映画の中のえん罪事件 NO.13
第17回
ちょっと油断している間に、もう2003年もあと3ヶ月を残すのみ。・・・ 本当に月日の経つのは早いものですネ! このコーナーが何時までも更新されないので、「 遂にタネ切れになったか? 」なんて気を揉(も)んでおられた(?)貴方、まだまだ大丈夫ですよ、ご心配なく・・・!
さて、今回は映画史上に燦然(さんぜん)と輝くスペクタクル超大作、チャールトン・ヘストン主演のあの『 ベン・ハー 』なんです。この映画は、とても有名なのでご存じの方もかなり多いかと思いますが、「 そんなの聞いたこともな〜いッ!」という若い方の為にちょっと解説を・・・。
この映画の原作は、ルイス(ルー)・ウォレス(1827〜1905)のベストセラー小説『 ベン・ハー 』(1880)で、サブタイトルが「 キリストの物語 」となっていることからも分かるように、映画自体もかなり宗教色の強いものになっています。原作者のルー・ウォレスは、アメリカ南北戦争当時のレッキとした将軍でもあり、後にニュー・メキシコ準州(当時)の知事も務めたという異色の作家で、他に『 キリストの幼年期 』(1888)『 インドの皇子 』(1893)などの作品があります。
※ 今回、この原作(【 ベン・ハー/キリストの物語 】辻本庸子・武田貴子訳/松柏社 )を初めて読んでみましたが、やはり名作は時代も人種の壁も超えるものなのですネ! 解説を含めると約600頁とちょっと読みでがありますが、120年以上も前にかかれた小説なのに映画以上に面白くて夢中で読んでしまいました。
この『 ベン・ハー 』は、1880年に初版が出版された後、一般大衆の圧倒的な支持を得て、当時としては画期的なベストセラーとなり、後に舞台劇化もなされました。また、これまでに1907年(サイレント映画)、1926年 (サイレント映画)、そして1959年と3回も映画化されています。その後にリメイクの話が全く出てこないところを見ると、1959年の作品が如何に強烈だったかが窺(うかが)い知れます。
今回取り上げる映画は、勿論この1959年制作の『 ベン・ハー 』で、主演のチャールトン・ヘストンは、説明するまでもなく、これまでに『 地上最大のショウ 』『 十戒 』『 大いなる西部 』『 北京の55日 』『 猿の惑星 』等々数多くの映画に出演し、この『 ベン・ハー 』では、アカデミー賞<主演男優賞>を獲得した往年の大スター。
※ なお、余談ですが、この『 ベン・ハー 』という映画は、1959年度のアカデミー賞の12部門でノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、撮影賞、美術監督賞、衣装デザイン賞、劇音楽賞、音響賞、編集賞、特殊効果賞と、脚色賞を除くなんと11部門で賞を獲得し、この記録はいまだに破られていないそうです。
この映画で<監督賞>を受賞したウィリアム・ワイラー監督は、『 ミニヴァー夫人 』(1942)、『 我等の生涯の最良の年 』(1946)に続くこれが3度目の受賞で、他に『 嵐が丘 』『 探偵物語 』『 ローマの休日 』『 大いなる西部 』等の監督としても知られています。因(ちな)みに、この映画で<助演男優賞>を受賞したのは、アラブ人の族長イルデリムを演じたヒュー・グリフィスだったそうです。
さて、6年半の歳月と1500万ドル(当時のレートで約54億円)の巨費を投じて作られたこの映画は、1959年1月に遂に撮影が終了し、その年11月18日にアメリカで初公開。日本では翌年4月1日からテアトル東京でロードショーが行われ、なんと15ヵ月以上のロングランを記録したそうです。
※ 余談ですが、この映画の撮影所はイタリアのチネチッタ撮影所で、セット数は約300ぱい、スタジオ裏手の敷地には10ブロックからなる古都エルサレムの街路が再現され、人工湖には実際に2隻の軍艦が浮かべられたそうです。又この映画には絶対欠かせない<戦車競技>の舞台は、一周460mのトラックを持つ総面積7.3haの闘技場が1年半の歳月をかけて、やはりこのスタジオの裏手に作られました。さらに、エキストラはなんと延べ12万5000人にものぼったそうで、その逸話からもこの映画のスケールの大きさが想像出来るのではないでしょうか!
― また、前置きが長くなってしまいましたが、例によって、まずはこの映画の位置付けをしてみましょう!
この映画では、「 主人公のジュダ・ベン・ハーが、野望を抱く幼馴染みのメッサラから見せしめの為に無実の罪を着せられてしまう 」というこの物語の設定から、『 陰謀・被害者型 』ということでは、どなたも異論はないかと思いますが、この映画のメインテーマが何時の時点を捉(とら)えたものかという分類では、私の独断で『 判決後 』ということにさせて戴きたいと思います。<正式な裁判>が開かれてもいないのに<判決後>というのもおかしな話ですが、メッサラから実際に<刑の言渡し>は受けていますので、そういうことでご理解戴きたいと思います。 ― 但し、このシーンは原作にはありません・・・!
※ 余談ついでに、もう一言付け加えさせて戴くと、主人公のジュダ・ベン・ハーという名前の中の<ベン>というのは、実はミドルネームではなくて、あの悪名高いオサマ・ビン・ラディンという名前の<ビン>と同じく<息子>という意味なんだそうで、その伝で言えば、<ベン・ハー>は『 ハー家の息子 』ということになるそうです。( 前掲【 ベン・ハー/キリストの物語 】)
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☆ さて、御託を並べるのはこのくらいにして、本編に入りましょう!
この映画のオープニングは、赤いマントに身を包み、兜と胸当てをつけて槍を手にしたローマ兵が見守る中、荒れ果てた丘陵地を家財を持って移動するユダヤ人の長い行列を映し出します。ナレーションが厳かに当時の時代背景を説明します。
「 ・・・キリスト誕生の年、ユダヤはローマ帝国の支配下にあった。この年、全ユダヤ人はローマ皇帝の命令で登録と課税のために出身地へ戻ることになった。そして、多くの者は、首都エルサレムを通って行った。」
― なお、 この当時のローマ皇帝は、初代皇帝のガイウス・オクタビアヌス・アウグストゥス(前63〜後14)でした。彼は、あのジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)(前100〜前44)の妹の孫にあたり、後に彼の養子となります。ついでながら、被占領国のユダヤ王は、ヘロデ大王(前74〜前4)でした。彼の死後、ユダヤ王国は3人の息子(アルケラオス、フィリポス、アンティパス)によって分割統治され、彼らの内の1人(アンティパス)は、後にやはりヘロデ王と呼ばれました。
ナレーションは、さらに続きます。「 ・・・占領はされていても、住民は信仰を捨ててはいない。彼らは救世主が現れるという予言を信じていた。そして、解放と自由がもたらされることを・・・ 」
その人々の中にナザレの大工ヨセフと妊娠中の妻マリアもいて、やはり同じように出身地ベツレヘム(ダビデの町)へと向かっていました。
※ 余談ですが、それはヨセフがダビデ家の遠い血筋だった為に、千年前にダビデ王が生まれた町ベツレヘムに戻ることになったのであり、またマリアはこの時臨月間近でしたが、天使のお告げに従って父祖の地で子を産もうと夫について来たのでした。
場面が変わり、全てのものが眠りにつく深夜。冬の空は晴れ渡り、満天に美しい星々が輝いています。そんな中にひときわ明るく輝く星が現れて、次第にエルサレムの上空を移動して行きます。それを敬虔(けいけん)な面持ちで見上げる人々の姿。同時刻、東方から遥々(はるばる)やって来た3人の博士たちも、立ち止まってそれをジッと見つめていました。彼らは、エジプト人のバルタザール、ギリシャ人のガスパル、そしてインド人のメルクオールでした。この3人は、それぞれ別々の場所から天の声に導かれ、この世に誕生するであろう<救世主>を捜して遙か遠方からやって来たのでした。
その輝く星は、エルサレムの南西8kmのところ、ベツレヘムの少し手前の上空で止まると、丘の中腹の一点を明るく照らし出します。それは、粗末な厩(うまや)でした。 ― 原作では、隊商宿の洞窟になっています!
先程の3博士も、この一条の光に導かれて貢ぎ物(みつぎもの) ― 黄金、乳香、没薬(もつやく) ― を手にその厩(うまや)を訪ねて来ます。そこには、同じように神の声を聞いた羊飼いの男たち ― 聖書では、これも3人だったとされています ― が既に集まっていました。
厩の中で、まだ生まれたばかりの赤ん坊を胸に抱いている聖母マリア。イエス・キリストの誕生でした。そのみ前に思わずひれ伏す3博士。<救世主>の誕生を、角笛を吹いてベツレヘムの村人たちに知らせる羊飼いの男。角笛の音が村中に響き渡ります。
※ 余談ながら、キリストの誕生日は、正確なところは不明ですが、原作では紀元前4年(ローマ紀747年)12月25日ということになっています。なお、この時聖母マリアは、なんと15歳位 ― これには17歳位だとする説もあります ― だったそうです。また、夫のヨセフ ― この時40歳位で再婚 ― は彼女の伯父にあたるそうで、いわば近親結婚でした。
☆ ここで<BEN−HUR>のタイトル文字とクレジットが映し出され、第1幕は終了!
場面は大きく変わり、紀元26年のこと。ローマ帝国の夥(おびただ)しい数の軍隊がナザレの村を通り過ぎエルサレムを目指して行軍して行きます。そこでは、大工のヨセフが仕事に精を出していました。すっかり成長して青年になったキリストの姿もそこにあります。
この時、ローマの大軍を率いてエルサレムの砦(アントニヤ城)に入城して来たのは、メッサラ(スティーブン・ボイド)でした。かつて、彼の父親がイスラエルの総督を務めていた関係で、14歳までの少年時代をこの地で過ごしました。その後、一旦ローマに帰国して軍人としての教育を受けていましたが、この度ローマ軍の司令官としてエルサレムに赴任して来たものです。
この当時、ユダヤの地はローマ帝国の支配下にあったものの、皇帝はユダヤの特殊事情を考慮して、これまで宗教的戒律への干渉を極力控えて来たこともあって、民衆は唯一絶対の神(ヤハウェ)のみを信じ、ローマ皇帝に服従しないばかりかとても反抗的で<租税>も全く納めないようになっていました。そんなこともあって、皇帝はユダヤの<支配強化>をメッサラと後任の新総督に命じたのでした。
※ 余談ながら、この時のユダヤの総督は、第4代総督のヴァレリウス・グラトゥスでした。
さて、その新任の司令官をさっそく訪ねて来たのは、かつての幼友達でユダヤの王族ハー家の後継ぎベン・ハー(チャールトン・ヘストン)でした。 ― この時、彼の父親(イタマール・ハー)は既に他界していました。
彼らは、子供の頃兄弟のようにして育ったということもあり、暫く振りの再会に懐かしさの余り、ガシッと力強く抱擁。しばし、旧交を温めます。武器庫の梁を目掛けて、昔のように槍投げの腕を競い合うふたり!
しかし、ベン・ハーの思いとは裏腹に、ふたりの立場は全く異なっていました。<征服者>と<被征服者>。所詮、相容れられる筈はありません。政治的立場の違いをまざまざと思い知らされるベン・ハー! 再び昔のような関係に戻ることはムリなようです。
メッサラは、ベン・ハーの影響力を利用してユダヤの地を統治しようとしますが、ベン・ハーは、それとは逆にローマの軍隊をイスラエルから引き上げて、ユダヤ人に自由を与えるべきだと忠告します。何かにつけて意見が対立するふたり! ローマでの生活で、メッサラは、すっかり変わっていました。いわゆる、権力至上主義者。あくまでも、<力>でもって相手を屈服させようするメッサラ! 彼にとっては、<権力>こそがすべてでした。
翌日、メッサラはベンハーの屋敷を訪れ、彼の母親のミリアムや妹のティルザと昔話に花を咲かせますが、メッサラの頭にあるのは軍隊のことだけで、野蛮な戦争の話を得意げに話す彼の横暴さ加減に、その場の雰囲気は、次第に気詰まりなものになります。ローマ帝国での立身出世をひたすら夢見るメッサラには、逆の立場の人々を思いやる気遣いなど毛頭ありません。メッサラはベンハーにローマ帝国への反抗者を密告させようとしますが、彼がそれを断固として断ったことでふたりの対立は決定的なものになります。
― それから程なくして、ベン・ハーの一族を突然の不幸が襲いかかります。
※ 余談ですが、ベンハーの屋敷は、城門をくぐり旧市街に入ってすぐ右手、後にキリストが十字架を背負って刑場まで歩いたという、あの有名な『 悲しみの道(Via Dolorosa) 』に面した北西の角地に建っていたそうです。建物は、2階建ての全長120mぐらいの直方体の建物で、外壁は大きな石を積み重ねて中庭を取り囲む城壁のようなたたずまいでした。この建物の開口部は門だけで、とても分厚くて堅牢な木の扉がいつも閉まっていました。屋上は涼み台になっていて、夜ともなると、ここは星を見ながら夜風を楽しむ、家族のくつろぎの場でもありました。なお、この涼み台からは、<裁きの門>からアント二ヤ城へと続く狭い通りを見下ろすことが出来ました。( 前掲【 ベン・ハー/キリストの物語 】)
ベン・ハーには、父親の代からずっと仕えているシモニデスという忠実な奴隷がいましたが、ベンハーは彼を<奴隷>としてではなく、ひとりの<人間>として、そして古くからの親しい<友人>として待遇していました。また、シモニデスにはエスターという美しい一人娘がいましたが、この娘に対しても<主人>としてではなく、ひとりの男として淡い恋心を抱きながらも、これから嫁いで行く彼女を複雑な気持ちで祝福します。
― このシーンは原作にはありませんが、監督は彼のこの他者に対する慈愛と優しさに溢れた逸話を挿入することにより、その後の復讐に燃える彼の苦難の日々をより際立ったものとさせています。
その日、新任のグラトゥス総督がローマ軍の大部隊を引き連れてエルサレムに到着します。ユダヤ人が不安な面持ちで見守る中、一行は城門をくぐり抜け、アントニヤ城まで隊列を組んでの大パレード! ベン・ハーと妹のティルザは、屋敷の2階にある涼み台から高見の見物をします。新任の総督をもっと良く見ようとティルザが欄干から身を乗り出した時、割れたままになっていた瓦に触れてしまい、外側の瓦が外れて道路に落下! その瓦が、運悪くその下を通りかかったグラトゥス総督の傍に落ち、それに驚いて暴れた馬に総督は振り落とされてしまいます。
大勢の兵士が槍を振りかざし、ベン・ハーの屋敷に殺到します。事故なのは明らかでした。しかし、メッサラは、ベン・ハーとその母親ミリアム、そして妹のティルザの3人をなんと総督暗殺未遂容疑で逮捕! 事故を利用した反逆者への弾圧! 明らかな見せしめでした。
※ なお余談ですが、欄干の割れた瓦を落下させたのは、原作では妹のティルザではなくベン・ハー自身ということになっています。
メッサラは、先日の意趣返しにベン・ハーの無実の訴えを斥けたばかりか、彼を罪人として地獄の<ガレー船>送りにし、ミリアムとティルザをライ病に汚染された地下牢に閉じ込めてしまいます。そして、当然ながら全財産の没収。この時、ベン・ハーは神に復讐を誓います!
※ またまた余談ですが、原作ではこの没収した全財産をグラトゥス総督とメッサラで山分けにして私腹を肥やしたことになっています。しかし、ベン・ハーの父親(イタマール・ハー)が現金をすべて手形に変えて世界各地の取引先に分散して預けていた為に、屋敷内に現金は全く残っていませんでした。メッサラは、その現金の在処を白状させようとしてシモニデスを拷問しますが、彼は口を割らなかった為に半身不随になってしまいます。
さて、『 タイア行き 』を言い渡されたベン・ハーは、現地までの過酷な道のりを他の罪人と共に鎖に繋(つな)がれて、裸足のまま歩かされて行きます。そして、途中ナザレの町で小休止した時に、喉の渇きに耐えきれず倒れ伏したベン・ハーの顔に優しく水を注ぎ、水差しの水を飲ませてやったのが、なんとイエス・キリストその人でした。 ― これが、ふたりの最初の出会い!
※ 終始無言のシーンですが、とても印象深い場面です。また、ベン・ハーに水をやったキリストに詰め寄ろうとした護送隊長が、キリストの顔を直視できずに眼をそらしますが、その卑屈な表情がなんとも言えず良いですネ! また、この映画の中では、キリストは後ろ姿だけで顔は一切映されませんが、それが却って彼が特別な存在であること表現する効果を上げています。
ところで、この<タイア>というのが何処なのか気になって調べてみましたが、原作にも書かれていない地名なので結局分かりませんでした。ただ、前後の状況から判断するとナザレの北部にある海辺の町には違いありませんが、架空の地名だとも考えられます。因みに、ナザレの北西に<ハイファ>という港町があります。発音が似ているので、もしかしたらここの可能性もあります。この町は、現在ではエルサレム、ティルアビブに次ぐイスラエル第3の都市となっていて、イスラエルの海の玄関口としての役割も果たしており、紀元1世紀頃にはローマ軍の軍事駐屯地になっていたそうです。
なお蛇足ですが、当時ローマ帝国が<ガレー船>の大艦隊を駐屯させていた海軍基地は、ローマのラベンナとミセヌムの2港だったそうです。( 前掲【 ベン・ハー/キリストの物語 】)
― 場面が変わり、それから3年後のガレー船内で!
漕手長が木槌でドラミングするリズムに合わせて、左右それぞれ60名・総勢120名の鎖に繋がれた奴隷たちが懸命にオールを漕いでいます。怠けようものなら、情け容赦もなくムチが飛んで来ます。その中にベン・ハーもいました。当時のガレー船の漕手は非情に重労働だった為、普通1年位しか保たなかったそうで、3年も生存していたというのは正に奇跡でした。この艦隊の総司令官が、後に彼の養父となるクイントス・アリウス提督でした。
彼は、ベン・ハーの研ぎすまされたように鍛え上げられた肉体とその面魂がひどく気に入り、何かと気に掛けていました。そして、海戦になった時にも彼の命を救うべく足の鎖を外してやります。
― マケドニア艦隊との大海戦!
この海戦で、ベン・ハーとアリウス提督の乗っていた軍艦は敵の猛攻撃を受けて撃沈してしまいます。戦闘中に海に投げ出された提督を救助するベン・ハー! 結果的には、ローマ艦隊の大勝利に終わったこの海戦でしたが、船の残骸にしがみついて漂流する提督は、敗戦だと思い込み自害しようとします。しかし、ベン・ハーに阻止され、再び命拾いをする提督。
※ 余談ですが、原作ではこの海戦は、当時エーゲ海に出没してはその周辺海域を荒らし回っていた海賊軍団との大海戦ということになっていて、戦場はギリシャとエーゲ海のエヴィア島に挟まれた、幅約13キロ、長さはなんと200キロ弱にも及ぶ細長い海峡内でした。敵勢は60隻余りのガレー船で、それに対しローマ軍の艦隊は100隻でしたが、戦力を2分して北と南から挟み撃ちにするという戦術を採った為、敵艦隊に遭遇した時には戦力的に劣っていました。
― ローマでの華やかな凱旋パレード!
沿道に出迎えた数万のローマ市民の大歓声の中、アリウス提督とベン・ハーは戦車(4頭立ての馬車)に乗ってフォロ・ロマーノのカエサル神殿まで凱旋パレードをします。壇上で、ローマ皇帝から褒美に勝利のバトンを手渡される提督! 帰国後アリウス提督は、命の恩人となったベン・ハーを ― この時はまだ奴隷のままの身分でしたが ― 皇帝の許しを得て身請けします。 ― なお、この時のローマ皇帝は、オクタビアヌスの養子ユリウス・ティベリウス・クラウディウス(前42〜後37)でした。このシーンも原作にはありません。
それから1年余の歳月をアリウス提督の元で平穏に過ごし、戦車競技の騎手としてローマ中に名を馳(は)せたベン・ハーでしたが、行方知れずになっていた母親とティルザのことがひどく気掛かりで、居ても立ってもいられない毎日でした。ふたりを早く救い出してやりたい! 彼の脳裏をいつも去来するのは、ただそのことだけでした。
そんなある日、後継ぎのいなかったアリウス提督は、パーティの席上でベン・ハーを養子にすると宣言! なんと奴隷の身から、アリウス2世となったのです。しかし如何(いか)に波乱に富んだ人生とは言え、何という変わり様でしょうか ・・・? これも奇跡としか言いようがありません! なお、この席上で後に第5代のユダヤ総督になるポンティウス・ピラトに引き合わされます。偶然にも、提督の昔からの親友でした。
― そして、念願の帰郷!
アリウス提督の家督を継いだベン・ハーでしたが、思いは遙かエルサレムにありました。やっと手に入れた念願のチャンス! はやる気持ちをグッと抑えて、彼はローマから海路イスラエルへと向かいます。
※ なお余談ですが、この当時東へ向かう海路は、ローマからギリシャのアテネを経由し、ローマの属州シリアの首都アンティオキア(現在トルコ領)に至るルート、いわゆる海の道(香辛料の道)を行くのが一般的で、直接エルサレムの近くの沿岸には上陸しなかったようです。原作でもベン・ハーは、このアンティオキアに上陸し、あの有名な<戦車競技>は、エルサレムではなくここの競技場で行われたことになっています。
さて、4年振りに故郷の土を踏んだベン・ハーですが、上陸後はずっとラクダに揺られての長旅で、しばし椰子の木陰で休息して旅の疲れを癒します。その光景を離れたところからジッと見ている人物がいました。エジプト人のバルタザールでした。イエス・キリストの誕生に立ち会う為に、遥々東方から駆けつけたあの3博士のうちの1人です。もう既に成人した筈のキリストを捜して再びイスラエルにやって来ていた彼は、ベン・ハーを見てもしやと思って話しかけます。
そしてこの時、近々エルサレムで開催される<戦車競技>に出場させる為に、この地で馬の調教をしていたアラブの族長イルデリムに偶然出会います。バルタザールは、客人としてしばらく彼のテントに滞在しているところでした。ベン・ハーが、ローマで<戦車競技>に出場していた話を耳にすると、イルデリムは彼を自分のテントに招き、御者として出場してくれるよう依頼します。
この<戦車競技>には、あのメッサラも出場することになっていました。遺恨試合! しかも、何でもアリのルールなし! 過去に何人もの人が死んでいます。しかし、ベン・ハーにはその前にやらねばならないことがありました。あの運命の日、生き別れた母親と妹のティルザを何としても捜し出して救出すること・・・ 。族長の申し出を断り、一路エルサレムへ。
夜を待って、人知れず懐かしの我が家へ! しかし、彼の屋敷はすっかり荒れ果てて、昔日のような活気はまるでありませんでした。入口の扉は硬く閉ざされたままで、彼の帰宅を暖かく迎える人の姿もありません。ベン・ハーは、しばし呆然と屋敷を眺めた後、悲しみに打ちのめされて入口の側柱に頬をすり寄せます。夢にまで見た我が家! 何気なく扉に手を触れると、何の抵抗もなくスッと開きます。静かに押し開けて中に・・・!
邸内も悲しいほど荒れ果てていました。すると、2階の扉が開き、外階段を誰か人が降りて来ます。人の気配に気付き、ふと立ち止まるエスター! ベン・ハーは、思わず彼女の名を呼びます。思いも掛けない出来事に驚き、崩折れるエスターを抱き留めるベン・ハー!
エスターとの涙の再会! 彼女は、嫁いで行く度の途中で突然の悲劇を耳にして、父親と急遽エルサレムに引き返して来たのでした。父親のシモニデスも投獄されたこともあり、そのまま屋敷に留(とど)まって3人の帰りを待っていました。拷問によって半身不随になったシモニデスとの言葉にならぬ喜びの再会! しかし、その喜びも束の間! 悲しいことに母親とティルザの行方は依然として不明のままでした。
ベン・ハーは、アントニヤ城のメッサラのところに単身乗り込みます。ローマのアリウス2世として・・・ 。夢にも思わぬ再会に、幽霊を見るような眼で彼を見るメッサラ! ベン・ハーは、そんな彼に詰め寄ります。母親とティルザのふたりを直ぐに捜し出せ、そうすれば復讐の誓いは忘れてやると・・・。相手はアリウス2世! とても敵わぬ相手の言葉に慌てたメッサラは、部下に捜索を命じます。
アントニヤ城の地下牢で奇跡的に生きていたふたり! しかし、何と<業病>に冒されていました。ふたりは、地下牢からは解放されましたが、もう昔のようにエルサレムの屋敷に住むことは許されません! ― この当時ユダヤの律法では、盲人、ライ病人、貧しき者、子のない者は死人とみなされていました。( 前掲【 ベン・ハー/キリストの物語 】)
ミリアムとティルザのふたりは、<業病の谷>へ向かう途中、せめて一目でも我が家を見ようと秘かに屋敷に立ち寄ります。しかし、そこをエスターに見つかってしまいます。自分たちの病のことをジュダに知られることを怖れるふたりは、このことを内緒にするようにと言い残して、<業病の谷>へと向かいます。
※ 余談ですが、エルサレムの町は何度も戦火に見舞われて城壁が壊され、その度に再建されるということを繰り返した為、城壁の位置が当時と現在とでは少し違っていて、この当時の城壁は、現在の城壁より全体的に南に数百mずれていました。例えば、イエス・キリストが処刑されたゴルゴダの丘跡地に建てられたと言われている<聖墳墓教会>の場所は、現在では城壁内のやや中央左上に位置していますが、この当時は城壁外にありました。
また、ふたりが向かった<業病の谷>は、原作ではエルサレムの旧市街の南西部にあるシオン山の麓(ふもと)の墓地の中にあったとされています。なお蛇足ですが、原作では<業病の谷>という言葉は使われていません。
さて、途方に暮れるエスターでしたが、そんなふたりの切ない気持を汲んで、結局ベン・ハーには、ふたりは牢内で死んでしまったと嘘をつきます。それを聞いて悲嘆に暮れたベンハーは、エスターの制止も聞かず血相を変えて屋敷を飛び出して行きます。
― そして、この映画最大のクライマックスとなる戦車競技!
その数日後、アラブの族長イルデリムは、召使いを引き連れてメッサラのもとを訪れ、<戦車競技>の賭けを持ちかけます。族長の術策にマンマとはまり、それを受けてしまうメッサラ! 金額は1000タラントで、掛け率は4対1。
※ またまた余談ですが、原作を読むまではこのシーンの意味するところを余り深く考えず、単に一般的に行われている賭博だと思っていました。しかし、これにはベン・ハー家の財産を没収して私腹を肥やしたメッサラを個人的にも破産させてしまおうという深い意味があったのです。
なお、タラントという貨幣単位は、能力を意味するタレントの語源となった言葉で、1タラントというのは6000日分の賃金の値段だそうです。現在の日当を仮に1万円だとすると6000万円で、1000タラントでは600億円となり、メッサラが負けた場合にはなんと2400億円という途方もない金額を支払わなければならないことになります。また蛇足ですが、原作では掛け率が6対1で、金額は5タラントとちょっと控えめになってます。
( 参照 http://www.nsknet.or.jp/~kmg/jesus/rom32.htm )さて、その競技会の当日! いざッ、決戦のとき! ・・・ ピラト総督臨席のエルサレムの競技場は、数万の観客の熱気で溢れかえっていました。出走ゲートに列ぶ馬たちも、場内の熱気に煽られてちょっと興奮気味! そして、4頭立ての各馬車が足並みを揃えての入場行進に場内の歓声も一段とハネ上がります。出場チームは、全部で9チーム! それぞれのコスチュームに身を包んでの出場です。その中にベン・ハーとメッサラの姿もありました。ベン・ハーが4頭の白馬に白い戦車という装備だったのとは対照的に、メッサラのは4頭の黒馬と赤地に金色の模様のあるギリシャ式のゴツい戦車でした。
トラックを一周した後、ピラト総督のいる貴賓席正面にあるスタートラインに全チームが整列! 総督の合図で全車一斉にスタートを切ります。このレースは、一周460mのトラックを10周して勝敗が決まります。
最初から繰り広げられるデッドヒート! 競技場の中央には、周回コースを隔てる分離帯がありました。第1コーナーを回ったところで、早くもその縁石に乗り上げてしまったアテネ代表チームの戦車が転倒して脱落。メッサラは、自分を追い越そうとする戦車に巾寄せしたり、走路妨害したりして意地悪く邪魔をします。コリント代表チームの戦車は、メッサラの戦車の車軸に付いている鋭い金属の先端で車輪を粉砕されて大破! ・・・ 御者は馬に引きずられた挙げ句、無惨にも後続の戦車に轢かれてズタズタに!
2周目でベン・ハーがメッサラの戦車と競り合った時、ムチを打ちつけて妨害されます。それを避けようとしてベン・ハーは外側に回り込みますが、その煽(あおり)りで接触しそうになったフリジア代表チームが外側の壁に激突してこれも転倒! ・・・ 次々と脱落者が続出して行きます。
3周目を過ぎる頃にはレースは混戦模様に! アテネ代表チームとメッシナ代表チームとが接触、それぞれの戦車がハデに大破して脱落! 出走したのが9チームだったから残るは4チーム! ・・・ と思いきや、レース場にはまだ5チームが、・・・ ン? そう言えば、アテネ代表チームは2回もリタイヤしています。途中で復帰したのでしょうか、戦車も入場行進の時に乗っていたのとは違っているようです??? ― なんか、変な発見をしてしまいました!
5周目にさしかかった時ベンハーの戦車は、まだレース場から片づけられずに残っていた戦車の残骸に乗り上げて、すんでの所で放り出されそうになります。・・・ この辺は、CGにはない実写のド迫力ッ! そして、6周目! 優勝争いは誰の目にも明らか! 危うくベン・ハーの戦車もメッサラの秘密兵器の犠牲になりそうになります。
7周目を過ぎたところでメッサラが巾寄せして来て、ついに最後の仕掛けに出て来ます。汚い手を使ってベン・ハーをムチ打つメッサラ! それを手で絡め取るベン・ハー! メッサラの秘密兵器が、ベン・ハーの戦車を少しずつ破壊して行きます。
8周目のコーナーを回ったところで、ベン・ハーはメッサラの手からムチを奪い取り逆に仕返しします。そして、9周目に差しかかった所で、ベン・ハーの戦車に接触したメッサラの戦車の車輪が軸から外れ、吹っ飛んでしまいます。 ― 外れた筈の車輪が次シーンでは元に戻ってたと言うのは、ちょっとしたご愛敬!
戦車から放り出されたメッサラは、手綱をつかんだまま馬に引きずられて行きます。そして、無惨にも後続の戦車の下敷きに・・・。ベン・ハーは、そのまま最終コーナーを回ってゴール! ゴール! ゴール!
結局、優勝の栄冠に輝いたのはベン・ハーでした。因みに、彼以外に完走できたのはアレキサンドリア、キプロス、カルタゴの3チームだけでした。興奮した観衆がコースになだれ込んできます。全身血まみれのメッサラは、トラックに横たわったまま僅(わず)かに顔を上げてベン・ハーの姿を捜します。そして担架に乗せられて控え室へ!
ピラト総督から月桂冠の栄誉を賜り勝利を祝福されるベン・ハー! 征服者のローマ代表チームを破ったことで場内は熱狂の嵐に見舞われています。歓声はいつまでも止みません! ベン・ハーに一言釘を刺すピラト総督! 次第に勝利の興奮も冷めて来たベン・ハーは、念願の復讐を遂げたにも拘わらず何故か心が晴れません。
※ なお原作では、ギリシャ式の戦車に乗っていたのはメッサラではなく、ベン・ハーの方でした。そして、最終コーナーを回ったところで、車軸の凶器でメッサラの戦車の車輪を粉砕して優勝しています。おそらく監督は、ベン・ハーには汚い手を使って欲しくなかったのでしょう!
― 場面は変わり、メッサラの控え室!
手術台の上で苦痛にうめきながらも、必死にベン・ハーの来訪を待つメッサラ! 医者が片脚の切断をしようとしますが、頑なに拒絶します。ベン・ハーに五体満足な状態で会いたいと言い張るメッサラ! 何としてでも手術前にベン・ハーにひとこと言っておきたいようです。彼は、死よりも敗北の屈辱に耐えられなかったのでしょう!
そこへやって来たベン・ハーは、瀕死のメッサラから驚くべきことを聞かされます。これで終わった訳ではないと・・・。そして、母親とティルザは何とまだ生きていて<業病の谷>にいると・・・。追い打ちを掛けるように次々と苦悩が襲いかかります。あまりの衝撃に打ちひしがれるベン・ハー!「 まだ勝負はついてないぞ!」と言い残してメッサラは息を引き取ります。 ― なお原作では、彼は一生歩けぬ身とはなりましたが、命は取りとめました!
― そして、終わりなき苦悩の果てに!
ベン・ハーは、母親とティルザを捜して<業病の谷>へとやって来ます。そこには切り立った断崖をくり抜いて造られた洞窟があり、沢山のライ病患者がひっそりと暮らしていました。食料や水は、崖の上からロープで下ろしてもらいます。彼らがここから出て行くことは許されません。
恐る恐る谷底へと下りて行くと、そこへ食料を届けに来たエスターたちとバッタリ出会います。エスターになぜ嘘をついたのかと厳しく詰め寄るベン・ハー! 彼女の制止も聞かず洞窟へ駆け寄ろうとすると、よろめきながら出てくるふたりの姿を目にします。とっさに傍(かたわ)らの岩陰に隠れるベン・ハー!
彼がすぐ近くに居るとも知らずミリアムは、エスターにジュダの様子を訊ねます。不治の病に冒されようと、子を思う母の心は少しも変わりません。岩にしがみつくようにしてそれを聞くベン・ハー! 弱々しいけれど、それは間違いようもない母の声でした。メッサラの言葉が真実だったことを知ったベン・ハーは、声を押し殺してむせび泣きます。彼はこれまでずっと信仰を捨てずに来ましたが、しかしこの時ばかりは<神>の仕打ちを呪いました。
どうにかその切ない思いを振り払って帰宅する途中、ベン・ハーたちは、小川の畔で人々が列をなして歩いて行く姿を目にします。どうした訳か、丘の中腹に立っている人物を目指してたくさんの人々が集まって来ています。そして、その中にエジプト人のバルタザールの姿もありました。
ベン・ハーの姿を見つけるとそばに走り寄ってきて、これまでずっと捜していた人物にやっと巡り会えたとその喜びを語ります。「 間違いなく神の御子じゃ!」 この時、自暴自棄に陥っていたベン・ハーは、バルタザールの無邪気な喜びようをちょっと揶揄します。そして、彼の熱心な誘いも断って総督に会いに行きます。
イエス・キリストの姿を静かに見上げるの人々の表情のなんと穏やかなことでしょう! エスターの表情も先程とは打って変わってどこか安らいで見えます。この時もキリストは後ろ姿だけで、しかも一言も発しません! ― これが、あの有名な<山上の垂訓>のシーンなのでしょうか・・・? 但し、実際にはエルサレムの北百数十qのところにあるガリラヤ湖畔のタブハから緩やかなスロープを登ったところが<山上の垂訓の丘>と呼ばれています。
官邸でピラト総督に直に面会するベン・ハー! この時彼は、ローマに対して反旗を翻す決意をしていました。あわれな母親と妹だけではなく、あのメッサラでさえもローマの犠牲者だったと総督を厳しく責めます。総督は、なんとか彼を抱き込もうと優しい声を掛けますが、ベン・ハーの決意は少しも変わりません。自分はローマ人のアリウス2世ではなく、ユダヤ人のジュダ・ベン・ハーなんだと声高らかに宣言します! 総督にアリウス長官の指輪を返還し、決意の程を示すベン・ハー!
※ なお原作でベン・ハーは、実際に反乱軍を組織して武装蜂起の準備をしています。また、その当時の一般大衆の間では、ユダヤ教の預言にある<救世主>とは、反乱軍の先頭に立ってローマからユダヤを解放して自由をもたらす人物なのだと固く信じられていたようです。
蛇足ですが、歴史的には、紀元後66年から70年にかけて実際にローマ支配に対して反乱(ユダヤ戦争)が起きましたが、結局は鎮圧されて、この時エルサレムの城壁のかなりの部分と神殿が破壊されました。さらに紀元後132年〜135年にも同様の反乱(バル・コフバの乱)が起きますがこれも鎮圧され、この度重なる戦火でパレスチナ地方を追われたユダヤ人は、世界各地へと離散して行きました。
さて、不安な面持ちでベン・ハーの帰宅を待っていたエスターは、彼の無事な姿を見て安堵しますが、又もや復讐の念に取り憑かれて心が荒(すさ)んでしまっているのに耐えきれず彼を激しくなじります。彼は血を以てユダヤを洗い清めるしかないと信じ込んでいました。まるでメッサラが乗り移ったように、憎しみで顔が醜くなってしまったと言われた時のベン・ハーの驚きよう! 思ってもみなかったその一言で、彼はハッと目を醒まします!
エスターは、人々に愛と平和を説くキリストの教えに心酔していました。それで、翌日<死の谷>へと赴き、ふたりをエルサレムにいる彼のもとへ連れて行こうとします。そうすれば魂の平安が得られると・・・。そこへベン・ハーもやって来ます。彼は、この時もう死の床にあったティルザを抱き上げると、母親とエスターを伴いエルサレムへと向かいます。
しかし、城門をくぐり抜けた4人を待っていたのは、人の姿が消えて不気味に静まりかえった街並みでした。この時、町中の人々はピラト官邸前の広場に集まっていました。そこではキリストに対する裁判が開かれていて、彼らが到着した時には既に有罪の判決が下された後でした。
茨の冠をかぶり十字架を背負わされたキリストは、ゴルゴタの丘を目指して起伏に富んだエルサレムの街路を歩いて行きます。その姿を遠くから見守るエルサレムの人々! キリストは、ローマ兵に追い立てられるようにして歩いて行き、石段でつまずく度にムチ打たれます。しかし、このような時にあってもキリストの表情は安らいでいるかのようでした。
ベン・ハーは、その痛ましいキリストの姿を目にした時、かつて彼が罪人として移送されて行く途中、ナザレで倒れた時に水を飲ませてくれた名も知らぬ恩人だったことを知ります。衝動的にその<死の行進>の後について行き、再び坂道で倒れ伏したキリストにあの時と同じように水飲みを差し出すベン・ハー! 一瞬、ふたりの目と目が合います。
ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)にされるキリスト! それを遠巻きに見物するエルサレムの人々! 嘆き悲しむ彼の信者たち! そして、厳しい表情で見つめるユダヤ教のラビたち! それぞれの姿が映し出されて行きます。オリーブの木陰からジッと見つめるバルタザール! 長年捜し続けてやっと巡り会えた人が、このような無惨な最後を迎えてようとしています。彼の心境を想像するに難くありません!
彼が悲痛な面持ちでベン・ハーに語る言葉がとても印象的です。「 皆の罪を持って行って下さるのじゃ! その為に生まれたとおっしゃってた。その目的でこの世に現れなさったと・・・ これが始まりじゃ!」 その言葉をとても信じられない気持で聞くベン・ハー! 何故か心が洗われたような気がします。涙に潤んだ目で見上げるベン・ハー!
エスターたちは、また<死の谷>へと戻って行きましたが、途中で春嵐のような夕立に遭います。俄に辺りが暗くなると雷鳴が轟いて来たので、3人は洞窟で雨宿り! 激しい雷鳴が轟いた時、ミリエルは、キリストの死を身体に感じました。すると、どうしたことかミリエルとティルザの全身に激しい痛みが襲います。
突然突風が吹き荒れ、激しい雨粒が降り注いできます。そして、稲光がするや近くの木が倒れて土砂が崩れて来ました。その時、ミリエルとティルザに奇跡が起きました。ふたりの顔や手からあの醜いカサブタがとれ、元の美しい身体に戻っていたのです。
キリストの死を見届けたベン・ハーが足早に帰宅して来ます。そして、彼を出迎えたエスターに自分の不思議な体験を語って聞かせます。彼は、キリストが臨終の間際に「 彼らを許したまえ!」とつぶやくのを聞いて、何故かローマに対する恨みも消え、とても穏やかな心境になっていました。その時、2階から降りて来るミリエルとティルザの姿を見て、不治の病が完治したことを知ります。3人の表情は喜びに溢れ、互いに駈け寄るとしっかりと抱き合います。
― この最後の場面は、何度見ても目頭が熱くなる本当に感動的なシーンですネ!
※ さて、キリストが亡くなったのは、西暦30年4月30日(金)午後3時頃のことだったとされています。この時エルサレムは、ユダヤ教の3大祭の1つ、過越祭(すぎこしさい)の真最中でした。ところで、私はキリスト教徒ではありませんが、これまでずっと疑問に思っていたことがあります。そのことをお話しする前に、キリストについての予備知識などをここでちょっと・・・。
ナザレの大工ヨセフの子として生まれたイエス・キリストは、子供の頃からナザレの村でラビ(牧師)たちに旧約聖書を学んで育ち、後にユダヤ教の洗礼者ヨハネによってヨルダン川で洗礼(バプテスマ)を受けています。言ってみれば、彼もユダヤ教徒でした。その洗礼を受けて水から上がったキリストは神の声を聞き、自分に課せられた重大な使命を知ります。そして、荒野での40日間の断食の後、ヨハネの跡を継いで伝道活動を開始したとされています。
また、紀元前10世紀頃から何度も異民族の侵略を受け、数々の苦難を強いられて来たユダヤ民族は、いつの日かこの世に<救世主>が現れてユダヤの地に自由をもたらしてくれるという預言を固く信じ、その日の到来をずっと待ち焦がれていました。キリストが本当に<救世主>だったかどうかはさて置き、この当時彼は数々の信じられないような奇跡 ― 例えば、ライ病患者や盲目の人を治したり、死者を甦(よみがえ)らせた ― を起こして、一躍時の人となっていました。また、この映画の中のエスターのように、人々に愛と平和を説く独特の説教に深い感銘を覚えて、彼に帰依する一般大衆も多かったようです。
さらに、この映画の中の1シーンにもあるように、彼の後にはいつも沢山の<取り巻き>や<追っかけ>が付いて回り、彼の言葉を理解できたか否かは別として、その教えに熱心に耳を傾けていました。実際、キリストがユダヤで昔から語り継がれてきた預言にある<救世主>だと深く信じ込んでいた人たちも多かったようです。
そこで先程も申しましたが、私が感じた疑問というのは、彼を<救世主>とか<ユダヤ人の王>とか<神の御子>などと呼んで熱狂的に支持していた一般大衆の姿と、裁判の時にピラト官邸前の広場に押しかけてキリストに断罪をもとめた群衆の姿とがどうしても一致しないことなのです。それを人間の弱さとか群集心理だとか言って片付けることは簡単ですが、果たしてそれだけなのでしょうか?
勿論、聖書の中に書かれているように、彼は自分の運命を事前に知っていて、それを周囲の人たちに話していたということもあるでしょう! 自分は死ぬ為に生まれて来たと・・・! 人間の犯した罪を贖(あがな)うのだと・・・! そして、それが父の意志なのだと・・・! しかし残念ながら、彼の言葉を正確に理解していた人は、あの12使徒の中にさえいなかったようです。
この映画の中では何も語られていませんが、彼に死を求めたのはローマ帝国ではなく、彼と同胞のユダヤ人だったということは紛れもない事実です。むしろピラト総督は、キリストの命を救おうとさえしています。彼には、キリストがローマ帝国に対して反乱を企てたという証拠が全く見出せませんでした。またユダヤ教の過越祭には、毎年1人だけ罪人を赦免するという慣習がありました。それに気付いたピラト総督は、それを利用してキリストを救おうと群衆に訴えかけますが、敢えなく拒絶されてしまいます。 ― あろう事か、この慣習に従って釈放されたのは、なんと殺人罪と反逆罪で捕らえられていた盗賊の首領イエス・バラバでした。
言うまでもなく、この群衆の先頭に立ってキリストを死に追いやったのは、エルサレム神殿の祭司長を議長とする最高法院議会でした。彼らには、キリスト自らが自分を<神の子>と称することが絶対に許せなかったようです。それは、<ヤハウェ>を唯一絶対の神とするユダヤ教の教義と真っ向から対立する危険思想であり、神への冒涜(ぼうとく)に外ならないからでした。しかし、無論それはローマ法に何ら抵触するものではありません。
この当時キリストは、ユダヤ教の大祭司カイアファや律法に非常に厳格で彼の日頃の言動を心から憎んでいたファリサイ派と呼ばれていた人々のみならず、とても保守的で伝統的儀式に重きを置いていたサドカイ派の人々、そして長老や律法学者といったユダヤ人社会の指導者層と悉(ことごと)く対立していた上に、庶民の間では圧倒的な人気があったので、ヘロデ王からもひどく怖れられていました。それに対して彼を支持していたのは、病める者、貧しき者、障害者、もしくは社会的に疎外されている罪人(つみびと)といった社会の底辺で生きているような人々が大半でした。その為に、彼に対して下された<死刑判決>を覆(くつがえ)すには至らなかったのだと言えなくもありません。
キリストは、これまで行動を共にして来た弟子たちに裏切られ、彼が救いの手を差し伸べて来た一般大衆にも見放されてゴルゴダの丘で失意の内に刑死します。彼は、最後に次のように叫んで息を引き取ったそうです。
「 我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか・・・?」神に選ばれし者とは言え、彼もやはり生身の人間だったのでしょう! 彼自身、あるいは神の奇跡を信じていたのかもしれません! その神にすら見捨てられてしまった、その悲嘆たるや想像するに難くありません! このような壮絶な最後を迎えたキリストは、この時真の意味での<神>となり、永遠の生命を授かることになりました。
さて、現実の話に目を向けてみましょう! ・・・ 言うまでもなく、彼に対する死刑宣告は、<政治的>もしくは<宗教的>な理由に基づくものであって、その名目はどうであれ、現実的には彼自身の犯罪行為(国家反逆罪)に対するものではありませんでした。これは紛れもなく<えん罪>だったと言えるのではないでしょうか ・・・? この映画で描かれていたもう一つの<えん罪事件> ・・・!
― 私は、ここに<えん罪>の原点を見たような気がします!
<参考文献>
・『 ベン・ハー/キリストの物語 』 辻本庸子・武田貴子訳/松柏社
・『 小説・聖書/新約篇 』 W.ワンゲリン著/仲村明子訳/徳間書店
・『 イエスの生と死 』 松永希久夫著/NHKライブラリー
・『 キリスト教の誕生 』 ピエール.M.ボード著/創元社
・『 世界の歴史B/古代ローマとキリスト教 』 J.M.ロバーツ著/創元社
・『 地球の歩き方/イスラエル 』 ダイヤモンド社
・『 なるほど世界知図帳/ワールドマップル 』 昭文社
・『 地図で訪ねる歴史の舞台/世界 』 帝国書院
・『 映画になった名著 』 木本至著/マガジンハウス
・『 ニュートン 』 2001年12月号・2003年9月号/ニュートンプレス( 2003. 9 T.Mutou )