拝啓 早瀬警部補殿 昭和42(1967)年11月14日 NO.1
(注) 早瀬警部補は、桜井さんを逮捕後に取手警察署内で取調べた刑事です。
日増しに寒さの厳しくなります今頃ですが、いかがお過ごしですか。きっと我が家での一年振りの休日を心から堪能し、今はまた、次の仕事へととり掛ってる事と思いますが、いかがでしょうか。
私には、取手署におきまして、一方ならぬお世話になり有難う御座いました。今は感謝の気持ちで一杯です。でも今から書きます事で、憤慨したと申しても私としては仕方ありません、本当の事なのですから。勿論その事、一つ一つに本当の説明は書き添えます。
その前に今の私の生活ですが、私は11月8日に取手より移送になり、今日で1週間になります。私は、不安でした。拘置所とはどんな所であろうと心配していましたが、何と心の安まる所なのでしょう。毎日が落ち付
(ママ)いて過す事が出来ます。これというのも、空腹感にいら立つ事もなく、毎日毎日嘘の供述で、今日は何を聞かれるのかなんて、心を痛めずにも済みますし、検事さんの調べが有りますが、真実な事を話せばすみますので、今日は何を聞かれるのか、なんて心配せずにすみます。私は、土浦に来て、ある決心をしました。それは、早瀬さんも知っていると思いますが、新聞の件です。私は、新聞には出さないでと頼んだと思います。その理由は、私は8月28日のアリバイを思い出せずいた時、早瀬さんは、いくら嘘を言っても駄目と言われましたネ。
そんな事やら、「 お前さんが殺さなかったら、あの日に象天さんと話をしてたのを見たと言う人も居ないだろう 」などと言われ、私は悔しくても思い出せぬ自分に怒りさえ感じ、あまりに一方的な犯人扱いに捨てばちになり、嘘の供述を初め
(ママ)ました。その時の私の気持ちは、新聞にさえ出なかったら、自分一人さえ我慢すれば、必ず犯人が捕まる人があるのだから、堪えろ堪えろと心に呟き掛けて今日まで来ました。早瀬さんの気持ちとしては、何を今更とお思いでしょう。そう思わず、我慢して最後までお読み下さい。私は、更生の気持ちを忘れた訳では有りません。かえって今迄に迷惑を掛けた人に、必らず罪ほろぼしをする気持が強くなりました。でも、十何年後にでは有りません。それは、遅くても5年後には出来ると信じてます。
私は、殺人犯ではないのですから、たとえ、いか様な人でも、いか様な手段を持
(ママ)ってしても、他人の心の内は計り知れるべきものではありません。私の心は、私が一人のみ知ってます。そうではないでしょうか。だからと言って、私は捜査方法を疑ったりはしません。でも、何も知らぬ私達が、強盗殺人犯として出来上がったのはどういうわけでしょうか。私には、早瀬さんの見事な調書作りと私の嘘の供述が見事に一致して出来たのだと思いますが、私には、チョット、感の良い人であったら、誰でも犯人になりうると思います。何度も申し上げましたよう、私は殺人はしておりません。又、28日は布川になど行っておりません。10月28日に早瀬さんと富田さんの前で言ったように、直っすぐ
(ママ)東京へ行っております。私は、土浦に来るまで心が落ち付(ママ)かず、気持ちの整理が出来ませんでしたが、こちらに来てよく整理して見(ママ)ますと、どうしても8月28日はこれしかない、と考えがまとまったのです。1 高田馬場養老の滝の件は
どうしても8月28日と云う理由は、自分の灰色のズボンが切れてるので、娘の人に格好悪いと思った事。私は灰色ズボンは8月26日前は、はいていません。それに女の人や店の男が、俺が文句を言ったもんで見てたので、一たん帰って、杉山や敏ちゃんとダボなんか着て来てびっくりさせてやるかと思った事、27日に敏ちゃんがイレズミをほったので、今日も居ると考えたのです。
2 隣りの姉さんの所で缶詰を盗った件
これは、最後に兄のアパートに行った日なので、28日しかありません。兄のバーで飲んだあとでアパートに帰ってからなので、隣りの姉さんは、12時頃帰って来るので、入った時間はどうしても11時〜11時半位までの間、とすると兄のバーへ行ったのは、10ジ〜10ジ半位の間なのです。
まだまだ、たくさん有りますが、いずれ裁判で会う日が有ると思いますので、その時、お話しするとしまして、私の気持ちは、悔しくて悔しくてなりません。犯人逮捕の新聞記事を見て、笑っている奴が居ると思うと悔しいのです。必らずそんな奴は、また悪事を働きます。真犯人は必ずあがる。私はその時、人権蹂躙
(じんけんじゅうりん)で新聞社を訴えます。だからと言って、私は早瀬さんに悪感情は少しも有りません。それよりいろいろな心使い有がたく思いました。それに深沢さんも、短かい間でしたが、何か心が温かいもので包まれるような人でした。私は自分の犯した罪のつぐないをする為に、あの日逮捕されて来ました。でも、自分でかんがえてもみない方向に進むので、一時困乱
(ママ)しましたが、今はあの時の心に戻りました。きっと真面目になり、再会する日まで、早瀬さん、深沢さん、お体を大切にお元気でお過し下さい。勝手な事ばかりで許して下さい。もちろん又出します。
桜 井 昌 司
さようなら
早 瀬 警 部 補 殿
深 沢 巡 査 殿
11月 14日