[資料8−2] 秦 鑑 定 書
昭和42年12月 1日
※ 媒体の性質上、縦書きの文章を横書きに改め、漢数字を算用数字に、漢字表記の単位を記号表記に直しましたが、内容はほぼ原文通りです。
昭和42年8月30日 取手警察署長司法警察員警視塚田末吉は、茨城県北相馬郡利根町大字布川2,850番地の2 玉村象天方庭先に於て、被疑者不詳殺人被疑事件にかかる、本件被害者 玉村象天(62才)の死体を解剖し左記事項を鑑定すべき旨余に嘱託せられたり。
鑑 定 事 項
1. 創傷の部位および程度
2. 成傷器具の種類及び成傷の方法
3. 死因、自他殺の別
4. 死後の経過時間
5. 血液型
6. その他参考となる事項依て同日午後3時30分より前述した玉村象天方庭先に於いて、取手警察署長司法警察員警視塚田末吉立合の上、日立市鮎川町2丁目8番16号医療法人秦外科病院院長医学博士秦資宣執刀之を解剖するに、その所見は次の如し。
解 剖 検 査 記 録
1. 住 所 茨城県北相馬郡利根町大字布川2,850番地の2
2. 氏 名 玉 村 象 天
3. 年 令 62才
4. 職 業 大 工余が解剖すべき現場に到着したる時は、本屍はすでに司法警察員の手で前記玉村象天方庭先に頭部を略々南西に向け、木製台上に安置せしめられてあった。
余が解剖執刀にあたる前本屍の体位は、腐敗膨大しあたかも巨人様観を呈し、右上肢は肘関節部位に於て約60.0度に曲屈挙上し、左上肢は略々肩峰と水平に挙上、左右の手指は5指共に軽く握拳状を呈し、あたかも弓引状を呈す。口腔は、布様物を口腔内より口腔外にはみだし、頸部に於ては、前頸部に環状の布様物を有し、左右下肢足関節直上部に於て結節を上部になしたる緊縛せる布様物の存在を認め、右下肢は略々水平に伸し、左下肢に於て約45.0度曲屈し、緊縛部に於て左右下肢を接合せり。
第1 外 景 検 査
1. 腐敗膨大男性屍体 1( 年令62才 )
身 長 154.0p
頭 囲 60.0p
頸 囲 57.0p
胸 囲 98.0p
腹 囲 95.0p
全身の皮膚の色は概ね腐敗青銅色を呈し、頭部、顔面部は青銅色を呈し、胸部特に前胸部に於ては表皮靡爛剥脱(びらんはくだつ)し汚穢暗赤色(おわいあんせきしょく)を呈す。腹部は一般に略々青銅色にして、左側腹部前面に於て暗紫色、その他に於ては青銅色をまじえたる帯青銅白色を呈す。左右上肢に於ては表皮靡爛剥脱(びらんはくだつ)し、稍々(やや)暗赤色をともなう青銅色を呈す。左右の下肢に於ては左大腿は前面に於て青銅色をまじえたる暗赤色、その他は蒼白色、右大腿上部内面暗赤色、頸骨前面淡青銅色、その他は蒼白色を呈す。背部は肩甲間部、背部、腰部はいずれも略々汚穢暗赤色(おわいあんせきしょく)を呈し、胸椎部並びに尾仙部に於て青銅色を呈す。
皮膚は、皮下組織及び筋肉内の腐敗ガスの発生により気・状を呈し、特に上半身は表皮腐敗剥離(ひょうひふはいはくり)し、全身腐敗膨大(ふらんぼうだい)し所謂巨人様観を呈す。
死体の硬直は、身体各部諸関節に中等度に存するも、その緩解は容易なり。
本屍の栄養の可否は良好と認められ、体格は腐爛膨大(ふらんぼうだい)し巨人様観を呈するも中等度と思考さる。
本屍の腐敗の度は、人体形成を保つための極に達するものと思考さる。
体温は、直腸内に於て摂氏27.0度 時に外気摂氏25.0度なり。
2. 頭部は腐敗膨大し、頭部に8.0p 長内外の白髪をまじえた頭髪がまばらに叢生し、頭皮は青銅色を呈し、損傷異常なし。頭頂部に於て蝿卵の発生を認む。
3. 顔部左頬部に於て汚穢暗赤色(おわいあんせきしょく)を呈する他全般に青銅色を呈し、腐敗膨大す。左右の眼球は突出し、眼瞼は両眼瞼共に開き、角膜は中等度に混濁するもかろうじて左側に於て略々円形、径約0.7p に散大せる瞳孔を透見し得る。右側に於て瞳孔の透見は至難なるも右眼球角膜に出血を認め、右眼瞼(上下共)並びに眼球結膜全体に出血斑を認む。左眼球眼瞼結膜に於て充血並びに溢血点(いっけつてん)を認めず。左右の眼球の硬度は稍々(やや)軟にして左右の眼球を圧するに腐敗ガス多量噴出す。
鼻翼を圧するに鼻腔内より腐敗ガスを含んだ血性の小気泡漿液(しょうきほうしょうえき)多量に流出す。鼻骨に骨折等の異常なし。
口は圧迫状に硬損、略々小児手拳大の布様物(布製パンツ様物体)を口腔内に硬く挿入し、その残余の一部は口腔外にはみだす。本物体の挿入は口腔内全体に強圧挿入されたものにして、上下口唇粘膜は暗紫色を呈し、舌尖は挿入されたる布様物後方に位し、舌は腐敗膨隆暗赤色を呈す。上下の歯列は前記布様物を上下の歯列にて咬み、歯牙に於ては左下顎第一大臼歯の欠損を認める他欠損なく、口腔内に於ては前記布様物の他異物なく、口腔内粘膜は全体に暗赤色を呈す。
左右耳翼は腐敗膨大し青銅色を呈し、左右外聴道に異物なし。
顔面部に於て後記創傷を存す。(説明第1項参照)
4. 頸部は一般に青銅色を呈し、頂部より左前頸部にかけ圧迫状にほぼ環状なせる布様物(白色布製パンツ様物体)を認むるも結節並びに結節点を認めず、その圧迫の度合は相当強度なり。布様物を除去するに左前頸部に於て後記創傷を存す。(説明第1項参照)
5. 胸腹部は全体に腐敗膨大し、上半身前胸部に於ては表皮靡爛剥脱(びらんはくだつ)し汚穢暗赤色(おわいあんせきしょく)を呈す。
下半身腹部に於ては左側腹部前面に於て暗紫色を呈する他、一般に青銅色をまじえたる帯状青銅白色を呈し、皮下組織に於て腐敗ガスの発生により表皮は膨隆し気腫を作る。胸腹部に於て表皮剥脱並びに外傷性創傷は認めざるも後記皮下出血部を存す。(説明第1項参照)
6. 背部は胸椎部並びに尾仙部に於て青銅色を呈する他肩甲間部、背部、腰部はいずれも略々汚穢暗赤色(おわいあんせきしょく)を呈し損傷異常なし。
7. 左右上肢は表皮靡爛剥脱(びらんはくだつ)し稍々(やや)暗赤色をともなう青銅色を呈し、外傷性創傷を認めざるも後記皮下出血部を存す。(説明第1項参照)
8. 左右下肢は左大腿前面に於て青銅色をまじえたる暗赤色、右大腿上部内面暗赤色、脛骨前面淡青銅色を呈する他一般に蒼白色を呈し、左右下肢足関節直上部に於て左右下肢を緊縛せる布様物を認む。同緊縛はタオル状の物にて二重に緊縛し、外踝部前面上部にて1回の結節をなし、更に同緊縛上部を白色布様物(白色ワイシャツ)にて前記緊縛を補強状に一重に緊縛し、前記緊縛結節と略々同一ヶ所に於て2回の結節をなす。その緊縛の度合は強度にして両下肢の屈伸のみにて緊縛を排除することは至難なり。
9. 外陰部恥丘に約8.0p 長内外の陰毛久叢生し、陰茎、陰嚢膨隆するも損傷異常なし。
10. 肛門は開きて、周囲は糞便にて汚染さるも損傷異常なし。
第2 内 景 検 査
甲. 頭 腔 開 検
11. 頭皮の横断開検に際し、暗赤色流動血少許、頭皮軟部組織全体充血性にして腐敗、左右側頭筋肉充血性、頭蓋骨を鋸断開検するに腐敗せる泥土状の脳実質流出し、その原型を全くとどめざるも硬脳膜の出血並びに脳実質の外傷性損傷及び軟脳膜下の出血等の変化を認めず。頭骸骨冠部に於ける骨の厚さ約0.3p 〜 約0.7pを算し、頭骸冠部並びに底部骨質に於て骨折等の異常を認めず。
乙. 胸 腹 腔 開 検
12. 胸腹腔の開検に際し、胸腹腔内部より腐敗ガス多量に噴出し、胸腹腔内臓器全体の腐敗を思考せしむ。したがって、胸腹部皮下脂肪織の発育の可否は中等と認むるも腐敗はなはだしく、腸間膜脂肪織の発育並びに胸腹部筋肉の出血等の判別は不能なり。
腹腔内に異液なく、横隔膜の高さ、左右共に約第五肋間に位す。
A. 胸 腔 臓 器
13. 胸腔を開検するに、左右胸腔内に薄い血性漿液多量に貯留す。左右胸膜肋膜下の溢血点並びに同部筋肉組織間等に於ける出血等の異常は腐敗度はなはだしく、その判別は不能。肋骨に骨折なし。
14. 胸腺は腐敗度はなはだしく、その判別は至難なるも胸腺実質の残存を認めず。
15. 心嚢並びに心臓は、ほとんど腐敗しその原型をとどめず、心外膜下出血並びに心臓の構造の判別は不能なり。
16. 左右の肺は他の胸腔内臓器に比し、腐敗の度は稍々(やや)遅滞し原型を有するといえども、溢血性、充血性を識別し得る程度にして、出血斑の判別は不能なり。外傷性創傷の存在を認めず。
17. 胸部諸器官に於て右の胸鎖乳突筋下に出血を認む。左右鎖骨部に出血なく、甲状軟骨、並びに気管軟骨に骨折を認めず、気管内粘膜に暗赤色粘稠液(ねんちゅうえき)の附着並びに粘膜の充血性を認む。
B. 腹 腔 臓 器
18. 腹腔内臓器は、わずかに肝臓が腐敗度が遅滞し、稍々(やや)その原型をとどめ表面並びに断面赤褐色を呈するも、出血斑並びに溢血点等の判別は不能なり。外傷性創傷等の存在を認めず。
19. その他脾臓、膵臓、左右腎臓はその腐敗度はなはだしく、その各臓器の原型をとどめず、いずれも出血並びに充血等の判別は不能なり。
20. 胃内には、約5.0ml の泥様内容を容れているのみにして、小腸、大腸と共に腐敗ガス多量に充満膨大し、出血等の異常を認めず。
21. 膀胱内には、微混濁尿少許、粘膜に於て損傷異常を認めず。
22. 本屍の血液型は、B型なり。
右にて解剖検査終了す。時に昭和42年8月30日午後5時1分なり。
解剖時間 1時間31分
説 明
1. 創傷の部位および程度
(1) 顔面部に於て頭部より左右頬部にかけ略々水平な約21.0cm を算するところの弓状を形成せる圧迫創と思考される創傷を存す。
(2) 前頸部に於て頭部より約5.0cm の処に横に走る表皮剥脱創を存す。
(3) 前頸部、前記同創より約3.0cm 左側頸部に略々平行に走る前頸部より頂部に向う処の3本の表皮剥脱創を存し、その長さは、同創下方より約2.0cm 、約2.5cm 、約2.8cm をそれぞれ算す。
(4) 頸部内景に於て右乳様筋下に出血を認め、気管内粘膜に暗赤色粘稠液(ねんちゅうえき)の附着並びに粘膜の充血性を認む。
(5) 右前胸部に於て圧迫創と思考される皮下出血部を存し、その範囲は径約9.0cm を算する。
(6) 右上肢手背腕関節部に於て皮下出血部を存し、その範囲は径約3.0cm を算する。
本屍に存するこれらの創傷は、いずれも本屍の生存中に生じたものにして、本屍は腐敗膨大し、その腐爛度が人体の形成を保つための極に達するため、皮下出血等は外景より判別する事は、略々不能な状態を呈し、前記皮下出血部はいずれも同創部にメスを挿入切開し判別したものなり。
2. 成傷器具の種類及び成傷の方法
兇器の種類を印像していないので、これを明言することは至難であるが、前記創傷がいずれも外傷をともなわない皮下出血創であるところより思考して、いずれも外部よりの本屍に対する圧迫により生じたものと思考され、特に本屍の主要死因の1つと思考される頸部に存する創傷は、強度の頸部圧迫により生じたものであり、更に本屍のもっとも重たる死因と目される口腔内の異物の挿入は、口腔内全体に強力に圧迫挿入されたものであり、左右下肢の緊縛は、2種布様物にて緊縛せるものにして、前述のとおり両下肢の屈伸のみにてその緊縛を排除することは至難な状況である。
以上を総合するに、いずれも本屍に直面せる創傷にして、創傷の発生せる時間的差異を認め得ざる処よりして体格、体力的に相当な相異(大人と小児等)を有しなければなし得ないものと推測さる。
以上の創傷並びに屍体における状況により、本屍は自為により行為は不能であり、他為外方によるものと考案さる。
3. 死因について
本屍頸部に於ける絞頸を思考させる創傷(第1項(2)〜(4))並びに本屍口腔内に圧迫挿入されたる処の布様物はそのいずれか1つをもってしても死因たる窒息死を惹起せしめられうる死因創であるが、いずれか1つを重たる死因とするかをあえて極言するならば、本屍の口腔内に圧迫挿入されたる処の異物により惹起せしめられたる処の気管閉鎖による窒息死と推定さる。
4. 血液型について
本屍の血液型は、B型なり。
5. 死後の経過時間について
本屍の死後経過時間は、これを明言することは至難であるが、死後変化の程度並びに本屍の直腸内体温等により判断するに、約45時間内外すなわち約2日前後経過したるものと推測さる。(昭和42年8月30日午後5時01分現在)
鑑 定 主 文
以上の説明理由により、次の如く鑑定す。
1. 創傷の部位および程度について
(1) 顔面部に於て頭部より左右頬部にかけ略々水平な約21.0cm を算するところの弓状を形成せる圧迫創と思考される創傷。
(2) 前頸部に於て頭部より約5.0cm の処に横に走る表皮剥脱創。
(3) 前頸部、前記同創より約3.0cm 左側頸部に略々平行に走る前頸部より頂部に向う処の3本の表皮剥脱創を存し、長さ約2.0cm 、約2.5cm 、約2.8cm をそれぞれ算す。
(4) 頸部内景に於て右乳様筋下に出血を認め、気管内粘膜に暗赤色粘稠液(ねんちゅうえき)の附着並びに粘膜の充血性を認む。
(5) 右前胸部に於て圧迫創と思考される皮下出血部を存し、その範囲は径約9.0cm を算す。
(6) 右上肢手背腕関節部に於て皮下出血部を存し、その範囲は径約3.0cm を算する。本屍に存するこれらの創傷は、いずれも本屍生存中に生じたものと推測さる。
2. 成傷器具の種類および成傷方法
兇器の種類は、これを明言することは至難であるが、本屍に存する創傷よりみて本屍に対する外部よりの圧迫、若しくは布様物を使用しての強圧等により生ぜしめられたるものと推測さる。
3. 死因について
本屍の死因は、前述せる説明理由により本屍口腔内に圧迫挿入されたる処の異物(布様物)により惹起された気管閉鎖による窒息死と推定さる。
4. 血液型について
本屍の血液型は、B型なり。
5. 死後の経過時間について
本屍の死後の経過時間は、これを明言することは至難であるが、約45時間内外経過したものと推測さる。(昭和42年8月30日午後5時01分現在)
右のとおり鑑定す。
昭和42年12月 1日
日立市鮎川町2丁目8番16号
医療法人秦外科病院 院長
医学博士 秦 資 宣