結局オフィシャルの発表でも俺のグリッドは2番グリッドだった。 やっぱり以前からちょくちょく走行会やレースの真似事なんてしてたことがこの結果につながったらしい。 とは言っても俺のクルマほどの改造を加えたクルマも少なく、ほとんどがナンバーのついているクルマだし。 参加車両にも恵まれていたのかもしれない。 ピットでエンジンの簡単な調整をし、ボンネットを開けたままバンパーに腰掛け、ぼーっとコースを眺める。 さすがに冷えたままのエンジンでレースに出すのは無謀なので軽くアイドリングをさせている。 冷却系、電装系、オイル回りにもとりあえず今のところ異常はない。 少し大きめのアイドリング音がなんとはなしに耳に心地よい。 好男はさっき休憩所で別れたけど、正面スタンドの観客席に姿が見えない。 大体なにやってるかは想像がつくけど。 「あの…」 ふいに後ろから声が聞こえた。 何事かと振り向くとさっき予選の時に詩織となにか話していた子だ。 オフィシャルのポロシャツを着ているのでこの子もオフィシャルには違いないんだろう。 どこかおどおどした感じで、うつむき加減でこちらを見ている。 「えーっと、何か?」 そう返事するとことさら小さな声で 「あの、藤崎さん見かけませんでしたか。さっきからちょっと姿が見えないものですから…」 「え? 予選前と予選終わったあとにちょっと会ったけど、それからは見てないですよ」 「そ、そうですか。高見さんなら知ってらっしゃると思ったのですが…」 「たしかに詩織とは知り合いだけど…ってなんで俺の名前知ってるの?」 「え、あ、わ、私詩織ちゃ…藤崎さんの知り合いで、美樹原愛っていいます。高見さんのことは藤崎さんから聞いていたものですから…」 なるほど、詩織の言っていた「メグ」というのはこの子の事か。 「あーでもごめん、詩織がどこ行ってるかはちょっと判らない」 「そうですか、どうもすみませんでした」 「詩織に会ったら伝えておくよ」 「はい、お願いします」 そう言うと彼女はピット奥の通路に消えて行った。 「あ、公人クン、メグ見かけなかった?」 入れ違いざまに詩織がコース側からピットの中に入ってきた。 「はい?」 なんだか漫画見たいに出来過ぎた展開にちょっと驚きつつも 「メグって美樹原さんのことか? たった今詩織がいないかって来たばかりだぞ」 「え? 本当?」 詩織も驚いている。 「ああ、そっちのドアから奥に入っていったよ。今なら急げば間に合うんじゃないのか?」 「ええ、ありがとう、公人クン。それじゃ、レースがんばってね」 そう言いながら奥のドアから詩織も消えて行った。 なんだか今日は変な日だ。 とりあえず無事にレースが終えられるようにレースの神様にお祈りをしておくことにする。 お祈りと言ったってクルマのエンジンに向かって柏手を打って 「今日も無事にレースが終えられますように」 と言うだけ。 はっきり言って人に見られると恥ずかしい。 でも初めてレースに出たときにこのお祈りをやって多重クラッシュから間一髪助かったので、それ以来レース前にはこのお祈りをすることにしている。 ゲン担ぎには違いないけど。 パンパンッと2回柏手を打ち、いつものように「今日も無事にレースが終えられますように」とつぶやくと、後ろからクスクスと言う笑いが聞こえた。 うっやばい、見られた。一応周りに人の気配が無いうちにと思ってたのに、こりゃうかつだった。 気が付かないフリをして通りすぎるのを待つ。 でもなぜか足音が近づいてくる。 まずい、この体勢ではエンジンの調整をしてる様にも見えないし、どう見てもおがんじゃってるよなぁ。 聞かれたらなんて答えよう…。 なんて事を硬直しながら考えてると 「あなたも、お祈りしてらっしゃるのですか?」 となんだかスローモーな女の子の声が聞こえた。 「わたくしも、レースの前にはかならずお祈りするのですよ。『今日も無事に、終えられますように』って」 拝んだ格好からゆっくり首だけ動かして声の主を見る。 「あなたはなんてお祈りされたのですか?」 間抜けな格好の俺の斜め左後ろにいたのは、ピンクのレーシングスーツを着てマジェンタの髪を左右で三つ編みにした女の子だった。 俺の顔を見てにっこりと微笑む。 「え、あいや、今日も無事レースが終えられますように、って…」 屈託の無い柔らかい笑顔になんだか俺の気も軽くなったような気がした。 「そうですか。わたくしと同じですねぇ」 「はあ」 「あ、すみません。申し遅れました。わたくしは、古式ゆかり、と申します。チームゆかりでドライバーをさせていただいております」 「え? ドライバー?」 ってことはこのなんだかトロそうな子が今日のポールポジション? マジ? 運転してるところが全然想像できん。 「あの、あなたのお名前はなんとおっしゃるのですか?」 「へ? あ、高見公人、です。特にチームはなくて、プライベーターで参戦してます」 彼女の丁寧なものの言い方にこっちまでつられてしまう。 「あなたが高見さんでしたか。夕子さんがそう言えば先ほどお会いしたと申していました」 「あーあのなんだかちょっとにぎやかな子か」 「…そうですねぇ、にぎやかな方ですねぇ」 ワンテンポ遅れてうれしそうにそう言う。 どうもこの子のほわっとした笑顔とスローモーな話し方にはなんだか調子を狂わされるなぁ。 「あ、申し訳ございません。すっかりお邪魔をしてしまいました」 「へ?」 なんだか思い出した様にものを言う子なのですっかり調子を狂わされてしまっている。 「では、楽しいレースにいたしましょう」 ペコリと頭を下げると、ゆっくりとした足どりでピットから出て行った。 出ていく間際にもう一度こちらを振り向いて、ペコリと頭を下げて行った。よっぽど礼儀正しく育てられたんだろうけど、そんな子がなんでレースなんて。 考えれば考えるほどよく判らなくなる。そう言えば「古式不動産の一人娘」だって好男が言ってたな。あんまり関係ないけど。 もしかしたら、今みたいな感じで他のドライバーの調子をレース中に狂わせてるのだろうか? …そんな訳ないか。 ま、とにかく今はこれから始まるレースに集中っと。 …また妙な子とか来ないだろうな…。 特にあれから、誰が来ると言うわけでもなく、オフィシャルの指示でレース開始10分前になったのでコース上にクルマを動かし、グリッドに停める。 コックピット内で、水温、油温、油圧、電圧、回転数、その他を再びチェックする。レース中はなかなかチェックする暇がないし、おかしくなってもスプリントレースだからピットで治す暇もない。 特に異常もなさそうなのでボンネットを閉め直し、ヘルメットをかぶる。 後ろのグリッドでも出場するクルマがそれぞれ最終チェックしていたり、乗り込んでじーっとしていたりして直前のレースに集中している。 乗り込むとき、ちらりと左前のポールポジションのグリッドに目をやった。 まだ「チームゆかり」のクルマはグリッドについていない。 スタートまであと5分。ドアを閉め、ベルトを締めてグローブをはめようかと言う時になってやっとポールのクルマがグリッドにやってきた。 「同じシビックか」 基本的に俺のシビックと同じ型のようだけど、エンジン音を聞く限りかなりハイチューニングが施されているようだ。 車内もロールケージが張り巡らされている。 ふとドライバーと目が合う。 目が合うと向こうがペコリと頭を下げた。反射的にこちらも軽く会釈する。 メットから覗いている顔は間違いなくさっきピットに来ていた古式さんだ。 何回かブリッピングをしているが、その姿には全然緊迫感もなにもない。やっぱりどうにも調子が狂う。 水着のレースクイーンが「3分前」のボードをもってコース中央で掲げる。 結構本格的だ。 エンジンの吹けも問題ないし、いつでも行ける。 「1分前」のボードを掲げたレースクイーンがコースから出る。 シグナルが全点灯して消えた。 「30秒前」のボードを持った子が入れかわりにコース中央に立ち、ボードを掲げる。 あ、あれ? ? し、詩織!? 恥ずかしそうにそそくさとコースから出ていく詩織の水着姿に気をとられてシグナルが点灯し始めたのに気がつかず、シグナルを見た時は赤から青に変わる瞬間だった。 「やべ、出遅れた!」 あわててアクセルを踏み、クラッチをつなげる。 ほとんどアイドリングからのスタートだったので回転が上がらない。 1コーナーまでに3台に抜かれ、5位まで順位を落とした。 くそー、詩織の水着姿はひとまず置いといて、まずはレースに専念だ。 コーナーリング性能はこっちのほうが上のはず。2コーナーで1台抜いた。 やっぱりほとんど市販車状態と、レースカスタムではコーナリングで性能が違ってくる。 前2台はほとんど団子になってるので3コーナー後、上りの緩い右カーブでそのまま追い抜く。 その先のコーナーもアクセルオフで難なくクリアし、ふう、ようやく順位回復。 「さて、古式さんは…」 速い。もう50mも差をつけられている。 コーナーも正確なラインで実に丁寧に曲がっている。見た目とは裏腹になんて実力だ。 こっちも本気で走らないと全然追い付くどころの騒ぎじゃない。 さすがに将来のGTW有力候補だけあってなかなか一気には差は縮まらないけど、それでもジワリジワリとその差は確実に縮まっていた。 周回数は全部で10周か。追い付いて追い越すにしてもギリギリの周回数だよな。 ストレートの速度はどうやらこっちのほうが上みたいだけど、コーナーでは差がつかない。 それでも5周目でやっと射程距離に捕えることが出来た。 でもなんとなくその間古式さんのペースが落ちていたような気がするけど、さすがに計測してるわけじゃないから気のせいかもしれない。 さて、どうやって抜こうか。古式さんのドライビングにはまったくミスがない。 それにブロックの仕方がうまいのでなかなか直線でも抜くことが出来ない。 コーナーでちょっと強引気味に突っ込んでも慌てる様子もなく、そのままラインをきれいにふさがれてしまい結局タイムをロスってしまうだけだった。 うまい、うますぎる古式さん。伊達にチームなんて作って参戦してないよ。 この実力ならすぐにでも1つ上のクラスの「クラブマンカップ」に上がれるんでないか? それにしても…どうやって抜いたらいいだこりゃ。途方に暮れるな、まったく。 トップのクルマの真後ろにぴたりと貼つきながらも抜くことが出来ずに、ついにレースは最終ラップを向かえてしまった。 泣いても笑っても残りタイムは30秒そこそこ。 うかつに攻めて下手してリタイヤしたらバカらしい。しょうがない、今日のところは2位に甘んじて次回のレースで雪辱を晴らすとするか。 そうと決めたら無理しないモード。車間をあけて若干スローダウン。少しくらい遅く走っても3位以下とはほとんど1周近いタイム差がある。 離れようとして速度を落とした。 「あれ?」 前のクルマと離れない。速度計はたしかに速度が落ちてるし。ってことは古式さんも速度を落としているとしか思えない。 と思ってると急に前があいた。 ???? え? なに? どういうこと? 左に古式さんがにこにこした顔で並んでいる。 最終コーナーも並んだ状態でクリア。 そしてそのままチェッカーを受けた。 |