[資料7−3 上 申 書

千葉刑務所在監   

再審請求人 杉 山  卓 男

※ 媒体の性質上、縦書きの文章を横書きに改め、漢数字を算用数字に直しましたが、内容はほぼ原文通りです。


 昭和63年2月27日付にて貴裁判所に特別抗告を申し立てましたので、左にその意見を上申致します。

記   

 昭和42年10月16日、暴力行為等処罰に関する法律違反により別件逮捕(この事件はなんの処分もされないままどこかへやられてしまったことをみても別件逮捕は明らか)されて以来、強盗殺人というやってもいない事件で人生の大半を獄中に閉じこめられている悔しさは筆舌では言い表せない程のものであり、気も狂わんばかりでありますことと、私は玉村さん殺しの犯人ではないことを冒頭に強く強く訴えます。

 

 そこで当時の私が人を殺してまで金を奪う必要性があったのか、また桜井昌司という人間と私の付き合い程度を考えると果たして共犯者として事件を起こすような間柄であったのか、について述べてみたいと思います。

1. 私には動機がない

 私たちを有罪とした一審の判決書によれば、『競輪で遊ぶための金ほしさから被害者に借金を申し込んだが断わられたのでこの際同人を殺害してでも金員を強取しようと決意するに至り』とその動機について判断されております。果たしてこの判断は正当なものでしょうか。否であります。その理由は、当時私は競輪で遊んだり、たかりをしたり町の不良であったことは確かです。しかし、私には母親が残してくれた遺産がありました。(昭和42年11月2日付自供調書に記載)そして、いつも私は免許証、印鑑、定期預金証書1枚づつの3点を携帯しておりました。ですから友人たちからたかりはしても、人を殺してまで金を奪う必要性は全くありませんでした。競輪に行きたければ金をおろせばすむことです。事実私はいつもそうしておりました。逮捕されたときにも、まだ相当額の預金証書があったことは検察庁でも確認しておりますし、記録上明らかです。人を殺してまでも金を奪わなくてはならないということは、相当逼迫した状態でなければできないものであると私は思います。

 これが、判決書認定の動機が成り立たないことの理由の第1点。

2. 私と桜井の付合いから考えると共犯関係が成立しない点について

 私と桜井の当時の関係は友人でも何でもありません。否、桜井は私のことを相当うらんでいたようです。それは何故か。私が桜井のことを殴ったりしていたのでそのせいによります。私のグループと桜井の友人たちの間には、おのずから水と油の違いがありました。

 当時、私は桜井の友人たちの何人かを殴ったりしていたので、桜井が私の陰口、悪口を言っているということが、私の耳に何度も入ってきていました。それで、『あの野郎陰口ばかり言いやがって』と私も思っていました。こんな関係の私たちでした。

 しかし、私と桜井と全く接触がないかというと、そうではありませんでした。反目しあっていた二人が、それではおかしいじゃないかと思われるので説明しておきますと、私は桜井の兄の賢司と友人でした。弟の昌司とは反目しても、兄の賢司とは何故かうまが合いました。それで、当時賢司が借りていた東京都中野区野方の光明荘アパートに遊びに行っていました。その兄の借りている光明荘アパートへ、たまに弟の昌司が兄を頼って遊びに来ていたのです。本当の兄弟ですから、それは当然なことでしょう。私としても兄の賢司とは友達ですから桜井が来ても怒ったり、殴ったりはできません。そんな具合で少しは遊ぶようになったのですが、お互いしこりがあるのは事実です。

 ですから二人っきりの行動で一日中、あるいは何日間も遊ぶということはありませんでした。遊ぶときは、私と桜井のなかに他の人が必ずいます。もし桜井と二人でどこかへ行くといって出かけても、必ず途中で別れてしまいます。それは桜井の方から私をさけて逃げていってしまうといったほうが正しい言い方でしょう。それだけ桜井は、私をけむたがっていたわけです。

 こんな関係の私たちが第一審判決が認定するような、玉村さんから金を借りようと相談したり、一度借りられなくて再度借金の相談をしたとか、また二人して玉村方におもむいて借金の申し入れをしたとか、ということは全くありえないことです。私としたって、桜井のために借金の手伝いにいってやるなんてまっびらごめんです。桜井にしたって、杉山に借金の相談をするより、いかに杉山からはなれようかと考えるのが先決です。これが当時の二人の関係であって、とても強盗殺人を犯す共犯者になることなど全くありえませんし、考えられません。

 やってもいない私が、なぜ嘘の自白をしたかには、このような私と桜井の関係が大きな比重をしめています。取調官から「桜井がお前とやったと言っている」と言われたときの私の心境たるや、『あの野郎そんな嘘まで言っているのか、それほど俺に恨みが深いのか』と、怒りと悔しさ情けなさで頭がおかしくなってしまったこと、私とやったなどと嘘を言っている桜井と対決しなければどうにもならないという気持ちが、嘘の自白をする大きな要因となっています。

 嘘の自白のなかで、桜井が私に命令調になっている部分があります。たとえば、「靴を裏へ回しておけ」とか、借金の申込みの際に「お前ここで待っていろと言った」等々は、私と桜井の関係からみれば、全くありえないことなのです。記録の上っつらばかりみるのではなく、事の真実をよくみきわめていただきたいと思います。

 

 なぜ私は『自白』できたか

 次に、やってもいない人間がなぜ警察であのような自供調書ができたのか、だれでも疑問に思うことだろうとおもいますので、嘘の自供調書はどのように作成されたのか、その調べのもようを再現して説明してみたいと思います。

 まず、私が最初に嘘の自供調書を作られた昭和42年10月17日付の調べから説明してみたいと思います。

1. 昭和42年10月17日付自供調書の作成過程

 調べ室では、私が鉄格子を背に座らされ、机をはさんで前に久保木、私と久保木の横に大木刑事という位置で座り、机の上に桜井の自供調書、机の引き出しに現場の図面、それと大木が大学ノートを持ち込んでの調べでした。

 まず初めに
「今から上申書というものを書いてもらうから」
と刑事は言うのです。
「上申書ってなんですか」
と言うと
「書き方などは教える。お前と桜井が犯人だということ、被害者や町の人たちに申し訳ないというようなことを書くんだ」
と言って、ワラ半紙とボールペンを貸し与え書かされたのです。

それが終わると、
「いまから強殺について調べをするから、聞かれたことはすなおに話せ」
と言われました。しかし、私はここでハタと困りました。それは不当な取調によって事件を認めさせられたのだが、やってもいないことなので、調書を作ると言われても何も話せません。

ですから、
「俺は何もわからないから、昌司の言っている通りに書いてください」
と言うと、刑事はブスッとした顔で
「28日のお前の行動を言ってみろ」
と言うので、27日の夜から28日の午後3時頃まで光明荘にいたこと、桜井賢司、河原崎敏といっしょだったこと、入墨をしたことを話しました。すると、はじめから調書に書くのではなく、刑事と私のやりとりをまず大学ノートに書いていくのです。調べの模様をです。大学ノートに書きながらさらに調べが続きます。

「それからどうした」
と聞くので、
真実はそのまま東京にいたのですが、事件をやったと認めさせられているので、それを言ってもダメです。とりあげてくれません。それで、野方駅から電車に乗って我孫子駅まで行ったと言いました。

すると刑事らは、
「我孫子駅で布川の佐藤治と会わなかったか」
と言うので、
「会わない」
と言うと
「いや、桜井は我孫子駅のホームに杉山と佐藤治がいっしょにいたと言っているぞ」
と言うので、
「桜井がそう言っているのなら、そう書いて下さい」
と言うと、大学ノートに我孫子駅で佐藤治に会ったと書き、
刑事は、さらに
「そのとき、佐藤はどこかケガをしていなかったか」
と聞くので、
「他の日のことなら、新橋のほうでケンカしてなぐられたとか言って、目にケガをしていたことがあった」
と言うと、刑事は、
「それが28日のことだよ」
と言い、ノートに書き、
「そこで桜井といっしょになったんだな」
と言うので、刑事がそう言うからには桜井がそう言っているのだろうと思い、合わせておこうと考え、
「そうです」
と言うと
「それからどうした」
という問いに、私は
「俺にはわからない。桜井は、なんと言っているんですか」
というと

「お前ら3人でどこの駅で下りた」
ときくので、布佐駅しか下りるところはないので、
「布佐かな」
と言うと
「それから布川へ行ったのか」
ときくので、全くの空想で
「そうです」
と言うと
「金借りの相談をした場所はどこだ」
ときくので
「わかりません」
と言うと
「桜井はバス停のある場所と言っているぞ」
と言うので
「それならそうでしょう。とにかく、俺は事件の内容はわかんないから、桜井の言うとおりに書いて下さいよ」
と言いました。

 このときの私の気持ちは、
こんな嘘の調書を作る調べなんて早く終わってくれ、俺はやってないんだから言うことなんてないよ、調書なんてどうでもよいから適当に書いてくれ、という気持ちでいっぱいでした。
さらに刑事は、
「玉村さんから金を借りてこようと言い出したのはどっちだ」
と言うので
「俺は言わんよ」
と言うと
「そうだろうな、お前は親の遺産があるからな。この事件は、お前が言い出したのではなく、ただお前は桜井についていっただけじゃないのか」
と言い、さらに刑事は
「お前は、玉村さんという人を知っているか」
と言うので
「事件がおきてから現場の前を通ったりしているので、知っているのは事件がおきたということだけで、玉村さんという人は知らない」
と言うと
「そうか」
と言って、桜井の金借りに私がついていったように刑事のほうで一方的に書き、

 次に刑事が、
「お前らは、玉村さんの家へ何回行った」
ときくので、空想で
「1回じゃないかな」
と言うと
「2回じゃないのか」
ときくので、なんだかおかしなことを言うなと思いながら、
「1回ですよ」
と言うと
「嘘言うな、桜井は2回と行っているぞ」
と言うので
「それじゃ2回でいいです」
と答えると刑事は、
「どこをどう通って玉村さんの家へ行った」
ときくので、どう答えたらいいのかなと考えたけれど、
まあ適当に言っておけと思い
「郵便局の前を通って、横町を左折して行った」
と言うと
「そうか」
と言い、さらに

「桜井が借金を申し込んでいるとき、お前は何をしていた」
と言うので
「俺は、何をしてたかなあ」
と考えるふうをすると、刑事は
「入口のところで待っていたのは、わかっているんだ。そのときのことだ。」
と言うので、
何か言わなきゃしょうがないと考え、空想で
「石ころでも投げて遊んでいたかな」
と答えると
「桜井は、どの位してもどってきたのか、金は借りられたようだったか」
ときくので、どう答えたらいいのかな、桜井はどう言っているのかな、刑事らが玉村さんの家に私と桜井が2度行っていると言っていることなどを考えると、1回目には借りられず、1度引き返してもう1度行ったと桜井は言っているのだろうと考え、空想で

「借りられなかったようだ」
と言うと
「それからどこへ行った」
ときくので、空想で
「もときた道をもどって栄橋のところへ行った」
と言うと
「そうか、そこで何を話した」
と言うので
「何も話さない」
と言うと
「じゃ2回目の借金の相談をしたのはどこだ」
ときくので、
面倒くさいので栄橋のところにしておこうと考え、
「栄橋のところだ」
と言うと
「そうか」
と言い、さらに

「それは、どっちが言い出したんだ」
ときくので
「俺は金を借りる必要ないのは、わかっているでしょう」
と言うと、刑事らは
「じゃ桜井だな」
と言い、そのように書き込み、さらに刑事は、
「今度は、どこを通っていった」
ときくので、何と答えたらよいのかな、
俺はわかんねえよ、面倒くさいなという気持ちと、この調べを早く終らせるには、刑事らに合わせていけば早く終わるだろうから、面倒くさいことは適当に合わせていこうという気持ちでした。

そこで、今度はちがう道を通って行ったと言っちゃえと思い、
「車寿司の脇の細い道路を通って行った」
と言うと、そのように書き、
「今度はだれが借金を申し込んだんだ」
ときくので、
「桜井じゃないのか」
と私の方から逆にきくと
「じゃお前はどこにいたんだ、外か、桜井はどうやって玉村さんの家へ入ったのか」
ときくので、
現場については事件発覚後見て、外回りのことはだいたい知っていたので、
「ガラス戸をあけて入ったんじゃないのかな」
と言うと

「それから中の様子はどうだった」
ときいてきたので、こんなことわかる訳ない私は、
「わからない」
と言うと
「今度はすんなり借りられたようだったか、それとも借りられないようだったのか」
ときくので、
この事件は強盗殺人なんだから、借りられなかったようだと答えたほうがいいんだろうなと考え、
「借りられなかったようだ」
と言うと、刑事は、
「それでお前はどうした。お前も桜井のすけだちに入っていったんじゃないのか」
と言うので、刑事がそう言うのならそのように合わせておこうと思い、桜井と同じ所から入っていったようにされました。

すると今度は、
「部屋の中はどうなっていたか」
とはくので、部屋の中などへ入ったことのない私は、
「そんなことわかる訳ないだろう」
と言いました。

 ここまでの調べは、比較的スムーズに進みました。なぜならほとんど空想で言えることであり、わからなければ
桜井がこう言っているという刑事の誘導があるからです。しかし、これからの調べは全く知らないことであり、調べは進まなくなってしまいました。私は犯人ではないので、家の中のことなど答えられるはずがありません。

しばらく無言でいると、
「しょうがないな」
と言いながら、久保木が机の引き出しから現場の図面を取り出し、それを見ながら
「すぐ上ったところは、タタミか板の間かわからんか」
と言いながら、図面を私に見えるように置いたので、私がチラッと見ると、
「ああ見せちゃダメダ」
と言いながら隠す。

 そして、大木がノートに『タタミか板の間か』と書き、
「さあ、このどっちか選べ」
と言うので、私はでたらめに
「タタミ」
と言うと、
「ちがう」
残っているのは、板の間しかないので
「板の間」
と言うと、
「そうだ」
と言って、手前は板の間で、奥に八畳間くらいの部屋があったというところ位までは、刑事の誘導でわかりました。

「それから玉村さんと桜井はどうしていた。もめていた様子はなかったか」
ときくので、空想で
「もめていたのかな」
と言うと、
「それで、お前はどうした。お前の性格からして、黙っている訳ないだろう。」
と言うので、どう答えたらいいのかなと考えていると、
「お前がいつもケンカしている要領を言ってみろ」
と言うので、いつもの要領で「けったり」「なぐったり」したというようにされました。

さらに刑事は、
「お前らにそんなことされて、玉村さんは黙っていたのか」
と言うので、この場合どんなことを言ったらよいのかなと考えました。そして空想で、
「この野郎ら助けてくろ」
と言ったと答えました。

 そう答えてから、この言葉はなんかおかしいな、と自分で思いました。なぜなら「この野郎ら」というのは、ケンカをかう言葉です。「助けてくろ」という言葉は、哀願して助けを求める言葉です。ですから、「助けてくろ」という言葉が出るならば、「お前さんら助けてくれよ」とか、私たちを刺激しない言葉を使うはずです。
 
 また、ケンカをかう「この野郎ら」というなら、「この野郎らやってやる」とか、「この野郎らまけないぞ」とか、「この野郎ら警察に言うぞ」とか言うはずです。このケンカごしの言葉と、哀願調の言葉がくっついたことを玉村さんが言ったと答えてから、おかしいなと思ったのですが、
『まあいいや、面倒くさい、このままで通しちゃえ』ということで、こんな調書ができたのです。

「それからどうした」
ときかれるので、どう言ったらよいのかな、何をなんて答えたらよいのかと思案するばかり、すると刑事は、
「玉村さんにさわがれては困るんじゃないのか、玉村さんの口封じに何かしなかったか」
と言うので、どう答えたらよいのかと考えると、そうだ、
確か事件発覚後の町の噂で、玉村さんはさるぐつわをされていたと聞いていたっけ、とそれを思いだし、
「さるぐつわをした」
と言うと
「さるぐつわ?そんなものしてないよ」
と刑事が言うのです。

「じゃなんですか。わからないから教えて下さいよ」
と私が言うと、
「さるぐつわじゃなくてな、口の中に布が入っていたんだよ」
と教えてくれたのです。そしてさらに、
「その布は何だかわかるか」
と言うので
「わかりません」
と言うと、刑事らは二人で目顔を合せ
「まあいいか」
と言っていました。

「その布はだれが口の中へ入れた」
と言うので、
「俺は知らない」
と言うと、
「桜井はお前が入れたと言っているぞ」
と言うので、
「桜井が本当にそんなこと言っているんですか」
ときくと、
「ああ、そう言っている」
との返事。

桜井がそう言っているならそれでいいや、
桜井に合わせておけば、面倒くさい調べをされないですむからと考え、
「じゃ、俺が入れたことにしておいて下さい」
と言うと、
「布は簡単に入ったか」
ときくので『どう答えるべきかな、人間が必死になって抵抗しているときに、簡単に入ったといったらおかしいだろうな』と考え、空想で
「なかなか布が入らないので、ひまをとった」
と答えました。

「それからどうした」
ときくので、もういやになってしまった私は、
「俺は、わかんねえよ。頭こんがらがってしまった。好きなように書いてくれ」
と言うと、刑事は、
「まあ、そう言うなよ」
と言ったのです。

それでも、私がだまっていると、
「人間殺されそうになったら、あばれるだろうな。それをどうやって押えたんだ」
ときくので、あばれるか、それもそうだなと思い、
「昌司は、どう言ってる」
ときくと、
「杉山が体を押えていた、と言っているがどうだ」
と言うので
「どうでもいいや、そのように書いてくれ」
と言うと、刑事は、
「そのとき、玉村さんの足のほうはどうなっていた」
ときくので、あばれている人間なんだから、足はバタバタやっているかもしれないなと考え、空想で、
「足をバタバタやっていたので押えた」
と適当に言うと、刑事は、
「足は桜井がしばったらしいな」
と刑事が言うので、桜井がそう言っているのかなと思い、それならそれに合わせておこうと考え、
「そうです」
と答えたのでした。

すると今度は、
「首をしめたのはどっちだ」
ときくので、
「俺はそんなこと知らないし、しない」
と言うと
「じゃ桜井か」
と言って、桜井が首をしめたように書き、
「桜井はどのくらい首をしめていた」
と言うので、
「俺はわからない」
と言うと、
「1時間も2時間もしめていたわけじゃあるまい。適当な時間を言えよ」
と言うので、私はどのくらいの時間首をしめたら人間は死ぬのかなと考えたが、わからないので適当に、
「じゃ15分位か」
と言うと、15分くらい首をしめていたら死んでしまった、と書かれていったのです。

さらに刑事は、
「死体に何かかけなかったか」
と言われたので、
死体に布団がかけてあったということは、町の噂で聞いていたので
「布団をかけた」
と答えると、
「なぜかけた」
ときくので、
「町の噂で死体に布団がかけてあった、と聞いていたからかけたと言ったので、なぜかけたのか私にはわかりません」
と言いました。この布団かけについては、町の噂で「布団を死体にかけて、寝ているような偽装工作がしてあったんだ」ということを聞いていたことと、私の母が死んだときのようす等を思い出し、それを参考にして付け加えました。

 それから、刑事らは、
「金はいくらとった」
ときくので、答えようがないので
「とらない」
と言うと
「そんなことないだろう、現場が物色されていたんだぞ。さあいくらとった」
というので、私はどう言ったらよいのかと考えました。考えているうちに、「400万円位とられたらしい」という、町の噂を聞いたことを思い出し、
「400万円とった」
と答えると、
「そんなにあるわけないだろう、さあいくらだ」
ときくので、私は全く答えようがないので、黙っていました。

すると刑事は、
「なあ杉山よ、大体でよいんだ。ン万円と言えよ」
と言うので、私はン万円といったって、何万円と言えばよいのかなと考えました。そのときふと、私が家においてある預金証書の額面のことを思い出しました。あれは確か10万円の証書だったな、そうだ10万円と言っておこうと思い、
「それじゃ、10万円ぐらいか」
と言うと、刑事らは納得顔でノートに書きました。

さらに、
「その金は、どこにあった」
ときくので、これはどう答えよう困ったなと思い、考えてみました。
 
 私は、自分で一人暮らしの経験から、預金証書など自宅のタタミの下へ隠しておくし、たしか
町の噂でも「タタミの下が、ぶん抜けていて、その下から箱に入っていた金がとられたらしい」と聞いていたので、どこでもいいや、そのように答えておこうと思い、
「タタミが下へ落ちていたので、そのタタミをもち上げてみたら、箱に入った金があったので、そこからとった」
と言うと、そのように刑事が書きました。

「その箱は、どのくらいの大きさだった」
ときかれたので、わかる訳ないので、適当に空想で答えました。
「そのとき桜井は、どこを物色していた」
ときくので、昌司のことなんか知るもんか、と黙っていると、
「さあどこだ」
と、さらに厳しくつっこんできたので、
昌司のほうもどこか物色していたと言わなくちゃ、刑事は納得しないだろうな、どう言ったらよいかなと考えて、
「他をかったてていた」
と言ったのです。

「それからどうした」
と言うので、
「どうもしないよ」
と言うと、刑事は、
「どこから逃げたんだ」
ときくので、どこからってどこかな、ガラス戸をあけて入ったと言っているんだから、そこから出るしかないんじゃないかな、と思っていると、
「お前ら、現場のマドから出入りしたことはないか」
ときくので、
「そんなことはない」
と言うと、
「おかしいな、マドから出入りしたあとがあるんだがな」
と言うので、何のことを言っているんだろうと考えました。

 刑事らは、この点についてしつこく追求してきます。そうだ、
町の噂で「マドがぶち破られて、そこから入ったように偽装工作がされていた」と聞いていたことを思い出し、あの町の噂がこれだったかと考え、
「マド、マドってどこだ」
と言うと、
「便所のマドだよ」
と刑事が言うので、
「じゃその窓から出たかもしれない」
と刑事らに合わせると、
「だれが出たんだ」
ときくので、
「俺は出ないよ」
と言うと、
「桜井のほうが小柄だからいいかもしれないな、桜井にしとくか」
と言って、桜井が窓から出たとされ、さらに桜井が私に命令することなど絶対ありえないことを刑事の作文で、私が桜井に言われて、靴をうらに持っていったというように決めてしまったのです。

さらに刑事は、
「そこでだが、家のなかに何があったか覚えているか」
ときかれたが、覚えている訳ありません。
犯人ではないのですから、全く答えようがありません。調書に「詳細については、第三図に記しましたが・・・」と記載されていますが、これが家のなかの詳細なことを語っているといえましょうか。本箱とか、いろいろなものがあって雑然とか、和タンス、タンス様のもの、茶ダンス様のもの、道具箱のようなもの、とかあるように、何々のようなものというのが大半で、真実犯人ならこんな調書になるはずがありません。もっとくわしく覚えているはずです。これらの点については、図面作成のところでもう少しくわしく取り調べの模様を説明したいと思います。

 次に、
「どこをどう通って逃げた」
ときくので、どう答えたらいいのかなと考え、2回目の借金を申し込むときに通ったという道を逆にもどって逃げた、と言ったほうが、面倒くさくなくていいやと思い、渡辺和夫の家の脇を通って、車寿司のところを通って利根川へという道順を答えると、
「お前、タタミの下からとったという箱は、相当大きいんだろう。そんなもの持っていたら、怪しまれるんじゃないか、どうしたんだ」
と言うので、それもそうだな、それじゃ早いうちに川へ捨てたと言っておこうか、またその箱はシャツのなかへ入れて逃げてきたと言っておこうと思い、そう答えました。

すると刑事は、
「とってきた金はどうした。二人でわけたのか」
ときくので、分けたと言ったほうがよいのかな、じゃ適当に10万円の半分づつ分けたと言っておけ、と考え
「半分桜井にやった」
と答えると、
「桜井がとってきたものはわからんか」
ときくので、
「わかりません」
と言うと、
「桜井も物色してたんだろう。とったはずなんだがな。桜井のほうが金ほしくて、桜井の借金話しから、この事件はおきているんだからな」
と言うので、そんなにとったと言わせたいなら、空想で適当に言っておけと思い、
「2万円ぐらいとってきたようだ」
と答えると、
「そうか、そうか」
と喜んで書いていました。

さらに、
「その晩は、どこに泊まった」
ときくので、泊まったところは本当のことを言っておこうと考え、
「桜井賢司の借りている光明荘アパートに泊まった」
と言うと、
「桜井はどうした」
ときくので、そのときは、まだ桜井がこの晩光明荘にきたことを思い出してなかったので、適当でいいやと考え、
「我孫子か千住で別れた」
と、真犯人でしかも共犯者なら、どこで別れたか忘れるはずないことを、我孫子か千住で別れたという、あいまいな調書が作成される調べでした。

 これまで書いてきましたような調べをしてから、調書が作成されていくのですが、この時点ではまだ調書にされてはおりません。これまでの調べで、刑事と私の間でやり取りしたことが、大学ノートに全部書いてあります。それでその大学ノートを見ながら、久保木刑事が罫紙の裏におおざっぱな下書きを自分で作成するのです。

 この下書きを作成している間に大木刑事が、
「図面を書いてもらう」
と言って、わら半紙、鉛筆、定規、消しゴム、ボールペンを用意して、
「まず最初に、玉村さんの家へ借金に行った道順を書いてもらうからな。まず鉛筆でかけ、鉛筆なら間違っても消せるし、書き直せるからな」
と言い、書かせられたのです。それで栄橋から布川の図面を書かせられるわけですが、布川の地図ですから、教えられなくても犯人でなくてもわかります。

地図を書くのが終わると、
「点線で、栄橋から玉村さんの家までの道順を書け」
これも調べがすでに終わっているので書けます。
「こちらの点線に最初の道順、帰りも同じと書け」
「こっちの点線には2回目に言った道順、にげるときも同じ道順と書け」
「佐藤治と別れたとこはどこだ」
ときくので、空想で
「ここだ」
と言うと、
「じゃそこに佐藤治と別れたところと書け」

「サイフと箱を捨てたところはどこだ」
ときくので、これも空想で、
「ここだ」
と言うと、
「じゃそこへ、ここへサイフと箱を捨てたと書け」
と言い、刑事の言うとおり書き、でき上がりです。

「次に、はじめに金をかりに行った図面というのを書いてもらう」
「要領は前と同じ、玉村宅の外回り書けるか」
と言うので、事件発覚後に見ているので、
「だいたいはわかる」
と言うと、
「じゃ書いてみろ」
と言われ、書かされました。これも外回りだけですから、比較的簡単に書けます。

それが終わると、
「ここに私がいたところと書け」
「ここに玉村さんと桜井が、金借りの話をしたところと書け」
と言って終わりです。

 さて、問題は第3図です。
「今度は、玉村さんを殺して金をとったときの図面というのを書いてもらう」
「まず家の外回りを書いてみろ」
というので、第2図で書いているので書けます。

「部屋ん中は、どうなっていた」
ときかれたのですが、わからないので書けません。
「書けません」
と言って、しばらくじっとしていると、
「しょうがねえな」
と言って、机のなかから図面をひっぱりだし、刑事がその図面を見ながら、
「すぐ上がった所は、どうなっていた。板の間だったな。その板の間を、縦でも横でもいいから線ひっぱって書いてみろ」
と言うので、定規をあてて適当に線を引くと、
「ああそれじゃだめ。消しゴムで消せ、書き直し」
というぐあいです。

これを何度も何度も繰り返し、やっと家の間取りが終わると、
「家のなかに何があった」
と聞くので、
「わかりません」
と答えると
「普通の家で、家のなかに何がある。思いつくものを言ってみろ」
と言うので、普通の家庭であるものって何かな、と考えました。

 まず、タンスなんかはどこの家庭でもあるなと思い、
「タンスかな」
と言うと、その適当に答えたことに刑事は喜び、
「当たった、そうだ、タンスだけど、その位置はどの辺だ」
ときくので、適当に
「ここかな」
と言って書くと、
「ちがう、ちがう、ほれ消しゴムで消してやるから、よく考えて書き直しだ」

次に、
「ここかな」
と別の所へ書くと、
「もうちょっとはしのほうだな、消して書き直せ」
です。そんな調子で、やっとタンスの位置が決まると、
「あとは何があった」
ときいてきます。

「全然わかりません」
と言うと刑事は、
「しょうがないな」
と言って、これからはほとんど誘導です。
誘導されても、わからないものは書けません。それで何度も何度も書き直し、やっと書き上がったものが第3図です。

 現在、弁護人から差し入れられた検証調書と比較してみると、あれだけ苦心しながら書いた図面でも、現場の事実とはだいぶ違っているなと思います。また、
犯人なら当然わからなければならない、書けなければおかしいガラス戸や扇風機、死体の位置のちがい等々、全く書けないということからみても、私が犯人ではないことの証しです。

 図面作成が終わると、今度は正式な調書作成になりました。久保木が自分の書いた下書きを見ながら、どんどん書いていきます。そのところどころで、確認のためか私に聞くこともあります。

 そして、調書作成が終わりに近づいたとき、
「今から2点ばかり、もう一度確認することがあるので聞くからな」
と言い、
「先程、28日の夕方に我孫子駅で佐藤治と会ったというけど本当か」
と言うので、
「会ってないです、会ってないけど刑事さんのほうで桜井が会ったと言っているというから、じゃそれでいいやと思って合わせたんじゃないですか」
と言うと、
「じゃ本当のことはどうなんだ」
ときくので、
「会ったのは別の日で、場所も時間もちがいます」
と言うと刑事は、
「じゃ訂正するから」
と言って、調書のなかで訂正したのです。

「それともう1点、玉村さんの家へ金借りに行くときに通った道順のことだが、1回目は郵便局の前を通って行きも帰りも同じ、2回目は車寿司のところの裏通りを通って行きも帰りも同じということだが、間違いないか」
ときくので、間違いもなにも、全くの空想なのですから答えようがありません。ただ、
また違うことを言うと調べが続き、面倒くさいので、
「間違いありません」
と言うと、
「そうか」
と言ってました。それで調書の最後の部分は、刑事のほうで文章を作って記したのです。これが、42・10・17日付調書がどうやってできていったか、その作成過程の取調べの説明です。

2. 昭和42年10月24日付調書作成の過程について

 この調書は、犯行の模様について記載されている重要なものです。

 犯人ではないものが、なぜこんな調書が作れるかという疑問を解明するために、その作成過程の調べの模様を説明したいと思います。
 この時の調べ官は、42・10・17日付調書を作成した久保木刑事ではなく、
森井刑事に替わっています。
この日の調べの最初に、
「桜井ほうで、どうしても金を作らなければならない必要性があったのではないか、競輪で遊ぶためばかりの金策ではなかったのではないか」
と刑事は、私に問い詰めました。これを聞いた私は、何故こんなことを言うのだろうと思いながらも、
「これまで競輪で遊ぶための金借りとなっているんだからそれでいいでしょう」
と言うと、
「いやそれではだめだ。何かあるだろう」
と言われたので、何か言わなくちゃしょうがないのかなと考えました。

 すると、光明荘にいるころ、兄の賢司が私に言っていたこと等を思い出し、真偽とりまぜて話しました。これは事実です。しかし、昌司の金工面を手伝ってやる考えになったという部分は、全くのでたらめです。その証拠に、42・10・17日付調書やこれまでの調書では、全部明白の競輪遊びをするための金借りの相談にのってついて行ったとなっていることが、この24日付で、突然金借りについての理由が変わってきますことからも明らかです。

さらに刑事は、
「2回目の金工面の相談をした場所をもう一度きくが、昨日言ったところと違うんじゃないか」
と言うのです。
「昨日言ったとおりだよ」
と言うと、刑事は、
「桜井は、相談した場所が違うと言っているんだがな」
と言うのです。
「桜井は、何と言っているんですか」
ときくと、
「桜井は、土手の下へおりたと言っているぞ」
と言うのです。

そう言われた私は、
「桜井がそう言っているなら、それに合わせてください」
と言うと、私があまりにもあっけなく桜井の言うとおりにしてくれと言ったので、あっけにとられたのかどうかわかりませんが、刑事は、
「じゃ、1か所にじっとしていたわけじゃなく、おりたかもしれないとしておくか」
と言って、あいまいな書き方をしたのです。

 ここでちょっと、調べ官が替わると調書の書き方も若干変わるということを、ひとつ説明します。
久保木の時は、
「金借り」
という言葉で調書が作成されます。
森井になると、金借りではなく
「金工面」
という言葉に変わります。これは私が言った言葉ではなく、
刑事のほうで作った作文なので、こういうように調べの刑事によって文章がかわってくるのです。

 さて、さらに刑事は、
「それから玉村さんの家へ行ったんだな」
と言うので、これまでどおり
「はい」
と答えると、
「桜井は、すぐ家の中へ入ったのか、それとも外で話してから入ったのか」
ときくので、どう答えたらよいのか考え、外で話してから入ったなんて言うと、どんなことを話しているようだった、なんてまた聞かれるし面倒くさい、すぐ上がったようにしちゃえと思い、
「ガラス戸をあけてすぐ上がった」
と答えました。

「家の中の様子はどうだった」
ときくので、
「様子というと」
と私が聞くと、
「いや中で、玉村さんと桜井でもめていたような感じか、ということだよ」
と言うので、それまでの調書で、2回目の金借りに行って玉村さんを殺したとされているので、もめていたとしなくちゃ話が成立しないだろうと考え、
「もめていたようだった」
と言うと、
「どんなことを言っていたようだった」
と聞くので、そんなこと言われてもわかる訳ない私は、しょうがない、空想で言っちゃえと思い、
「何回も来てもだめだと言っていたようだった」
と答えると、
「それをきいて、杉山は中をのぞいたのか」
ときくので、
「俺は、のぞきじゃねえぞ」
と言うと、
「まあまあ、中を見たんだろう」
と追求するので、どうでもいいや、刑事の言うとおりにしておこうと考え、
「はい」
と言うと、
「中はどうなっていた」
と聞くので、
「中の様子なんてわかりません」
と言うと、
「手前が板の間なのは、これまでの調べでわかっているな。その奥は、タタミだったか板の間だったか」
ときくので、わからないから考えているふりをすると、
「タタミ、板の間、どっちだ」
とノートに書き、

私は、手前が板の間だというんだし、こんどはその奥は何だったと聞くからには板の間じゃないんだろうなと考え、
「タタミだったかな」
と答えると、
「そうだ」
と言い、次に
「電気はついていたか」
ときくので、夜だからついていたと答えたほうがいいんだろうなと考え、
「ついていた」
と言うと
「その奥の八畳間の部屋と手前のタタミの部屋との仕切りは、何だった」
ときくので、私はわからない、答えようがないのでだまっていると、

「ガラス戸、ふすま、しょうじ戸、この3つのうちどれか選べ」
と言うので、私の家はふすまなので、
「ふすまかな」
と言うと、
「ちがう」
「じゃ、しょうじ」
「ちがうだろ」
残ったのはガラス戸ですから
「じゃガラス戸か」
と言うと、
「そうだ」
と言いました。私はこのとき、田舎の家のほとんどが仕切りにはふすま戸かじょうじ戸なのに、ガラス戸なんておかしな家なんだな、と思ったものです。

さらに刑事は、
「お前が見たとき、桜井と玉村さんはどの辺にいた」
と言うので、これは全くの空想で答えました。それから、
「玉村さんは、どんな服装をしていたか」
ときくので、事件後の新聞の顔写真と、大工だということも聞いているし等と考えていると、
「メガネかけていたか」
ときくので、メガネ、たしか新聞で見たときかけていたな、年も60過ぎだというし、かけていたと答えたほうがよいだろうと思い、
「かけていた」
と言うと、
「どんなもの着ていた」
ときくので、大工というとだいたいスタイルは決まっているな、しかしわかんねえな、と考え
「わかりません」
と言うと、
「よく考えてみろ。大工が背広でもあるまい、仕事着だろうな。じゃまず上はどんなシャツ着ていた」
と聞いてきます。

大工スタイルといっても、夏だし下着とでも答えたほうがよいかなと考え、
「下着みたいなシャツだった」
と、みたいなシャツとあいまいに答えると、
「何色だ」
と言い、
赤、青、白、とノートに書き、
「このなかから選べ」
と言うので、赤シャツ、これはないな、青シャツ、これもないだろう。白が一番可能性があるなと考え、
「白かな」
と答えました。

「ズボンはどうだ」
と言うので、作業ズボンと言ったほうがいいだろうなと考え、
「作業ズボンだった」
と言うと、
「色は」
ときくので、作業ズボンといえば、ネズミ色かカーキ色だろうと考え、適当に
「ネズミ色」
と言いました。

すると刑事は、
「それで、今度は杉山も上がっていったんだな。杉山の性格からして玉村さんと桜井がもめているのを見て、頭にきただろうな」
と言い、その場の情景については、刑事の言うことに私の空想をまじえて書かれていきました。

すると今度は、
「杉山が玉村さんをけとばしているとき、桜井はどうしていた」
ときくので、二人での犯行ということになっているので、桜井も何かしているように言わなくちゃ、刑事も納得しないだろうなと考え、
「桜井は、玉村さんの顔をなぐった」
と言うと、
「そうか、そのときに玉村さんのメガネがとんだんだな」
と刑事は言っていました。

 ここで調書には図面を作成したように記載されていますが、これは違います。図面は、一応の調べが終わったあと、調書を清書するまでの間に、森井が大学ノートを見て、下書きの整理をしている間に書かされたので、図面作成については、後で説明します。さらに刑事の調べが続きます。
「お前ら二人に暴行されて、玉村さんはどうした」
と言うので、どう答えたらよいかと考えていると、
「倒れたのか」
と刑事が言うので、
「そうです」
と合わせると、
「どっちを向いて倒れた」
ときくので、わからないのでだまっていると、刑事が現場の図面を見ながら、

「頭は道路のほうで足が東向き、頭が東向きで足が道路のほうのどっちだ」
ときくので、このうちどっちを選べばよいか、たしか42・10・17日付図面では、足が道路側、頭が東向きだったなと記憶をたどり、
「頭が東向き、足が道路のほうを向いて倒れた」
と答えると、
「そうか、そうか」
と言って、さらに
「倒れた場所はどの辺だ。17日に書いた図面より、もっと八畳間と四畳間の仕切りに近い所じゃないか」
と誘導するので、それなら刑事の言うことに合わせておこうと考えて、
「そうかもしれません」
と言うと、
「そこでお前が玉村さんの体をおさえたのだな」
と言うので、42・10・17日付の調書に書いてあるようなことを、くりかえして答えたのでした。

 また、ここで殺意をいだいたと記されていますが、これは刑事が、
「そこまでやっちゃ、警察は近いし顔は見られたし、ここで殺しちゃおうと思ったのじゃないか」
と誘導したので、それに合わせたのです。さらに刑事は、
「それからどうした」
ときくので、
「どうしたって聞かれたって、わからないよ」
と言って、答えようがないのでだまっていると、
「口の中へパンツを入れたんだろう」
と言うのです。

 この口の中へ入れたパンツというのは、42・10・23日の調べのときまで、何が口の中へ入っていたのか全くわかりませんでしたが、23日の調べのとき逮捕状を見せられて、その逮捕状に
 
口の中にパンツ・・・・
と書いてあり、その逮捕状を見せながら刑事は、
「ほれ、パンツだということがわかったか」
と言っていました。それで初めてわかったのでした。

さらに刑事は、
「そのパンツはどこにあった」
ときくので、それは全くの空想で、
「手の届くところにあった」
と、さもはいこれをどうぞの位置にあった、というようなことを適当に言ったのです。

「どうやって口の中へ入れた」
と聞かれた私は、どう答えたらよいのかと考えました。無理に口を開かせるにはどうやったらよいかと考えていると、刑事が、
「自分の口でやってみろ」
と言うので、自分の口を手で押してみると、左右のあごの部分を押すと口が開きましたので、
「こうやって入れた」
と答えると、
「それから桜井が足をしばったのだな」
と言うので、
「そうです」
と答えると、
「お前も手伝ったんだな」
と言うので、42・10・17日付調書にそのように記されていますので、それに合わせると刑事は、
「桜井が足をしばった布は何だ」
ときくので、
「わからない」
と言うと、
「どこから持ってきたかわかるか」
ときくので、
「わかりません」
と言うと、
「玉村さんの足は素足だったか、くつ下はいていたか」
ときくので、
「わかりません」
と言うと、
「くつ下はいていたんだよ」
と刑事が教えて、さらに

玉村さんの足のしばり方は、左利きの人間のしばり方だったんだが、お前は右利きか左利きか」
ときかれたので、
「右利きです」
と言うと、
「桜井はどうだ」
「確か右利きだと思う」
と答えました。

 それから、玉村さんの体を押えたことは、刑事の誘導から全くの空想で答え、
「桜井が首をしめたときに死んだ、とお前はわかったのか」
ときくので、どう答えたらよいのかと考えて、空想で答えたのです。

さらに刑事は、
「玉村さんの首のところになにかまいてなかったか」
ときくので、刑事がそう言うからには何かあったのかなと考え、何を言えばよいのかな、わかんないな、適当に白いきれとでも言っておこうかと考え、
「白いきれみたいなものがあった」
と言いました。

すると、
「そのとき、玉村さんの頭のところのタタミがどうかなっていなかったか」
ときくので、何かなと考えてみると、ああ町の噂で聞いていたタタミの下がぶん抜けていた、ということだろうと思い、42・10・17日付でもちょっとふれられていたことだろうと考え、タタミの下の木が折れて落ちていたと刑事の誘導もあって、答えることができたのです。

さらに刑事は、
「玉村さんの死体をどうかしなかったか」
ときくので、これも考えました。すると、
町の噂で死体に布団が掛けてあって、寝ているように偽装工作がしてあった、と聞いていたことを思い出したのです。それで、その町の噂のことを話すと、
「そんな噂があったのか」
と言われ、
「じろゃ、布団掛けたんだな」
ときかれたので、
「そうです」
と言ったのです。

「そのとき、桜井は玉村さんのズボンのポケットをさぐっていた様子はなかったか」
ときかれたので、
刑事の言うとおりにしようと思い、
「あったかもしれません」
と適当に合わせました。さらに、
「死んだ玉村さんの体を横向きにしなかったか」
ときくので、刑事がそう言うからには横向きになっていたのかなと思い、
「しました」
と答えると、
「二人でか」
と言うので、そのように答えておこうと考えて、
「二人で横向きにした」
と言ったのです。

「それからどうした」
と言うので、
「どうもしない」
と言うと、
「金を探したんだろう」
と言い、さらに
「お前はどこを探した」
ときくので、42・10・17日付調書どおりに、
「タタミの下を探した」
と言うと、
「お前な、よく考えてみろよ。タタミの下に金なんかなかったんだよ。ちがう所だろう」
と言うのです。これで私は答えようがなくなってしまいました。町の噂は違うんだろうか、噂なんてあてにならないのかも、しかしどう答えたらよいのだろう、わからない、沈黙です。

すると刑事は、
「玉村さんの頭の先にある押入れじゃないのか、桜井がそう言っているぞ」
と言うのです。そういうことなら、刑事の言うことに合わせておこうと考え、
「そうでした」
と言うと、
「その押入だが、普通の押入れとはちがっていただろう」
と言うので、
「ちがっていた?」
と私がきくと、
「たとえばだな、普通の家では押入れにはふすまとかの戸があるだろう。しかし、ここの押入れには戸がなかったんじゃないか、よく考えてみろ」
と言われたのですが、考えてもわかるはずありません。

すると刑事は、
「しょうがねえな。戸のかわりにカーテンが下がっていたんだよ」
と教えてくれたのです。それから、
「中にはどんなものが入っていた」
と聞かれても、わかるはずがありません。自分の家の押入れには、何がはいっているか考えてみました。まず布団だなと思い、
「布団かな」
と言うと、
「そうだ」

「そのほかに何かなかったか」
と言うので、何があったのかな、わかんねえな、答えようがないな。そうだ、玉村さんという人は、大工だというから箱なんかいっぱい持っているだろうから、箱とでも答えておこうと考え、
「箱があった」
と言ったのです。

すると、
「金はどこにあった」
ときくので、どこにあったと答えるのが一番簡単かなと考え、そうだ布団の間にあったとしちゃえと考え、
「布団の間にあった」
と言うと、
「どんな状態であった」
ときくので、面倒くさいな、どうせ嘘なんだからそんな詳しく聞くなよ、と心の中で思いながら、どう答えたらもっともらしく答えられるか考えましたが、いい答えが思いつきません。面倒臭い、適当に空想で言っちゃえと考え、
「新聞紙にくるんで、サイフの中に金が10万円くらい入っていた」
と答えたのです。

「そのほかには、探さなかったのか」
と聞かれましたが、探したなんて言うと、またねほりはほり聞かれるし、どうせ嘘なんだから簡単に終わってほしいという気持でしたから、
「探さない」
と言うと、
「じゃ、桜井はどこを探していた」
ときくので、どこと言ったらよいのかなと考えると、私の書いた図面からもわかるように、室内にはあと物色するような所は、タンスしかありません。室内にロッカーがあったなんて、全く知りません。ですから、
「タンスを探していた」
としか、言いようがありません。現場のロッカーについては、私の調書には1度も出てきません。
犯人ではないから、室内のことなど知らないからロッカーのことなど答えられないのです。

さらに刑事は、
「現場のタタミの上に、ばら銭が落ちていたんだけど、誰が落とした」
ときくので、
「俺は知らない」
と言うと、
「じゃ、桜井が落としたんだな」
と言っていました。

「それからどうした」
ときくので、
「どうもしない」
と言うと、
「桜井のくつのことだ」
と言うので、42・10・17日付調書で説明済のように、
「桜井のくつを裏のほうにもっていった」
と言うと、
「そのとき、中から桜井が合図しなかったか」
と言うので、
刑事がそう言うからには、そのように合わせておこうと思い、空想で、
「合図した」
と言うと、
「そこは窓になっていただろう」
という誘導があり、窓の下にくつを置いてきたとされました。

 この調書には、窓の寸法等が詳しく記されておりますが、昭和46・8・28日に東京高等裁判所がおこなった検証調書によれば、真っ暗闇で何も見えなかったという検証結果がでております。それなのに、調書には窓の寸法、さらに窓に木のさんがたてに6〜7本あったと記載されていますが、見えないものをなぜ答えられたのでしょう。それは、
刑事の誘導(図面を見ながら「現場の検証図面のことです」)があって答えられた、ということの証しであります。

 これで一応の調べが終り、森井が聖書の下書きを作成している間に、大木に言われて図面を書かされました。要領は、42・10・17日付で作成されたときと同じです。まず、42・10・24日付第3図を書かされました。その図面に、大木の誘導で材木置場、風呂場、建物と記入しました。その後、室内の様子です。すでに調べが終わっているので、大木が、
「ここに押入れと書け。中に何が入っていたんだっけ」
ときくので、
「布団」
と言うと、
「じゃ、ここに矢印して布団が入っていたと書け」
「あともう1本矢印を引いて、押入に金があったと書け」
「ここにも矢印して、柄もののカーテンが下げてあったと書け」
「次に玉村さんの死体を書け」
と言うので、
「どう書けばよいのかな」
ときくと、
「さきほどの調べでわかっているはずだ」
と言うので、私は図面を指差して、
「この辺でいいかな」
と言うと、
「いいよ」
との返事。

 そして刑事は、
「まず頭を書いて、頭はまるでいいよ。死体は横向きだぞ、表向きにな」
と誘導されて書くと、刑事は、
「死体に掛けた布団は何だったっけ」
ときくので、
「確か、さっきの調べで敷布団だったかな」
と、あいまいだったので刑事に確かめると、
「そうだ」
と言い、

さらに刑事は、
「じゃ、矢印して敷布団と書いて、もう1本矢印して毛布をおっつけた所を書け」
と言い、
「桜井が、ばら銭を落とした所はどこだ」
ときくので、全くわからない私は、
「どの辺かな、ここらかな」
と刑事の顔を見ると、
「うん、うん」
と、うなずいていたので、
「どのように書くのですか」
と刑事に聞くと、
「そこに矢印して、昌司が金を落とした場所と書け」

「玉村さんの口の中へ入れたパンツは、どの辺にあったんだ」
ときくので、確か死体の頭の先にあった、と調べで答えているなと考え、
「ここら辺です」
と言うと、
「じゃ、そこに×印書いて、そこから矢印引いて、口へ入れた布のあったところと書け」
と言い、さらに刑事は、
「もっと部屋の中に何かあるんだが書けないか」
と言うので、箱のようなものとか、茶ダンスの様とか全くの空想で書き、さらに刑事が、
「庭のここに○を書け。そして点線を引いて、私が歩いたところと書け」
「桜井と玉村さんが向き合っていた位置、それと杉山が玉村さんをけった位置、うん、ここらがいいな、ここへ書け」
と誘導されて書かされました。

 この図面は、42・10・17日付第3図の図面に、すでに調べが終わっている押入れの様子や死体の様子等々、大木の誘導があって書き加えられた図面です。

 以上、調書の作り方、図面の作り方について説明しました。このほかに多数作られている調書も、全てこれまで説明して参りましたような方法で作成されたのです。このような調べによって、嘘の自白調書が作成されたのです。犯人でなくても、あのような自白調書ができることがおわかりいただけたことと思います。


 目撃証人について

 これまでの裁判所が私たちを有罪とした証拠は、自白調書と目撃証人の供述であることは記録上明らかであります。そこで、ここでは目撃証人について述べてみたいと思います。
 
 事件がおきたとされている日の夜、事件現場付近で二人連れの男を見たという目撃者は、これまでの捜査、裁判を通じて二人おります。一人は小貫俊明、もう一人は渡辺昭一です。
 この二人の目撃者のうち、小貫俊明は、目撃した二人連れについて、
  
  身長、頭髪ののばし具合等から、私と桜井とは全くの別人である

旨の供述をしています。他方、渡辺昭一は、

  杉山と桜井を見た

と供述しています。
 
 このような目撃供述がありますことから、昭和46年8月28日に東京高等裁判所が検証しています。事件発生以来4年後ですから、被害者宅もこわされて、ちがう建物も建っておりますので、もっと早い時期に検察庁なり、第1審裁判所が検証するべきだったと思いますが、このときの検証調書によれば、

 検証調書の(5)元玉村象天方まえ付近における明暗度というところに
  
 (甲)点より2メートルまたは4メートルはなれた道路北西側よりの両者に対する識別状況は、男女別はもちろん、前記蛍光灯の照明により顔も用意に認めうるので、知人であればそれが誰であるか容易に識別できる

と、記載されております。
 これは、渡辺昭一供述にある、杉山と桜井を見たという供述が信用できるかどうかについて、行われた検証でありますことは明らかです。このときの検証によれば、知人であれば識別できるという結果がでています。
 
 それでは、小貫俊明の供述はどうでしょう。
知人であれば識別できるというならば、当然小貫は私の名前を言うはずです。
その理由は、

1. 玉村方の家の道路側に立っていた男を見たこと。

2. その男と顔が向かい合いになったこと、とすれば相当近い距離から目撃したであろうこと。

3. 渡辺は、オートバイで通過した際目撃したというが、小貫は自転車通過であり渡辺よりもゆっくりと見ていく余裕があったこと。その証拠に庭の踏み台にいたもう一人の男と玉村さんの顔まで見たと供述し、その際、どちらのガラス戸が開いていたかまで確実に見て通過していること。

4. 私と小貫は知人であること。

 しかし、小貫俊明は、目撃した男が杉山であったということは、一切供述しておりません。
 第1審公判廷の証言によれば、警察で杉山の顔写真まで見せられたそうです。しかし、小貫はその際目撃した男について、
こんな人ではなかったと言ったと供述しております。これまでに裁判所に提出しております、小貫俊明捜査報告書、検面調書、公判廷での証言等によれば、小貫は道路側にいた男の顔を見たことは明らかです。しかし、この男は小貫の見知らぬ男であったと解するのが、小貫関係の記録、そして東京高裁の検証結果から正しいことであると思います。

 では、
小貫俊明供述渡辺昭一供述のどちらが信用性が高いか判断するに、
小貫については、

1. 事件発覚日にすでに目撃証人として警察から調べられ、そのときの捜査報告書があること。

2. であるから、記憶違い、記憶のうすれ、言い忘れ等はないであろうこと。

3. 当時中学生であり、母子家庭の家計を助けるために新聞配達をしたりしていた真面目な、そして純粋な心の持ち主であったこと。

4. こういう人間であるから、見たままのことを正確に供述したであろうこと。


一方、渡辺昭一については、

1. 事件発覚後の警察の聞き込みに対しては何も供述せず、公判が開始されてから突然登場していること。

2. 渡辺に関する捜査報告書、検面1、2審公判廷での証言によれば、人格的にも疑問の多い人間であること。

3. 前々から窃盗事件等で警察に借りがあり、警察出入りのクリーニング業者であること。


等から判断すれば、小貫供述のほうが信用性が高いことは明白であります。


 結  論

 以上述べて参りましたように、私には人を殺してまでも金を奪う必要性は全くなく、また私と桜井の関係から共犯者として事件を犯すことなどとうていありえないし、ありえない自白は虚偽であり、すでに自白調書の作成方法で説明しましたように、取調官らの誘導強制等によって作られた作文以外のなにものでもありません。

 また、小貫俊明の目撃供述によっても、私と桜井が犯人ではないことが証明されています。

 
事件現場に多数の指紋が残されていたにもかかわらず、その指紋を採取できない鑑識のお粗末さ、殺人事件であれば当然ひきあたりという捜査を行なうべきであるのに、それを行なわなかった不手際、秦鑑定の誤り等、初動捜査のずさんさが真犯人を取り逃がし、私たちをえん罪の苦しみにおとしいれた原因であります。

 
無実のものには無罪判決をと、当然のことを叫び続けています。私たちに再審開始の決定が下されますことを心から願い、最高裁判所の正しいご判断を切にお願いする次第です。


   昭和63年10月

杉 山  卓 男

 最高裁判所第一小法廷

四 ツ 谷 巌 裁 判 長 殿

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