[資料8−1 被告人の上告趣意書  No.1 - 3

  昭和49年(あ)第1067号          被 告 人  桜  井   昌  司

※ 媒体の性質上、縦書きの文章を横書きに改めました。さらに、読み易さを考慮して適宜スペースを設け、漢数字を算用数字に、漢字表記の単位を記号表記に直しましたが、内容はほぼ原文通りです。なお、この上告趣意書は非常に長文な為、5分割してあります。また、文中の会話は一部<茨城弁>です。


. 早瀬警部補らの偽証と判決の誤り

(1) 二審判決は、早瀬警部補らの取調べに対する証言を

「 早瀬らの原審証人としての各供述( 第23、第24及び第26回公判調書記載 )によっても、被告人の自白が、その主張するような不当な偽計と誘導により得られた任意性のない内容虚偽のものと疑わせるものは見出しがたい。」( 8丁の6行以下 )

と、全面的に認めて、私の主張を排斥し、その早瀬証言の矛盾撞着
(むじゅんどうちゃく)にたいしては、

「 対立的当事者の立場からなされた発問内容による影響もあるにせよ、説明不十分のそしりを免れない点はあるが、これを偽証をもって論ずべきほどのものではない。」( 9丁裏の3行以下 )

と述べ、弁護人の論証を排斥しました。

 しかしながら、既に申し上げましたように、残された自白調書を唯一の根拠に、私を犯人と立証せんとする警察の取調当事者である早瀬警部補が、自白の正否に立証の正否がかかる公判に証人として出廷し、不当な取調べを否定することは当然なのですから、その証言の、不当な取調べを否定した表面上の言葉だけを取り上げて、

「 早瀬らの供述の中に、不当な偽計と誘導を疑わせるものは見出しがたい。」

といって、その嘘の自白調書を任意で真実なものと速断するような判決は、公正さも、公平さも欠いたものと申し上げざるを得ないのであります。

 自白調書の真偽を判断する上での問題は、早瀬証人の不当な取調べを否定した証言の個々の信憑性(しんぴょうせい)の筈(はず)であり、それこそが、自白調書の真偽の裏付けとなるものである筈(はず)です。

 その判決にある「 説明不十分 」と「 偽証 」とは、全く違った性格のものであって、同一な次元で論じられるものではないと思いますが、そのはやせ証言の矛盾が、二審判決のいうような単に説明不十分によるものか、それとも偽証によって生じたものか、という問題は、これこそ本件の問題である自白調書の真偽を決する点であって、この点に正しい判断が下されなければ、正しい判決もあり得ないのです。

 そして、あく迄も公正に判断を加えれば、早瀬証言の矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)が偽証であることは、明々白々な事実となって現れる筈なのであります。

(2) 早瀬証人の証言を通観すれば

「 ( 強殺事件について関係があるかどうかで調べる ) 気持はみじんも持っておりませんでした。」( 2161丁裏1行以下 )

「 ( 窃盗に関する行動調査ということで調べていたわけか ) そうです。」( 2161丁裏7行以下 )

「 ( そういうアリバイを聞いている時に、突然、布川の強盗事件を ) 自供しました。」( 2162丁9行以下 )

「 ( 何かきっかけがあったんじゃないか ) きっかけはありません、(8月)28日のアリバイはどうしたのかという話を、私は終始していました。」( 2162丁12行以下 )

「 ( そしたら、進んで布川の強殺事件を述べたわけか )
そうです、自分のやったことは自分の責任で話してみなさいというような話でもって言ったら、自供しました。」( 2162丁裏7行以下 )

「 ( それ迄は、布川の事件というものは、全然触れなかったわけか )
触れておりません。」( 2163丁5行以下 )

と、私の主張する取調経過を真向から否定して、
「 強殺事件では、何の訊問もしないのに、桜井が進んで自白した。」と言って、自白調書の任意性を主張していることが判ります。

 そして、一、二審の裁判所は、この証言を全面的に採用して有罪の根拠としているのですが、これらの早瀬証言の偽りは、その全証言を比較すれば、明らかである筈なのです。

1. 先ず、私が嘘の自白に至る迄の取調べ経過に関する早瀬証言を見れば、

「 私がやったのは、(10月)15日も窃盗のことを聞いてましたよ。」( 2157丁裏6行 )

「 (10月)14日まで窃盗を調べまして、15日にあんたのアリバイを尋ねました。」( 2227丁6行以下 )

「 (10月)14日と15日の2日間、そのアリバイを聞きました。」( 2227丁裏6行 )

「 (10月13日に)1日、1日のアリバイは、(8月の)24日頃からでもどうかということで聞きましたね。」( 2232丁裏9行以下 )

と、何通りもの証言をしていることが判りますが、裁判所流の警察官証言に対する思考は、このような1つ、1つの意志を有する何通りもの証言間のそごを説明不十分と申すのでしょうか。

 その証言に至る前後の発問から見て戴ければ判りますように、

「 (アリバイのために行動を調べたのは)10月15日です。」( 2158丁裏8行以下 )

「 14日と15日にアリバイを聞いた。」

「 13日に1日、1日のアリバイを聞いた。」

と答えた個々の証言は、発問に即して、あるいは発問に余儀なくされて、明らかに違った意志の元に行なわれた別個の証言なのですから、常識で判断する限りは、早瀬証人が、その取調経過に関して嘘を言っていることは紛れもない事実なのであります。

(1) この点に関して、もう少し明らかにするために、どのような切っ掛けからアリバイの訊問に入ったのかを、早瀬証言で見ると、

「 私がやったのは15日も窃盗のことを聞いてましたよ。それで今度は42年7月頃のことを言ったもんですから、8月は何をしていたかということを聞きました。そしたら、8月10日頃から17日頃まで神田の利根管工へ働きに行ってたと、それからは働かないというんです。それから何やってたというようなことで、1日、1日のアリバイを聞きました。それで大体、8月の25日頃から、よくアリバイを話してみろというような話をしました。」( 2157丁裏6行以下 )

「 利根管工に8月17日迄しか働かないと言うから、20日から、あるいは25日からお話して下さいというようなことで、2日ぐらいお話しました。それは(10月)14日と15日と2日ぐらいかかりました。」( 2156丁裏6行以下 )

「 (10月13日に)1日、1日のアリバイは聞きましたね。大体(8月)17日まで利根管工に働いていたというから、それじゃ失業した18日から何をやったかということを聞いたら、なかなか整然と話ができないと言うから、24日頃がらでもどうだということでアリバイを聞きましたね。」( 2232丁裏9行以下 )

と言っていて、10月13日の取調べとしても、14日、あるいは15日としても、アリバイの訊問に入った切っ掛けは、

「 利根管工に8月17日まで働いていたというので、それからどうしたと聞き、8月24、5日頃からアリバイを聞いた。」

ものだったと述べております。

 これらの証言によって、利根管工を切っ掛けにアリバイの訊問に入ったということが判りましょうが、それでは、その訊問に入った日がいつだったのか、ということになります。

「 ( 10月11日の調べは柏の窃盗事件の調書作成でしたね。) ええ、逮捕状の事実調べをしました。」

「 ( その調べの終わったあと、余罪調べと簡単なアリバイ調べがあったんじゃないですか。) ええ、あんたは8月17日から神田の利根管工にいたというから、それから何をやったかとか、その前はどういうことをしていたかとか調べましたよ。」( 2228丁裏2行以下 )

という2つの発問と証言を見て戴ければ判りますように、10月11日の取調べの時、既に、「 利根管工 」を切っ掛けにした8月中の行動(つまり、強殺事件のアリバイ)の訊問に入っていることが明らかなのです。この事実によっても

「 10月13日に、利根管工を切っ掛けにアリバイを聞いた。」

「 利根管工を切っ掛けにアリバイを聞いたのは、10月15日です。」

「 10月14日、15日の2日間で、利根管工を切っ掛けにアリバイを聞いた。」

などと、その発問、発問に対して、明確に答えた証言の嘘は歴然としている筈なのです。

 二審判決は、「 説明不十分 」と言いますが、その3つの証言間の月日の点でのそご、そして、10月11日に利根管工を切っ掛けにしてアリバイの訊問に入ったことを認めた証言と3つの証言の間のそご、どこにどのような言葉が加えられると、その判決のいう説明不十分が解消されるのでしょうか。

 10月15日と述べた証言を10月13日や10月11日と変えると、その発問などから考えても全く意味が変わる筈ですし、その逆でもまるっきり意味が変わるのですから、これらの早瀬証言を説明不十分と説く判決は、余りにも不合理な判断であろうと思います。

 尚、10月11日にアリバイ訊問のあったことを認めた早瀬証言に続いて、

「 ( 8月28日のアリバイまで言ってるんじゃないですか。) それは窃盗の余罪を調べたのですよ、8月28日のアリバイを聞いたのは、(10月)14日と15日ですよ。」( 2228丁裏10行以下 )

と、10月11日のアリバイ調べを否定した部分はありますが、たとえ、その証言の通りに窃盗の調べだったとしても、8月28日の行動を聞くということに変わりはないのですから、殊更、窃盗の調べであると強調した証言は、偽り以外の何ものでもありません。

 それに、そもそも、その証言の中にある

「 アリバイを聞いたのは、10月14日と15日ですよ。」

という証言が嘘なのです。公判調書をご覧下されば判りますように、その証言のわずか前には

「 14日まで窃盗を調べまして、15日にあんたのアリバイを調べました。」( 2227丁6行以下 )

と言っている上に、更に、これらの証言の口のかわかないうちに

「 (13日に)1日、1日のアリバイを聞きました。」( 2232丁裏9行 )

などと、発問に即して場当たりな証言を重ねる早瀬証言には、どこにも真実性はないのです。

(2) この10月11日がアリバイ訊問の最初の日であり、それに反する総ての証言が偽証であることは、取手警察署提出の「 留置人桜井昌司に関する出入状況調査表 」を見ても判ることなのです。

 この「 出入状況調査表 」による10月11日の取調時間( 尚、出入状況調査表には不正がありますので、その点は、後記致します )は、

 午前10時30分出      午後 0時00分入

 午後 1時25分出       〃  6時00分入

  〃  8時30分出       〃  9時40分入

となっていて、その取調時間は合計7時間15分になっております。

 早瀬証言にもありますように、

「 ( 窃盗事件など被害届が明確に出てから取調べが行われたわけですか。) 調書を取るのはそうです。」( 2157丁3行以下 )

という10月11日の取調べは、純然たる取調べのみが行われたことがお判り戴けるでしょうが、7時間強の取調時間は、10数件の余罪調べと、強殺事件に関する8月中のアリバイ訊問に充分な時間であることもお判り戴ける筈であります。

 このことは、二審判決でさえ

「 早瀬は桜井を取調べるに当り、逮捕状記載の窃盗事実と、昭和42年8月20日から同月末日までの同被告人の行動を取調べるように上司から命ぜられた。」( 8丁裏4行以下 )

と認めているのですから、当然、逮捕状の取調べが終った10月11日の調べの中で、8月下旬のアリバイを訊ねたであろうことは明白なのです。

 早瀬証言にある

「 それで、全部覚えてないというんで、(8月)25日頃からでもいいから1日、1日と思い出してお話するように言いました。」( 2166丁1行以下 )

という強殺に関したアリバイの訊問は、あく迄も8月28日のアリバイ訊問が目的なのですから、8月28日の行動を除けば、それ程詳細に訊問する必要もないのであって、たとえ、

「 やっぱり、日がらも経っている関係もあるでしょうし、日にちがどうだ、こうだというように前後して、正解にすぱっと話は出ませんでした。」( 2159丁4行以下 )

との証言通りに、記憶の喚起に時間がかかったとしても、僅か、1週間前後の大略のアリバイ訊問が、何日、何十時間と続いたごとき、

「 それは、手帳へ書いておいて言うような答弁じゃないですから、2日ぐらい話しました。」( 2166丁4行以下 )

などという証言は、余りにもナンセンスな証言というものであります。

(3) 以上の点を考察戴けますれば、

「 10月15日も窃盗を調べました。」

「 10月14日まで窃盗を調べまして、15日にあんたのアリバイを調べました。」

「 10月14日と15日の2日間、そのアリバイを聞きました。」

などと証言し、最初の取調べの日である10月11日に強殺事件のアリバイ調べがあった、事実を主張した私の言葉を否定する早瀬証言は偽りであり、私が主張します取調経過( 前記27頁の(2)以下 )が正しいことがお判り戴ける筈なのです。

 捜査責任者であった渡辺忠治警部の二審証言にあるように、

「 強殺事件のアリバイを究明するために逮捕した。」

という私であり、二審判決が、

「 早瀬は桜井を取調べるに当り、8月下旬の行動を取調べるように上司から命ぜられた。」

と認定する取調べであれば、その命ぜられた通りに、速やかに8月下旬の取調べを進めた筈なのであって、私の主張する取調経過に疑念を入れる余地はないのですが、10月11日に、8月下旬の大略なアリバイを訊問しているのであれば、捜査本部としても、速やかにその裏付け捜査をしたであろうことも明らかなのであって、10月13日からの取調べが強殺事件の追及であったあったことにも疑念を挟む余地はなく、これらの事実に反する早瀬証言は、総て偽りであることが明白であろうと思います。

2. 自白調書の真偽を争う争点の1つである取調経過が判然とすれば、次は、その具体的な取調内容がどのようなものであったのか、が問題となりましょうが、私が嘘の自白に至迄の取調内容に関した早瀬証言を見れば、

「 (8月)28日のアリバイはどうしたのか、という話を、私は終始していました。」( 2162丁裏5行以下 )

「 (8月28日の行動は、どうしても) 思い出せないということから、前後の26日、27日、29日、30日、31日の行動がお話できて、28日のことが思い出せないというのは、何か理由があったとしか思えないと、私はこういうお話を言いました。」( 2163丁裏7行以下 )

「 (8月)28日はどうしても思い出せないというお話なんです。それで、思い出せないというのは、あんた自身、何か理由があって隠しているとしか思えないから、勇気を出して、お話ししてみなさいということをいったんです。」( 2164丁9行以下 )

「 あんたが、28日のことを思い出せない、忘れたと言うのは、何か理由があって隠しているとしか思えないの終始一点です。」( 2236丁7行以下 )

という証言にあるように、ただ、単に「 アリバイはどうした 」と訊問しただけで)

「 (自供まで、布川の事件というものは、全然) 触れておりません。」( 2263丁4行以下 )

と、私の主張する取調内容( 前記31頁の(4)以下、39頁の(6)迄 )を、真向から否定していることが判ります。勿論、これらの早瀬証言は、偽りなのですが、早瀬証言は、前記のように、

「 14日まで窃盗を調べまして、15日にあんたのアリバイを尋ねました。」

「 (8月)24日からのアリバイを聞いていったのは、14日と15日ですよ。」

「 (10月13日に)1日、1日のアリバイを聞きました。」

と、場当りな証言を重ね、その訊問内容に関しては、ほとんど証言をしておりませんので、取調内容に関した証言間の矛盾などでその証言の嘘を看破することができません。

 しかしながら、関連した証言の偽りなどから考察戴けますれば、

「 自白まで強殺事件には、全然触れませんでした。」

などという早瀬証言の嘘は、お判り戴ける筈なのです。

(1) 訊問内容に関する早瀬証言の偽りを見れば、最初に

「 江東区の三菱銀行かなんかの掃除に行って、主人のところに泊まったというので、大至急、裏をやってくれということでやったら、その事実はないというんで、あんた、それは違うんじゃないか、28日のアリバイはどうしたのか、という話を私は終始してました。」

という証言の嘘があります。

 早瀬証人の一、二審証言には、何度か

「 三菱銀行の掃除をして主人のところに泊まったとアリバイを述べたので、裏付けをやった。」

と、述べた証言がありますが、渡辺警部が証言するところの

「 桜井のアリバイが明確でなかったので、逮捕して調べた。」

というアリバイが、9月2日の夜に五町警部補と小井戸巡査のアリバイ訊問( 前記24頁の(8) )に対して

「 三菱銀行掃除の仕事をして、親方である横川さんの家に泊まった。」

と言ったものなのですから、三菱銀行と横川さんに泊まったと述べたアリバイの嘘は、私の逮捕の切っ掛けであり、逮捕以前に既に調べられてあったものなのです。

 そのような事実でありながら

「 大至急、裏をやってくれということでやったら、その事実はないんです。」

などと証言する早瀬証人の神経には、その臆面なさに驚かされますが、たとえ、早瀬警部補が、私の取調べに際して三菱銀行などのアリバイ捜査の結果を知らなくて( そのようなことは考えられませんし、実際知っていたことは、前記29頁の(10)、(12)記載の通りです )そして、百歩譲って、私が早瀬警部補のアリバイ訊問に対して、「 三菱銀行の掃除をし、横川さんの家に泊まった。」と言ったとしても、そのアリバイ主張が上司である渡辺警部に報告されれば、その時点ですぐに

「 三菱銀行などのアリバイは嘘だ。」

という返事がある筈なのですから、

「 大至急、裏付をやったら、その事実はなかった。」

などという証言は、全くのデタラメなのです。

 このような早瀬証言は、結局のところ、10月15日の嘘の自白に至る迄の取調、訊問内容に関して事実を話さずに、強殺事件で調べたことを隠そうとすることから生まれる偽証なのですが、私は、見る人が見て下されば、早瀬警部補が私のアリバイ訊問に際して、嘘のアリバイを言っても通らないぞ、と知らせ、真実を言わせんとして、殊更に

「 三菱銀行などの嘘は、ちゃんと調べて判ってるよ。」

と言った、私の主張する取調内容( 前記29頁の(10) )が真実であることを理解して下さる筈だ、と思っております。

 何れにしても、この三菱銀行などのアリバイに関した早瀬証言は、取調内容を隠蔽した偽証なのであります。

(2) 更に、もう1つの取調内容に関連する早瀬証言の偽りは、

「 渡辺和夫の家に泊まったのは、14日には判りませんから、桜井が言ってから裏付けをやるんですから、それで(10月)15日に判ってきたんです。」( 2166丁12行以下 )

「 押上の三菱銀行の掃除をしている親方の家に泊まったとか、それから渡辺和夫の家に泊まったかなあ、ということで調べましたが、どちらにも泊まっていないということで、それが判ったのが10月15日の午後でした。」( 二審12回公判調書5枚目9行以下 )

などという証言の嘘があるのです。

 早瀬証人は、一、二審の公判において、この渡辺和夫の家の件と、前記の三菱銀行に関した嘘を理由に

「 桜井の主張したアリバイが嘘と判ったのが、10月15日だから、自白を得る迄の間に、強殺事件での直接な訊問はしなかったのだ。」

と主張している訳ですから、その2つのアリバイに関した早瀬証言が嘘と判れば、自ずから、その取調内容の真相も現れるのですが、その嘘は歴然としている筈なのです。

 取調経過に対します早瀬証言の嘘( 140頁の(2) )の部分でも述べましたように、有罪論の上にある二審判決でさえも、

「 早瀬は、桜井を取調べるに当り、逮捕状記載の窃盗事実と、昭和42年8月20日から同月末日迄の同被告人の行動を取調べるように上司から命ぜられた。」( 11頁の17行以下 )

と認めているのであれば、10月11日の計7時間の取調べの中で、その8月下旬のアリバイの訊問があったことが明確ですが、そうであれば、そのアリバイの裏付けをした日は、遅くとも翌10月12日である筈なのです。

 たとえ、早瀬証人が証言する通りに、私が28日のアリバイとして渡辺和夫の家に泊まったと言ったのが、10月13日や14日だったとしても、私は、当時、渡辺和夫の家に、何度か( 8月25日及び27日に )泊まっているのですから、その方の確認に警察官が渡辺和夫の家に行けば、当然、渡辺和夫にも正確性を求めて、8月下旬、全般の記憶を尋ねた筈であるし、8月25日及び27日のアリバイを渡辺和夫の家に確認に行けば、同時に、8月28日の点も確認できたことになるのです。

 このような事実があれば、たとえ、私が渡辺和夫の家に泊まったかもしれない、と言ったのが、10月14日だったとしても、これまた、三菱銀行に関した点と同じように、早瀬警部補が上司に報告すれば、その時点で

「 8月27日のアリバイの裏付け捜査で確認したが、8月28日には渡辺和夫の家には泊まっていないと判明してる。」

と知らされる筈なのですから、

「 それが判ったのが、10月15日の午後でした。」( 二審公判調書 )

「 桜井が言ってから裏付けをやるんですから、それで10月15日に判って来たんですから。」( 216丁裏1行以下 )

などという早瀬証言の嘘は、余りにも歴然としているのではないでしょうか。

 第一、ポリグラフ検査鑑定調の表記部分によれば、

「 昭和42年10月14日、茨城県取手警察署長より検査依頼のあった強盗殺人被疑事件被疑者、桜井昌司に対するポリグラフ検査結果は・・・・・・ 」

と書かれているのですから、誰が考えても、当時の捜査本部は、私の主張の真偽を計るために、10月14日に嘘発見器の使用を決めたことが判りましょうが、私の主張の真偽を計るということは、「 私は犯人でありません 」という主張なのですから、もし、早瀬証言の通りに

「 8月24日から1週間のアリバイを調べ、三菱銀行の掃除をしたとか、渡辺和夫の家に泊まったと言ったので裏付けをし、それが判ったのが10月15日の午後でした。」( 二審12回公判調書5枚目9行以下 )

ということであれば、満足にアリバイの捜査も行わないうちに、闇雲に嘘発見器の使用を決定したことになってしまうのです。

 私の主張がアリバイで判らなければの嘘発見器使用であることは、誰の目にも明かであり、渡辺和夫の家に関する早瀬証言の嘘も、明らかなのです。

 このように、10月15日になって初めて渡辺和夫の家の裏付けをしたごとき早瀬証言の嘘が明らかであれば、他に、その間の取調内容がなければならないのであって、それが、私の主張する取調内容( 前記31頁の(4)以下 )なのです。

(3) この取調内容に関しては、早瀬証人が全く証言していないために、どのようなものであったのかは、前述の早瀬証言の嘘からご賢察戴かなければならないのですが、早瀬証人が言う

「 8月24日を忘れたと言うのは隠しているとしか思えない、勇気を出して話してみなさい、の一点張りだった。」

という取調内容の嘘は、10月13日以後の取調時間から考えて戴ければ判る筈であります。

 出入状況調査表で、その取調時間を見れば、

 10月13日   午後 0時10分出    午後 6時03分入

           〃  7時05分出     〃 10時15分入

 10月14日   午前 9時10分出    午後 0時15分入

          午後 1時05分出     〃  6時45分入

           〃  7時00分出     〃 10時10分入

 10月15日   午前 9時20分出    午前11時55分入

というのが、嘘発見器の使用に至る迄の調べ時間であり、合計23時間33分になっております。この出入状況調査表は、取調時間を短縮するなどの不正があるのですが、この調査表に書かれているだけでも23時間にもなるのです。

 既に述べましたように、10月13日以後の取調べが8月28日のアリバイ追求であった以上、23時間もの間、ただ

「 28日を忘れたと言うのは、隠しているとしか思えない、勇気を出して話せ、の終始一点の調べだった。」

などと主張する早瀬証言は、余りにも不自然であり、非常識というものではないでしょうか。

 早瀬証人が、その取調経過に関して、

「 15日も窃盗を調べてました。」

「 14日まで窃盗を調べまして、15日にあんたのアリバイを尋ねました。」

「 (8月)24日からのアリバイを聞いていったのは、14日と15日です。」

と、場当りな証言を重ねるのも、早瀬証人自身が、23時間強の取調べの間、

「 勇気を出して話せと言ってた。」

という話では、余りにも不自然と考えればこそ、その「 勇気を出して話せ 」と言い出したという月日を、10月15日の嘘の自白があった日に接近させ、

「 終始一点の調べでした。」

という話を不自然でなくするために行なった偽証なのであり、この取調経過に関する偽証というものは、

「 勇気を出して話せと言ってただけだ。」

という訊問内容の嘘を成立させる前提として行なわれたものなのです。

 早瀬証人の一、二審の全証言調書でさえも、7、8時間程度の訊問時間で作られたものである事実を考えて戴いても、8月28日のアリバイ追求、というたった一点に集中された23時間に及ぶ取調べでの訊問、問答が、単に

「 勇気を出して話せと言ってた。」

という言葉だけで続けられたなどという、早瀬証言の如何わしさがお判り戴けようというものであります。

 これらの事実により、少なくとも、具体的な取調内容に付いて、早瀬証人が真実を述べていないことはご理解戴けたと思いますが、その真実が、私の主張しております取調内容( 前記31頁の(4)以下 )なのであります。

3. 以上の取調経過と取調内容の偽りの他に、私が嘘の自白に至る間の取調状況を語った早瀬証言には、どのような嘘があるのか、というと

「 ( 桜井がやったか、やらないか知らないまま、アリバイを追求したわけですか ) そうですね。」( 2272丁9行以下 )

「 ( 早瀬さんの1つの目的は、象ちゃんが殺されたのを聞くために聞いたんでしょう、本当の理由はそうじゃないですか ) 窃盗をやって逮捕状を貰ったんだから、窃盗で調べたんですよ。」( 2242丁裏7行以下 )

「 私は、杉山なんて名前は全然知らなかったんです。桜井から話を聞いて初めて知ったんです。」( 2269丁7行以下 )

と述べ、強殺事件の調べと、私の主張する取調内容を否定した嘘があるのですが、それらの証言の嘘であることは、各事実と証言間の矛盾を公正、公平にご判断下されば、ご理解戴ける筈なのであります。

(1)「 何も知らないで、単にアリバイを聞いただけである。」

ごとく述べますが、早瀬証人は、私の取調べに際しては、当時の捜査本部が持っていた私に対する疑問を、全部知っていた筈なのです。

 渡辺忠治警部の二審公判での証言の中にありますように、私を逮捕し、早瀬警部にその取調べを命じた時点で、捜査本部が持っていた疑問は、単に

「 アリバイが明確でなかった 」

ということに過ぎない( 現在でさえも、犯人と疑わせるものは嘘の自白の結果である調書にしかない )のですし、早瀬証人自身が、

「 28日のアリバイがたたないから、窃盗の余罪で逮捕して調べようということで( 桜井を逮捕した )。」( 二審11回公判調書13枚目裏7行以下 )

と、証言しているのですから、早瀬証人が、私の取調べに際して捜査本部の意向を十分に承知していたことは間違いないのです。

 そもそも、私が逮捕されました事件というものは、二審判決にも

「 千葉県柏市内において、ズボン1着、わに革バンド1本を窃取した事実により逮捕された。」( 14頁の1行 )

とありますように、本来ならば、柏警察署取扱いの事件なのであって、一審判決の窃盗に関する認定にもありますように、茨城県下での事件も取手署管内での窃盗も皆無なのです。

 一審の山口裁判官の富田巡査に対する

「 当時は、この殺しの件で手一杯になっていて、他の窃盗とか傷害とか、そういう事件には手が回らなかったんじゃないですか。」( 2325丁裏6行以下 )

という尋問にもありますように、他県管内の軽微な事件を捜査する暇が、当時の取手署に、そして、県警察本部から特派された捜査員にある筈がありません。

 裁判所にも土地管轄があると同様に、取手署にも土地管轄があることはご存じ下さるか、と思いますが、強殺事件の解決に努める取手署の捜査本部が、隣県他署管内での軽微な事件で私を逮捕したということは、そこに管轄を度外視する程の大きな目的、つまりは、強殺事件の取調べの主目的があったであろうことは、誰の目にも明らかなのです。

 であれば、たとえ早瀬証言にある通りに

「 上司から何も知らされず、何も知らない儘
(まま)にアリバイを追求した。」

旨の言葉が事実であったとしても、昭和34年以来、( 二審証言では、昭和26年から計11年余り )茨城県警察本部強行犯係を勤め、係長であった( 記録2154丁裏6行と二審11回公判調書1枚目 )早瀬警部補が、他県管轄の軽微事件で逮捕する者の嫌疑が何であり、命ぜられた取調べの目的が何であるかを全く知らなかった、などという筈がなく、十分に察知してたであろうことも間違いないのです。

 このような、事実であったとしても、などという仮定論をする迄もなく、早瀬証人は、二審公判において

「 この頃は、もう容疑者は洗いつくし、残っているのは桜井しかいないという状態でした。」( 11回公判調書12枚目裏8行 )

と認めているのですから、早瀬証人自身が捜査の進展を熟知していて、私を容疑者として逮捕し、且つ取調べたものであることは余りにも明白であって、この事実に反する総ての早瀬証言が偽りなのであります。

(2)「 窃盗をやって逮捕状を貰ったんだから、窃盗で調べたんですよ。」

という、早瀬証言の偽りは、強殺事件での取調べを否定したものであれば、前項にも共通し、既に述べた部分と重複する点もありますが、その偽りであることは、早瀬証人の他の証言と比較すれば判ることなのであります。

「 ( 10月15日の午後1時から嘘発見器をやったということは、要するに、玉村さんを殺した犯人として疑われて、嘘発見器にかけたわけでしょう。) そうでしょうね。」

「 ( ということは、当然、それ迄に早瀬さんがその事件のことに関して聞いて、芳しい答えが出なかったからかけたんじゃないですか。) 前後の話ができて、28日のアリバイの話ができないから疑問に思いますよ。」( 2243丁裏4行以下 )

という、2つの続いた発問と証言を見て戴けますれば判りますように、早瀬証人は、10月15日午後の嘘発見器使用が犯人として疑われたものであることを認め、その嘘発見器の使用に至る調べが

「 28日のアリバイの話ができないから疑問に思いますよ。」

というものである、と言っているのです。早瀬証人が、疑問に思った、というのは、

「 ( アリバイを聞いたのは何か目的があったんですか。) それは目的がありましょう、私の方では捜査本部の事件を捜しているのですから、目的がありますよ。」( 2233丁3行以下 )

と述べた早瀬証言を考えても、強殺事件に対する疑問であることは明白でしょうが、

「 私の方では捜査本部の事件を捜しているのです。」

と述べた証言は、それ以外の強固な強殺事件での否定証言から考えても、問うに落ちず語るに落ちる証言といえる筈なのであります。

 早瀬証人が

「 アリバイの話ができないから疑問に思った。」

といい、その結果、犯人と疑われた嘘発見器使用につながったことを認めているのですから、その取調べというものは、

「 窃盗で調べたんですよ。」

である筈はなく、私の発問にもありますように「 早瀬さんがその(強殺)事件のことに関して聞いて、芳しい答えが出なかった 」ものであり、窃盗の調べだけであったごとき証言の偽りは、明白なのであります。

 尚、この点に関しては、取調経過の早瀬証言の偽り部分で述べた部分と完全に重複するのですが、早瀬証人が、10月15日午後からの嘘発見器使用が犯人と疑われたものと認め、それに至る調べが

「 前後の話ができて、28日のアリバイの話ができないから疑問に思いますよ。」

と言うのであれば、嘘発見器の使用決定が10月14日に行われていることから考えても、当然、その決定がなされた10月14日迄の取調べで

「 28日のアリバイの話ができない。」

ものでありますから、その取調経過に関した早瀬証言の

「 14日、15日に初めてアリバイを聞いた。」

ごとき偽りも、更に、明確になるのであります。

(3) 「 私は、杉山さんなんて名前は全然知らなかったんです。桜井から話を聞いて初めて知ったんです。」( 2269丁7行以下 )

という早瀬証言は、やはり、私の主張した取調内容を否定したものでありますが、この証言が嘘であることは、他の警察官証言によって明かです。

 杉山の取調立会人であった大木巡査部長は、

「 ( 杉山に ) 現場付近の目撃者があるということは話しました。それは、森井さんの調べになった頃だと思います。」( 2053丁裏9行以下 )

「 通行人で、当時、布川へ杉山君が立回っていたというような話がありました。」( 2059丁11行以下 )

と述べていて、杉山が通行人だったのか、通行人が杉山を見たというのか、また、話して聞かせたというのか、目撃者の話が捜査本部にあったという意味なのか、という点は明確でないものの、杉山に対する目撃者のあったことを認め、これに対する森井警部補証言は、

「 事件発生の時間帯に、現場に被疑者 ( 杉山 ) の足があったと、被疑者の姿があったんだという証拠がありました。」( 2145丁9行以下 )

と述べています。この大木、森井証言では、取調べ以前に杉山の名前が捜査員に判っていたかどうかが判りませんが、久保木警部補の証言を見れば、

「 ( 杉山が犯人であるという自信は ) 結局、事件当時の足が当夜あったということ、そういうようなあれがあったと思います。」

「 ( 足が現場にあったということは ) 結局、何か事件に関係があるんじゃなかろうか、というあれですね。」( 2026丁1行以下 )

ということであり、

「 ( 暴力行為で逮捕の ) その頃から、現場に足があるということで、捜査本部としては、本人を相当、捜査しておったようです。」( 2043丁9行以下 )

と、杉山が強殺事件に関連した疑いで、捜査本部の捜査対象者になっていた事実を認めているのですから、同じ捜査員であった早瀬警部補も、久保木警部補と同程度の捜査情報に接し、杉山の氏名も知っていた筈なのです。

 そのことは、早瀬証人の二審証言に、

「 ( 捜査本部で桜井を逮捕しようと決めたのはいつですか。) この頃は、もう容疑者を洗いつくし、残っているのは桜井しかいないという状態でした。」( 第11回公判調書12枚目裏6行以下 )

とあり、早瀬証人自身が、当時捜査本部の進展を知り、桜井しか残っていなかった、と判っていたというのであれば、当然、久保木警部補達が証言するところの、

「 現場に足があるということで、捜査本部としては、( 杉山 ) 本人を相当、捜査していた。」( 2043丁9行以下 )

という杉山の名前が捜査本部に上がっていたことを、早瀬証人が知らない筈はないのです。その逮捕状請求の日付などから考え、また、単なる暴力行為を犯した者である佐藤尚に対した早瀬証言の

「 ( 捜査本部で ) 家に居なかったということで話題になりました。」( 二審第11回公判調書6枚目裏5行から7枚目7行まで )

という言葉を考えれば、相当、捜査したという杉山の名前を早瀬証人が知ったであろうことには、疑念を挟む余地はない筈なのです。

 その佐藤尚に関した証言は、「 家に居なかったということで話題になった 」程度の捜査情報さえ知り得る捜査中核に、早瀬証人がいたことを示す事実なのであって、強殺事件の事実や捜査情報に全く無知であったことを強調した早瀬証言の欺瞞性を如実に物語るものなのでありますが、その点は後記するとして、私が嘘の自白をする前の取調段階に対した捜査情報に関する早瀬証言の嘘には、次のようなものもあるのです。

 早瀬証人は、二審公判で

「 ( 小貫という中学生が犯人らしい人を見たということは ) 知っていました。」( 第11回公判調書9枚目裏7行以下 )

と答え、目撃証人の情報を知っていたことを認めましたが、それに続いた弁護人の訊問には、場当たりな証言を重ねるのです。

「 ( 目撃証人の話では、何人の男が居たと聞いてましたか。) 私の聞いたところでは、( 玉村さんの家の ) 入口のところに1人いたと聞いております。」

「 ( 犯人らしい人は1人だということですが、本部の方でも単独犯だと考えていたのですか。) 私の聞いたところでは、入口のところに1人立っていたということでした。」

「 ( それから、勝手口のところにも1人いたということではありませんでしたか。) その様には聞いていません。」

と、小貫証言では1人の男しか聞いていなかった、旨を述べながら、更に続く訊問では

「 ( 2人の男がいたということではありませんでしたか。) 2人がいたということは聞きました。」

と、前言を翻して、2人いたと聞いていた、認めた上に

「 それが、どこに居たというような詳しいことは聞いていません。」

と弁明を続けているのですが、1人の男が入口のところに立っていた、と迄聞いているのであれば、それに対したもう1人の男がどういう状態であったのか、という点を聞かない筈はないのです。

「 ( もう少し具体的には、その犯人らしい者の特徴はどのように考えていましたか。) 入口に立っていた男は、背の高い男だったと聞いております。」

と述べているのであれば、当然、誰が考えても、もう1人はどこにいて、どんな男だったのか、の情報も得られた筈なのでありますが、その2人の犯人らしい男の目撃が、まるで別個の証人による証言でもあるかのように

「 ( もう1人の男の特徴はどうですか。) それは聞いておりません。」

などと、強固に否定するのは、余りにも不自然な証言というものであります。

 この点に関する久保木警部補の二審証言をみても、

「 現場付近に若い2人の男性がいたということも捜査会議で知り、2人連れのノッポとチビだったということも知っていた。」( 公判調書がありませんので記録丁数不明 )

旨の証言があるのですから、早瀬警部補の証言は嘘以外の何物でもありません。

4. 以上の通りでありまして、私が嘘の自白に至る迄の取調経過、取調、訊問内容に関した早瀬警部補の証言には、全く信用性がないのです。

 早瀬警部補が、私の主張する事実であります取調経過、内容( 前記27頁の(2)から、39頁の(6)まで )を真向から否定し、明らかにある意志の下( 明言するならば、その不当な取調内容を隠蔽(いんぺい)するため )に、矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)した証言を繰り返していることはお判り戴けたと思いますが、本件が、嘘の自白によって残されたものである自白調書の真偽が問われる

「 犯行を直接に立証するものは、被告人の供述以外に存しない。」

裁判なのであれば、その自白に至る迄の具体的な取調内容証言、主張の信憑性
(しんぴょうせい)こそ、自白調書の真偽を判断する上では尤も重要な点である筈であります。

 早瀬証人は、ただ、自白の任意性を主張するのみで、その取調内容には矛盾する証言を重ねるだけですが、この事実こそ、私の主張する取調内容が真実であることを示す、何よりもの証拠なのであります。

 この取調べが、実際にどのようなものであったのか、ということは、一、二審の法廷に現れました諸事実を考察戴けますれば、お判り戴けるのです。

 森井警部補の証言によれば、被疑者の取調べというものは、

「 被疑者に対して、集められた資料として、このような資料があるんだという事実、ある資料は被疑者に対しても言って、それをもとにして調べている。」( 2143丁11行以下 )

と証言しているのですが、この証言は、自白後の取調べとして述べたものと思われる点を除いても、自分の取調べる者の疑いがどのような証拠の上に生まれ、どのような証拠資料が存在するのかということも知らずに、取調官が闇雲に取調べをするなどということが考えられましょうか。

「 被疑者の取調べは、他の資料がなければ出来ぬと思うがどうですか。」( 2371丁4行以下 )

という一審裁判長の早瀬証人に対する発問を持ち出す迄もなく、それが、自白前、後の取調べを問わず、取調官が、自分の取調べる者の容疑と証拠資料、何を目的に取調べるのか、などを知らなければ、その調べも進められる筈がないのです。

 尤も、捜査本部が、単にアリバイがない、というだけで逮捕し、現時点でさえも嘘の自白の結果である自白調書しか証拠と覚しきものがない私に対する調べでは、一審裁判長の言う

「 被疑者の取調べは、他の資料がなければ出来ぬと思うがどうですか。」

という資料がある筈もなく、与えようもないでしょうが、となれば、その取調べというものは、

「 あくまで身柄を持っている人は、自分の信念に向かって相手に真相を言わせるというようなことでやるんですよ。どうしなさい、こうしなさいという指示はありませんね。」( 2191丁3行以下 )

という早瀬証言にあるように、当時の捜査本部が私に対して持っていた疑問資料( といってもアリバイがないというだけのもの )を全部知っていた早瀬警部補が、どのような信念を持って、私に自白を迫っていたのか、ということが問題なのであって、その取調内容の真偽というものは、私と早瀬警部補の主張、個々の証言の信憑性から判断して戴くより方法がないものなのです。

 一、二審判決は、早瀬証言の自白に至る迄の取調べに対する矛盾を放置し、

「 自白強要などの不法な調べはしていません。」

と述べる表面上の言葉だけを取り上げて

「 早瀬らの各供述によっても、不当な取調べをした疑いは見出しがたい。」

と認定しているのでありますが、早瀬証言に不自然さと矛盾が生まれるのは、事実を隠しているためであることに説明も不必要なのではなかろうか、と考えますと、裁判所が社会の正義の根源であると教えられておりました私には、殊更に、その早瀬証言の矛盾撞着
(むじゅんどうちゃく)を訴えなければ、裁判官に真実が判って戴けない事実が、全く信じられない思いであります。

(3) 嘘の自白に至った後の取調内容に関した早瀬証人の証言を見れば

「 私自身、現場も見ませんし、部屋の中がどういうふうに仕切りしてあるのかということも判りません。」( 2180丁裏1行以下 )

「 私は供述者の言ったことを、そのまま聞きっぱなしです。」( 2370丁裏3行以下 )

「 被疑者の言いなりに調書を作成したということです。」( 2372丁5行以下 )

「 誘導するようなことは言いません。嘘の自白があってもならないし、終始木を使ってやったんです。誘導するようなことはみじんもしません。」( 2247丁4行以下 )

と、私の主張する調書作成経過( 前記43頁の7以下 )を悉
(ことごと)く否定し、自白調書の信憑性と任意性を強調しております。そして、一、二審の裁判所は、その嘘の自白に至る取調内容に対する早瀬証言と同様に、調書作成経過などの早瀬証言を全面的に採用して、

「 早瀬らの供述によっても、被告人の自白が不当な誘導により得られた内容虚偽のものを疑わせるものはない。」

と判断しているのですが、この判断も、早瀬証言の矛盾に対する究明を疎かにして、その証言の表面上の言葉だけを取り上げた間違った判断なのです。

 強殺事件で取調べたことが歴然としていながら、「 窃盗で調べていたら強殺事件を自白した 」などと証言する早瀬証人が、不正な調書作成経過の真実を話す筈のないことは、申し上げる迄もないことでありましょうが、不正な取調べがあっても認める筈がない以上、自白調書作成経過の真偽を量る道は、

「 私は現場も知らないし、図面も見せられないから、誘導もしなかった。」

と主張する早瀬証言の個々の信憑性を公正、厳格に判断することにある筈なのであって、不当な取調べ否定の言葉が、その儘、自白調書の真偽を決するものである筈がないのです。そして、その早瀬証言の偽りであることは、私の主張を否定する証言を比較、検討して戴ければ、お判り戴ける筈なのであります。

 先ず、早瀬証人が自白調書の信憑性を主張する根拠である

「 私は現場の様子も知らないし、図面も見ないので、部屋がどう仕切ってあるかということも知りません。」

という証言の信憑性に付いて、それが事実であるならば自白調書も真実、偽証であるならば自白調書も虚偽であるという重要性があれば、捜査本部が設置されるような事件の、それも、県警本部から特派された捜査員というものは、事件内容に付いてどの程度の認識を持っているものなのか、という点を、他の捜査官証言と比較して考えますと、


 捜査責任者であった渡辺忠治警部の二審公判での証言を見れば、

「 (裁判所に提出の図面は) 捜査会議の席上、捜査員に説明するために使用したものである。」


 旨の証言があり、これと対比して、久保木警部補の二審公判証言にも

「 犯行時間、殺害方法、死亡時刻、その他のことを、一応、捜査会議の中で討議された上で、聞込み、地取り捜査をした。」

「 捜査会議の中では、図面を見ながらやった。」

旨の証言があるのであれば、久保木警部補と同階級で、強行犯の係長であったという早瀬警部補が、その捜査会議に出席していなかった筈はないのであって、出席しなかった合理的な説明がない限り、事件内容を全く知らないことを理由に、自白調書の信憑性を主張する早瀬証言の偽りは、明らかなのであります。

 捜査本部が設置されるような事件における新聞報道などを見ても明らかなように、事件の内容というものは、犯人逮捕に支障のない事実においては概ね発表されているのですが、本件における報道を見れば、小貫俊明証人の目撃記事も出されているのですから、その事件の情報において、新聞記者にさえ知られた事実を強行犯係長が知っていなかった、などという証言の欺瞞(ぎまん)は明かであり、そのような事実のあり得ないものであることは、自明の理なのであります。

 私は、捜査というものがどのように進められるものかは知りませんが、それが少数幹部の恣意などではなく、捜査本部員全員の前に証拠が明らかにされ、各人の意見、検討を求めながら、全捜査員の能力を結集して進められるものであると聞いております。

 そして、その聞き知るような捜査が行われるのが、捜査本部設置の事件における捜査常道であり、本件での捜査もそのように行われたのであろう、と思っております。たとえば、捜査の前線のみを勤める巡査刑事であっても、その聞込みに際しては、事件の内容に精通し、追求する犯人像を確実に掴(つか)んでいなくては、有効、的確な聞込み尋問を続けることができる筈がないのですから、ましてや、県警察本部、強行犯係長を勤める早瀬警部補であれば、現場状況や捜査情報を的確に掴(つか)み、強行犯課長補佐の渡辺警部が長である捜査本部の中にあっては、その解決のために能力発揮を要求される立場にあったであろうことなど、私ごときが説明を加えなければ、裁判官には、事件内容に全く知識がなかったと強調する早瀬証言が常識を逸脱したものであることがご理解戴けないものなのでしょうか。

 余談ながら、裁判官には「 目黒のさんま 」と題する落語をご存じでしょうか。この落語は、馬の遠乗りで空腹になったお殿様が、中目黒の民家で食べた焼きたての秋刀魚の味が忘れられず、お城でも秋刀魚を食べるが、殿様大事と骨まで抜かれ、摘み入れにされた秋刀魚には焼きたての旨さがなく、お殿様がどこの秋刀魚かと聞き、家来の房州本場物ですとの返答に対して、秋刀魚は目黒に限る、という話なのですが、世間知らずのお殿様が、秋刀魚が目黒で取れでもするかのように思う馬鹿馬鹿しさが笑いの元であります。

 そして、この目黒の秋刀魚の枕では、かたかなのトの時に1本棒を引くと上の字になったり、下の字になったりするが、これは上の人は下のことが判らない、下の人は上のことが判らないのだという意味で、その境界線として1本棒を引くのだ、といった意味のことを話しますが、私は、一、二審判決が、警察官証言に何の洞察もなく、

「 捜査官の供述によれば、捜査官において強制、脅迫、利益誘導の取調べをした事実は認められないので、これと対比して被告人両名の主張は信用できない。」( 一審判決22頁の(3) )

「 早瀬ら原審証人としての各供述によっても、被告人の自白が不当な偽計と誘導により得られた任意性のない内容虚偽のものと疑わせるものは見出しがたい。」( 二審判決8丁(1) )

と、鵜呑みに採用している点を考えるにつけ、裁判官という方々は、目黒のさんまのお殿様なのか、捜査常識も知らぬ程雲の上に住まれる人なのか、と納得しがたい思いなのであります。日本の裁判所にあっては、警察官の証言は絶対的なものであって、その認否が、その儘、証言内容の矛盾撞着
(むじゅんどうちゃく)を超越して信用性あるものとされている、というのであれば、何を申し上げても仕方ありません。が、憲法37条1項の、被告人は公平な裁判を受ける権利を有する、と記された条文が事実であって、この条文と対比して、裁判所は公平な裁判を開く義務を有する、というものであるならば、たとえ何人(なんぴと)の証言であろうとも、あくまでも公平な是々非々の検討が、その法の精神にも則(のっと)るものではないだろうか、と私は考えております。

 早瀬警部補は捜査情報に精通していたのであって、それに反する証言が偽りであることは、ご銘記戴けたことと思いますが、それでは、嘘の自白以後の取調べに関した早瀬証言にはどのような矛盾があるのか、と見れば、早瀬証人は、その調書に付いて

「 本件の場合は、私はその中身を全然知らないので、被疑者の言うなりに調書が出来ています。」( 2371丁裏12行以下 )

と述べ、信憑性
(しんぴょうせい)を訴えておりますが、早瀬証人が事件内容に無知では、

「 嘘を言っている場合、真実と反する調べが行われ、真実の供述は得られぬと思うがどうですか。」( 2370丁裏10行以下 )

「 被疑者が嘘を言っている場合、その調書はどうなりますか。」( 2371丁裏8行以下 )

という一審裁判長の疑問もありますように、調べが進められる筈がないのです。その裁判長尋問に対した早瀬証人は、

「 被疑者の言っていることを信用するよりほかはありません。」( 2371丁1行以下 )

「 取調べの過程、ある程度嘘の供述かどうかは勘で判ります。」( 2371丁裏10行以下 )

などと答えておりますが、人間1人が惨殺された事件の被疑者とされた者の取調べに当る捜査員が、勘などという非科学的な取調資料しか持ち合わせていなかったなどという証言は、余りにも常識外れなものであり、その証言の偽りであることは、早瀬証人自身の証言で明らかなのであります。

 早瀬証人は、一審の八木下弁護人の

「 桜井の言ってることが嘘か本当かは、どこで判断するのですか。」

という尋問に対して

「 犯人でなければ判らぬような供述をした時は、本当のことと判断しています。」( 2373丁裏3行以下 )

と答えておりますが、事件内容を知らなければ、どんな供述が犯人でなければ判らぬものであるかの判断はできない筈であって、その疑問を八木下弁護人から

「 証人は、本件の客観的事実に、直接当って取調べをしていないのではありませんか。」

と糾問されると

「 客観的事実に付いては、指揮者から聞いています。」( 2374丁3行以下 )

と答えているのです。この早瀬証言にある「 客観的事実 」が、現場の様子などの事実であることは、説明も不要であろうかと思いますが、この点に関しての二審早瀬証言を見ても

「 特に説明は受けませんが、現場の様子は判ります。」

「 (どういう形で殺されていたかということも) 判っていました。」( 2回公判調書8枚目裏3行以下 )

と述べ、はっきりと現場の様子を知っていたことを認めているのですから、これらの証言と対比しても、

「 (逮捕状執行の時、現場の様子というものは) 私は判りませんね。」( 2181丁裏11行以下 )

「 現場は判りません、私は最初から見ませんでしたから。」( 2182丁裏2行以下 )

「 私自身 (現場の) 部屋の中がどういうふうに仕切りしてあるかも判りません。」( 2180丁裏1行以下 )

「 私は事件の中味を全然知らないので、被疑者の言いなりの調書ができています。」( 2371丁裏 )

と述べ、現場の様子を知らなかったことを理由に私の主張する調書作成過程を否定し、ひいては、自白調書の信憑性
(しんぴょうせい)を訴える早瀬証言というものは、信用すべからざるものであることが明白なのであります。

 この取調べに関しては、前述致しましたように、早瀬警部補と同じ職にあった強行犯係長森井警部補の証言に

「 集められた資料として、被疑者に対して、このような資料があるんだという事実、ある資料は被疑者に対しても言って、それ(集められた資料)を元にして調べている。」( 2143丁11行以下 )

と、ある通りであって、同証人の

「 自白させるための調べは、それまでに集められている証拠で、このような証拠も、あのような証拠もあるということは、私の腹の中にはあります。」( 2143丁 )

と述べた証言と相俟
(あいま)って考えれば、後記の証言は、杉山の土浦警察署での取調べに関連した証言と思われる点を割り引いて考えても、「 自白させるための調べ 」では、証拠が腹の中にあるものであろうし、「 集められた資料を元に調べている 」ことに間違いはないのですから、早瀬警部補があらゆる資料に精通した上で私の取調べをし、調書を作ったという事実に関しては、これ以上に言葉を重ねる必要はなく、その事実に反する早瀬証言の虚偽も明確であろう、と確信致しております。

 次に、現場見取図を使った取調べ(前記65頁の3以下)に対する早瀬証言を見れば、

「 私が持って来たのは、(10月)31日に持ち込んだけれども、そういうものはあんたに見せませんよ。」( 2249丁4行以下 )

「 私が本当に図面を見たのは、11月1日です。」( 2182丁裏11行 )

「 私は、(捜査報告の図面を) 見たのが (10月)31日の調書を取り終った晩から (11月)1日の朝ですね。」( 2188丁裏1行以下 )

と述べ、私の主張を全く否定しているのですが、杉山を最初に取調べた久保木警部補の二審証言には、

「 杉山に図面を書かせる際、現場の図面を取調室に持ち込んでおり、その図面を見ていた。」

旨の証言があるのですから、早瀬警部補だけが11月1日にならなければ見られなかったなどという証言は不自然なのであります。

 久保木警部補は10月19日迄しか調べていないというのですから、その間に現場図面を見ていることは確かでありますが、そうであるならば、同じ立場の早瀬警部補も、同じ条件の下で、図面も杉山の調書も見ながら私の調書作成に当ったことは当然な訳でありまして、私の調書作成経過の主張の正しさを示す筈なのであります。

 そして、その図面使用取調べに関した私の主張の正しさは、早瀬警部補らの証言と、嘘の自白によって残された調書内容を検討して戴けますれば、お判り戴ける筈なのであります。

(1) 早瀬証人の二審証言によれば、

「 桜井が自供した後は、その自白の真実性を検討するため、実況見分調書と照合したことはあります。」( 11回公判調書12枚目10行以下 )

と、自白と現場状況を較べたことを認めているのですが、その月日がいつだったのか、と見れば、同じ二審証言の中に、早瀬証人の言葉として、、

「 (10月15日の自白の) メモを取った後、2階の捜査本部へ行って、真実性の検討をしたからです。」( 12回公判調書24枚目3行以下 )

とあり、渡辺警部補証言の中にも

「 (10月15日) 調書が出来た後に、早瀬警部補を交えて真実性の検討をした。」

旨の証言があるのであれば、早瀬証言と渡辺証言では検討開始時間に違いのあるものの、何れにしても、早瀬証人が10月15日の時点で、実況見分調書などを見ていることは確かなのです。

 10月15日の時点で、現場の様子の記された実況見分調書(には図面も添付されているのではないでしょうか)を見ていることが明らかである以上、

「 図面を見たのは、10月31日晩から、11月1日の朝にかけてが最初だ。」( 2182丁裏、2188丁裏 )

などとの早瀬証言も、その証言を根拠に図面使用取調べを否定する早瀬主張も、偽りであることがはっきりしている筈であります。

(2) 早瀬証人が、10月15日に実況見分調書を見て現場を知ったことが明らかであれば、後は、10月16日からの取調べにおいて、久保木警部補と同様に、図面使用を行なって調書作成が進められた、という私の主張が正しいものとして納得戴けると信じておりますが、この経過をつぶさにご検討戴けますならば、自白調書というものが、私の主張通りに嘘の自白と早瀬警部補の誘導によって残されたものであることも、ご理解戴ける筈なのであります。

 私の10月15日付警察調書に対する渡辺警部証言によれば、

「 (10月15日) この時の調書は、非常に雑な調べで、すこぶる甘いものであった。」

とのことであり、仮に現在提出されている10月15日付調書が、本当に15日に作られたものであったとしても、16日以後に作られてある調書と比較すれば、簡単な内容であることがお判り戴ける筈と思いますが、なぜこのような調書が残されたのか、といえば、それは、その時点の早瀬警部補の現場状況に対する認識がそれだけであったということによるのです。

 つまり、早瀬警部補が知っている点だけの自白しか作れなかったということなのです。早瀬警部補の現場状況の認識程度で、私を取調べる前の時点に関して真実を述べたと思われる証言を見れば、

「 (現場検証調書に付いて) 特に説明は受けませんが、現場の様子は判ります。」

「 (どういう形で殺されていたかということも) 判っていました。」( 二審11回公判調書8枚目裏3行以下 )

ということなのですから、たとえ早瀬警部補の主張の通りに、10月15日の調書作成前に図面などを見ていなかったとしても、その15日付調書の内容を作るための知識だけは充分だったのであります。

 10月15日付調書だけが雑な内容であり、10月16日以後の調書が詳細になっているというのは、そこに図面使用の事実を窺(うかが)わせるものがあるのであります。

 何れにしても、10月16日からの図面を使用しての調べがあったことに疑いを挟む余地はないのですが、早瀬警部補が図面使用の事実を隠すのは、早瀬警部補自身が、

「 本当に彼が本割れになったのは(10月)31日でしたね。」( 2181丁7行 )

と証言していることに原因があるのです。つまり、完全に現場の状況に合うような調書が作れた(早瀬証言によれば本割れになった)日迄は図面を見なかった、として、不法な調べの余地を全く否定した上に、自白調書が任意的なものであると強調しようとしたのでしょうが、久保木警部補さえが認める図面使用を否定する早瀬証言が、その儘
(まま)、不法な調べがあったことを示す裏付けとなるものであり、私の主張する調書作成経過の正しさを裏付けるものであろうと思います。

 嘘の自白に至った後に、アリバイを思い出して否認した経過( 前記103頁の(14)以下 )に付いても、早瀬警部補は私の主張を否定しているのですが、アリバイ主張に関して述べた一審第26回公判での早瀬証言を要約すれば、

「 10月20日の夕食後、アリバイを主張した( 2365丁裏5行以下 )。そのアリバイは、桜井に逃走経路を聞いていた時に言い出した( 2368丁裏6行など )。アリバイの内容は、養老の滝に行って鳥ももを食べた、兄のアパートの隣の姉さんの所で缶詰を盗った、杉野恵子に電話した( 2376丁6行以下など )、兄のアパートに泊まったという話が出ました( 2368丁裏7行 )。そして、10月22日になって、先にしたアリバイを引っ込めて自分の犯行を認めました( 2366丁裏11行以下 )。その自供は、本人が自発的にした( 2369丁裏9行 ) もので、自己の良心の呵責
(かしゃく)から自供したものと思います( 2369丁裏4行以下 )。」

と述べていることが判ります。しかし、この証言というものは、アリバイ主張経過の真実を隠さんとした証言なのでありまして、その早瀬証言の偽りは、早瀬警部補自身の証言をご検討戴けますれば、ご理解戴けるものなのであります。

(1) 先ず、アリバイ主張が10月27日なのか、それとも早瀬証言の10月20日が正しいのか、という点を明らかにすれば、早瀬警部補は、10月20日であったとして、

「 昭和42年10月20日です。この日の夕食後、アリバイを主張しました。」( 2365丁裏5行以下 )

と述べているのですが、この証言と関連した検察官との問答には、

「 昭和42年10月20日の夕食迄は、桜井から全然そのような主張がなく、その日の夕食後、突然、アリバイの主張がなされたのですか。」

「 そうです。」

「 その日の夕食前、証人は桜井の供述調書を作成しましたか。」

「 作成しました。」

「 その時、桜井は調書に署名押印することを拒否しませんでしたか。」

「 拒否しませんでした。」

とあります。ところが、10月20日の取調状況を記録した出入状況調査表を見ると、

 午前 9時00分出       午後 0時00分入

 午後 8時10分出       午後 9時35分入

 午後 9時50分出       午後10時25分入

と記載されてあるのみで、その検察官との問答にあるところの

「 夕食前に作り、署名を拒否しなかった調書があった。」

という、夕食前の取調時間など全く存在しないのです。検察官尋問の中に

「 前回(第23、24回公判)、証人の尋問後、私が被告人の調書を取調べたところ、桜井が10月20日頃、自白を翻した形跡があるので、今日、私がそのことについて質問したので、証人は当時のことを思い出して答えたのではありませんか。」( 2379丁6行以下 )

という言葉と、早瀬警部補自身の証言に

「 (前回の証言でアリバイの主張を述べず、今日、証言したのは)桜井を取調べた時のノートなどを見て、当時、桜井がアリバイを主張したことを思い出した訳です。」( 2378丁9行以下 )

とあることを考えれば、全く予定されない公判に出廷して述べた10月20日のアリバイ主張証言でもあれば、当然、検事との間に証言内容の確認があったものと思われるし、取調尋問内容などを記載した大学ノートなどを見て、当日(10月20日)の取調べも明確に思い出せた筈でありますから、早瀬証言の

「 夕食前に調書を作り、夕食後に、突然アリバイを主張した。」

という経過が勘違いによるものとは考えられません。であれば、そのような取調べの事実が、取手警察署が提出した証拠である「 出入状況調査表 」にないのですから、尤
(もっと)もらしいアリバイ主張の経過を述べ、それから

「 桜井のアリバイ主張は10月20日 」

とする早瀬証言は、その月日の点において、作出したものであることがお判り戴ける筈と思います。

(2) 私のアリバイ主張が10月27日であったことは、アリバイを否定され、再度、嘘の自白を余儀なくされた経過に対する早瀬証言を見て戴ければ、一層明白なのであります。

 早瀬警部補は、その経過を

「 10月22日にアリバイを撤回し( 2367丁裏4行 )、本人が自発的に( 2369丁裏9行 )、自己の良心の呵責
(かしゃく)から自供した( 2369丁裏4行 )。」

と述べておりますが、八木下弁護人の訊問には、

「 (桜井が自白を翻した供述は、上司が正しい供述と認めましたか。) 裏付けの結果、上司から、これでは駄目だからもっと調べろ、と言われました。」( 2374丁裏11行以下 )

と答えているのです。

「 上司から、裏付けの結果は駄目だからもっと調べろと言われた。」

と言うのですから、誰が考えても、私の主張したアリバイに対して

「 お前の言ったアリバイは嘘だった。」

と言って(前記110頁(16)の1のように)再自白を迫ったことが明らかなのであり、

「 本人が自発的に、自己の良心の呵責
(かしゃく)から自供したものと思います。」

などと言う早瀬証言の嘘も判りましょうが、その嘘はともかくとして、

「 上司から、桜井のアリバイの主張は駄目だからもっと調べろ、と言われた。」

という早瀬証言の中には、もっと重要な意味が含まれているのであります。

 私のアリバイ主張の内容は、

「 養老の滝に行って鳥ももを食べた、兄のアパートの隣の姉さんの所で缶詰を盗った、杉野恵子に電話した。兄のアパートに泊まったという話が出ました。」( 2376丁6行以下、2368丁裏7行など )

というものなのですから、早瀬警部補が

「 裏付けの結果、駄目だと上司に言われた。」

と言うのであれば、当然、捜査本部は、兄のところにも裏付けに行ったことになるのですが、兄桜井賢司の一審公判での証言を見て戴ければ判りますように、( 尚、兄の公判調書が手許にありませんので、その証言引用に不正確な点があると思いますのでご賢察下さい。)

「 警察で調べられた時は、弟がバーじゅんに来た時間は閉店間際であったように答えた。」

という旨の証言がある筈なのですから、警察が私の件で兄を尋問した時は、

「 弟は、8月28日にアパートに泊まった。」

という証言を得ていたことになるのです。そうであるならば、その聞込み証言を得た捜査本部は、当然、

「 柏の旅館に泊まりました。」

と作られてある10月15日付調書などの話に付いて、宿泊場所の変更をなす筈ですが、10月21日以後の調書にも、相変らずに

「 柏の旅館に泊まりました。」

と記載されているのですから、資料に基づいて調べる筈の取調べにおいて、集められた資料に反する供述の儘
(まま)で放置したごとき

「 柏の旅館に泊まりました。」

という調書が10月22日以後にも存在するということは、兄のところに聞込みに行った日が10月20日前後ではないということになるのであります。この10月20日以後の早瀬警部補の言う再自白後の調書に

「 柏の旅館に泊まりました。」

旨の記載があるという事実は、その調書が作られた時点では、兄の証言が捜査本部に無かったことを示すものなのでありまして、無いということは、兄のところへの聞込みを行なっていなかったということであり、

「 上司から、桜井のアリバイの主張は駄目だからもっと調べろ、と言われた。」

と、10月20日のアリバイ主張に関して述べる早瀬証言の偽りは、明らかであろうと思います。そして、もし万が一、アリバイの主張が早瀬証言の通りに10月20日なのであったならば、

「 裏付けの結果、駄目だと上司に言われた。」

と述べる早瀬証言は、捜査本部が私の主張したアリバイを満足に捜査もしないで排斥したことを意味する証言になるのであり、更に、不法な取調べを訴える材料が1つ増えることになるのであります。

 私達にすれば、アリバイを訴えた事実に変わりはないのですから、10月20日のアリバイ主張であった、と訴える早瀬証言を全面的に受け入れて、

「 警察は、10月末に兄を裏付け捜査したものであるのに、10月20日の私のアリバイ主張に際して、あたかも、すでに裏付け捜査をしたごとく欺瞞
(ぎまん)を用いた。」

と訴えた方が、単に、月日の点での偽証を訴えるよりも容易なのですが、事実は事実でありまして、10月27日付調書に突然、

「 兄のアパートに泊まっているのを隠していました。」

と記載されているということは、その10月27日前後にこそ、兄への聞込みがあったことを示す事実なのであります。

(3) そして、私のアリバイ主張が10月27日であったことを示す決定的な証拠は、10月21日付警察調書なのです。

 早瀬警部補の証言によれば、

「 10月20日にアリバイの主張をし( 2365丁裏5行以下 )、10月22日にアリバイを撤回して自白した( 2367丁裏4行など )。」

と述べられているのですから、それが事実であるならば、10月21日は否認していたことになるのです。否認していた筈の調書が存在するというのは不自然なのであります。

 その10月21日付調書は、直接犯行に触れた調書ではないようですが、私の犯行だとして、その立証のために警察が提出しているのでありますから、その調書内容は、10つき20日付の犯人としての逃走状況と同一の意味を持つものであります。であれば、10月20日の調書作成後にアリバイを主張して否認したのだ、という私が、その10月20日付調書の続きとなる調書を21日に作る筈がないのであります。

 10月21日付調書内容が、犯行現場から逃げ出した話からの10月20日付調書と一体となっているものであれば、10月21日付の取調べの時にも、犯人としての嘘の自白を続けていたものであることは明白なのでありますから、この調書の存在は、早瀬警部補の

「 10月20日の夕食後にアリバイを主張し、10月22日に再自白した。」

と訴える証言が嘘であることを証明するものであり、既に述べられておりますアリバイ主張経過に関する私の主張の正しさを反面的に証す証拠となるものであろう、と確信致しております。

(4) そもそも、私がアリバイを思い出して否認した経過に関する早瀬証言というものは、場当たりな証言の繰り返しなのでありまして、一審公判での3回の証言内容をご検討戴けますならば、その如何がわしさがご理解戴ける筈なのであります。

 先ず、早瀬警部補が初めて出廷した一審23回公判での、鈴木弁護人との問答を見れば、

「 10月終わりころ、28日は実はこういう行動をしたんだ、と言ったことはないか。」

「 これはありませんね。」

「 取手にいるうち(にはどうか)。」

「 一旦、12月1日かに移してからですよ、言ってたのは。」( 2194丁裏8行以下 )

と述べていて、私のアリバイ主張、否認は、拘置所から逆送後の12月1日以後のことだと言っているのであります。

 この点では、同公判で、更に

「 被告人の言い分があって、こういう点はよく調べてくれといわれた点はありませんか、高田馬場とか野方辺りのことに付いて。」

「 それは言いましたよ、高田馬場の養老の滝というところで焼鳥を食っていたとか何とか言ったので、下命されて調べた人があるでしょう。」

「 そういう高田馬場のことが、調べのうちに1度出たことがあるんですね。」

「 それは出ましたよ、12月の1日以降になってから。」( 2195丁11行以下 )

という弁護人との問答もあるのでありまして、早瀬警部補は、私のアリバイ主張の内容まで話した上で、明確にアリバイ主張は12月1日以後だった、と述べているのであります。

 ところが、第24回公判でも証言台に立った早瀬警部補は、私の尋問に答えて

「 (とにかく、8月28日のことに関しては、高田馬場へ行ったと、それから兄貴の店で飲んだ、と言ったんじゃないですか) ええ、そういうことを言いましたね。」( 2252丁裏2行以下 )

と私のアリバイ主張を認め、第23回公判での証言である

「 アリバイ主張、否認は12月1日以後だった。」

と答えた嘘を追求されますと、

「 あんたの言ってることは、ちゃんと調書になってる。」( 2254丁裏10行 )

「 あんたの言ったことは、ちゃんと調書になっている。」( 2252丁11行 )

と、私のアリバイ主張を調書として残したことを認めたのでした。

 その上に、前述のように、証言予定のない一審第26回公判に突然出廷した早瀬警部補は、検事の尋問に答えて

「 10月20日の夕食後、日暮里の養老の滝で鳥ももを食べていたから自分はやっていない、と言ってアリバイを主張した。」( 2365丁裏5行以下 )

「 アリバイ主張の調書は作成していません。」( 2366丁11行以下 )

と、第23,24回公判と違った証言をし、その理由を

「 桜井を取調べた時のノート等を見て、当時、桜井がアリバイを主張したことを思い出したわけです。」( 2378丁12行以下 )

と証言したのでした。

 以上の証言の変転は、明らかに偽証によって生じたものなのでありますが、それが、どんな偽証であるのか、といえば、先ず、第23回公判での

「 アリバイ主張は、12月1日以降。」

という早瀬証言と、第24回公判での

「 拘置所に移してから否認した。」

という富田証言の一致する証言をご覧下さい(尚、富田巡査も第23回公判に出廷したのですが、証言時間が無くなって、第24回公判になったものでありました)。取調官と取調立会人がぴったりと一致した証言をしているのでありますから、この証言だけでありましたらば、誰でもが、その証言を真実で正しいものと思うに違いありませんが、その証言が真実でないことは、早瀬警部補自身が

「 10月20日にアリバイを主張した。」

と認めていることなのであります。それに、早瀬警部補も富田巡査も、単に

「 アリバイの主張はありませんでした。」

と述べて否定したのではなくて、

「 12月1日に拘置所から戻された後に、初めてアリバイを主張した。」

と、明らかに1つの違った状況を述べて、私のアリバイ主張を否定しているのでありますから、この2人が述べた証言が嘘である以上、全く偶然に、取調官と立会人の2人が同じ証言をした筈はなく、2人の間には証言に対する意志の疎通があり、明らかに談合の上で偽証を行なったものであることが、明白なのではないでしょうか。

 早瀬警部補は、第23回公判で私のアリバイ主張を認めなかったことなどに付いて、一審裁判長との問答で

「 前回証人は、検察官から10月20日頃、桜井がアリバイを主張したことについて質問されましたか。」

「 質問されません。」

「 そのことに付いて、弁護人からはどうですか。」

「 弁護人からも誰からも質問されませんでした。」

「 今日、検察官から桜井のアリバイ主張について質問されたので述べたのですか。」

「 そうです。」( 2379丁裏1行以下 )

などと、その理由を述べているのですが、この理由も偽りなのです。

 早瀬警部補の第23回公判調書の中で、2193丁2行目の

「 28日のアリバイが、大体、本人の口から順序立ててしゃべられたのは、いつごろですか。」

という弁護人尋問から、2195丁裏7行目にある

「 そういう高田馬場のことが、調べのうちに1度出たことがあるんですね。」

という弁護人尋問までは、その総てが、アリバイ主張に関する尋問なのであって、何度も繰り返して尋問が行われているのです。その弁護人尋問の中には、1つだけ

「 10月の終わりころ(アリバイ主張をしたことはないか)。」

と、漠然と月日を特定した尋問がありますが、その他は、

「 本人の方で、実はその日は、こういう行動だった、と言って、アリバイを述べたことはありませんか。」( 2193丁12行以下 )

などという、アリバイ主張の事実の有無だけを問う尋問なのであって、それに対した早瀬警部補は、尋問の範囲を脱して、積極的に

「 一旦、12月1日かに移してからですよ、言ってたのは。」( 2195丁1行 )

「 それは出ましたよ、12月1日以降になってから。」( 2195丁裏9行 )

と述べているのですから、

「 弁護人からも誰からも質問されませんでした。」

などという証言の嘘は、余りにも歴然としているのであります。それに現時点でさえも嘘の自白調書だけしか証拠とされるものがない事実を考えて戴けますれば、自白しか証拠のない犯人とされた者がアリバイを主張して否認したら、自白させた取調官には一大衝撃であることも、そのアリバイ主張があったのか、無かったのかを取調官が忘れるなどという話のあり得ないことも、ご理解戴ける筈と考えております。

 以上の経過によりましても、私のアリバイ主張に関する早瀬証言の信憑性(しんぴょうせい)のなさと、反面的に私の主張の正しさが、ご理解戴けるものと信じております。

 

 嘘の自白以後の早瀬証言の虚偽性は、前述の通りでありますが、12月1日以後の再度の早瀬警部補の取調べに対する早瀬証言にも、嘘があるのです。

 早瀬警部補は、12月1日以後の取調べ期間について、一審では

「 ( 早瀬さんは12月15日頃まで、調べをやったんじゃないですか。) いや、やりませんね、12月3日頃でおしまいでしょう。それ以後は調べませんね。」( 2256丁裏9行以下 )

と述べております。ところが、二審の12回公判では、弁護人の尋問に答えて、その取調期間を

「 12月1日だけと思います。」( 12枚目裏の7行目 )

「 12月1日と4日と8日だけ調べた。」( 36枚目裏の8行目 )

と、通算3日間だけしか調べていないと述べているのですが、これらの証言は、やはり、偽りであるのです。

 一審での

「 私は、3日か4日頃までしかやりませんね。」( 2256丁裏4行 )

という早瀬証言は、連続的に調べたことを述べたものであることがお判り戴ける筈でありますが、であれば、断続的に調べたごとき二審証言の偽りは明らかであるのです。

 この12月1日逆送に関した森井警部補の証言を見ても、

「 やはり、検察官の前で、否認してきたということの知らせを受ければ、まだ、調べが足りなかったのかという気持もある訳です。そういう責任を果たすという気持からも、さらに取調べたいという私の希望もありまして、検事さんの持っている勾留の身柄を借りまして調べた訳です。」( 2118丁裏11行以下 )

と述べているのですから、早瀬警部補も同様の理由で、私の再取調べを行なった筈なのであります。

 現在、裁判所に提出された12月1日以後の調書は、12月4日付でありますが、その事実は、12月1日以後の取調べにおいて、12月4日(の再自白ではなかったと記憶しているのですが)の前後になって初めて、その調書が作れたこと、つまりその調書が作れる日までは、連日早瀬警部補の取調べが続いたことが明白なのではないでしょうか。

 この12月1日以後の早瀬警部補の取調べ内容が、私の主張するような取調経過(前記119頁の(20)以下)であることを決定的に証する証拠はありません。

 しかし、その早瀬証言の変転、また

「 ( あんた、年中深沢さんと2人で、取手署に通ってきてたんじゃないですか。) 通ってきてましたが、調べませんな。」( 2256丁裏11行以下 )

などという証言から、強行犯係である早瀬警部補が取手警察署に通って来るということが、私の件に関したものであろうことなどをご理解戴ける筈でありまして、私の主張の真実性もお判り戴けると思っております。

 以上の通りでありまして、早瀬警部補の証言には、逮捕以後の取調内容、嘘の自白に至った後の調書作成経過などの、どの部分を取り上げても、全く信憑性(しんぴょうせい)がないのであります。

 それらの早瀬証言に対して、二審判決は、

「 対立的当事者の立場からなされた発問による影響もあるにせよ、説明不十分のそしりを免れない点はあるが、これを偽証をもって論ずべきほどのものではない。」( 9丁裏の2行以下 )

と判断しているのでありますが、既に、述べさせて戴きましたように、早瀬証言というものは、同一の尋問に対して、証言のたびに全く違った証言を重ねているのでありまして、その証言間の食い違いを、その判決の通りに説明を加えて訂正すると、尋問との兼合いから、全く意味の違った証言になってしまうのですから、この早瀬証言の矛盾を
「 説明不十分なもの 」と合理化する判決は、余りにもムリな判断というものではないでしょうか。

 この二審判決文に対しましては、後述させて戴きますが、前述致しましたように早瀬証言というものは、その尋問、尋問に辻褄(つじつま)さえ合えば良い、といった場当たりな証言なのでありまして、その場当たりな証言の起因は、早瀬警部補が、その取調内容について真実を述べていないこと、偽りを述べていることにあるのです。

 私のような破廉恥罪(はれんちざい)を犯した者の主張よりも、警察官証言が信憑性(しんぴょうせい)あるものと、誰でもが考えるでありましょう現実に対しましては、自分の犯した窃盗の事実を考えても、甘んじて受け入れなければならないと思うのでありますが、警察官の証言であるならば、どのような矛盾も許されるというものではない、と思います。

 ましてや、真実のみが通用すべき裁判所にありましては、たとえ、どのような立場の者が証言をしても、偽りは偽りとして、論詰(ろんきつ)されてしかるべきであろうと思うのでありますが、二審判決が

「 犯行を直接に立証するものは、被告人の供述以外にない。」( 8丁の(4) )

と述べながら、その被告人供述の真偽を争う早瀬証言の矛盾を

「 対立的当事者の立場からなされた発問による影響もある説明不十分なもの。」

と合理化する判決を思うにつけ、これは私の僻
(ひが)みかもしれませんが、この早瀬証言が、もし私達の証言であったならば、裁判所は反論の余地なく完璧(かんぺき)に糾弾(きゅうだん)しているのではなかろうか、と思い、その判決が残念でたまらないのです。

 刑法は、人間が罪を犯すものである、という前提の上に成立しますように、憲法38条の条文も、刑事訴訟法第319条の規定も、捜査機関が人間の集団であり、自白のみに捕われて犯人の発見をあやまることがあることを前提に成立しているのではないだろうか、と考えているのでありますが、一、二審判決のように、捜査官証言の矛盾を表面的な言葉だけで判断し、看過(かんか)するのであれば、本件が、嘘の自白によって残された自白調書の正否が問題の事件でもあるだけに、前記条文や規定の精神に反し、正しい判決を下すことも不可能でありましょうと、考えるのであります。

 私達のように、事実を動かすに何ら力のない被告の座にある者が、罪を逃れんとして嘘を言ったとしても、それは高の知れたものであって、所詮(しょせん)、その道の専門家である裁判官の目をごまかすことなど、不可能なのであります。

 が、人間である捜査機関に携(たずさ)わる者が、ある者を犯人と誤信し、犯人として立証することが正義であると誤った信念を持った時に行われる(捜査機関に携わる者にすれば、それが正義と信じた)嘘は、それが、法律的にも大きな力を持ち、事実も容易に動かし得る力を持った捜査機関の行うものだけに、真実の形を残さずに韜晦(とうかい)することもすることも容易なのであります。( 注:韜晦 = 包み隠すこと )

 それ故の憲法38条の条文であり、刑事訴訟法第319条の規定であって、力の弱い立場の者を守らんとしているのではないだろうか、と、私は考えております。

 警察官ゆえに許される嘘もなければ、被告ゆえに否定される真実もないことなど、殊更(私ごときが)申し上げるまでもないことですが、であるならば、自白調書の真偽において、取調官と被告人が対立した主張をする本件にあっても、問題は、どちらの主張に嘘、矛盾があるか、ということなのではないのか、と思うのであります。

 そして、私は、早瀬警部補の主張である証言内容に付いて、ご精査戴けますならば、その自白調書が偽りであること、私の主張が真実であることが、必ずお判り戴けるものと確信致しております。

 

(4) それでは、前述の早瀬警部補の証言に対して、その疑問を追求した弁護人の弁論に対する二審判決には、どのような誤りがあるのか、という点を順に述べさせて戴きます。

 先ず、二審判決文の

「 早瀬証人は当時茨城県警本部刑事部における強行犯担当者の一員であるから、同人が窃盗の係じゃないと答えたのは当然であり、またそのいうとおり、窃盗(余罪に該当するもの)の調書は窃盗の係員である富田刑事において作成しているのである。」( 8丁の14行以下 )

と述べられている点でありますが、この判決は、石井弁護人の弁論の論旨を取り違えた間違ったものなのであります。

 石井弁護人の控訴趣意書中の29項の弁論趣旨は、

「 早瀬警部補は、窃盗の係じゃない、と答えながら、その取調期間は窃盗だけを調べていた、などと矛盾する証言をしている。これは偽証である。」

と述べたものなのでありますから、

「 強行犯係だから、窃盗の係じゃないと答えたのは当然である。」

という判決では、その答えにならないのであります。もし、石井弁護人の弁論が、

「 早瀬警部補は、窃盗の係であるのに係じゃないと嘘を言った。」

と述べられたものであるならば

「 窃盗の係じゃないと答えたのは当然 」

の判決でも正しいのでしょうが、

「 強行犯係であるから、窃盗の係じゃないと答えたのは当然 」

と、判決のいう早瀬警部補の取調べであるならば、弁護人が追求した

「 窃盗の係じゃない早瀬警部補が、窃盗のみを調べていた、と証言しているのは嘘である。」

という弁論部分への判断がなければならないのでりまして、それこそが石井弁護人弁論の本旨なのであります。裁判所が、故意に論旨を擦
(す)り替えて判決したとは思いませんが、その判決は、弁護人弁論の本旨を取り違えた判断であることは間違いありません。

 その二審判決が、

「 窃盗の余罪の調書は、窃盗の係員である富田刑事において作成している。」

と述べるのでありますから、その窃盗の係の富田刑事が全く調べに関知していない時の早瀬警部補の取調べは、強行犯係としての強殺事件での調べであることが明白でありましょうが、でありながら、

「 窃盗のみを調べていた。」

などと主張する早瀬警部補の露骨な偽証こそ、本件の真実が私達の上にあることを示す事実なのであります。

 その、窃盗での調べを強調し、強殺事件での取調べを否定した、強行犯係として矛盾する早瀬証言に対する二審判決は、

「 早瀬は桜井を取調べるに当り、8月20日から同月末日までの行動を取調べるように上司から命ぜられたというのであるから、捜査本部は強殺事件の捜査のために設けられたものにせよ、早瀬証人が桜井を強殺事件の犯人として取調を始めたことを否定する証言をしても、同証人が桜井を強殺事件の犯人と未だ知らされていなかった取調当初の段階を基準とする限り寧(むし)ろ慎重正確な供述とも考えられるのであって、必ずしもそれが偽りであるとするのは当たらない。」( 8丁裏の4行以下 )

と述べ、早瀬証言が偽証である、と訴えた弁護人弁論を退けておりますが、この判決も、やはり事実の把握を間違われた判断であろうか、と思います。

 この判決文は、早瀬証言の矛盾を

「 桜井を強盗殺人の犯人と未だ知らされていなかった取調当初の段階を基準とする限り 」

という前提の上に

「 強殺事件の犯人として取調を始めたことを否定する証言をしても、それが偽りであるとするのは当たらない 」

と認めている訳なのでありますが、私が犯人であるとする検察側が提出してあります全証拠をご覧戴ければ判りますように、私達を犯人であると疑わせるものは、嘘の自白の結果であります調書だけであるのです。

 つまり、捜査本部が、私を逮捕する時点で持っていた疑惑というものは、渡辺忠治警部の二審証言にありますように、単に

「 アリバイが明確でなかったので、アリバイを究明するために逮捕した。」

というものだけだったのであります。そうであれば、単にアリバイの究明だけで逮捕された私を、犯人と知らせるも知らされるも、何の証拠もない者を犯人と知らせようがないのですから、その判決が、早瀬証言の矛盾を許容する前提として

「 早瀬証人が強殺事件の調べを否定しても、上司から犯人と知らされる前の段階を基準とする限り、寧
(むし)ろ慎重正確な供述と考えられる。」

と解釈しているのは、嘘の自白によって初めて犯人と認定されている、という本件の経緯を的確に掴
(つか)んでいない誤った判断でありましょう、と述べましても、非難されるものではなかろうと思います。

 たとえ、二審判決のいうように

「 本件捜査の総括者の1人である当審証人渡辺忠治の述べるところによっても、被疑者等の取調にあたる個々の取調官にすべての捜査情報を知らせていたわけではない。」( 8丁裏の14行以下 )

と早瀬警部補の取調べでありましても、当時の捜査本部が私に対して持っていた疑惑は、単にアリバイの不明だけであるのですから、

「 捜査情報を知らせていたわけではない。」

ということが、犯人と知らされるとか、知らされないという判断にもつながらない訳でありまして、その判決もまた、強殺事件での取調べを否定した早瀬証言を許容する前提である

「 上司から犯人と知らされる前の段階を基準とする限り 」

という判断の誤りを正しいものと是正する材料になるものではないのです。

(1) それでは、渡辺警部が、私を逮捕するための理由とした

「 アリバイが明確でなかった。」

という私に対する疑問を、早瀬警部補が知っていたのか、知らなかったのかということになるのですが、この点に関しては前述した(前記150頁の(1)、および152頁の(2)の)ように、早瀬警部補自身が二審公判で

「 この頃は、もう容疑者を洗いつくし、残っているのは桜井しかいないという状態でした。」( 11回公判調書12枚目裏8行 )

「 28日のアリバイがたたないから、窃盗の余罪で逮捕して調べようということでした。」( 11回公判調書13枚目裏7行 )

と述べているのですから、早瀬警部補は、当時の捜査本部が私に対して持っていた疑問の総て(といっても、アリバイがないというだけ)を知っていた筈なのです。

 捜査本部が持っていた疑問を早瀬警部補が知っていた以上は、

「 上司から、桜井を犯人と知らされる前の段階を基準とする限り、強殺事件での調べを否定しても、慎重な供述 」

とする判決は、既にその前提において誤っていることが明白でありましょうと思うのであります。

(2) また、早瀬証言を正当化した判決の中には、

「 被告人らの取調以前にも、事件当時の行動を取調べられた者が何人かいたのであって、この両被告人の取調に先立ち、真犯人であるとの予断をもっていたと窺
(うかが)わせるに足る形跡は見当たらないところである。」( 9丁の3行以下 )

とも述べられているのですが、結局、この判決文は、「 真犯人であるとの予断をもっていたと窺
(うかが)わせる証拠がない 」と言っているのであろうか、と思います。

 その証拠というものは、詰まるところ、渡辺警部や早瀬警部補の証言の中に、真犯人として調べたことを認める言葉がないことを指すのであろう、と思うのですが、であったとしても、

「 真犯人であるとの予断をもっていたと窺
(うかが)わせるに足る形跡は見当たらぬ。」

と、判決が述べるような、早瀬警部補が強殺事件の犯人として私を取調べたことを否定する根拠とはならないのではないか、と思うのであります。

 なぜならば、早瀬警部補は二審公判で

「 この頃は、もう容疑者を洗いつくし、残っているのは桜井しかいないという状態でした。」( 11回公判調書12枚目裏8行 )

と述べているのですから、たとえ、

「 桜井の取調以前にも、事件当時の行動を取調べられた者がある。」

という事実があっても、その人達がどのような取調べを受けたのかは判りませんが、早瀬警部補が、捜査本部のリストの中には、容疑者が私しか残っていなかったと証言するのですから、そのような認識での取調べと、それ以前の人の取調べが、その意気込みにおいても違ったであろうことは明白なのであります。

 早瀬警部補自身が、その逮捕に際して

「 桜井しか容疑者が残っていなかった。」

と述べるのですから、その取調以前から

「 この男が犯人ではないか。」

と思わないとしたら、それこそ不自然な話なのではないでしょうか。

 何れにしても、強殺事件で取調べたことさえも否定する早瀬警部補が、犯人であるとの予断を持って調べたことを認める筈がないのでありますから、早瀬警部補が予断を持っていたのか、いなかったのかということを含めて、その取調べがどんな内容のものであったのかは、早瀬証言の矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)の多い主張が、その儘(まま)、真実の行く先を示すものなのであります。

 早瀬証言を正当化した二審判決は、

「 要するに早瀬証人の供述中、所論が非難、攻撃する部分は、対立的当事者の立場からなされた発問内容による影響もあるにせよ、説明不十分のそしりを免れない点はあるが、これを偽証をもって論ずへきほどのものではない。」( 9丁裏2行以下 )

と述べているのでありますが、この判決にある、早瀬証言の矛盾が

「 対立的当事者からなされた発問内容による影響があるもの 」

「 説明不十分なもの 」

であるごとき判断は誤りなのであります。

 早瀬証言の矛盾が、対立的立場の者からの発問のみによって生じたものでないことは、その例を上げましたら切りがないのですが、例えば

「 私は、藤沢さんに象ちゃんが殺された日のアリバイを申し立てて、もう一遍、あんた方は私を調べたことありましたね。」

「 ええ。」

「 そして、そのことを早瀬さんは調書に書きましたね。」

「 ええ調書になってますよ。」( 2253丁4行以下 )

という、私と早瀬警部補の問答と

「 先程、被告人から、一旦調べを終えたあとで、取手署の警察官に言ったことが原因で、夜になってもう一度調べ直したことがあったんではないか、という意味の質問がありましたね。」

「 はい。」

「 そういう事実があったんですか、なかったんですか。」

「 それはありませんね。」( 2268丁裏8行以下 )

という、検事と早瀬警部補の問答をご覧下さい。私の尋問では、ほぼ認めながら、検事に反問されるやあっさりと証言を覆
(くつがえ)しているのですが、検事尋問での証言が偽りであることは、一審26回公判で、私のアリバイ主張があった事実を認める証言をしていることで明らかなのであります。また、

「 被疑者の取調は、他の資料がなければ出来ぬと思うがどうですか。」

「 実地に現場を踏んでいる時は別ですが、本件の様な場合は分業で捜査しました。」

「 客観的に被疑者が嘘の自白をしている場合はどうなりますか。」

「 被疑者の云っていることを信用するより外はありません。」

「 被疑者が嘘を云っている場合、その調書はどうなりますか。」

「 本件の場合、私はその中味を知りませんので、被疑者の云うなりの調書が出来ています。」( 2371丁4行以下 )

という、一審裁判長と早瀬警部補の問答と、

「 証人は、本件の客観的事実に直接当って取調べをしていないのではありませんか。」

「 客観的事実については、指揮者から聞いています。」( 2374丁3行以下 )

という、弁護人と早瀬警部補の問答を比較して戴きたく思います。

「 私は事件の中味を全部知らないので、被疑者の言いなりの調書ができています。」

と証言しているのは、裁判官の尋問に対したものなのであり、

「 客観的事実は聞いております。」

と認めたのは、弁護人の尋問に対したものなのでありますから、早瀬証言の矛盾が、

「 対立的立場の者からの尋問である影響のあるもの 」

であるとして合理化するのは、誤りなのであります。その尋問と証言の前後の問答や、一審裁判長から

「 指揮者から指示がありませんでしたか。」( 2370丁6行以下、2371丁裏1行 )

と何度も尋ねられ、特に

「 指揮を受けたと言うと、何か先入観によって調べたように見られるのをおそれているのではありませんか。」( 2371丁裏4行以下 )

と、懇切丁寧な尋問を受けながら、早瀬警部補は、

「 指示はりません。」

と、否定し、それが検事の反問にあうや

「 (指示を受けたことは) それはありました。」( 2372丁12行 )

と、あっさり前言を翻
(ひるがえ)して、指示を受けた内容まで話している証言の矛盾をご覧下さい。早瀬警部補の証言というものは、検事尋問の意向を除けば、他の尋問には、総て場当たりな証言に終始しているのですから、対立的当事者からの尋問ウンヌンといった判決の判断は、正しい筈がないと思います。

 それに、たとえ誰が誰に尋問されたとしても、真実を答える限りは、その証言に矛盾の生まれようがないのでありますから、その矛盾を

「 対立的当事者からなされた発問内容による影響もある 」

と、許容して良い筈がないのではないでしょうか。特に、警察官は捜査権力を持つものでありますから、どのような立場にあっても真実に即する義務を有する筈と思いますが、その警察官の証言であればこそ、裁判所にありましても、厳正な検討があるべきなのではないのか、と思いますと、その判決文は、僭越
(せんえつ)ながら、公正さに欠けるのではなかろうか、と思う次第です。

「 説明不十分なもの 」

という旨の判決文に致しましても、この点では前述致しました(前記136頁の1などの)ように、早瀬証言の矛盾というものは、その取調事実を隠さんとする姿勢から生まれるものなのでありまして、

「 私は、事件の中味を全然知りません。」

「 客観的事実は聞いています。」

「 私自身(現場の)部屋の中がどういうふうにしきりしてあるかも判りません。」

「 特に説明は受けませんが、現場の様子は判ります。」( 二審11回公判調書8枚目裏7行 )

「 (取調べで) 指揮者から指示はありませんでした。」( 2370丁裏9行 )

「 (指示を受けたことは) それはありました。」( 2372丁12行 )

「 私がやったのは、(10月)15日も窃盗のことを聞いてましたよ。」( 2157丁裏6行 )

「 (10月)14日まで窃盗を調べまして、15日にあんたのアリバイを調べました。」( 2227丁6行以下 )

「 (10月)14日と15日の2日間、そのアリバイを聞きました。」( 2227丁裏6行 )

「 (10月13日に)1日、1日のアリバイは聞きましたね。」( 2232丁裏9行以下 )

などと述べる各証言間の矛盾は、決して説明不十分などというものではない筈なのであります。その証言に至る前後の問答から見て戴けますれば判りますように、それぞれに答えた証言の内容を、二審判決の

「 説明不十分なもの 」

という判断を入れて、矛盾する証言と入れ替えたとすると、その前後の問答は、違った意味合を持つようになるのであります。それぞれの尋問に、明確に答えた前記各証言の中には、どのような説明も加えようがないのでありますから、この一部分の早瀬証言列記によっても、

「 説明不十分のそしりを免れない点はある 」

と述べ、矛盾が説明不十分によって生じたごとく説く判決の誤りは、明白な事実なのではないだろうか、と考えております。

 次に、早瀬警部補の取調べの不法さに付いて追求した石井弁護人の弁論に対する判決を見ますと、

「 所論が偽計等と主張する諸事情は、被告人が原審および当審公判において主張するのみで、これを裏付けるものがない。」( 9丁裏6行以下 )

と述べて、その例証に反駁
(はんばく)しているのでありますが、その判断の経過にも誤りがあるのです。

(1) 先ず、弁護人例証への反駁(はんばく)は、

「 所論は、桜井賢司の検察官に対する昭和42年11月17日付供述調書を引用して、右桜井賢司はその時初めて取調を受けたのに、早瀬四郎は、桜井被告の『 8月28日は兄賢司のアパートに泊まった 』旨のアリバイに対し、当時未だ取調を受けたことのない桜井賢司が、すでに取調が済んでいて、『 昌司は当夜泊まっていないと言ってる 』と言って詐術を用いたと主張するが、右桜井賢司の原審証人としての供述によれば、同人は、すでに被告人桜井の逮捕前である同年9月末ころ、弟昌司の行動につき警察官に取調べられているのであって、前記11月17日に初めて取調があったとする所論は、すでにその前提において誤っている。」( 9丁裏の8行以下 )

と述べられております。確かに、11月17日に初めて兄の取調べがあったとする所論は、私も間違っていると思います。が、警察が私の逮捕以前に兄を調べていないことは、早瀬警部補の証言などで明らかなのであります。

 兄の一審公判での証言によれば、

「 警察で調べられた時は、弟は閉店間際に来たように言ったが、警察で調べられてから、河原崎と2人で考えた結果、店に午後10時過ぎに来たように思い出した。」

という旨の答弁をしているのでありますから、警察が兄を調べた時には、

「 弟は、8月28日夜にアパートに泊まった。」

という聞込みも得ていたことになるのであります。つまり、その判決のいう通りに、兄が

「 9月末ころ、警察に取調べられている。」

のであるならば、その事実は、私の取調べでの資料として捜査本部に判明していたことになるのです。であるにもかかわらず、10月15日付警察調書から10月24日付までのものには、

「 柏の旅館に泊まった。」

と記載されているというのは、どういうことでしょうか。

 この点に関しましては前述致しました(前記172頁の(2))が、森井警部補の証言に

「 こちらの、すでに集まっている資料とくい違いがあるとか、辻褄の合わない点があるとかいう場合は、さらに取調べをして調書を取るという方法をとっておりました。」( 2121丁10行以下 )

とあり、早瀬警部補の証言に

「 メモを取った後、2階の捜査本部へ行って真実性の検討をしたのです。」( 二審12回公判調書24枚目の3行 )

とあるのですから、早瀬警部補が捜査資料に基づいて取調べたことは明白でありましょう。このような事実を考えて戴ければ、10月15日から10月24日の調書まで、兄の聞込みに反する

「 柏の旅館に泊まった。」

という記載が重ねられることの不自然さがご理解戴けるでありましょうが、もし、私の嘘の自白になる前に兄の取調べが済んでいたものであるならば、その捜査資料によって、柏の旅館の話も訂正が行われる筈なのでありますから、何通もの調書に

「 柏の旅館に泊まった。」

と記載されている事実は、その時点では、未だ兄の聞込み捜査が行われていなかったことを示すのであります。

 この兄の取調べに関しては、早瀬警部補自身が、

「 (裏取りの関係で、桜井の兄賢司を取調べた報告を聞いたのは) 本人がアパートを越しちゃったとか、最初に行ったところにいないとかはっきりしなくて、日がかかったようなことで、10月末ごろじゃないですか。」( 一審記録2172丁6行以下 )

と証言していることでも判りますように、警察が兄を調べたのは10月末なのでありまして、兄が一審公判で

「 警察に調べられたのは、9月末ごろ。」

と証言するのは、勘違いだと思います。

 要するに、石井弁護人の例証は、私の逮捕前には兄は調べられていないことを言っているのでありますから、たとえ検事調書を引用した

「 所論は、すでにその前提において誤っている。」

ことが確かであっても、私の逮捕前に兄を調べていないことは、他の証拠、証言で明らかなのであれば、弁護人の証拠の引用の間違いと兄の勘違いと思われる証言だけを取り上げた判断は、正しいものではない、と思うのであります。

 勿論(もちろん)、私の逮捕前に兄を調べていないことが事実と判明しても、早瀬警部補が、私の主張に対して

「 お前の兄さんは泊まってないと言ってる。」

と言ったのか、言わないのかという問題は、別個に判断されるべきものでありましょうが、その点に関しましては、前述致しました早瀬警部補の偽りの多い証言(前記135頁の(2)以下)を、もう一度、ご覧戴きまして、私の主張が正しいのか、早瀬警部補の主張が正しいのかを、裁判官の理性あるご判断にお任せ致すよりございません。

(2) 続く、弁護人弁論に対する判決は、

「 所論はさらに、早瀬は桜井に対し、嘘発見器による検査の結果、
『 貴公のいうことはすべて嘘と出た、もう駄目だから本当のことを話せ 』と偽りを告げたと主張するが、その検査の結果は、桜井は事件関連の質問に対しある程度の反応は示しているものの、いわゆる黒白を決する程度のものとは認められないもののようである。そして、渡辺忠治の供述によれば、検査の結果は、早瀬には知らせてないということであり、早瀬も、右検査直後には検査の結果を聞いたこともなく、桜井に対し、検査の結果は、同被告人のいうことは嘘と出たからといって自白を要求したことはない旨供述している。」( 10丁の6行以下 )

と述べられておりますが、この判決の

「 ある程度の反応を示しているものの、黒白を決するものとは認められないもののようである。」

という判断から、その後の

「 嘘と出たからといって自白を要求したことはない旨供述している。」

と続く判断を見れば、その判決は、嘘発見器の結果が黒の結果を示していると認定しているように思えるのですが、もし、そうであるとするのであれば、その判断は正しくないと思います。

 事件前後の行動(前記9頁の3以下)の中と、警察、検察の取調べ(前記25頁の4以下)の中にも書きましたように、私は利根町に住む者でありますから、玉村さんの家の道路から見える範囲の様子は判っておりましたし、町の噂で事件に関することも聞いておりました。

 その上に、早瀬警部補の嘘発見器使用に至る取調べの間には、

「 杉山が道路にいて、お前が勝手口で玉村さんと話していたのを見た人がいる。」

「 大きな金庫を開ければ、もっと金があった。」

などと言われておりましたのですから、そのような状態で嘘発見器にかけられて、玉村さんの家の外形を示す図面を張った上で、玄関の部分を指され、

「 犯人がここから入ったのを知ってますか。」

などと質問されれば、「 出入口は玄関と勝手口だけの筈だから、もしかすると、玄関から犯人は入ったのだろうか 」と考えてしまい

「 知りません。」

と真実を答えても、同じことを聞き重ねられれば、「 もし、犯人が玄関から入ったのならば、質問者の聞く場所は玄関と判ってるのだから、その判ってることが、発見器に嘘と出ないだろうか。」という動揺が起きました。

 また、図面の勝手口に当る部分を指して、

「 犯人がここから入ったのを知ってますか。」

と質問されれば、「 早瀬さんが、犯人は勝手口で玉村さんと話してたようなことを言ったので、侵入口は勝手口なのだろうか。」と瞬間考えてしまい

「 知りません。」

と真実を答えても、瞬間考えた動揺により、再度の質問の時には「 もし、勝手口ならば、早瀬さんに言われたことを考えたのが嘘と出るのじゃないだろうか。」などと考えたりしましたので、その心の動きは、発見器にも微妙な影響があって、それが反応したのかも知れません。その他の点では、道路の窓にあたる部分や、家の裏側にあたる部分を指して、

「 ここから入ったのを知ってますか。」

と質問されても、「 まさか窓から入ることはないだろう 」と思いましたし、家の裏側に犯人の侵入口となるような場所があることも、便所があることも当時は全く知りませんでしたから、質問にも余計なことは考えないで

「 知りません。」

と答えられました。

 また、逃走口に対して、動揺の図面を前に質問されました時も、やはり、同じように考えながら答えたのですが、これらの点に関したポリグラフ検査鑑定書を見ますと、侵入口での質問では、玄関と勝手口にあたる点で、そして、逃走口での質問では、勝手口と便所にあたる点の質問に対して反応があったと記載されております。

 逃走口の点で、なぜ、何があったかも判らない便所にあたる部分の質問に対して、「 1回心脈派に反応が表出した 」ものかは判りませんが、その点の疑問も含めて、このポリグラフ検査鑑定表の記載は、不精確であると思います。

 検査鑑定表の10、検査結果欄によれば、侵入口に関した第1質問は2回、逃走口に関した第2質問は3回、それぞれ繰り返して質問検査を行なったことが記載されておりますが、それであるならば、その各質問に対する反応が、最初の質問で表出したのか、2回目に表出したのか、それとも3回目の質問になって表出したものなのか、という点の記載が必要だと思うのです。

 なぜならば、その第1質問表によると、結果は、

「 質問2(・・・き・・・)および、質問4(・・・け・・・)において心脈波に希薄な反応表出が認められたが、心脈波、呼吸波、皮ふ電気反応の3指標に波形の動乱が認められるため、右のいずれか一方、もしくは双方が虚偽の返答により反応を表出したものか否かを明確に推定することは困難である。」

と記載されてあるのみですが、これでは、質問2、および質問4の心脈波の希薄な反応が、1回目の質問で表出したのか、2回目の質問で表出したのかも判らないし、2回目ともの質問に反応があったのかも判らないのであって、それは、3指標の波形の動乱の記載にあっても同じであります。

 また、第2質問表の結果にも

「 質問2(・・・き・・・)および、質問3(・・・く・・・)において、1回、心脈波に反応が表出したことが認められたが、他の2回は、心脈波においては反応は極めて希薄となり、一貫性を失い、3指標とも全体に波形の動乱が認められるため、右のいずれの一方、もしくは双方の反応が、虚偽の返答により表出したものか否かを明確に推定することは困難である。」

と記載があるのみで、1回の心脈波の反応が3回の質問の中で何回目の時に表出したものかの記載がなければ、それが単に緊張によって起こったものか、「 家の裏のところを何度も質問するのは、何か出入口になるようなものがあるのだろうか。」などと余計なことを考えたために起こったのかも判らない筈なのであります。

 その検査鑑定表によりますと、第6質問表の結果において、

「 関係質問である質問Bおよび質問Dにおいて、心脈波および呼吸波に反応が表出したことが認められ、対照質問である(8)においては、ほとんど反応の表出が認められなかった。
  因って、右関係質問と対照質問における反応量を比較対照すれば、関係質問における反応がより大であるので、右関係質問における反応は、虚偽の返答により表出したものと推認しても無理はないと判断される。」

と、嘘の反応が出たように書かれておりますが、これも不精確な結論であります。

 第1質問、第2質問の点でも書きましたように、これだけの記載では、その反応が2回の繰り返した質問の総てに出たものなのか、片方だけかが判りませんが、たとえ反応が出たとしましても、私は当然だと思っております。なぜならば、当時の私は、アリバイが思い出せずに自白を求める調べをされていたのですから、「 この嘘発見器で何とか犯人でないことを判って貰わなければならない 」と考えて、強い緊張状態にありました。

 そのような中で、

「 あんたの生まれたところは栃木県だね。」

「 あんたは昭和22年生まれだね。」

「 あんたは1月生まれだね。」

などという平凡な質問の中に、突然、

「 布川の玉村さんを殺したのはだれか知っているかね。」

「 あんたは、布川の玉村さんを殺した犯人の仲間に入っているかね。」

と、質問されれば、それが嘘発見器に判って貰うための核心だと判るのですから、余計に緊張してその影響がない筈はないと思うからです。

 そして、質問(8)に反応がないことも、これも当然なのです。

「 あんたは、8月初め頃、利根町の商店に皆殺すという手紙を出しているかね。」

などと質問されても「 筆跡鑑定すれば判る 」と瞬間に判るのですから

「 いいえ。」

と自信を持って返事できるのであって、反応が現れる筈がないのです。

「 犯人の仲間にはいっているか。」

などという質問に、「 俺の気持ちしか証拠がないのだから、真実を答えて嘘と反応が出ないか。」などと余計なことを考えて答えるのと違って、「 手紙があるならば、筆跡鑑定すれば判るじゃないか。」という気持の拠り所があって答えるのですから、その結果に反応が出ないことは当然なのですし、その反応に差異がでることも、また当然ではないでしょうか。

 第3、第4、第5の質問表の中では、第5質問表の質問6の

「 犯人は金庫をあけたのを知っているかね。」

と聞かれた時に、「 早瀬さんが、大きな金庫を開ければもっと金があった、と言ったので開けたものもあったのかな。」と考えて答えた覚えがありますが、その他の質問の時に考えたのは、「 玉村さんは押入れの前で殺されてたという噂だから、押入れは何か関係があるのだろうか。」ということを、第5質問表の質問5で

「 犯人は押入れを開けたか知っているかね。」

と聞かれた時に思っただけでしたので、その各質問表の反応は、何が影響したものかは判りません。

 また、第7質問表の結果には、

「 質問2、(・・・2人・・・) および質問5、(・・・5人・・・) において、心脈波および呼吸波に希薄な反応の表出が認められた。因って、右のいずれが虚偽の返答により表出した反応であるかを明確に推定することは困難である。」

と記載されておりますが、これも前述しましたように、この記載だけでは、2回重ねた質問に反応のあったものの状態、両方の質問に同程度の反応があったのか、それとも片方の質問に反応があったものかの状態が判らず、不精確だと思います。

 なぜそれが問題かといえば、2回以上の複数の質問に、同程度の反応が表出したものであるならば、それが嘘の返答による疑いは濃くなるであろうし、1回目の質問の反応が強く、2回目が弱くなったものであれば、質問に馴れて嘘の反応が弱くなったとも考えられるでしょうし、片方の質問に「 全く反応がないものであるならば、それが緊張感によるものということも判る筈なのですから、鑑定というものであれば、それらに詳細、精確な検討も記載があって然るべきだと思います。

 このポリグラフ検査鑑定表の検査結果欄の記載を見ると、その反応というものは、(第5質問表の質問5の反応は明瞭だとありますが) 希薄や微量なものであることが判りますが、嘘発見器だけを頼りになんとか真実を判って貰おうと考えて、これで犯人か犯人じゃないか判るのか、もし判らなかったらどうしよう、と思いながら、その質問に答えているのですから、胸がドキドキする時もあり、緊張が強くなったりもしたのであって、この希薄な反応だけを根拠に黒の反応であると結論するのは、無理なのではないでしょうか。

 第7質問表中の質問2と質問5に反応があった点でも、早瀬警部補には

「 お前と杉山の2人が犯人だ。」

と言われ、町の噂でも2人組の犯人がやったらしいと聞いていたのですから、そのような状態で

「 犯人は2人かどうか知っているかね。」

と質問されれば、「 早瀬さんが2人って言ってたのだから、どうなのだろう。」と考えてしまい、それが影響あったと思うのです。

 しかし、質問5の

「 犯人は5人以上かどうか知っているかね。」

の質問にも反応があることでもお判り戴けますように、私が嘘を言ったように思われている点の反応も含めて、その反応というものが、緊張感などによる偶然のものであることがお判り戴ける筈だと思います。

 さんざん犯人扱いされ、アリバイが思い出せなくて、なんとか嘘発見器で無関係を判って貰おう、と考えるのですから、気持に同様も起こりますし、微量の反応はあってもご理解戴けるのではないでしょうか。

検査鑑定書に関しては以上ですが、

「 渡辺警部は、検査の結果を早瀬に知らせていないということであり、早瀬も、検査の結果を聞いたこともないし、嘘と出たと言って自白を要求したこともない旨供述している。」

と述べられる判決も正しくないと思います。なぜならば、問題は、渡辺警部が早瀬警部補に検査の結果を伝えたとか、伝えられたとかいうことではなくて、早瀬警部補が私に対して

「 嘘と出た、もう駄目だから自白しろ。」

と言ったのか、どうかということだからであります。早瀬警部補が、私を犯人と妄信し、自白をさせることが正義と信じれば、その嘘発見器の結果など知らずとも

「 結果は嘘と出た、自白しろ 」

と言うことは容易なのですから、検査の結果を知らせる、知らせないということは、早瀬警部補の自白強要を否定する証拠にはならない筈なのであります。

 それでは、早瀬警部補が二審公判で、

「 検査の結果は、嘘と出たからといって自白を要求したことはない。」

と証言することが、その儘
(まま)、自白強要を否定する理由になりましょうか。嘘発見器使用に関した早瀬警部補の証言を見れば、二審での柴田弁護人との問答に

「 ポリグラフをとるための同意書をとりましたね 」

「 わたしはとりません 」

「 誰がとったのですか 」

「 ポリグラフにかけるためには同意書が必要ですから・・・・・深沢がとったのではないですか。」( 二審12回公判調書7枚目裏9行以下 )

と述べられたものがありますが、これも偽証なのであります。同じ二審12回公判の早瀬証言には、

「 あれ(深沢)は調べはしませんし、立会っていただけです。」( 13枚目10行以下 )

「 深沢は身柄の出し入れや立会いが主です。」( 13枚裏9行以下 )

と述べられた部分もあれば、それだけの立場であった深沢巡査が、ポリグラフの同意書をとったという証言の不自然さがお判り戴ける筈なのであります。

 ポリグラフ検査鑑定書中、9検査手続きの1、にある

「 本検査は、捜査担当者が検査前に、被疑者の任意の承諾を得、ポリグラフ検査承諾書の提出をうけた。」

という記載の「 捜査担当者 」が、早瀬警部補であることに疑いを挟む余地がないのでありまして、

「 同意書は深沢がとったのではないですか。」

などと述べる嘘は歴然としているのであります。早瀬警部補の証言というものは、一事が万事この調子なのでありまして、信用置けないものでありますが、早瀬警部補が

「 検査は嘘と出た。もう逃れられないから自白しろ。」

と言ったのか、どうかの点に付きましても、前述致しました早瀬警部補の偽り多い証言(前記135頁の(2)以下)を改めてご覧戴きまして、私と早瀬警部補のどちらの主張が正しいのかを、ご判断戴きたく思います。

 以上の通り、石井弁護人の弁論を否定した判決は、前項4に書いた

「 所論が偽計等と主張する諸事情は、被告人(桜井)が原審および当審公判において主張するのみで、これを裏付けるものがない。」( 9丁裏の6行以下 )

と述べた言葉のしめくくりとして

「 これによって被告人らの自白が、所論主張のような捜査官の偽計と誘導により得られたものではないかとの疑惑を生ぜしめるに足りない。」( 10丁裏の7行以下 )

と述べているのでありますが、結局のところ、二審判決が早瀬警部補の不法な取調べを否定する根拠というものは、取調当事者であった早瀬警部補の証言なのであり、その判決の根拠というものも早瀬警部補証言であるように思います。

 しかしながら、二審判決自身が

「 判決を直接に立証するものは、被告人の供述以外にない。」

と述べる本件は、その供述が不法な調べに根差すものであることが判明すれば、犯人桜井、杉山という結果での本件の成立も、有罪判決も根底から崩れ去るのでありますから、強殺事件で取調べたことさえも否定し、その取調べ内容に全く事実を述べない早瀬警部補が、その取調べに際して犯した不法な手段を認める筈もないのであります。

 不法な調べの事実を認める筈のない早瀬警部補の証言は、何ら不法な調べを否定する根拠とならないのではないだろうか、と考えるのでありますが、この点に付きましては、再々申し上げますように、前述致しました早瀬警部補の信憑性(しんぴょうせい)のない証言(前記135頁の(2)以下)を、裁判官の公正な目で、私の主張が正しいのか、早瀬警部補の主張が正しいのかをご判断戴くより、真実をお判り戴く方法がないのであります。

 私は、嘘を書いておりません。私には証拠を法律の力で法廷に提出する力がありませんので、私の主張する真実をご理解戴きますには、早瀬警部補の証言内容に付きまして、その矛盾撞着あふれる証言の信憑性(しんぴょうせい)をご検討戴くよりないのであります。

 どうか、改めてご精査戴けますように、お願い申し上げます。

next back


Home  Profile  History  Action  News  Poem