- 利根町布川
- 利根町は、茨城県の県南部に位置し、千葉県との県境の人口1万8千人余(事件当時は約8千500人) の田園地帯にある、東西約8q、南北約6qの町。都心から50q 圏内にあるため、最近では首都圏のベッドタウンともなっている。近くを利根川が流れ、自然は豊富。その歴史は古く、平安末期にはすでに集落が形成され、室町時代になると豊島氏の城館が布川の台上に築かれていた。昭和30年1月に布川町、文村、文間村、東文間村の1町3村が合併して利根町となり、今日に至っている。
- また、民俗学者の柳田國男が少年期の一時期を布川で過ごし、民俗学研究の原点となった町としても知られる。
- 交通は、利根川に架かる栄橋を渡って、JR成田線の布佐駅(我孫子市)まで徒歩で十数分。ここから上野駅までは、快速電車で約1時間の距離にある。
事件現場は、茨城県北相馬郡利根町布川2536番地。当時の布川は農村部にある商業地域で、それなりの賑わいをみせていたが、現場周辺は比較的店舗の疎らな所で、夜ともなるとめっきり人通りが少なくなった。
利根町のHP: http://www.town.tone.ibaraki.jp/
1999. 8. 28 〜 29
※ 布川地区コミニティセンターを出発し、事件
現場となった被害者宅跡へ。渡辺証人が、8月28日の夜午後7時30分頃、被害者方前をバイクで時速30kmで通過したとき、桜井と杉山の二人を見かけた、とされる。
果たして夜間にバイクで走行中に、ライトの明かりだけで二人を識別できるのか? 疑問の残るところ。 弁護人らが実験したところによれば、夜間、時速30kmでバイクを運転中に、道路左側に佇立する二人を正確に識別することなど不可能であることが判明した。
※ 利根川の栄橋下流の堤防にて。
二人が逃げる途中、この下の段から杉山が<黒い財布>を川に投げ捨てたとされている。
川原から川まではかなりの距離があり、果たして川まで届くのか? この後、二人は栄橋を渡って逃げるわけだから、むしろ、橋の上から投げ捨てる方が、自然なのではないかと思われる。
実際に犯行していない二人には供述しようがない点であり、捜査官の創作なのではないか?
※ 栄橋石段(千葉県側)にて。
この地点で、8月28日に桜井が前に石段を上っていた人を追い越した時に、『あれ力があるな』と言われ、振り向いて、『何だ!』と言ったとされる。
桜井のアリバイを否定した重要な証言なのだが、 それが、果たして8月28日のことだったのか? それについて、目撃証言には曖昧な点が多い。
桜井によると、実際は9月1日のことで、証人の一人は、後日『調書をとられる時、「桜井は8月28日だと言っている」と言われたので、それに合わせて証言した』と、友人に語っている。