拝啓 早瀬警部補殿 昭和42(1967)年11月18日 NO.2
(注) 早瀬警部補は、桜井さんを逮捕後に取手警察署内で取調べた刑事です。
早瀬警部補殿 今の私の気持は、貴方に対する憎しみで一杯です。何て書いて良いか判りませんが。
今日、親父が面会に来てくれたのです。所が、話に聞くと、新聞に犯人と書き出されてから、母は腰が抜けた様になり、世間の人の目もうるさく、親父は、東京への通勤でも、人の目を忍んで通う状態で有るとか。
何ぜ
(ママ)新聞になど発表してしまったのですか。私は、早瀬さんが発表せぬと云うので嘘の供述をしました。早瀬さん、俺じゃない。もし、私がやったとしても、何の証拠も残さず出来うるでしょうか。テープレコーダーと調書が証拠ですか。あれだけ詳しくは、犯人でなければ言えぬですか。笑わせないで下さい。私は、何も知らなかった。では、何ぜ(ママ)あの調書が出来たか・・・、お判りだと思います。年老いた父の姿を見て、捨てばちの気持を起こし、全面的に認めましたが、馬鹿な事をしたと今更悔んでます。早瀬さん、必らず私の無実の判る日が来ます。その時こそ、私は、新聞社はもとより、貴方達捜査本部員であった人達に対して、不当な犯人扱いと、人権蹂躙
(じんけんじゅうりん)で訴える事はむろん、捜査本部員全員の辞職を訴え出て、今、私や両親の味わってる万分の1でもの苦しみを味あわせてやりたい。むろん貴方達は、どうしても私達を犯人にしなければならないはず。調書があのように出来て仕舞い、もし我々でないなんて事になったら困りますもんね。
早瀬さん、貴方達の失敗は、私が最初に28日は思い出せぬと言った所で決めた事です。思い出せぬの当り前でしょう。兄の家へ泊ってないと頭から決められてはネ。
早瀬さん、私はもしこのまま無実で裁かれるとしても、どうしてもなっとくが行きません。私は、犯人と早瀬警部補としてではなく、桜井昌司と早瀬四郎として、何としてももう一度私の気持を通えなくては気が済みません。何回も申し上げますが、私は無実です。
今日の年老いた父の姿を見て、今迄も悔しくてなりませんでしたが、尚更ペンの暴力と警察の非力を思って、悔しさも増して、今こうしてペンを取り、書き出しはしましたが、いきどうりのない怒りにもえてます。
早瀬さん、私の取調べに対して、「 今までの事件ではこうである 」と何度かおっしゃいましたね。私は「 はいはい 」と認めてはいましたが、初めから裁判では認めるつもりなど有りませんでした。あの時点で認めたと云うのは、そうしてれば、貴方達のきげんも良く、食べ物もある程度買って来
(ママ)れると思ってです。今は、あの頃の自分を悔んでます。まだ、杉山とは話しておりませんが、奴も無実だと信じてます。
早瀬さん、警察はもしミスをしでかしたとき、認めるのですか? 私は、改めて心に誓ったのです。警察も信用が出来ぬ事を・・・。
早瀬さん、私が貴方に対して持ってた今までの気持は全部捨てます。そして、いつか私達家族が味わった苦しみを味わう事を祈ってます。又、必らずその日は来ます。
必らず土浦に来て欲しいものです。逃げないで下さい、頼みます。
その日迄は、お元気で桜 井 昌 司
早 瀬 警 部 補 殿
11 月 18 日
※ この2通の手紙を読まれて、貴方は何を感じられましたか ・・・ ? これらの手紙は、どちらも桜井さんがそれまで取調べを受けていた取手警察署の早瀬警部補に対して、土浦拘置所に移送後に実際に郵送されたものです。2通目の手紙は、1通目の手紙のわずか4日後に出されたものですが、そのたった4日間に、桜井さんの早瀬警部補に対する気持が大きく転換しているのが分かります。 その間に一体何があったのでしょうか ・・・ ? 言うまでもなく、桜井さんの父親の面会です。その面会を境にして桜井さんの心境が大きく変化しています。桜井さんは、すっかり年老いてしまった父親の口から直接、新聞報道の内容を知りました。そして、それによって家族の味わわされている例えようもない苦境を知らされたのです。早瀬警部補に裏切られたとの悲痛な思いと<嘘の自白>をしてしまったことに対する自責の念、それらの遣り場のない憤りが、これらの手紙から痛い程伝わって来ます。
また、この2通の手紙からは、取調室の外には絶対に漏(も)れ出て来ないような、取調室での<取調官>と<容疑者>との遣(や)り取りがそれとなく分かります。非常に狡知(こうち)に長けた<取調官>と、まだ世慣れていない20才の<若者>との意識の埋め難い隔たり。
そして、その大変な<誤解>から、その後の人生を賭けたとても長い<悲劇>が幕を開け、それが本人の意識とはかけ離れて、思わぬ方向へと<ストーリー>がどんどん進んでいって仕舞うことに対する苛立(いらだち)と遣り切(やりき)れなさ ・・・ 。
桜井さんは、空腹と睡眠不足の中で一体どんな取調べを受けていたのでしょうか ・・・ ? 残念ながら、このような密室の中での悲劇が、今でも相変わらず全国各地で繰り広げられているようです ・・・ 。