珈琲の温室栽培の動機とわけ
1977年脱サラで取手市にコーヒー専門店を開いた。コーヒー専門店を名乗るならゼロ(コーヒーの発祥)から栽培、焙煎、くつろぎの提供まで、知らなくてはと 考え、1979年ハワイ州コナを訪れコーヒー農園を視察。「どうしても茨城でコーヒーの木を育てたい」という思いを胸に帰国。ジャマイカのブルーマウンテン、ハワイコナなどの栽培を携わったUCCコーヒーの川島さんからコーヒー
栽培のいろはを学び、つくば市の熱帯農業研究センターに半年間通い詰めた。1982年、ついにぜいたくな夢とロマンが現実に。
世界のコーヒー栽培地は南北緯25度にあるコーヒーベルトといわれている所が適地ですが、 その概念を打ち破り北緯35度51分にある茨城県利根町横須賀の地に100m2、高さ6mの
ガラス張り温室を建ててしまった。
とむとむ珈琲農園である。
1985年ついに真赤に熟した珈琲チェリーを収穫。初の試飲会を開いた。多い年で100Kgを超える珈琲チェリー
の収穫があった。
これらのプロセスは日本人に合う珈琲、地域に喜ばれる珈琲作りの土台としてしっかり身につきました。 しかし今なお、焙煎をする毎に仕上がり具合にトキメキを感じております。
この一つ一つが利根豆達物語なのです。