[資料5−2]第1次再審請求即時抗告審決定
昭和63年 2月22日 東京高裁第10刑事部
※ 媒体の性質上、縦書きの文章を横書きに改め、漢数字を算用数字に直しましたが、内容はほぼ原文通りです。
昭和62年 (く) 第52号
決 定
千葉市貝塚町192番地 千葉刑務所在監
請 求 人 桜 井 昌 司
同 所
請 求 人 杉 山 卓 男
右両名弁護人 別紙弁護人名簿記載のとおり
右請求人らにかかる再審請求事件について、昭和62年3月31日水戸地方裁判所土浦支部がした各再審請求棄却決定に対し、弁護人から即時抗告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主 文
本件各即時抗告を棄却する。
理 由
本件各広告の趣旨は、弁護人提出の即時抗告申立書、訂正申立書、即時抗告申立理由補充書及び即時抗告理由補充書(2) に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
所論は、要するに、原決定は、弁護人提出の新証拠について新規性ないしは明白性がなく、再審を開始すべき事由を発見できないとしているが、これは、確定判決の証拠構造がきわめて脆弱なものであることを看過し、新証拠を旧証拠と総合評価することを怠るとともに、明白性の判断にあたり「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の原則に反して事実上無罪の証明を要求し、更に、確定判決の証拠構造が揺らいでいるにもかかわらず、検察官手持ちの公判未提出記録・証拠物のすべてを開示させることなくなされたものであるから、原決定には事実誤認、審理不尽の違法があって、原決定はその取消しを免れない、というのである。
そこで、関係記録を調査して検討すると、原決定は、千葉大学教授木村康作成の意見書には明白性が、小貫俊明、花嶋政雄及び花嶋昭子の弁護人に対する各供述録取書には明白性が、伊藤廸稔の弁護人らに対する供述録取書には新規性ないし明白性が、角田七郎の弁護人らに対する供述録取書には新規性が、渡辺昭一の弁護人らに対する供述録取書には新規性ないし明白性が、弁護人作成の昭和58年10月8日付実験結果報告書( 以下「識別実験結果報告書」という。)及び弁護人作成の調査報告書、大利根交通自動車株式会社作成の回答書には明白性が、弁護人作成の昭和59年7月19日付実験結果報告書及び昭和60年2月1日付同訂正書( 以下合わせて「現場実験結果報告書」という。)には明白性がそれぞれ認められず、他の関係証拠を検討しても、結局再審を開始すべき事由は発見できないとしているところ、この結論は相当であると認められるが、所論にかんがみ更に説明を加える。( 以下において、昭和42年については年の記載を省略することがある。)
T 木村康作成の意見書について
1 同意見書は、被害者の死体の死後経過時間は、解剖時において30時間ないし40時間の間であったと推測されるというものであるところ、所論は、木村康の原審証人としての供述によれば、右死後経過時間の誤差は2時間であるとされ、その起算点は、解剖開始から30分後の8月30日午後4時とされているから、これによるときは、被害者の死亡時刻は最も早くても同月28日午後10時となり、犯行時刻、被害者の死亡時刻を同日午後9時ころとする確定判決の認定及びその根拠とされた請求人らの捜査官に対する自白は明らかにこれと矛盾するという。
2 しかしながら、木村の右証言によれば、「大体幅を持たせますと、30時間から40時間前後のところが死後の経過時間であろうと。前後というのはどういうことかと言いますと、大体2時間プラスマイナスですから、1点を探せというか、もっと短くしろと言われるならば、38時間から42時間位まで、そこら辺が一番せばめたところです。」と述べたうえ、「この解剖開始時間から、確定判決が認定した犯行日時までを逆算しますと、42時間30分になります。これは、証人の法医学的な知識及び経験から、到底成り立たない事実認定だというふうに主張されるんでしょうか。それとも、法医学的には、必ずしも矛盾しない事実認定だというふうに考えられるんでしょうか、どちらでしょうか。」との問いに対し、「その点は、矛盾しませんね。先程、42時間といいましたけれども、それから絶対に1分でもはみ出してはいかんということじゃありませんので。」と答え、「もう一度確認しますけれども、昭和42年8月28日午後9時ころに、本件犯行が行われたというふうに、判決では認定していますが、これは法医学的には、必ずしも矛盾しない、ということでよろしいんですね。」との問に対し、「そういう認定がしてあるから、逆算すると、42時間30分であると。42時間経った死体であるということを考えた場合、矛盾しないかどうかということについては、矛盾しないということです。」と答えていることが明らかである。
これに加えて、右証言及び同意見書によれば、木村は、主として死体硬直の緩解の程度に依拠して死後経過時間を推定しているが、右方法による死後経過時間の判定にはもともと一義的で確定的な基準があるとはいい難いうえ、本件においては被害者の死体硬直の緩解に影響を及ぼした要因のすべてが明確にされているとはいえず、秦資宣作成の鑑定書に記載されている所見についてすら解釈を入れる余地があることなどにも照らすと、同意見書の記載も、被害者の死亡日時が8月28日午後9時ころであったことを否定する趣旨であるとは解されない。
そうすると、同意見書は、確定判決の認定した犯行時刻等を揺るがすものではなく、請求人らの捜査官に対する自白の信用性に影響を及ぼすものでもない。
U 小貫俊明、花嶋政雄及び花嶋昭子の弁護人に対する各供述録取書について
1 小貫の弁護人に対する供述録取書は、「8月28日夜母親と一緒に森杉林三方に野菜を仕入れに行く前、花嶋政雄方に寄ると、政雄の妻花嶋昭子から、列車で布佐駅に帰る政雄のため同駅前の自転車預り所まで傘を届けるよう頼まれたので、自転車でそこに傘を届けに行き、すぐに引き返して森杉方へ向う途中、被害者方前を通りかかったとき、同所に二人の男がいるのを見た。列車が着くと通りが混むので、列車の着く前にあわてて出かけた記憶があるから、傘を届けたのは午後7時ころで、被害者方前で二人の男を見たのは午後7時10分ころと思う。」というものであり、また、右政雄の弁護人に対する供述録取書は、「8月28日当時は松戸市内の会社に通勤しており、帰りは我孫子駅発午後6時40何分か発の列車に乗って、午後7時一寸過ぎころ布佐駅につき、同駅前から自転車に乗り、午後7時15分か20分ころに帰宅していた。」というもの、右昭子の弁護人に対する供述録取書は、「被害者が殺されているのを発見されたころ、聞き込みに来た警察官に対し、8月28日小貫が私方に寄ったのは午後7時少し前であったと述べ、午後7時過ぎのはずだという警察官と言い合いになったことがある。そのころには、午後7時一寸過ぎ布佐駅着の列車で帰る政雄のため、小貫に頼んで傘を布佐駅前の自転車預り所まで届けてもらうことがよくあったから、警察官に対し右のように言ったのは、小貫の供述するように、8月28日も同人に傘を届けるように頼んでいたためであるとしか考えられない。」というものである。
2 しかしながら、原審において検察官が提出した司法警察員作成の8月30日付捜査報告書、小貫の司法警察員に対する10月16日付、同月29日付各供述調書及び確定第一審で取り調べられた小貫の検察官に対する供述調書、同審証人小貫の供述によれば、小貫は、8月30日当時既に警察官に対し、同月28日午後7時30分ころ昭子から、「布佐の七栄そば屋に行って、花嶋光雄がいるかどうか見てきてくれ。」と頼まれ、自転車に乗って見に行き、同人がいなかったので、引き返して昭子にその旨を伝え、それから母親が行っていた森杉方に向かった旨述べ、司法警察員に対する10月16日付供述調書においても同旨の供述をしていたこと、また、森杉方は、被害者方から自転車で約5分程度の距離にあるところ( 小貫の確定第一審における証言 )、小貫は8月30日警察官に対し、森杉方につくと、テレビで午後8時からのユニバーシアード大会の放送( これが正確であることについて、佐々野利彦作成の回答書 )をやっていて、プールの場面が映っており、そこに30分位いて帰宅し、テレビをつけたところ、午後8時40分からの柔道の場面( これが正確であることについて、右回答書 )が映った旨述べ、司法警察員、検察官に対する右各供述調書及び確定第一審における証言においても、森杉方について5、6分ないし10分足らずのち、テレビでユニバーシアード大会の水泳競技の場面が放映されていた旨を一貫して供述していることが認められる。
そして、右捜査報告書によれば、昭子(「政雄の妻正子」とあるのは誤記と認められる。)も、8月30日当時警察官に対し、8月28日午後6時55分ころ実家の母から有線で、「光雄が布佐の七栄に寄っているかどうか見てきてくれ。」と連絡があったので、小貫にその用を頼んだ旨述べていたことが認められ、このような事柄について小貫や昭子がことさら虚偽の陳述をしたとは思われないこと、小貫及び昭子の弁護人に対する供述録取書は、いずれも15年余を経過して作成されたものであるうえ、その記載中に何ら供述変更の理由が示されていないことなどを合わせ考えると、右各供述録取書中の、小貫が8月28日寄る昭子に頼まれて政雄の傘を届けに行った旨の供述部分は到底措信し難く、同じく時間に関する供述部分も、小貫が政雄の傘を届けに行ったことを前提とする推測の域を出ないものであって、措信の限りではない。
また、政雄の弁護人に対する供述録取書は、それ自体では新たな事実を立証するものとは認められない。したがって、小貫、政雄及び昭子の弁護人に対する各供述録取書は、請求人らの捜査官に対する自白( 請求人らが8月28日午後7時5分ころ布佐駅で下車したことを前提にしている。)の信用性に影響を及ぼすものとはいえない。
3 所論は、小貫の一連の供述によれば、同人が8月28日被害者方前で目撃した二人連れの男は、その人相、特徴等から請求人らではないことが認められ、また、前記捜査報告書記載の被害者とその話し相手の男との位置関係は、請求人桜井( 以下「桜井」という。請求人杉山についても同様の省略記載をする。)が自白する被害者と桜井との位置関係とそごし、桜井の自白は信用できないことが明らかであるのに、これらについて判断をしていない原決定には、審理不尽及び判断遺脱の違法があるという。
なるほど、前記捜査報告書及び小貫の司法警察員に対する前記供述調書2通の中には、小貫の目撃した男2名の人相、特徴等について小貫の供述が記載されており、これを確定第一審における小貫の証言及び同審で取り調べられた小貫の検察官に対する供述調書中のそれと対比検討すると、その間に変転のあることは認められるが、小貫はもともとこの点については記憶が不明確であると供述していたのであって、同人のいずれの供述が正確であるかを改めて検討することが相当であるとは思われず、小貫の右各供述を総合しても、同人の目撃した二人の男が請求人らでないとは到底認めるに足りない。
また、前記捜査報告書によれば、小貫は、警察官の聞込みに応じて、8月28日夜被害者方前で二人の男を見かけたとき、そのうちの一人は勝手口の東側( 向かって右側 )で被害者と話をしていた旨を述べたとされているところ、桜井の捜査官に対する一連の自白では、検察官に対する12月22日付供述調書を除き、桜井が勝手口の西側( 向かって左側 )のガラス戸を開けて被害者と話をしたことになっていることは、所論指摘のとおりである。
しかし、桜井の同供述については、これを間違って、東側のガラス戸を開けたとする右12月22日付供述調書があって、確定判決当時から、西側のガラス戸を開けたとする供述の信用性には疑問が差しはさまれていたのであり、小貫の右供述が加わっても、そのことによって桜井の捜査官に対する自白自体の信用性が損なわれることになるとはいえない。
したがって、いずれの点においても、原決定に審理不尽とすべきところはなく、また、原決定はこれらについてことさら判断を示すことをしていないが、「他に、確定判決につき再審を開始すべき事由も発見することができない。」と指摘しており、この摘示中には右各点の主張に理由がないとの趣旨が含まれていると解されるから、所論の非難は当たらない。
V 伊藤廸稔、角田七郎の弁護人らに対する各供述録取書について
1 伊藤の弁護人に対する供述録取書は、栄橋石段の件( 本件発生日ころの午後7時少し過ぎころ、布佐方面から栄橋に通じる石段の途中で、桜井が伊藤、角田らを追い抜き、その際角田と桜井の間で言葉の応酬があったというもの )があったのは、朝の通勤電車の中で杉山と一緒になり、同人に「大宮の仕事先まで来ないか。」と言って仕事に誘った日のような気がするし、また、その日は帰りにも杉山に会っており、同人は布佐駅前から誰かの自転車の後ろに乗せてもらって先に行ったが、成田街道の靴屋の前で誰かと立ち話をしているのを見かけるなどしているので、その日は列車事故の翌日の8月28日ではない、というものである。
しかしながら、伊藤の確定第一審における証言を見ると、 問(桜井)「9月1日のことだが、細い路地のところの靴屋の前に杉山と誰かが、しゃがんでいたのはわかりませんでしたか。」、 答え「9月1日とはわかりませんが、そういえばありました。」、 問「坂を駆け抜けたと同じ日に杉山ともう一人が靴屋の前で話していたかね。」、 答「いたと思います。」とあるから、伊藤の供述録取書中の、栄橋石段の件のあった日に杉山が右靴屋の前で誰かと話をしていたとの供述は、今回新たになされたものとはいえない。
また、伊藤の供述録取書中の、栄橋石段の件のあった日の朝電車の中で杉山と一緒になり、同人を大宮に誘ったとの供述は、伊藤の従前の供述中になかったものであるが、原決定説示のとおり、右のような事実は、昭和42年から昭和43年にかけての伊藤の捜査段階及び確定第一審における供述中には全く現れていなかったのに、約15年後の同供述録取書作成に際して突然述べられたものであること、伊藤が右記憶を呼び戻した事情や理由は何ら示されていなかったうえ、供述内容もそのような気がするという程度のものであることなどに照らすと、右供述は信用性に乏しいというほかはなく、これにより、栄橋石段の件のあった日が8月28日であったとする確定第一審で取り調べられた伊藤及び角田の検察官に対する供述調書や、青山( のちに島村と改姓 )敏恵の確定第一審及び同控訴審における各証言の信用性が揺らぐことになるとは考えられない。
所論のうちには、原審が同供述録取書中の右供述の信用性について事実の取り調べをしないのをとらえて、不当であるというところがあるが、ことさらその点について事実の取調をするほどの必要があるとは思われない。
なお、所論は、伊藤の供述録取書中にある、同人の捜査官に対する供述調書は誘導に基づくものであるとの供述も新たになされたものであるというが、その程度の単なる供述の動機ないし縁由にとどまる事情は、それ自体として再審の理由となる証拠には当たらず、判断の限りではない。
2 角田の弁護人に対する供述録取書は、栄橋石段の件があった日には、その朝通勤途中の常磐線の電車の中で、一緒に通勤していた伊藤が杉山に対し、「今日の仕事は大宮なので一緒に行かないか。」と誘ったことがあり、その日の帰りにも電車の中で伊藤や杉山と会って、「杉山は結局大宮に行かなかった。」と聞き、また、布佐駅を降りてから、成田街道付近で杉山が2、3人の若い衆と話をしているのを見ている、というものである。
しかし、角田の確定第一審における証言をみると、 問(桜井)「その日証人は杉山と我孫子から一緒でしたか。」、 答「よくわからないが、布佐で降りてから一緒に歩いたのです。」、 問「その途中で何かありませんでしたか、何か追いかけたとか。」、 答「ありました。」(中略) 問「追いかけて、その後別れたのですか。」、 答「靴屋のところで別れたのです。」、 問「そこで誰かと話していたのだが、誰かわかりますか。」、 答「一人が自転車で、後2、3人いました。」(中略) 問「靴屋の前に3人位いたときと、自分と会ったのは同じ日ですか。」、 答「そうです。」、 問(杉山)「俺と会ったのは、大宮へ行ったという日ですか。」、 答「そうです。」、 問「大宮へ行った日と桜井と会った日とは同じ日ですか。」、 答「そうです。」(中略) 問(検察官)「証人は杉山が大宮へ行った日はわからないというのかね。」、 答「我孫子のホームで友達の伊藤が大宮へ行くときに、杉山も一緒に行くんだと聞いたのです。」、 問「行きがけに今日大宮へ行くんだということを聞いたのかね。」、 答「はい。」 というのであり、角田の供述録取書中の供述は、その大綱が既に同人の確定第一審における証言中に現れていたものということができる。
所論は、角田の供述録取書中にある、同人の捜査官に対する供述調書は誘導に基づくものである旨の部分、大宮行きの話は朝の常磐線の通勤電車内で交わされたものである旨の部分も、今回新たになされた供述であるというが、前者については伊藤の関係で述べたところと同様の理由により、後者については、右程度の事実は立証されるべき事実の付随事情にすぎず、それ自体として再審の理由となるものではないので、いずれも判断を加えるまでもない。
W 渡辺昭一の弁護人らに対する供述録取書について
1 渡辺の弁護人に対する供述録取書は、「8月28日夜布佐モータースへ行く途中被害者方の辺りで、二人の人がいるような気がし、その直後不動様へ入る道付近で4、5人の人を見かけたとき、先に被害者方付近で見かけた二人の顔が浮かび上がり、その顔は請求人らの顔であったが、それは予知能力や霊感の働きによるものと思われる。帰途布川横町の三差路を通りかかったとき、不吉な予感がし、結局左折して被害者方の方に向かったところ、玉村肥料店の前辺りでまた不吉な予感がした。そして、そこから少し被害者方寄りに進んだとき、被害者方の方に二人の人影が入るのを見かけ、被害者方を通り過ぎようとしたとき、にわとりを絞め殺すような音が聞こえたので、道端から被害者方の窓の中をのぞき込んだが、中は暗くて何も見えなかった。それらの不吉な予感も予知能力や霊感と関係がある。」というものである。
しかし、右供述のうち、布佐モータースへ行く途中被害者方を過ぎてから4、5人の人を見かけて、被害者方付近にいた二人が請求人らであることを認識したこと、帰途不吉な予感に襲われたこと、被害者方前で鶏を絞め殺すような音が聞こえたことなどは、原決定の説示するとおり、いずれも既に渡辺の確定控訴審における証言中に現れているものである。
また、右の二人が請求人らである旨の認識、不吉な予感等を予知能力や霊感に結びつけていることについては、渡辺がそのように確信しているというものではなく、「そういうもの( 予知能力や霊感 )があると思います。」という程度のことにすぎず、同人が自己の認識、行動等の根拠を右のように説明したからといって、そのことにより、確定審で取り調べられた同人の供述全体の信用性が失われることになるとは思われないし、帰途被害者方の方に二人の人影が入るのを見かけたこと、被害者方の窓から中をのぞき込んだことなどをいう部分も新たな供述ではあるが、原決定の説示するとおり、確定控訴審判決が摘示する程度を超えて、確定審で取り調べられた渡辺の供述の信用性を揺るがすものとは認められない。
所論は、渡辺の供述録取書中の、往路被害者方に差しかかる前公民館の辺りを通りかかったとき、公民館の反対側の道端に3人位の若い人が立って話をしていたとの部分、帰路被害者方をのき込んでいたとき、利根町大字横須賀で農業をしている人が通りかかったとの部分も、新たな供述であると主張しているが、右の各供述部分が渡辺の従前の供述に現れていないものであることは否定し難いとはいえ、その程度の事実関係は、これらを同供述録取書中の前記諸事情と合わせ考慮しても、確定審で取り調べられた渡辺の供述の信用性に疑問を生じさせるものとは考えられない。
2 弁護人作成の識別実験報告書は、弁護人らが昭和58年8月22日東京都世田谷区野毛町内において、走行中のバイクの運転席及び後部荷台からその進路脇に立つ者を識別できるか否かを実験した結果、その識別が困難であったとするものである。
しかしながら、右実験における設定条件と、8月28日被害者方前で渡辺が二人連れを見かけたときの諸状況、特に、その付近の明暗の程度、道路状況、渡辺の道路についての精通度や人の識別能力等との異同が明確でなく、右実験結果がただちに本件の場合に当てはまるとはいい難いのみならず、同識別実験結果報告書によると、その設定条件下においても、被験者7名全員が対象人物2名を全く識別できなかったわけではなく、運転席から被験者3名が対象人物各1名を識別し、後部荷台からは被験者3名が対象人物各2名を、他の被験者4名も対象人物各1名をそれぞれ識別していることが明らかであること、確定控訴審が本件現場でした夜間検証において、裁判官がバイクの後部荷台に同乗して識別実験を行い、対象人物2名を識別し得ていることなどからすれば、8月28日被害者方前で渡辺が見かけた二人連れが請求人らであるとする、確定審で取り調べられた渡辺の供述の信用性が同識別実験結果報告書によって揺らぐことになるとは思われない。
3 弁護人作成の調査報告書は、弁護人が山中林から事情を聴取したところ、同人は、「8月28日午後9時過ぎころ碁会所を出て、横町バス停まで歩き、早井行きの終バスに乗って帰宅したが、同バス停で渡辺を見たり同人に挨拶したような記憶はない。」旨供述し、弁護人らにおいて右碁会所から横町バス停までの徒歩による所要時間を計測してみると、3分40秒から4分であった、というものであり、また、大利根交通株式会社作成の回答書は、当時の早井行き終バスの横町バス停発着時間は午後9時15分であった、というものである。
ところで、渡辺は、確定第一審及び同控訴審において、8月28日夜布佐モータースからの帰途横町バス停のところを通ったとき、バスを待っている山中林に会い、家に帰ると午後9時少し前であった旨をそれぞれ供述しており、これらの供述は、帰宅時間が午後9時前か否か、横町バス停で山中に会ったか否かの各点において、山中の右供述とそごするものであるということができる。
しかし、山中の右供述については、これがその正確性を認める同人の署名押印のある供述録取書の形式を備えたものではないことはさておくとしても、原決定も指摘するとおり、15年余りを経過しているのに、8月28日横町バス停に行ったのが午後9時前ではなく、午後9時過ぎであると記憶している理由が判然とせず、同供述に十分な信用性を認めることができるか否かには、そもそも疑問がある。
他方、渡辺についてみても、同人の検察官に対する昭和43年3月13日付供述調書については、8月28日午後8時55分ころ布佐モータースを出て帰宅した( 帰宅時刻は午後9時過ぎとなる。)こととされていて、これが確定控訴審において取り調べられており、更に、確定第一審の証言中においては、警察官が聞込みにきた際、8月28日帰途被害者方前を通って声を聞いた時間は午後9時過ぎであると話した旨、確定控訴審の証言中においては、右聞込みの際、8月28日の帰宅時刻は午後9時15分ころと思っていたが、妻に言われて午後9時前と思うようになった旨それぞれ供述していたことなどすることからすると、確定審当時から、渡辺の帰宅時刻についての記憶には不確かなところのあることが明らかにされ、同人のその点の供述には必ずしも信頼が寄せられていなかったものと認められる。
そうしてみると、同調査報告書中の山中の供述はその信用性に疑問があるだけでなく、同供述による弾劾の対象となる渡辺の供述はもともと信用性に問題のあるものであり、山中の右供述が加わったからといって、それにより渡辺の供述全体の信用性が影響を受けることになるとは考えられない。同調査報告書中の他の記載及び大利根交通株式会社の回答書は、山中の右供述を離れて独自の意味を持つものではないから、これらについてはあらためて検討を加えるまでもない。
4 なお、当審において検察官に対し、渡辺からの聞込み結果についての報告書類の提出を求め、検察官から司法警察員ら作成の9月3日付、同月20日付、昭和43年3月6日付各捜査報告書が提出されたが、これらの中には、確定審で取り調べられた渡辺の供述の信用性を揺るがすようなものは格別見出されず、かえって、後二者によれば、渡辺は、請求人らが逮捕される前の9月20日当時、既に、聞込みに来た警察官に対し「杉山の仲間を捜査してみたら」と言っていたことが認められ、これは、8月28日夜被害者方付近で請求人らを見かけたとする渡辺の供述の信用性をささえる一事情となるとみることができる。
D 弁護人作成の現場実験結果報告書について
1 同現場実験結果報告書は、弁護人らが司法警察員作成の9月22日付検証調書の記載に基づいて、被害者方勝手口の西側ガラス戸を東側に7分目開けた状態及び全開した状態で、外の踏石の上に立った人がのぞき込む実験をしたところ、7分目開けた状態では、西側に茶だんすがあるため、勝手口内に頭を差し入れること自体が不可能であり、全開した状態でも、体を勝手口内に入れることはできても、八畳間と四畳間の境のガラス戸の西側付近に立った人を見ることはできなかった、というものであるところ、桜井の捜査官に対する自白中では、おおむね、西側ガラス戸を東側に7分目開けて中をのぞくと、被害者が八畳間と四畳間の境のガラス戸の西側を開けて顔を出し、「何だまた来たのか。」と言った旨供述しており、これは同現場実験結果報告書の内容と食い違うものということができる。
しかしながら、同現場実験結果報告書は、司法警察員作成の前記検証調書中にある被害者方の建物部位、踏石、茶だんす、電気冷蔵庫等の寸法にもとづいて、現場を再現し、踏石上から屋内をのぞき込む実験をしたものにすぎず、実験が行われるのは初めてであるとしても、基礎となる状況は確定審において既に明らかにされていたうえ、その状況下において右自白のようなことは不可能であるとの主張がなされていたのであるから( 確定控訴審における杉山の弁護人提出の控訴趣意書16頁、同審判決26頁参照 )、右のような実験の結果が新たに発見された証拠であるとはいい難い。
更に、桜井の捜査官に対する自白中にある、被害者方勝手口の西側ガラス戸を開け、被害者が八畳間から顔を出すのを見たとの供述については、既に述べたように、検察官に対する12月22日付供述調書において、開けたガラス戸は東側のそれに変更されていること、被害者方勝手口及びその周囲の状況等からして、右供述部分はそもそもその信用性に疑問のあったところであるから、あらためて弁護人らの実験結果が加わったことにより、確定判決当時に比して桜井の捜査官に対する自白全体の信用性が損なわれることになるとも考えられない。
Y 以上のとおりであって、本件各再請求審に現れた証拠を精査検討してみても、新たなものであって、かつ請求人らに対する有罪判決に疑問を生じさせるような蓋然性のあるものは、これを見出すことができず、証拠関係についての原決定の判断は、その理由付けの点で若干異なるところがあるにしても、結論において相当ということができる。
所論は、確定判決において請求人らを犯人と結び付ける主要な証拠は請求人らの捜査官に対する各自白であるところ、その自白の任意性及び信用性には多くの問題点があるとして、これを詳論し、自白の見直しをしない判決を論難している。
しかし、請求人らの自白の任意性及び信用性は、確定第一審、同控訴審、同上告審を通じて終始最大の争点とされ、確定第一審及び同控訴審において詳細な証拠調べがなされるとともに、各裁判所において細かに検討されたところである。加えて、本件各再審請求において提出された新証拠は、自白の任意性及び信用性を全面的に否定するものではなく、既に述べたとおり、自白のうちの極めて限定された一部の真実性を否定しようとするにとどまるうえ、いずれもその証明力が甚だ薄弱であって、請求人らの自白全体の信用性に影響を及ぼすものとは到底認められない。
そうすると、請求人らの自白のを全面的に再検討しなければならない理由はなく、この際そのような再検討を加えることは、確定審における心証形成にみだりに介入するものであり、再審請求を審判する裁判所のなしうる限界を超えるものというべきである。
所論はまた、新証拠の明白性の判断は新旧証拠を総合的に評価し、かつ「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の原則に従ってなされなければならず、これが確立された判例でもあるが、原判決はこれに反しているという。
しかし、本件再審請求において提出された新証拠は、請求人らの無罪を直接に立証するものではなく、確定審の有罪認定の根拠となった証拠の信用性を争うものにすぎないうえ、新証拠の個々の内容は既に述べたとおり極めて証明力に乏しく、信用性弾劾の対象となった有罪認定証拠の信用性を揺るがすほどのものは見出されず、これらが確定審の段階で取り調べられていたとしても、確定判決における事実の認定に影響を及ぼしたとは到底考えられないから、新旧証拠を総合的に評価し、請求人らの利益に考えても、無罪を言い渡すべき証拠があるといえないことは明白である。
更に、所論は、原審は検察官手持ちの公判未提出記録・証拠物のすべてを開示させ、それらを含めてあらゆる証拠を総点検すべきであつたにもかかわらず、検察官から一部の記録を取り寄せ、証人1名の尋問をしたのみで審理を打ち切っているから、原決定には審理不尽の違法があるという。
しかし、再審請求事件において、請求人の側で提出した証拠以外にどの程度の証拠を収集するかは、再審請求を審判する裁判所の健全な裁量に委ねられているところであり、もとより同裁判所に検察官に対しその手持ちの証拠書類・証拠物全部の提出を命じなければならないような義務があるわけではなく、本件においては、検察官に対しそのような命令を発し、あるいは職権でさらに証拠を収集しなければならないような事情があるとも認められない。
Z したがって、結論は、原決定に違法ないし不当な点があるとして種々論難するが、いずれも採用の限りではなく、請求人らについて再審の理由があるとは認められず、原決定が本件各再審請求を棄却したのは結局相当であって、本件各即時抗告は理由がないから、これを棄却することとし、刑訴法426条1項後段により主文のとおり決定する。
昭和63年2月22日
東京高等裁判所第10刑事部
裁判長裁判官 小 野 幹 雄
裁判官 横 田 安 弘
裁判官 井 上 廣 道