From 桜井昌司詩抄
『 風のように 』
風がものに触れて
姿をあらわすように
愛は
人の心に触れてあらわれる。
あなたから届く思いが
私の生きる力になるように
高い塀を隔てた
私の思いが
風のように
あなたに届きますように。( 1993. 7 )
『 限りなき日々へ 』
私は無実です
もう何度
同じ言葉を書いてきたことか
私に自由を返せ
これまで何度
同じ言葉を叫んできたことか。
書いても書いても書きつくしても
叫んでも叫んでも叫びつくしても
無実のものが無実と認められない
苦しみと悲しみの月日にあって
苦しみを知らなければ
悲しみを知らなければ
判らないことがあると
私は知った。
この世にあって正しいことを
人間として正しくあるべきことを
ひたすら求めて
真摯に活動する人々があって
その人たちこそが
社会に存在する正義を支えているのだと
私の苦しみに届く
私の悲しみに届く
人に知られずに活動する人々の
温もりと優しさの掌が教えてくれる。
苦しみと悲しさを知らなければ
私は知らずにきたであろう
社会の正義を支える人々と共に
獄中に二十六度目の秋を迎えて
正義と自由が守られる
当り前に守られる
限りなき日々へ向かって
今日も
無実だと書く
自由を返せと叫ぶ。( 1993. 9 )
『 訴 え 』
もう何度 同じ言葉を書いただろうか
初めて便りをします
私は桜井昌司と申します
昭和42年 茨城県下でえん罪に
問われている者です
書くたびに 殺人犯とされた者の言葉など
誰が受け入れてくれるのかと
ためらいを感じながら
きのうも 書いた
私は自白をしました
それは嘘の自白でした
でたらめの自白を理由に
犯人とされているのです
もう何度 同じ言葉を書き重ねたろうか
私は盗みをしました
乱雑な生活を続けました
そのため 犯人に作られました
書くたびに 盗みをした者の言葉など
誰が信じてくれるかと
悔恨を感じながら
きょうも書いた
私は人殺しはしていません
無実をあかすため闘っています
どうか力を貸して下さい
何度 同じ言葉を書けばいいのかと
書く文字に空しさを感じる日があった
何度 同じ言葉を語ればいいのかと
語る心にうつろな日もあった
書くたびに
語るたびに
過去は同じ痛みをもってよみがえり
返らぬ言葉を
真実を
求めてあがく
おのれを嘲笑する
太い鉄格子と
厚く
高い
石塀を通してみる娑婆は
私の叫びを知らぬげに
何の変わりもなく動く
きのうもきょうも
その娑婆と私とをへだてるものは
肌を刺す鉄格子でも
心を刺す石塀でもない
私は明日も訴えを書くだろう
私の青春を奪い去った者を見すえながら( 1983. 2 )
『 お願いします 』
お願いします
お願いします
お願いします。
父は今日も駅に立って
人の流れに声をかける
無実の息子を助けて下さい
行き交う人は足早に通り過ぎる
あれが人殺しの親だとさされる指に
顔を伏せて逃げた駅も
今は昔の二十年。
時折立ち止まって署名をくれる人に
手を合わせて、明日を信じて
今日も人の流れに声をあげる
お願いします
お願いします
お願いします。( 1986. 8 )
『 手 』
気がついたらば
手をみつめていた
記憶にないようなシワが
あっちこっちに増えている
四十三才の手。
母も手をみつめていることがあった
自分の手なのに
ひっくり返しては
みつめていた
その背中には
子供心にも声をかけられない
重さがあった
寂しさがあった。
若さにあふれた手は
ついきのうまであったのに
こんな手ではなかったのに
と思ったらば
遠い日の母の姿が思い返される。
梅雨の雨の休日
これからの将来に
この手がつかんで行くものを
この手に触れるものを思いながら
遠い昔の母の心と
向かいあっている。( 1990. 6 )
『 神話の作られる時 』
昔、むかし
日本は神様が造った
神様が地上に降ってきた
それは二千と六百ウン年前
その神様の子孫が天皇だという
百億年以上にわたる宇宙の歴史を知る
現代の子供たちは
きっと「ウッソ!バカみたい」と笑うだろう
そんな作り話が
ほんの少し前の日本では
神話としてのイノチを持ち
現人神天皇の名で
日本人の生命を
あらゆる自由を支配していた。
あれから四十数年
今、天皇が死んで
平和を愛した人だったとか
心ならずも起った戦争だったとか
国民のためだけを考えた人だったとか
史実を離れた作り話が
新しい神話が
耳に
目にあふれている
国体の護持とか
皇室存続の危ぐとかを言うばかりで
東京大空襲を
沖縄地上戦を
そして広島と長崎の原爆を招いたのは誰だ
戦争の原因である中国大陸への侵略を
「深ク忠烈ヲ嘉ス」と言い
拡大させたのは誰だ
平和を求め
真に民衆の平和を求め
神話に抗した正義の人々を
弾圧し、殺した
あの治安維持法を公布せしめたのは誰だ。
今、神話が作られるとき
今、神話が作られるとき
子供たちは
「ウッソ!バカみたい」と笑うだろうか
それとも
次の世代の子供たちが
「ウッソ!バカみたい」と
笑うことになるのだろうか。( 1989. 2 )
『 あなたも有資格者 』
あなたは四十四日前の夜
どこで何をしていましたか
考えてください
あなたは、今
殺人犯として尋問されていたとします
答えられない人
あなたも有資格者です。
行動を記憶していたあなた
あなたは立派です
でも
その行動を証明する人はありますか
証明できる明確な事実はありますか
無いという人
あなたも有資格者です。
あなたが記憶通りに話した行動を
裏付捜査によって
違っていると判ったと言われたらば
警察官がデタラメを言ったと思いますか
そんなことで警察が嘘は言うまいと思う人
あなたも有資格者です。
警察が嘘やデタラメを言い
ある時は殴ったり、おどしたり
やりたいことをやって自白をさせると
もし、あなたが知らないならば
信じられないならば
あなたも有資格者です。
あの日の私のように
あの時の私のように
嘘の自白をさせられる
あなたも有資格者です。
検察が正義と信じている人
あなたも有資格者です
裁判が公正であると信じている人
あなたも有資格者です
たとえ一時的に嘘の自白をしても
自分が真実さえ訴えれば
きっと検察官や裁判官が判ってくれると思う人
あなたも有資格者です。
獄中に二十四年
無実の罪を背負う私のように
私と同じようになれる
あなたも有資格者です。( 1991. 12 )
『 足 音 』
まるで薬をはむごとく
広げた新聞を目で追いながら
夕飯を食う
背を向けた廊下を靴音が近づく
それは、自由な社会からの足音
通り過ぎるか
立ち止まるか
私は、貴女の足音を問うごとく
夕飯を食う箸と
新聞を追う目を止め
手紙!
の声を待つ( 1983. 2 )
『 僕は眠りを知らない 』
僕は
眠りを知らない
語りたい言葉を奪われた
あの日から
走りたい足を奪われた
あの日から
唄いたい唇を閉ざされた
あの日から
働きたい手を押さえられた
あの日から
五体の自由を
人としての自由を
すべて断ち切られた
あの日から
僕は眠りを知らない。
何物にも拘束されない心は
ひたすらに自由を求め
叫び、怒り、嘆き、哀しむ
心は
無実の罪と向かい合い
月日を重ねて
もう十九年
僕は
心を休める眠りを
知らない。
どんなに眠っても
目醒に味わう
重い背中の痛みと疲れは
無実の罪を負う子を持つ
父の苦しみ
どんなに眠っても
目醒に味わう
鈍い頭の痛みと疲れは
えん罪になく子を持つ
母の悲しみ。
ゆっくり眠りたい
ゆっくり休みたい
何時も何時も
同じことを思いながら
起床の号令に
僕は自分の意思で起きて
明日を信じて来た
明日を信じて来た
そして十九年
僕は
僕はまだ
眠りを知らない
心を休める眠りを知らない。( 1986. 4 )
『 沈 丁 花 』
雨が止んで
青空が見えたのが嬉しくなったらば
沈丁花が匂った
きっと雨の中でも薫っていたのだ
気づかなかったのだ。
人を傷つけて
自分を傷つけて
飛び回っていた二十才のころ
私の春に沈丁花は薫らなかった
気づかなかった。
春を待って、春を待ち続けて
何時からか
沈丁花は春の記憶になった
刑務所に二十三年目の私。
雨に隠れていた
今年の春に出会ったらば
もうどこかに、気づかないどこかに
待ち続けている春が来ているような
そんな気持ちになった。( 1990. 3 )
『 写 真 』
「しあわせ」という言葉がついて
若い男女の写真がある
週刊誌の1ページ
そこに時がある
見知らぬ男女の時間がある
みつめあった微笑みのなかに
二人の時間がある
二人の時代がある
「帰郷」という言葉がついて
家族らしい写真がある
新聞の1コマ
そこに時がある
見知らぬ家族の時間がある
たくさんの荷物を別けあって持つ手のなかに
家族の時間がある
家族の歴史がある。
写真は時をうつし
時のうつろいをうつし
人の歴史をかたる
それなのに
ボクには写真がない
ボクの時間をうつし
ボクの歴史をかたる写真がない
一枚の写真を見るごとに
ボクは失った自分の時間を見る
一枚の写真を見るごとに
ボクは闘いの時間を思う
長いながい闘いの時間を思う。( 1988. 8 )
『 ぜいたく 』
鉛筆、ボールペン、消しゴム
歯ぶらし、石けん、ちり紙
タオル、箸、耳かき
受刑者に許可される物として
自己用途物品表にある二十数品目は
限られた日用品ばかりだ。
鉄の扉
コンクリートの壁
鉄格子の窓
四畳余りの独房は
歳月を葬る鉄と石の柩
人間の暮らす空間として
何かを飾りたい気もするが
そのような物は
自弁物品表にはない。
パンツ、ズボン下、シャツ
わずかに許された肌着で
せめて自分を包みたい気もするが
月に七千円余りの労賃では
とても買えるものではない。
だから私は
毎月、一枚のタオルを買う
二十六年を過ごした独房が
人間の生きる空間である証しとして
毎月、一枚の黄色いタオルを買う。
一本の花を買うように
一束の花を買うように
それは私の
たった一つのぜいたくだ。( 1993. 5 )
『 お 百 度 』
嬬恋の野にある石仏は百体の観音様
人間の生きる日々にある
苦しみと哀しみ
夢と希望
ひそかに託して
人々が祈りと願いを捧げた
百体に参れば願いはかなうという
百体に参れば祈りはきかれるという
これまでに何人の人が
どのような思いを託して来たことか。
観音様を描きとった絵葉書を
百体揃えて願えばかなうとかで
毎日、一枚
込められた願いと共に
私の手に観音様が届く
あなたの思いの観音様が届く。
刑務所の中にあって二六年
無実の罪での二六年
私の願いは自由
私の願いは無罪判決
それだけを願って
かなわずに来た二六年の月日。
支援美術展に
支援コンサートに
再審要請の署名集めに
仮釈放要請の署名集めに
たくさんの人の協力があって
会えないことを承知の上で
近くにいるだけでも良いと
刑務所へ来てくれる人もあって
多くの人の思いに支えられた
私の二六年の祈りの月日。
嬬恋の石仏にとっては
きっと初めてのことかも知れない
私の雪冤の願いが
あなたによって捧げられて
今日も一枚
あなたの祈りの絵葉書は届く。( 1993. 7 )
『 二十歳のあの日から 』
二十歳のあの日から
僕は苦しい時には笑ってきた
無実の罪の日々は
ゆえのない拘束の日々は
けっして笑い話ではないし
笑ってもいられないが
僕は苦しさを言葉にしないできた。
二十歳のあの日から
僕は
怒りを覚える時には笑ってきた
僕は三十九歳になって
母も逝って
六七六〇日余りが過ぎて
まだ獄中にあって
決して笑える日々ではないし
笑ってもいられないが
僕は怒りを言葉にしないできた。
苦しさも辛さも
そして悔しさも
一九年の獄中にあり余る
言葉にしない思いは
みんな明日に包んで
僕は耐えてきた
怒りも嘆きも
そして哀しさも
六七六〇日余りの獄中にあふれる
言葉にしない思いは
みんなあなたが包んでくれて
僕は守って来た。
二十歳のあの日から
二十歳のあの日から( 1986. 4 )
『 経 歴 書 』
私の経歴書に書けるものは
二十才以降はない
四十七才になろうという男ならば
当り前に持っていよう
仕事を通した経歴も
家庭を支えた経歴も
私にはない
ただ刑務所にいたという
それだけがある。
でも、
私は胸を張って
刑務所にいたと
経歴を書きたい。
靴を造って
誰にも負けなかった技術は
社会にいたならば
きっと同じようにできたろうから。
閉鎖的な暮らしの中で
仲間からお人好しと言われて
人の思いを裏切らなかったことは
社会にいたならば
きっと同じようにできたろうから。
そして
友と呼べる人が
社会にあって
私のことを忘れずに
一日も早く自由にしたいと
一日も早く無実を証したいと
支えてくれていたから
その喜びと幸せがあるから。
だから
私は社会へ帰って
刑務所にいたと
経歴書に書くだろう
今年で二十七度目の正月になる
この長い月日に胸を張って。( 1993. 12 )