているのですが、そのたった1人の<証人>は、酒に酔っていてその時の記憶がありませんでした。ガイは、「 たとえ教授が覚えていなくても、私が教授の名前を言い、実際に当人が此処に居るのだから立派な<アリバイ>になる筈(はず)だ。」と主張します。しかし警察では、ガイが犯行後でもボルチモア駅からその列車に乗れた可能性が残っていたために、<容疑者>と断定したのでした。
このように<アリバイ>と言うのは、<証人>の記憶に依存するケースが多い為に、重要視される割にはとても不確かなものなのです。それも、時間が経過していたら尚更(なおさら)です。<布川事件>の桜井さんと杉山さんにも、立派な<アリバイ>がありました。しかし、捜査当局はふたりの主張には耳を貸さず、却って事実をねじ曲げるような<自白>に追い込んでいったのでした。<アリバイ>は、不確かな<人の記憶>に依存する比重が大きいが故に、悪意ある者によって作り変えられることも有り得るのです。
( 2000.2 T.Mutou )