ひとり言 映画の中のえん罪事件 NO.2


第4回

 回も、やはりハリソン・フォード主演の 推定無罪という映画を取り上げてみたいと思います。この映画の原作は、スコット・トゥローの同名のベストセラー小説で、本人自身がシカゴ地区連邦検察局の現職検事補だったことから大変話題になりました。原題は”Presumed Innocent”で、「 有罪判決が出るまでは、被告人は無罪と推定される 」というアメリカの刑事裁判における大原則を意味しています。

 この映画は、いわゆる法廷サスペンスものと言われているもので、主人公の主席検事補ロザート・K・サビッチ(通称:ラスティ/ハリソン・フォード)が同僚で美人の検事補だったキャロリン<殺害事件>の捜査を担当することになるのですが、実はラスティ被害者は以前愛人関係にありました。現場の状況 ― 被害者は、逆エビに縛られレイプされていた ― から、一時は変質者か怨恨による犯行だと思われましたが、現場に残されていた証拠からラスティ容疑者とされ、起訴されてしまいます。

 この殺人事件が、まず<地方検事>を選出する選挙戦の最中に起こったということを理解しておく必要があります。司法制度がまるで異なるために、私たち日本人にはなかなか理解しがたいのですが、この地方検事局の構成は、公職選挙により選ばれた地方検事を筆頭に、その検事が採用した検事補が百数十名、そしてその下に秘書や事務員などの一般の公務員がいます。主席検事補は、検事局の中ではナンバー2の地位にあるのですが、検事補の採用権は地方検事にあるため、選挙結果に左右されるという非常に不安定な立場にいます。

 この映画では裁判シーンがメインですが、人間関係がとても錯綜していて、一度見ただけではとても理解できません。そもそも、被害者のキャロリン、検察側のニコガーディア ― この裁判の時点では、地方検事に就任 ― トミー・モルト、そして被告人のラスティと、この裁判の主役とも言うべき4人全員が元同僚の検事補だったということが、まずこの裁判を異様なものにしています。

 また、ニコレイモンド検事 ラスティの上司:この裁判では検察側証人として出廷 ― のかつての部下であり、今回の予備選挙では対立候補として現職のレイモンドを敗り当選したのですが、ニコはかつて検事局の殺人部長だった時にレイモンドに解雇されており、それを言い渡したのがラスティだったという経緯があります。

 また、被害者のキャロリン検事補は、とても美人だが野心家で、色仕掛けで自分の野望を達成しようとする、いわゆる悪女なのですが、ラスティ余りにも生真面目で純粋な男だったためにキャロリンの虜になってしまいます。彼がこの事件に巻き込まれた原因は、実はそこにあったのでした。

 もうひとつ、この事件を複雑にしているのは、キャロリンレイモンド検事とも愛人関係にあり、また、以前キャロリンが北支部裁判所の保護観察官をしていた時に、この裁判で判事を務めるラレン・リトルとも収賄事件に絡んで関係があったという点です。このように複雑に絡み合った人間関係の中でこの裁判は進行していきます。

― 蛇足ですが、検察側のトミーも北支部裁判所時代からのキャロリンの熱烈なファンであり、ラレン判事とは永年に渡って反目し合っています。また、ラスティが失脚すれば、主席検事補のポストが転がり込んでくるという立場にいます。

  この映画の中で検察側が提出した証拠には、次のものがあります。

 そして、検死解剖の結果、被害者の膣内から避妊具 ― ペッサリー ― と共に使われる避妊ゼリーの成分が検出されたにも拘わらず避妊具そのものは発見されなかったため、殺害は恋人による犯行であり、その男が偽装工作をしたものと断定したのでした。

 ラスティは、絶体絶命の危機に瀕しますが、彼の弁護士サンディはどのようにして彼を救ったのでしょうか?

 まず、検察側にとって致命的なミスは、証拠物件のビールグラスを紛失してしまったことです。それにより「 グラスに付着していた指紋に関する証言が、証拠として採択され得るのか? 」という疑問が生じました。また「 指紋は、場合によっては何年間も消えずに残っていることがあるので、たとえ指紋の付いたグラスが現場にあったとしても、それが事件当夜に現場にいたことをなんら立証するものではない 」ということを、検察側証人から反対尋問で巧みに引き出したことです。

 そして何より決定的だったのは、検死解剖をした監察医のクマガイが「 被害者は数年前に避妊手術を受けていた 」という重要な点を見落としたことを指摘したことでした。避妊手術をして妊娠の可能性が全くない女性が、避妊具を用いる訳がないからです。これにより「 犯人の精液だとされるサンプルが被害者の体内から採取されたものではない 」可能性が大きくなったのです。

 最終的にラレン判事は、ラスティが犯人だという直接的証拠はなく、このような状況での審議続行は認められない。」として訴訟を棄却します。真犯人はラスティのとても身近な所にいて意外な結末を迎えるのですが、少なくともラスティに関しては<正義>が行われた訳です。

 原作の『推定無罪』(文春文庫刊/上田公子訳) の中でラレン判事は、「 ・・・ 何人といえども、公平な人たちが合理的な疑いの余地なく彼を有罪だと結論するかもしれない充分な証拠なしに、 裁判にかけられるべきではありません。それが正義というものであると思います。・・・ 」と述べています。果たして、布川事件では正義が行われたのでしょうか ?「 疑わしきは、被告人の利益にという大原則が貫かれたのでしょうか ?

 この事件でラスティは、本来犯人を訴追する立場だったのが、急に逆の立場に追い込まれた訳です。突然、えん罪事件に巻き込まれた彼は、起訴状の写しを初めて目にした途端、「 心臓をはじめ全器官が失速し、どこかで内蔵破裂を起こしたにちがいないと思われるほどの痛みに襲われ 」ます。そして、弁護士のサンディ「 まったく理解できなくて、怒りで張りさけそうだ ・・・ 」と言っています。

 えん罪事件は、忌(い)むべきものです。布川事件桜井さん杉山さんの当時の心情を察して余りあります。

( 1999.11 T.Mutou )  

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第5回

 回とり上げる映画は、メラニー・グリフィス主演の 疑惑の幻影という映画です。未明にロスの大富豪の娘ジャナが殺害され、前夜の情交相手だったラップ歌手のボビーが逮捕されました。その弁護を引き受けたのが、やり手の女弁護士キットで、過去に自分が引き受けた事件での失敗に悩みながらも、無罪の証拠集めに奔走します。

 そして、この事件の担当検事になったのが、なんとキット弁護士の元亭主のジャック検事補でした・・・。アメリカでは、このようなケースはそんなに珍しくはないのか、 真実の行方 という映画では、リチャード・ギア扮する敏腕弁護士が、かつての部下恋人だった女検事補と法廷で対峙するという設定になっています。ちなみに、この映画は<えん罪事件>を扱ったものではなくて、最後に弁護士までもが犯人にまんまと裏をかかれてしまうという、何とも後味の悪い映画です。

 さて、話を 疑惑の幻影 に戻しましょう。この事件では、容疑者には次のような<状況証拠>しかありませんでした。

 そして、キットがこの事件の弁護を引き受けた直後から、彼女への硬軟とり混ぜた妨害工作が始まります。この事件は、当初被害者の肉体に情交の痕跡があったことから痴情による殺人のように思われましたが、被害者の身辺を洗っているうちに思わぬ事実関係が浮かび上がってきます。キットは、次第にこの事件の核心に迫って行くのですが、それにつれて妨害工作の度合も増して行き、ついには第二の殺人事件まで引き起こされます。

 また、検事局の対応にも当初から不自然なものがありましたが、次第にこの事件の背後に次期大統領候補と目されているポール・サクソン上院議員の一家が絡んでいることが明らかになります。被害者のジャナは、以前から素行不良で父親とは絶縁状態でしたが、実はサクソン上院議員とは永年に渡り<愛人関係>にありました。彼女は、サクソン上院議員に<離婚>を迫るのですが、一向に事態が進展しないのに業を煮やして、隠し撮りした写真をネタに彼を<脅迫>したのでした。

 この事件を解決する鍵となったのは、ジャナの遺品の中にあった鎖の切れたペンダントでした。彼女は、引き千切られた鎖の切れ端を手に握って殺害されていたのですが、そのペンダントバスタブの中に落ちていて、掃除夫がそれを拾って遺品箱の中に入れていたのでした。

 このペンダントの持ち主こそが<真犯人>で、それがなんとキットのかつての夫で、この事件の担当検事のジャックなのでした。訴追する立場の人間が、実は<真犯人>だったという、何とも凄まじい結末です。彼は、司法長官になることに異常な執念を燃やしていて、サクソン上院議員がスキャンダルに巻き込まれるのを防止するために、共謀してジャナを殺害し、偽装工作を行ったのでした。主犯のジャック検事補サクソン上院議員そしてその母親のシルビアが逮捕されたのが、党の大統領候補に指名されたことを公表する華やかな祝賀パーティーの席上だったのは、何とも皮肉な限りです。

 この映画でとても印象に残ったのは、キットがこの事件の弁護を引き受けた際に、助手アル「 何故あんなクズの弁護を引き受けたのか?」という問いに対して言った次の言葉です。

  普通の人間でも<罪状>が付けばワルの顔になるのよ。」そして「 どんなワルにも<人権>があるわ!」

 キットは、その<人権>を守るためにこの事件の弁護を引き受けた訳です。

 <裁判>というのは、実はその人が<容疑者>となった時点から始まっているのではないでしょうか・・・? 連日、マスコミを通じて事件の悲惨な内容が大々的に報道されたところに、<容疑者>が逮捕され、そして捜査当局の記者会見が行われます。そのため、裁判官陪審員も例外なくマスコミ報道に何らかの影響を受けていて、<裁判>が開始される頃には既に<凶悪犯人像>が出来上がってしまっているのです。

 ことに、この映画のように<訴追>する立場の人間の<謀略>によって犯罪者にされた場合には、私たちはどの様にして身を守れば良いのでしょうか・・・ 考えただけでも背筋が寒くなります。もしかして、布川事件でも何らかの<謀略>が・・・。

 今となっては調べようもありませんが、最近の<警察官>による夥(おびただ)しい<不祥事件>の報道を聞くにつけ、「とても頭から否定することはできない」との思いを強くしてしまいます。何れにしても、布川事件桜井さんと杉山さんの不幸のはじまりは、捜査当局の素行不良者リストに載ってしまったことにあるのではないでしょうか・・・

( 1999.12 T.Mutou )  

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第6回

 サスペンス映画の巨匠と言えば、私の年代以上の人はアルフレッド・ヒッチコック(1899〜1988)の名をまず挙げるのではないでしょうか。彼は、無実>なのに「事件に巻き込まれ、又は濡れ衣を着せられて警察や犯罪組織に追われる男の恐怖」というテーマに対して非常な関心を持っていて、数多くの名作を残しています。えん罪事件サスペンス映画の一要素と成り得ることを早くから見抜いていたのかもしれません。

 ヒッチコックは、英国で26歳の時に『 快楽の園 』という映画で監督デビューし、後にハリウッドに渡って映画を撮り続けましたが、彼の監督した全53作品の内、なんと11作品がそのような映画なのには驚くばかりです。中には必ずしもえん罪事件と呼べないようなものも有りますが、以下、年代順に列挙すると次のようになります。

映 画 の タ イ ト ル 制 作 年 主  演  俳  優
 @『 下宿人 』 (1926・英)  アイヴァ・ノベェロ
 A『 殺人 』 (1930・英)  ハーバート・マーシャル
 B『 三十九夜 』 (1935・英)  ロバート・ドーナット
 C『 第三逃亡者 』 (1937・英)  デリック・デ・マーニー
 D『 逃走迷路 』 (1942・米)  ロバート・カミングス
 E『 白い恐怖 』 (1945・米)  イングリット・バーグマン

 グレゴリー・ペック

 F『 見知らぬ乗客 』 (1951・米)  ファーリー・グレンジャー
 G『 私は告白する (1952・米)  モンゴメリー・クリフト
 H『 泥棒成金 』 (1955・米)  ケイリー・グラント

 グレース・ケリー

 I『 間違えられた男 』 (1957・米)  ヘンリー・フォンダ
 J『 北北西に進路を取れ 』 (1959・米)  ケイリー・グラント

 【参考文献:ヒッチコック殺人ファイル/洋泉社】

 今回は、この中から第三逃亡者という映画を取りあげてみたいと思います。この映画は、オープニングで女優のクリスティーヌの不倫をなじる夫(ガイ)の罵声で始まります。そして、夫の侮辱の言葉に思わず往復ビンタ 演技じゃなく本当に叩いているみたいで、ちょっとぎごちない!を喰らわすクリスティーヌガイの憎しみ ― だけど良く見ると、思わずプッと吹き出しそうになって、グッと堪えたという表情! ― の眼差。ここに、これから始まる事件の伏線があります。そして、戸外に出るガイ。夜の荒海を背景にして彼の顔がアップになり、<瞬き>をします。これが真犯人を示す<鍵>になるのですが、勿論初めはそんなことには全然気が付きませんでしたが・・・。

 翌朝、海岸にクリスティーヌの絞殺死体が打ち上げられ、第一発見者のロバート(小説家)が容疑者にされてしまいます。容疑事実は、次のような状況証拠だけでした。

  • 死体を発見したロバートが、現場から逃走した様に見えた。
  • 現場に落ちていたベルトと同じベルトの付いたコートを持っていたが、紛失していた。
  • 被害者と以前から面識があった。
  • 遺書に「ロバートに 1,200ポンドを遺贈する」と記載されていた。
  • ロバートの仕事は、最悪の状態だった。

 しかし、ロバートは裁判を受ける直前になって、混乱に乗じて脱走します。その逃走の時に弁護士のメガネを使って変装?するのですが、余りにも幼稚な変装に誰も気づかないというのは、・・・ご愛嬌? その時、裁判所の前にどこかで見かけた様な、例の<でぶっちょ男>の姿。こんな初期の映画から顔を出していたのかと、思わず苦笑してしまいました。

 ロバートの逃亡劇の手助けをするのは、警察長官の娘エリカですが、その出会いからして酷く<時代>を感じてしまいました。なんと、警察署での取調中にロバートが失神?してしまい、偶然来合わせたエリカの介抱を受けるのです・・・沈黙!

 また、廃屋に隠れていたロバートエリカが、ふたりの警官に見つかった時にそこの2階から脱出するのですが、その警官のドジさ加減と言ったら、もう<ドタバタ喜劇>です! ― この辺は、意図的に笑いを取りにいったのでしょうけど・・・。

 それに、ロバートは「ベルト付きのコートさえ見つかれば、容疑が晴れる」と勝手に思い込んでいるのです。話のプロットが余りにも単純なのは、やはり63年前の映画なので仕方ないのでしょうか・・・?

 ロバートは、やっとの事でそのコートを着ていたウィル老人を捜し当てますが、そのコートにはベルトが付いていませんでした。捜索は振り出しに戻り、今度はそのウィル老人を伴って、老人がコートを貰ったという<瞬きをする男>を捜しに行きます。そして、そのコートのポケットに入っていたグランドホテルのマッチを手掛かりに、エリカウィル老人がそのホテルで張り込みをします。

 ホテルでは、ダンスミュージックが演奏されていて、カメラは次第にバックバンドのドラマー(ガイ)の目にパンしていきます。そして、例のチックの<瞬き>。バックミュージックは、ご親切にも<ドラマーマン?>。お節介なヒッチコックが、しきりに<真犯人>を教えたがります。ウィル老人や警官の姿を見て狼狽するドラマー。そして、精神安定剤を多量に服用したために倒れて、騒ぎを大きくしてしまい、結局自分で墓穴を掘ってしまいます。 何とも、あっけない幕切れでした。

 この映画の中で、エリカが犯人の逃走を幇助したのがバレて取調官の事情聴取を受ける場面で、次のようなセリフがあります。

ロバートは、たった一つの手掛かりで犯人扱いされたのよ 」「 捜査方向を変えれば<真犯人>は見つかるわッ

 そうなのです、捜査官にはこの辺の切り替えが>難しいのかもしれません・・・初動捜査でのミスは、何時までも後を引きます。布川事件では、捜査方針の切り替えが出来なかったばっかりに、桜井さんと杉山さんは29年間を獄中で過ごす羽目になってしまいました。

( 2000.1 T.Mutou )  

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