勝手に独り言コラム

目次

自己紹介
国の財政赤字は....
濡れマスクで風邪知らず
再びlinux
石油流出事故、使わない桟橋に45億円
中原会長さんしっかりして!
民生、陽水の「ありがとう」からbrucknerが見える
ある日突然brucknerが
人間万事塞翁が馬
思わぬ誕生日プレゼント
pentium Proは何処へ
苦しみもまた愉し
PROXY SERVER SOFTの誘惑
現実からの逃避
DVD-RAMへの場繋ぎはPDだ!
Memphis 危うし!
バーンスタインのブルックナー9番への思い
コンピュータが谷川、羽生を破るのは何時?
Rock will never die.
キシリトール入りのガム
医歯薬系 ウーマンパワーにびっくり
臓器移植法案可決に思う
テレビチャンピオン 狭山茶のおっちゃんに感動!
神戸の首切り殺人、魔の中学二年、そして、エヴァンゲリオン
老人医療費急増の一端を見た
小学生戦士
インターネットで医療相談
実験動物に思う
再び、中学二年(14歳)
秋葉原、オーディオからPCへ、そして....
PCソフト、生かすも殺すも本人次第
うら悲しい秋の夜長はこの曲を
幼稚園の運動会を見て
猫も杓子もダイエット、私もダイエット
金管奏者は歯が命
Turbo Linux 頑張って!
臓器提供意思表示カード
full CGアニメ「ビーストウォーズ」に米国の底力を見た
PC-UNIXは第3の波になり得るか?
心の教育とはなんぞや?
VAIOを買っちゃった!
ガンの告知について
ビスフェノールA、猛毒とはひどすぎる
中原会長さん筋を通して!
久々のお気に入り女性ボーカル「ナタリー・インブルーリア」
巨人マイクロソフト Linuxにびびる!
久々の生のブル8を聴いて
忍び寄る老化
回虫とアレルギー
Raspberries forever
野良犬
季節は巡る そしてまた秋が.....
介護保険料凍結問題に思う
初めてのオンラインショッピング
クラシックCDリマスタリングに物申す
NT4.0のドライバwin2000に使える?
PCIスロットの怪
無残!ねぎ畑
長岡鉄男氏 逝く
ハートのロックバラードに酔う
パソコンでオリジナルCD
謙虚に使うべきだったWIN2000
朝比奈のベートーヴェンのデジタル録音
近くて遠いブロードバンド
ワールドカップ 祭りの後
スクロヴァのブル8演奏会


スクロヴァのブル8演奏会

(2002 9/17)

 先日、9月12日に、池袋の芸術劇場でスクロヴァチェフスキー指揮 読売日響によるブルックナーの第8交響曲を聴いてきた。コンサートの前にスクロヴァ自身のプレトークがあり、間近にスクロヴァを見て(前から7列目ぐらいの席だった。)、80歳間近という年齢を感じさせない、生き生きとした姿にびっくりした。
 演奏のほうは、金管の一部がやや不調だったが、アルテノヴァのCDの演奏より、緊張感があり、引き締まった素晴らしいものだった。感情、気分で流されることなく、ブルックナーのスコアを、淡々と音にして巨大な構築物を築いていった。私の好きなアダージョにも心置きなくどっぷり浸かることができた。数年前に聴いた高関健の演奏が少々物足らなかった(その後、高関の演奏録音をブルックナー愛好会の例会で聴いた時は、大変よかったが)ので、かなり前に聴いた若杉のブル8以来の素晴らしい演奏だった。

 ヴァント、朝比奈亡き後、数少ないブルックナー指揮者のスクロヴァには少なくともあと10年は頑張ってもらって、素晴らしい、演奏をCDで、生で聴かせてもらいたい。


ワールドカップ 祭りの後

(2002 7/7)

 日韓ワールドカップサッカーは、本当に興奮した1ヶ月だった。特に、前半日本が大活躍した時には、本当にワールドカップが日本で開催されてよかったと思った。サッカーにほとんど興味のなかったかみさんまでも、ドイツの守護神カーンのファンになってしまった。息子の髪型も一時ベッカムカットになっていたのだから。

 しかし、祭りの後、腹立たしいことがひとつある。
それは、試合の行われた競技場の後始末だ。試合の誘致に躍起になり、多額のお金をかけて、新設、あるいは拡張を行なった競技場を、これからどのようにして維持していくかが大変になっている。結局維持費用に赤字が出たら、公的資金の投入。つまり国民の税金が使われるわけだ。
 
 国の借金が700兆円近くあるというのに。大会が終わればこういう事になることがわかっていながら、どうしてそれに対する対策がなされなかったのだろうか。こんなことをやっていたら、一向に借金は減らない。われわれの老後、われわれの子どもにしわ寄せがくる。こんな愚政いつまで続くのか。



近くて遠いブロードバンド

(2001 11/7)

今や、インターネットの世界ではADSLを中心とする、ブロードバンド接続があたりまえ。そして、つなぎっ放しで定額制。しかし、こういった環境も都市部のみ。私の住んでいる市もフレッツADSLが来るという、雑誌の記事を見て、嬉しくて舞いがったのもつかの間、なんと局番が限定されており、市の中心部のみフレッツADSL。周りが畑と田んぼの私の地区にはこないことがわかり、がっかり。せっかく、linuxでルーターを作って用意していたのに。
 NTTに問い合わせたところ、私の地区ではADSLの計画はないとのこと、そして、やっと2002年3月にフレッツISDNがつかえるようになるとのこと。
目と鼻の先がフレッツADSLなのに、私の地区はいまだに、フレッツISDNさえ来ていない。何たる地域差。
在のほうはIT化の波に取り残されていくのでしょうか。


朝比奈のベートーヴェンのデジタル録音

(2001/5/11)

 先日、NHKのホームページを見ていたら、土曜夜のBSで朝比奈隆のベートーヴェンの交響曲全曲演奏が2週にわたって放送されるのを知り、初めて、パソコンで直接デジタル録音をやってみた。朝比奈のベートーヴェンは一度、20年近く昔に生で聴いたことがあったが、それ以来、第九は時々放送されるが、ほかの曲はとんと聴いていなかった。どんな演奏になるか楽しみだった。

 夜12時半ちかくにWIN2000の入った重量20キログラム以上もあろうかと思われるPC本体を、一階から二階にやっとのことで運び上げた。BSチューナーのオプティカルデジタル出力端子を、USB接続のローランド製のオーディオインターフェースに繋ぎ、いざ録音。4時間以上もかかるのでひと眠りして、編集し、CD-Rに焼きこみ、完成した。
 
音のほうは一聴して、すばらしいのに驚く。市販の録音よりクリア。以前は、いったんMDに録音したものをCD-Rに焼いていたが、やはりひと皮むけた感じで、すばらしかった。ただ、いちいち巨大なPCを2階に運ぶのがしんどい。高性能のノートでもあれば楽チンだけどね。0Sは、エラーの出にくく頑丈なWIN2000のほうがMeや98よりいいと思う。途中でエラーが出てせっかく録音したやつがパーになってはもともこうもない。
 
 さて、90歳を超えた朝比奈の演奏は、以前にましてテンポがゆっくりとなり、スケールが巨大になっている。音も分厚い。しかし、クレンペラーの演奏より若々しさがある。アインザッツが合わなかったり、演奏の乱れはあちこちに見られるが、そんなことは全く傷になっていない。スマートで、きれいに、スピード感あふれる現代的な演奏からほど遠いものだが、こんな巨大な演奏をしてくれる指揮者は、現役では朝比奈彼一人でしょう。
 
 今回の演奏で特に気に入ったのは、1番、4番、7番の3曲、特に7番は4楽章以外は、私の好きなクレンペラーを超えている。トリオの部分の一瞬止まるのではないかと思われるテンポにはびっくりした。7番の愛聴盤になりそうだ。1番は、宇野芳功氏のCDに相通ずる巨大さに圧倒。4番も3,5番に挟まれた乙女ではなく、3,5番に劣らぬ巨人である。





謙虚に使うべきだったWIN2000

(2001 1/3)

 昨年4月から、やっとのことでPCを一新した。チップセットをBXにし、AGPのビデオカードを刺し、Celeronの300Aをつかって、HDDも奮発して高速のATA66のIBMの30GBにした。クロックアップも450MHZに難なく成功WIN98を非常に快適に使っていた。
さらには、ドライバも充実してきたので、昨年10月あたりからメインをWIN2000に完全に移行して使っていた。WIN2000は落ちないし安定していてすごく満足していた。

 しかし、その状態は長くは続かなかったのであった。

 その直後からであろうか。時折、WIN2000が立ち上がりの途中で止まってしまうことが起こるようになった。青地に白字でわけわからないメモリーアドレスが出てきて、これがはじめてであれば再起動するよう。そうでなければ管理者に連絡をとるようにとの内容の5,6行の文字が出てきてうんとも寸とも言わなくなる。はじめのころは再起動すると立ち上がることが多かった。いったん立ち上がればWIN2000はすこぶる安定していた。しかし、次第に立ち上がり難くなってしまった。

 どうしようもなくなったので、決心を決めて再インストールしてみたが、インストールは成功するが、また同じ所で止まってしまう。そしていつも同じエラー文字が出現する。いっそHDDを疑ってもう一度領域開放し、パテーションを切り直してインストールしてもまたもや、1,2回するとすぐ立ち上がらなくなる。

 疑い出したらどこがおかしいかまったくわからない。しかし、一番疑わしいのはHDDのような気がする。ためしにそのHDDにWIN98をインストールしようとしたら、とうとう、HDDが途中でアクセスしっぱなしで、にっちもさっちも動かなくなってしまった。

 あんなに快調に動いていたHDDがどうして、不調になってしまったのであろう。WIN2000に移行したあたりから急にだ。HDD自体バイオスからは認識するが、とうとうDOSからも認識しないようになってしまった。クラッシュしてしまったのか。

 3.0からNTを使い込んでいる友人に相談してみた。青地に白字のメッセージはブルーサンダーと呼ばれているきわめて重大な障害メッセージなのだそうだ。メモリーが不良だったり、クロックアップをしていると出てきて、時にHDD自体にも障害を起こす可能性があるとのことであった。

 そうだ。そういえば、WIN2000に移行したときも300MHZをクロックアップして450MHZのままでWIN2000を動かしていた。WIN98では問題なかったが、広大なメモリー空間を管理するNTカーネルでは目に見えないところでエラーが出ていたのかもしれない。WIN2000はWIN98などとは似て非なるものというのはわかっていたが、
視覚的にほとんど差がないのでそういう裏をまったく無視していたのがまずかった。WIN2000はシステム安定の代償にハードにはシビアなことを要求するのだろいう。
確定はできないが、クロックアップのせいでHDD(高くて早かったのに)をおじゃんにしてしまったのだろう。

 現在はおとなしく(?)、謙虚にクロックをもとの300MHZに戻してWIN2000を使っている。HDDは以前に使っていた遅めの8GBのやつを使って。それからというものWIN2000は一回も立ち上がりに失敗したことはない。あのいまいましいブルーサンダーともおさらばしたのは言うまでもない。


パソコンでオリジナルCD

(2000 8/12)


さそっくUA‐30を購入し、USBにつないでWIN98を立ち上げたら、ドライバも勝手に読みこんで難なく認識。 WIN2000でも同様に簡単に認識。あっけにとられてしまった。 さていよいよソフトをインストールした。案の定、録音、波形編集ソフトであるcool edit proは日本語化されておらず、今一つわかりずらい。同梱の説明書もごく簡単なことしか書いていない。ヘルプはすべて日本語化されているが、コマンドリファレンス的で、では実際、デジタル録音を行いたいときはどうすりゃいいのかわかりにくかった。

 はじめMDデッキの光デジタル出力をつないだがうんともすんとも言わない。よく見たらsettigの項目で入力デバイスを選ぶようになっていた。そこで、USBオーディオインターフェースを選ばなくてはならなかったのだ。また、確かに録音するときに44.1kHZ 16bit、ステレオの条件で録音したのに保存してみたら、4bitステレオになっていたり(これは、保存条件を設定すれば解決できた。)、またまたトラブル。もう少しインターフェースが直感的にわかるようにしてもらいたい(これに関しては、波形編集ができるので、細かなカットアンドペースト、音が小さかったときの波形増幅など慣れてくるとかえっていろいろなことができてこれはこれで良いところもあることがわかってきた。)。 ローランドの考え方は、UA-30にはマイク、ギター入力端子もあるし、デジタル録音もさることながら、ミキシングやエフェクトをかけたりして、曲を作っていくように使ってもらうのを意図しているように感じられた。

  なにはともあれ、やっとソフトにも慣れて、先日BSでMDに録音した5月25日演奏のN響、朝比奈のブルックナーの9番をMDからパソコンへデジタル録音してCD−Rに焼いてみることにした。できれば、録音時に何時間だけ録音するというように時間設定ができたり(放っておくとMDが終わってもHDDの空きがある限り録音している。)、タイマー録音ができれば助かるね。特にタイマー録音ができれば夜中起きなくてもいいし(これはオンラインソフトのFreeMacroとウィンドウズのタスクで解決した。)。

 どうにか録音も終了し、各楽章を別ファイルにしようとカットアンドペーストを行ったが、さすが、ファイルがでかいので保存するのに大変だ。HDDは早いやつを用意した方が良いかもしれない。インターフェースもATA66以上が良いだろうね。やっとのことでWAVファイルもできたので、CD-Rにディスクアットワンスで書き込んで無事、朝比奈のブルックナー9番のCDが出来上がった。フォンテックでこの日の録音のCDが出るとかのうわさだけど、うちではいち早く朝比奈ブル9のCDが出来上がったのだ。

 肝心の音だが、オリジナルのMDと聴き比べたが、差はないね。音質はばっちりだ。さすがデジタル録音だ。じっくり聴いてみると下手な市販のスタジオ録音より雰囲気はずっとよかった。音がオフ気味手でかつ鮮明。一安心。  

 さて次は、10年以上前にカセットにエアーチェックしたマタチッチ、N響のブル8、小澤、新日本フィルのブル7、最近MD録音したインマゼールのグレートのライブ録音をCDにしますか。


ハートのロックバラードに酔う

(2000 6/26)
heart

 先日久しぶりに東京に行き、後輩の動物実験を手伝ってきた。実験室には、木曜日に実験を行う(私たちは金曜日)麻酔科の人が持ってきたと思われるカセット,CDプレーヤーがおいってあったので、ちょっと勝手ながら、スイッチを入れて中にあったCD(マドンナの初期の曲のベスト盤)を聴いて実験をやった。結構好きな曲が入っていたので、私もほしくなり、帰りに秋葉の石丸電気のレコードセンターに行った。

 お目当てのマドンナのベスト盤を買い、ほかを物色していたら、ウィルソン姉妹で有名なロックグループ「ハート」の第2黄金期のバラードばっかりを集めたベスト盤があったので、これもついでに、それに、エリックカルメンのベスト盤もあったのでこれも購入。

  この年になるともう進んでびんびんのハードロックは聴きたくないし、かといってAORじゃかったるい。ちょうど今の心境にハートのハードロックバラードベスト盤がぴったり合ってしまった。タイトでハードなビートの上に朗々とアンのすばらしい声が乗っかり、楽曲自体もすばらしく良い曲ばかり、胸にぐっときた。

 「All I wanna do is make love to you」、「Alone」、「These Dreams」なんかを聴いていると、東京から田舎に戻ってきたころのことが思い出されて、懐かしくてたまらなくなる。

 80年代女性ロックボーカルではパットベネターが一番だといわれているけど、このベスト盤を聴くと、アン・ウィルソンのほうが上をいっているような気がする。アンのほうが、声が太く底力があり、声量も一段上をいっている。彼女も来年で50歳。レッドツッペリンの女性版みたいな感じでバラクーダなんて曲を歌っていたころから早、20年以上たってしまった。思い出の中でロックを聴くようになてしまった私も年
なのでしょうか。


長岡鉄男氏 逝く

(2000 6/8)

 5月末の新聞の死亡欄に、長岡鉄男氏死去の記事を見てびっくりした。

  1980年当時は自作スピーカーで頭がいっぱいだった。長岡氏のスピーカー自作の本をむさぼるように読み漁り、物理の実験中に彼の本を読んでいてインストラクターに怒られたことがなぜか懐かしい感じがする。当時のオーディオ評論では、長岡氏は、良いものは良い、悪いものは悪いと独断できっぱり言っていた。ほかの評論家と違っていて、良くも悪くも大変好きだった。

 彼の設計した、バックロードホーンを2種作ったが、私の家では今でも現役だ。後面開放のバックロードホーンは、テレビAV用に。 1980年頃に作った20cm口径用ダブルバックロードホーンは、お蔵に入っているが、来年母屋が完成したら、スピーカーユニットを交換し、まだまだ使うつもりだ。また、彼の計算式で作成したダブルバスレフスピーカーは、私の部屋ですばらしい低音を出している。

 長岡氏は日本の自作スピーカーブームの火付け役で、個性的ですばらしいスピーカーを数多く設計し、やっと自分の設計したリスニングルームが何年か前(10年以上前?定かでない。)に完成し、これからももう一頑張りしてほしかったと思う。
ご冥福を祈ります。


無残!ねぎ畑

(2000 5/25)
両親が丹精こめて作ったねぎもこのとおり。
葉っぱがずたずた。


 昨日の正午頃であった。急にあたりが暗くなってきた。程なく、空には真っ黒な雲が広がり、日中だというのに夜と見まがうほどの異常な暗さになっていった。すると、突然、突風とともに猛烈な横殴りの雨が降りはじめたかと思う間もなく、直径3cmほどの無数の雹(ヒョウ)が北から、ほとんど真横に降ってきた。ヒョウは家の壁や窓ガラスをパチパチと容赦なく叩きつけ、ガラスがいつ割れるか恐ろしいほどであった。

 こんな状態が数分続いたかと思っていると、急速にヒョウ、雨ともやみ、今までの嵐が嘘のように晴れ上がった。ほんの5,6分の出来事であった。

 外に出てみると、あたりは異様な臭いが充満していた。この臭いは、ねぎの臭いだった。私の家の周囲は、出荷を待つばかりになっていた立派なねぎ畑が広がっていたのだが、今回のヒョウによって、無残にも、葉の部分がずたずたになってしまっていた。ねぎの葉が折れて、臭いを発していたのだ。

 ずたずたになったねぎの根元には、無数の飴玉大のヒョウが無数に散乱しており、やや蒸し暑かった気温が、寒気を感じるほどに下がっていた。それから、30分ほどたつと、畑の周りには近所の農家の人たちが集まり、無念そうにずたずたになったねぎ畑を見ながら、今後の対策を練っているようだった。

 親父の話によると、10数年前にも5月のはじめにヒョウによる被害が出て、レタスが全滅になったことがあったそうだ。そのときには、やることが何もなくなってしまったので、近所のだんな連中と佐渡に旅行に行き、ドンちゃん騒ぎをして帰ってきたこともあったそうだ。葉っぱがずたずたになったねぎがどれだけ出荷できるかわからないが、農家の方も、めげずにがんばってほしい。


PCIストッロの怪

(2000 5/16)




 私のPENPRO150MHZのマシンもそろそろ古くなったし、ここいら辺で、WIN2000移行ついでにマザーボードから新しくしようと、値段もこなれたBXマザーにUltra ATA66のチップの乗った ABITのBE6-Uを購入。それにDIMM128MB、安物Celeron300A、ATIRAGE furyPro、realtekチップのNIC、 YMF744のサウンドカードを組み込むことにした。

 組み立ては難なく終了。PCIスロットもIRQステアリングしないように(特にAGPと)。1スロットを避け、 PCI2番にNIC、4番にサウンドカードを刺した。さていよいよWIN200インストール。ブートフロッピーを作っていざスタート。フロッピーも読み込みファイルのコピーに移った。するとどうだ。コピー84%のところでぷっつり停止してうんともすんとも言わない。どうして、クロックアップもしてないのに。どうして。

  気を取り直して、もう一度トライ。おっとまたもや、コピー60%ぐらいでとまってうんともすんとも言わなくなってしまった。くそ。マザーかメモリの初期不良か。じゃ、WIN2000のプレリリースをためしにインストールしてみよう。そしたらどうだ。うまくいったじゃないか。ばっちりだ。うまく動いている。

  またもや気を取り直し、WIN2000インストール。でもまたもや同じ。コピー中に止まってしまった。それじゃWIN2000のCDROMの初期不良そんなことはないだろう。

  もう一度、今度はWIN98を入れてそれに上書きインストールしてみよう。 WIN98無事にインストール完了。さて上書きインストールに行きました。順調にファイルのコピーが進んで、神に祈る気持ちで見ているとやった!最後までコピー終了。さてリブートだ。ところがどっこい今度は、メモリーアドレスどこどこが不良との英語のメッセージが出て、うんともすんともいわなくなってしまった。がちょーん!だめか。

しょうがない。少し休息期間を置きましょう。

そういえば、少し前に、ApolloPro133チップのマザーを買った友人から PCIスロットにNICとサウンドカードを飛び飛びに刺したら、WIN2000がインストールできなかったとのメールをもらったのを思い出した。私はその返事に、ApolloProはくせがあって、IRQステアリングがうまくいかない場合がある旨の返事を書いた。その後、彼は、IRQステアリングを気にせずに、PCIスロット1番から順に間を置かずにNICとサウンドカードを刺したらWIN2000がうまくインストールできたと返事が返ってきた。

  もしや、Apollo固有の問題ではなく、BXチップにも当てはまるのではないか。しかし、ものの本にはPCI1番にはカードをさすもんでない、3番目からさすものだとの格言もあり、疑い半分で、1,2番につめてNICとサウンドカードを刺して、WIN2000をインストールしてみた。そしたらどうだ、まいったね。難なくインストール終了。エラーも出なくてばっちり動いている。 CPUを300から450にクロックアップしてもばっちり動いている。システムプロパティをみるとビデオカードとNICがIRQをステアリングしているが何の支障も出ていない。

これでめでたしめでたしだが、でもどうして。わけがわからん。 PC自作は奥が深いね。


NT4.0のドライバwin2000に使える?

(2000 1/23)

 いよいよwindows2000の発売も後、1ヶ月ほどとなった。 win2000のRC2のCDROMも各雑誌に付録でついており、試せるようになった。さて私も、早速、サブマシンにインストールしてみた。

  YMF724の音源や、RealtekのLANカードも難なく自動認識した。さすがペンタ100の24MBメモリーでは遅いが、機能的にはwindowsシリーズの一つの頂点に達したといって良い。イージーにはwin98的にも使えるし、NTのようにシビアにも使える。ビルゲイツがCEOをやめたのもうなずける。windowsシリーズも実際、これで終わりに近づいた気がしたのだろう。

  一つ、認識できなかったのは、ビデオカードだった。 ARK LogicのARK-2000PVはだめであった。ドライバが2000RC2に入っていない(製品版には入るかもしれない。)。 ARKのサイトにも2000用のドライバは無し、95,NT4.0などの古いタイムスタンプのドライバがあるのみだ。しょうがないので、800*600の16色で我慢していた。

 Microsoftのwin2000サイト(http://www.win2000j.com/)のヒント集の中に、ドライバがない場合はどうするかと言うTIPがあった。その中の答えのひとつとして、βドライバを主に扱っているサイト(http://www.betaos.com/)にβ版があるかもしれないとのことあった。早速そこのサイトに行った。

  ARKのところを探しても残念ながら、β版のドライバは無かった。しかし、このサイトのはじめに、

”The latest Windows NT 4.0 drivers have been reported to work well under Windows 2000 as well, so try the NT 4.0 drivers if possible”

と書いてあった。もしドライバがない場合には、NT4.0のドライバーが使える場合があるようだ。そこで、だめもとで、NT4.0のドライバをインストールしてみた、何回かインストール時に蹴られたが、無理やりインストールしてみたところ、ラッキー! 無事ビデオカードを認識した。これで、高解像度で使える。

  2000用ドライバが無いときには、結構NT4.0のドライバが使えるかもしれない。だめもとでつかって見ては如何かな。自己責任のもとにね。


クラシックCDリマスタリングに物申す

('99 12/19)



最近1960年代以前録音のクラシックの、最新技術を使ったリマスタリング版が出てきている。しかし、最新技術のリマスタリングが必ずしも、良い結果をもたらしていないような場合があり少々がっかりした。
mozart35-39 mozart36-39
ODYSSEY盤 SONY classical盤


 先日、ワルター指揮コロンビア響のモーツァルトの交響曲のCDを買った。一つは中古屋でハフナーと39番、もう一つは新品でリンツと39番、うまい具合に組み合わせが無く、39番がダブってしまった。もとの音源は同じなんだろうが、中古版はCBSのODYSSEY盤でdigitally masteredと書いてあった輸入物。新品のほうは、sony recordsの日本独自企画の日本盤でなにやらDSDという最新技術を使ったマスタリングが行われ、マスターテープそのままの美しい音を再現するとのふれこみであった。

 さて、実際の音のほうはどうだろう。中古盤のほうは、むかしLPで聴いていた音に近い。さすが、LPのようなビリつきや、パチパチがなくすっきりしている。新品のほうは、一聴して、一つ一つの音の粒立ちが鮮明で、特に弦は、皮一枚はがれた感じで、音の透明感があり、これは良いと思っていた。しかし、音全体がかなりハイ上がりで、音が鮮明過ぎて全体のまとまりがわるい。それに、ハイ上がりな分低音の量感が薄く、いかにもデジタルで化粧してしまったという感じで、どうも馴染めず、曲の雰囲気を壊してしまったような気がする。中古盤のほうは、鮮明さでは落ちるが、低音がたっぷりしていて、音の溶け合っているのが自然に感じられる。

 再製装置、特にスピーカーにもよるが、コーンが軽く、駆動力が強く高能率で、立ち上がりが鋭い現代的なスピーカーにはこのリマスタリングは向かない。往年の名器、16cmフルレンジ、ダイヤトーンP-610B(今こんなの売ってない。)のような、コーンが重たく、音の立ち上がりが鈍いスピーカーには向いているかもしれない。

be5-8 be5-8good
CD化初期の運命 HS-2088リマスター運命

 もう一つ、クレンペラーの運命だが、CD化初期に3500円近く出して買った日本版のCDの音が悪いのにがっかりした経験があった。LP版の音のような広がりもなく、耳にはきつく聞こえて、その時はじめて、CDだからといってLPよりもい良いとは限らないことを知った。このCDも長年、子供にいたずらなどにさらされて傷が付き、時々CDプレーヤーが読めなくて音とびするようになってしまった。そこで、思いきって新しCDに変えることにして中古屋を漁っていたところ、日本版の東芝EMIclassics Grandmasterシリーズの運命があったので購入した。

 この版もなにやら、HS-2088とかの最新マスタリング技術を使って作ったとのことであった。こちらの方は大変成功している。あのLPで聴いたときとほとんど変わらない響きをCDで再現している。耳にもやさしく響き、音の奥行きも出ていて大満足だ。 HS-2088を使ったほかのCD(バルビローリのブラームス4番、クレンペラーのシューマン交響曲)も聴いたが大変良い結果が出ていると思う。

  ロンドンレーベルのリマスタリングはどれもかなり良い結果が出てるようだ。マーク指揮スコットランドやクリップスのチャイ5、ケルテスのドヴォルザーク8番などはどれを取ってみてもすばらしい音で入っている。デッカはソース自体がすばらしいから当たり前といえば当たり前だが。1950、60年代のDECCAの録音技術はほかとどう違ったのだろうか。つくづく、もしフルトヴェングラーがDECCAレーベルに録音していたらなあと思えてならない。


初めてのオンラインショッピング

(’99 11/3)

 インターネットを使って初めてオンラインショッピングをした。 HMVがCD販売のオンラインショッピングのサイトを立ち上げ、10月いっぱいは送料無料(結局12月31日まで伸びた。)とのことで思いきって使ってみた。宅急便の着払いを使えて、キャッシュカードの番号を転送しなくてよいので、安心だ。手始めに、中古屋であまり手に入らない、待望のセルのシューマン交響曲全集を頼もうかなと思った。

  さて、HMVのサイトへ行ったところが、上半分の画面がうまく表示されない。何じゃコリャと思っていたら、ショックウェーブが必要とのことで、ダウンロードしてインストール。やっと上半分が見えた。さて検索しようと、検索するボックスに「セル」とか「シューマン」と記入したところ引っかからない。アルファベットを入れないとだめか。「Szell」でもだめ、「Schumann」でやっとひっかかった。そこから、アドバンスリサーチで「symphonies」を選ぶとやたらたくさん出てきた。やっとのことでセルのシューマン交響曲全集を見つけた。税、着払い手数料込みで4000円そこそことなった。

  イヤーしんどかったね。何がしんどいって。かなり重たいです。早朝にやったのだけれど、結構重たい。それと、私のIE4.0の設定がおかしいのか、スクロールするとすぐ画面が重なって、すごく見づらくなってしまう。マウスのスクロールでゆっくりやると大丈夫のようだ。検索でお目当てのCDを見つけるのもしんどい。なんだかんだでかれこれ1時間もかかってしまった。

  ショックウェーブはさておき、画面の乱れと、重たさ、検索の不便さがあり、イマイチだった。もう少し軽く、検索も、作曲者、指揮者、曲名、できればレーベルごとに検索できれば便利だね。画面の乱れはこちらの設定不良かもしれない(サイトによっては乱れることがあった。)。

  配達予定が4-8日とあったけど、7日で無事CDが到着した。最近は忙しくて、御茶ノ水、秋葉原界隈にも行けないので、助かった。申し込みはいろいろ面倒だけど、便利になった。茨城の片田舎から、居ながらにしてHMVの膨大な数のCDの中から注文できるんだからね。うちの田舎じゃ、近くにクラシックを大々的に扱ったCDショップもないし、頼むのだって大変だし、いつ来るかわかんないし。

 LPが擦り切れ気味になってしまった、フリートウッドマックの「噂」と、クリュイタンスのベートーヴェン1、2番、あまり中古屋で見ない、ケルテスのドヴォルザーク8番を調子に乗って再び頼んでしまった。


介護保険料凍結問題に思う

('99 10/27)


  来年4月の介護保険実施に向けて、国全体で準備が進められている中、与党のほうで、始まりの一定期間介護保険料を凍結しようという動きが出て、三党で話し合いが行われている。誰からこんな考えが出たか知らないが、いまさら凍結とはどういうことなのだろう。保険料を負担しなければならないということは、はじめからわかっていたではないか。衆議院選挙を前にした人気取りとしか考えられない。議員サンの懐から出るのであれば別だが、結局財源は国民の負担になるわけだ。目先のごまかしのようにしか見えない。それだけ出す金があるなら、もう少し、ヘルパーなどの介護保険を支えるスタッフ確保に使えばいいではないか。

 介護保険も、決まってしまったのだから仕方ない.決められたように、とりあえずやってみることだ。それでうまく行かない点は修正して行けばいい。目先のことにとらわれず、もう少し先を見越して考えてほしい。


季節は巡る そしてまた秋が.....

('99 10/15)

 しつっこく続いた残暑もここにきて姿を消し、少しずつ秋が深まってきた。こんな時期になるとなぜかクラシックを聴きたくなる。

 クラシックは大体一年中聴いているが、パソコンいじったり、Linuxの設定をいじったりが主でBGM的に聴くことが多い。しかし、この時期になるとなぜか、パソコン、Linuxに対する興味が薄れてきて、クラシックにのめり込むようになってしまう。季節の変化につれて、興味の対象がくるくる回っている。パソコン関係に入れ込んだと思うと、ロックやクラシックに入れ込んでしまったり。またパソコンにはまったり。季節の移り変わりと密接な関係があるような気がしてならない。体内時計ならぬ、それを拡張した季節感知時計でも体内にあるのだろうか。

 一昨年の秋は、ブラームスの3番にはまってしまったが(昨年はナタリー・インブルーリア)、今年の秋は、シューマンの交響曲にはまってしまった。20年近く前に買ったコンヴェチュニーのシューマンの交響曲のLPをMDにダビングしている間に聴いていたら、なぜか良くなってしまった。20年前に買ったときはほとんど聴かずに終わってしまったのに。不思議なもんだ。いったん良くなったら、今度はほかの指揮者の録音を聴きたくなってきた。ちょうど中古屋に行ったら、クレンペラーのシューマン交響曲全集があったので、ゲットした。

 4曲の中では、幻想的で,やや病的で暗い、2,4番が気に入った。特に、4番は幻想的な感じが濃厚に現れていてすばらしい。今度は、セル、サバリッシュ、バーンスタイン、カラヤンあたりを聴いてみたい。
 書き直しを行なった4番の交響曲をやっとのおもいで完成させたシューマンは41歳だった。私も、今年41歳。何かの縁でしょうか。


野良犬

('99 9/7)

 夏休みも終わりに近づいたある日、野良犬が一匹迷い込んできた。茶毛の小柄な雄の犬だった。おとなしく人懐こい犬だった。うちの小学生の娘が「お手!だめ!伏せ!」と命令すると、それに従がった。うちの中へは入らず、吠えず、決して噛み付くようなそぶりは見せなかった。なぜか慎ましく従順そうな犬であった。どこかで以前飼われていた犬だろう。捨てられたのか迷子になってしまったのであろうか。

 翌朝6時ごろ、家のドアを開けるとその犬は尻尾を振って私を待っていた。私はそれにかまわず、毎日の日課になっている、約30分ほどの散歩に出た。すると私の後をついて来た。どこかで勝手にいなくなってしまうだろうと思い、かまわず無視して歩いた。しかしその犬は後をずっとついてきた。ちょっと道草を食っては、走って私に追いついてきた。とうとう散歩が終わるまでついてきてしまった。いつも一人で散歩しているので、犬が一匹ついてきてくれるだけで、何かうれしい気持ちになった。

 その犬は次の日の朝もまたドアのところで私を待っていた。また今日もついてきてくれるのだなと、私は少々うきうきした気分で散歩に出た。昨日やや遠慮勝ちに私の後ろをついてきて先に行くことはなかったこの犬が、今日は道がわかってきたのか、慣れたのか、後をついて来るだけでなく、私の先を行って待っていたり、私と並んで歩いたり、足にまつわりついたり、何かいじらしい感じがした。

 犬が迷い込んできて4日目のことだった。小さな事件が起こった。前の日からすでに娘の新学期が始まっていた。この犬は娘にも大変慣れていた。登校する娘を見ると、あっちへ行けという娘の命令にも従わずとうとう学校までついていてしまったのであった。学校では子供もたくさんいるし、所詮野良犬だからどうせ適当に違う子供についていってしまうのではないかと思っていた。

 ところが、帰りも娘についてきて家に戻ってきてしまったのであった。娘の話によると、校舎の一階のベランダのところで、自分の帰りをずっと待っていたとのことであった。忠犬ハチ公ではないが、大勢の子供には目もくれず、ずっと娘を待っていたとは今時珍しく忠実な犬に思えた。そして、私の心の中ではこの犬を飼いたいという思いがますます募ってきた。犬を飼うのは30年ぶりだ。

 次の日も娘についていって学校まで行っては困ると思い、首輪を買って、娘が登校する朝のうち、その犬を裏庭につないでおいた。つながれた犬は、なぜか少しさびしそうな目をしていたような気がした。「おい、もう少しの辛抱だぞ。娘が学校に着くころには放してやるからな。」そう犬に言い聞かせた。もういいだろうと、お昼少し前に鎖を解いでやった。そして、昼のえさを与えた。

 夕方になり私は仕事を終え、庭に出た。しかし、犬の姿はもうなかった。娘とでも遊んでいるのであろうと思ったが、学校から帰ってきて一度も姿を見ていないとのことであった。姿を消しても数日後にはまた戻ってくるだろうと思っていた。数日間とはいえあんなになついていたのだから。きっと、私の散歩のときにでも、どこからともなくやってきて、また、足にまつわり付いてくるだろう。そう思っていた。しかし、その犬は二度と姿を見せることはなかった。


Raspberries forever

('99 6/19)

 MDデッキを2年ぐらい前に買ったのはいいが、なかなかLPやエアーチェックのカセットテープをダビングする時間が取れなくてそのままになってしまっていた。最近少しずつ中学高校時代に買った、ロック関係のLPをMDに整理ダビングする時間ができてきて、20から30年近く前のロックのLPを聴き出した。

 その中でも一番懐かしく感じたのは、ラズベリーズ(Raspberries)だった。生まれて初めて買ったLPが彼らのだった。それに、リリースしたすべてのアルバムを持っているグループというのも彼ら、ラズベリーズなのである。4枚のアルバムをリリースして解散してしまったが、リーダーのエリックカルメンはいまだにソロとして活躍している。「Go all the way 」 や「 Let's pritend 」 なんかを聴くと野球に明け暮れていた中学校時代が妙に懐かしい。

試しにUSAのyahooで"Raspberries"を検索したら何とびっくり、彼らの公式サイトがあるじゃないですか。そそそそそそれに何と、今年の夏に再結成コンサートがあるようなのである。びっくりしたね。日本じゃいまだにラズベリーズを聴いている人などほとんどいないだろうが、アメリカでは、それなりにいまだに評価されているのかね。

  ラズベリーズのサイトのゲストブックを覗いてみたら、日本のファンの書き込みがあったので、さっそくメールしてみたら、同世代の人かと思いきや20代の若者であった。彼のいうことには、アメリカ西海岸を中心にパワーポップというジャンルが盛り上がり、その中心的グループにラズベリーズ、チープトリック、バッドフィンガーなどがあるとのことであった。なるほどそういう関係で、ラズベリーズもコンサートをやり始めたのだな。彼らももう50歳に手が届いているだろうに、どういうコンサートをやるか楽しみだ。

 いい曲を残したグループは、細細ながらも記憶に残り、人々の心の中から消滅はしないんだろうね。もちろん私の中からもラズベリーズは消滅しないだろう、一生。


回虫とアレルギー

('99 3/25)

 今日、久しぶりに東京へ行った帰り、夕方、秋葉原近くのラーメン屋で夕食を取ったときの出来事だった。一人のサラリーマン風の若者が、私の近くに座り、缶ビールとラーメンを頼んだ。はじめに缶ビールがきた。おもむろにプシュっとやって、ぐいぐいと飲むのかと思いきや、儀式のように、備え付けのナプキンをとって、二つ折りにし、自分の口を付ける缶の部分をサーっと一拭きしてから、プシュっとやったのであった。

 口を付けるところに何かごみでもついていたのだろうか。いや違う。いつもの儀式のように見えた。 私なんぞ、生まれてこのかた、缶ビールの口を付けるところなど、拭いたことは一回もないぞ!いいかげんな私にとっては異様に写った。

  世は不景気とは言え、清潔ブームだ。抗菌なんとかという言葉があちこちで目に付く。臭いに対しても敏感で、消臭に関係する製品もたくさん出ている。ちなみに私の娘の新入学用に買った机だって、抗菌加工がされているとのこと。いや参ったね。

  しかし、この異常な清潔さが、思わぬ弊害を出しているのではないかと最近いわれている。それは、花粉症を始め、アトピー、ぜんそくで代表される一連のアレルギー疾患だ。

 先日の新聞に載っていたのだが、人間の腸内に棲みつく回虫の検出率の減少に反比例するように、一連のアレルギー疾患が増加しているとのことであった。私が、小学校時代であった、昭和40年代前半では、同じ学年100名余りのうち必ず数人は、便検査をすると回虫の卵が見つかり、俗に言う虫下しを飲んでいたが、中学生のころになるとほとんどいなかったように記憶している。うちのおやじの時代なんぞは、ほとんどの児童に回虫がいたそうで、おやじ自身も、何匹か飼っていて、虫下しを飲んで、かなり長い回虫が出てきたという話を聞いたことがある。

  この回虫とアレルギーがどう関係しているかというと、はっきりわかっているわけではないが、こうである。

 アレルギー疾患になると、血清中のIgE(ImmunoGlobulin E、免疫グロブリンE)が増加することが知られているが、本来このIgEという免疫タンパクは、腸内にいる回虫に働くタンパクであったのではないかといわれている。古来から、人間は腸内に多かれ少なかれ、回虫を飼っていたに違いない。この回虫が腸内でできるだけ悪さをしないように抵抗するためにこのIgEがあったのだが、近代、腸内に回虫がいなくなり、本来の対戦相手がいなくなったことで、IgEは途方に暮れ、果ては、アレルギー疾患の立役者の一人になってしまったのであった。

  この憶測はどこまで当たっているかわからないが、関連性を示唆する報告もなされているようだ。先日新聞に載っていた、回虫に関する記事の中に出ていた大学教授は、研究のため、自分の腸内に回虫を大事に飼っているとのことであったが、これまでやらなくてもいいが、清潔を意識しすぎるのも考えもんだな。私もこのかた、便検査で回虫は一度も検出されたことはなかったが、免疫系が完成される12歳前に回虫の1匹や2匹飼っていたら、今のこの花粉症の苦しみも味わわなくてすんだかもしれない。
ははははっくゅしょんと!


忍び寄る老化

('99 1/17)

 昨年末からどうも腰の具合が悪い。慢性的に鈍痛があった。過去にも何回かこういう時があったが、自然と直ってしまったので、少々我慢していたが、一向に直らない。むしろ、少しずつ悪くなっているみたいだった。仕事中も、気になってきた。これはいかんと思い、意を決し、今まで行ったことのない、接骨院というところに行ってみた。

 診察台に腹ばいになり、診察を受けた。先生に腰椎のあたりを押されたら、激痛が走った。先生曰く「第4第5腰椎が少しずれちゃってますよ。後、半年も我慢してたら手術ですよ。椎骨を押さえている筋肉が弱くて遊んじゃっているんですね。仕事中の姿勢もありますが、老化と運動不足が原因でしょう。あなたの背中を見ていると、女性の背中みたいですよ。筋肉がなくて。よくなったら、腹筋と背筋を鍛えないとだめですね。」

がちょーーーん!
老化!老化!老化!
うそ!もう老化が始まっているのかよ!
ショック

 今年はもう41になるが、はっきりと老化を意識したことはなかった。しかし、見えないところで老化は着実に忍び寄っているんだろう。少々ショックだったが、先生のいうことを素直に受け止め、今まで以上に自分の体を気にしなくてはならない年齢になってしまったことを認めざるを得ない。

 そういえば、中学校の恩師の家に、私が30歳あたりに何回か休日遊びに行ったことがあったが、行く度、畑仕事をしていた(先生は私より年齢が約一回り上)。
「先生もよく畑仕事なんぞやってるね。」
「体を動かさないと、体力が衰える一方だからな。君は体力の衰え感じないかい。」
「俺はぜんぜん感じないね。」
なんて、会話を交わしていたことを思い出した。あのころの先生も、今の私のように忍び寄る老化を痛感していたのだろう。

今は、接骨院で、腰の牽引と、マッサージによる腰椎の整復をやってもらっていて表面上は、痛みはほとんどなくなっている。これからどうやって、腰痛と付き合っていくかが問題だな。


久々の生のブル8を聴いて

('98 12/7)

 久しぶりのブル8の生だ。ブル8ブル8と言っているわりに今まで2回しか生を聴いたことがない。お恥ずかしい話だ。朝比奈が1回、若杉が1回だけ。これでやっと3回目。

 この日12月4日まで、風邪が長引いて咳が止まらなくて困っていた。コンサート中に咳が止まらなかったらどうしようと心配だった。しかし、ここ数日、雨やみぞれが降ってくれたおかげか、喉の調子が少し良くなってきて、せき込まなくなってきた。それでも当日は、事前に咳止めの薬をのみ、のど飴を持参し、のどぬーるスプレーを買って、コンサートに望んだ。

 場所は、錦糸町駅そばのトリフォニーホール。今まで行ったことがなかった。錦糸町といえば、ロッテ会館と薄暗い公園の記憶だけが残っていたので(なんせ錦糸町に降りるのは20年ぶり。変わるのも当たり前だね。)、そごうやマリオットホテルができていつのまにか垢抜けてしまっていた。てんやで野菜天丼をわしわし食って、いざコンサートへ。

 今日のコンサートは指揮、関高健 新日本フィルの演奏だ。2階席の真ん中の後ろのほうの席だった。演奏は、小柄なとっちゃんぼうや風の関高から、スケールのでかいブル8を聴くことができた。特に1,4楽章は素晴らしかった。しっかりとしたテンポと、40歳そこそこの若い指揮者とは思えない懐の深さを感じた。スケルツォも良かったが、中間部がややあっさりして深みに欠けた感じがした。また、アダージョはナイーヴ気味な演奏が好きな私にとっては、線が太すぎて、起伏に欠けていた気がした。座席の関係かもしれないが、金管がうるさく、フォルテになると音がわれ気味に鳴ってしまっていた。

 しかし、朝比奈、若杉、尾高らの次にくる日本のブルックナー指揮者になる素質充分。年も私とそれほど変わらない40歳そこそこ。これからが楽しみだ。日ごろの子育てのストレス、仕事のストレスをしばし忘れることができた。


巨人マイクロソフト Linuxにびびる!

('98 11/3)

最近のLinuxの活躍には目をみはるものがある。日本では、パシフィックハイテック社からTurbo Linuxが次々とバージョンアップされ、負けじと、LASER5社からRedhatLinuxにPJEパッケージを組み込んで日本語インストラーを組み込んだパッケージが発売され、12月には元祖slackwareにPJEを組み込み日本語インストラー付きの Plamo Linuxが発売される予定とのこと。商用では日本語ワープロソフトも出てきたし、オフィスソフトも日本語化された。ATOK for Linuxも近い将来出るかもしれない状況だ。

  アメリカでも、インテルとネットスケープがRedhatに出資するとか、オラクル、コーレル,EMMPRESS SOFTWAREなどがLinux用データーベースソフトを発表するなど話題に事欠かない。 NT5.0がもたもたしている間に、SOHO用のサーバーOSではじわじわとLinuxが攻め込んでくるに違いない。

  クライアントとしては使い勝手も良く、アプリもたくさんあるwindowsが適していると思う。しかし、サーバーとなると、中、小規模の会社や、家庭では、NTよりLinuxが優れている点が確実に多い。

 最近はインターネットなしではビジネスはやっていけない状態になってきた。当然、近い将来、中小規模の会社、家庭では、OCNのようなつなぎっぱなしの状態になるだろう。そうなると、UNIXの独断場だ。特にLinuxは、基本的にソフトは無料(商用アプリは違うけど)。OS自体が軽く、きわめて安定しており、バグばあっても、ソースコードが公開されているので、対処しやすいし、世界中に数知れないLinux関係の開発者がいて対応も迅速だ。マシンだって、小規模ならペンテアム133MHZぐらいでも充分使い物になるという。ややこしい設定も、かなりGUIライクになってきたし、レジストリをいじくったり、VBあたりをかじった人ならテキスト編集に抵抗感が少ないし、以前よりも格段に情報源が豊富になってきている。
 
 一部の情報では、巨人マイクロソフトがLinuxに少しびびっているとの噂もある。 NT5.0が出るころに、SOHO関係のサーバーとしてLinuxがにこにこした顔でちょこんと座っていて、NTのお出ましを待っていてほしい。


久々のお気に入り女性ボーカル「ナタリー・インブルーリア」

('98 9/9)

 久しぶりに新宿高島屋のHMVにいった。クラシックのほうでは、東芝EMIから、チェリビダッケのブルックナーチクルスのCDがボックスセットで出ており、ブル8を試聴してきた。10月頃にはバラで売りだされるのでその時は、購入を考えてみよう。

 さて、ポップ、ロックのほうも少し覗いて、いろいろ試聴してきた。そこで、久しぶりにすばらしい女性ポップボーカルを見つけた。 Natalie Imbruglia(ナタリー・インブルーリア)だ。彼女のファーストアルバム(left of the middle)を試聴してえらく気に入ってしまった。

 イギリス人で、モデル、女優もやってたとのこと。内容は、ポップな曲あり、ロック、ジャズっぽいのもあり、いろいろ。ビートは今、はやりのやつ。邦楽でいえば、coccoのようなビートだ。ベースがびんびん響いてくる。プロデュースがベーシストだからであろうか。歌はうまいし、アイドル系のリリックなアコースティックポップも歌うし、どろどろした怨念で男を捨てるような歌も歌うし、一筋縄ではいかないボーカルだ。女優という経歴が生かされているのであろう。当日は、このCDと、ガンズアンドローゼズのファーストアルバムを買って帰った。

 WEBでは、彼女の公式サイトhttp://www.imbruglia.comがあり、いろいろ載っていた。たばこと、酒がかなり好きなのにはびっくりした。写真からは想像できなかった。

  もう一つびっくりしたのは、曲のいくつかを、マーク・ゴールデンバーグが提供していたことだ。かつて私は、女性ボーカルといえば、リンダロンシュタットにこっていた時期があり、その中でも「Mad Love」(1980)というアルバムはかなり気に入っていた。それのたしかプロデュースがゴールデンバーグだった。知らないところで、18年ぶりにまたゴールデンバーグの曲に会えるとは思わなかった。

当分はこのCDに入り浸りだな。


中原会長さん筋を通して!



('98 8/14)


中原会長さんは、昨年か一昨年かの国会での社会保険本人2割負担を含む健康保険法改正案に賛成なされました。歯科医師会の会長として、また国会議員の立場として、これからの日本の医療を考えていく上で本人の2割負担が必要であると判断なされてのことと思い、それはそれで結構だと思いました。

 最近読んだ歯科関係の新聞で、三師会(医師会、歯科医師会、薬剤師会)が、厚生省、大蔵省、自民党三役に、社会保険本人の2割負担を1割に戻すようにとの要望書を提出したとの記事が載っていました。要望書の最後には三師会の会長の名前が連名で載っていて(当たり前といえば当たり前だが)びっくりしてしまいました。

 2割負担に賛成したのに、なぜここにきて1割負担を要望するのでしょうか。会長の立場、国会議員の立場のジレンマがあり大変でしょう。しかし、私としては、2割負担に賛成なら賛成、反対なら反対と最後まで筋を通してほしかったと思います。


ビスフェノールA、猛毒とはひどすぎる


('98 7/8)


  巷では環境ホルモンの話題でいっぱいだ。新聞の紙面では、毎日環境ホルモンの言葉がない日が珍しいくらいだ。DDT、ダイオキシンはもちろん、カップラーメンの内側のフィルムからも環境ホルモンが溶出するとか、はたまた、我々歯科界でも、歯科用合成樹脂(レジン)の一部から環境ホルモン「ビスフェノールA」が溶出するという論文が発表され、大騒ぎになった。

 しかし、その後、アメリカ歯科医師会、日本の歯科材料関係の団体、日本の歯科大学で追加実験を行った所、現在臨床で使われているレジン関係材料でビスフェノールAが溶出あるいはビスフェノールAに分解したとの報告はないようだ。ビスフェノールAは確かにレジンを作る上での材料のひとつには違いない。しかし、ビスフェノールAが他の材料と化合してレジンになれば、レジンが分解してビスフェノールAになることはほとんど考えられないとのことである。水だって、酸素と水素の化合物。水素はきわめて危険な物質だ。しかし、ひとたび酸素と化合して水になってしまえば、生き物にとって必要欠くべからざる物質になるわけだ。

 週刊誌では「歯科の詰め物に猛毒のビスフェノールA」(このキャチコピーは正確でないかもしれないがこのようなことが書いてあった。)と扇ぎたてられ、私の所に来る患者では特にビスフェノールAについて聞いてくる人はいなかったが、歯科大学病院では、結構聞いてくる人がいたらしい。しかし「猛毒」とはひどい話だ。サリンや青酸カリと同じレベルではないか。とんでもない話だ。週刊誌も読んでいる分には面白いが、正確な情報が全く伝わっていない。

先日講演会に来ていただいた医科歯科大学の田上教授の記事を読めば、答えははっきりするはずだ。


ガンの告知について

('98 5/9)



 先日、舌の脇腹に潰瘍ができて治らないので診てほしいという患者が来院した。いろいろ話を聞いたり、診たりしたところ、もしや、悪いものではないかと思い、患者の了解を得て、一番近くの口腔外科(近いといっても、車で1時間近くかかる)にかかってみるよう紹介状を渡した。

 あれから、1ヶ月ほど経っても何の知らせもなので、知らせのないのは良い知らせと思っていたら、突然、その患者の親戚の人から電話があった。 話を聞くと、私のところにかかった当日、どうも私の顔つきが変だったので、紹介状の封を切り中身を見てしまったとのことであった。

 テクニカルタームの部分はみなドイツ語で書いたのでわからなかったとは思うが(ドイツ語の辞書があればわかってしまうが、)、心配になり、近くの病院の耳鼻科を受診し、舌の潰瘍の部分を顕微鏡で調べてもらったところ、悪性のものであることがわかったとのことであった。

 患者さんはその場で、悪性であることの告知を受けたようだった。耳鼻科の先生からは、詳しい説明も受けず、いきなり、
「わたしは***大学の出身だが、どの大学で診てもらいますか。」
と迫られるようにいわれ、その場は動転して何も答えることができずじまいだったとのことである。

 その後、つっけんどんな耳鼻科の先生のところにもいけず、紹介状の中身を勝手に見てしまった都合上、私のところにもいけず、精神的に参って、寝たり起きたりの生活が続き、どうしようもなくなり、とうとう親戚を通じて私のところに電話したのであった。

 私は、今の状態なら、しっかり治療すれば、80%は治ることと、本人がガンとわかっているのなら、近くにガン専門の病院(近くといってもこれまた、車で1時間ほど)があるからそちらに行くよう勧めた。

 数日後、また、親戚の方から、電話があり、80%治るという話を聞いて、本人少し前向きになり、現在仕事にも復帰しているとのことであった。また、ガン専門の病院にかかりたいと思い、その病院に問い合わせたところ、紹介状が必要なので私に書いてほしいとのことであった。

 私自身、確定診断を下したわけでもなく、一地方の歯医者に過ぎないから、検査を行い確定診断を下した耳鼻科の先生に書いてもらうよう言った。しかし、あの冷たい耳鼻科の先生には書いてもらいたくないとのことだったので、病院のほうで受けてくれるかどうかわからなかったが、とにかく私が紹介状を書いて、行ってもらうこととなった。後日、無事入院し、治療に入れることが決まったとの電話をもらいほっとした。 

こんなやり取りがあった後、本当に、ガンの告知は難しいなと考えさせられた。耳鼻科の先生にもう少し前向きに詳しい説明をしてもらえれば、患者の精神的な苦しみはだいぶ減っただろうに。しかし、一方、耳鼻科の先生は歯科以上に一日に何十人もの患者をこなさなければならないし、いつもと同じように説明したにもかかわらず、精神的に敏感になっている患者側が勝手に冷たいと感じたのかもしれない。

 私みたいな、歯科医がガンを告知することはまずないと思うが、精神的に敏感になっている患者だからこそ、前向きに取り組んでもらえるように、腰を据えてじっくり説明すべきではないのだろうか。


VAIO買っちゃった!

('98 4/1)



 先月中旬にVAIOを買ってしまった。

 505Xである。気の利いたセカンドマシンとしてノートがほしいとかねがね思っていたところ、VAIOがCPU、HDDともパワーアップしてマイナーチェンジしたので、ここぞと思って買ってしまった。

 パナソニックのB5ファイルのレッツノートとどちらにするか迷っていた。レッツノートは、トラックボールが非常に使いやすく、また、最初から、COMポートやシリアルがついていて、カードも2枚させる。スペックは、VAIOとほとんど変わらない。しかし、なにせ、デザインがいまいち。ひきつけるものが無い。

  VAIOは、ポインタが使いにくく、操作性はいま一つ。IOポートも別売り、本体だけではプリントアウトもできない。使い勝手が今一つの感がある。でもそれにも増して、デザインが斬新で、そちらに引かれてしまった。薄さ、色、マグネシウム合金。サイバーショットも同じだが、いかにもsonyらしい製品だ。

  現在、当家では、この小さく薄いVAIOが最速のCPU、最大容量のHDDを持つPCになってしまった(メインは、ペンタプロ150MHz、2.1GHDDだもの)。インターネットエクスプローラの起動は、かなり早い。快適だ。付属のタイマーを使うと、指定時刻に指定ホームページを自動循環、ダウンロード。オフラインでじっくり購読。いやはや便利便利。後は、OSR2につかえるUSBマウス(現在、秋葉では売り切れで手に入れることかなわず)があれば完璧か。

  昨年は、調子の悪かったPDドライヴを買い換えただけで、ほとんどPC部品を買わなかったし(当たり前だ、linuxばっかりやってたから。)、今年も、新しいマシンを組み立てるのは我慢しよう。来年、ベースクロック100MHzチップがこなれてきたら、組み立てよう。NT5.0でもぶっこみましょう、いや、Linuxになるかな。


心の教育とはなんぞや?

('98 2/6)



 最近、中学生のナイフによる傷害殺人事件が続発して、世間を脅かしている。それに関して、政府も「心の教育」を重視しなければならないようなことが新聞に載っていた。

 「心の教育」とはいったいどんなものなのか、不思議でしょうがない。心は教育するものなんだろうか。国語算数みたいに、これはこうですよってな調子で教えなければならないものなんだろうか。いや、そんな決まりきったことではないと思う。 心は、愛情(はじめは両親の)を持ってはぐくむものではないだろうか(少々きざっぽいが....)。

 事件が起これば、学校学校が前面に出て、当事者の生徒の内情も良くわからない校長がコメントを述べているのを見ると、空虚な感じがしてならない。 根本は、家庭だ。なかなか、マスコミに家庭が出るのはプライバシーの関係があって、無理な面があるが、まずはじめに家庭ありきだ。家庭で、愛情を持って心をはぐくまなければ、学校で「心の教育」なんぞやったって無駄だと思わずにいられない。

 私自身、子供を持って6年足らずのペーペーだが、仮に子供が、思春期に問題を起こしたとしても、決して、社会や、学校(被害者になったら別だが、)のせいにはしたくない。その時には、まず、親である自分に問いただしたい。


PC-UNIXは第3の波になり得るか?

('97 12/15)

 先日の金曜日東京へいった帰りに、秋葉のブックタワーに寄って、日本語版Turbo linuxを買ってきた。2階がコンピュータ関係の書籍を扱っているのだが、売場面積で大体どのパソコン関係が人気があるかおおよそ見当がつく。ウィンドウズ、インターネット関係が多いのは当たり前だが、このところじわじわと売場面積を侵食し始めているのが、Linux、BSDに代表される、PC-UNIX関係の書籍だ。Mac関係の面積より広くなってきているといってもいいくらいだ。これから先のOSの勢いの違いを感じた。もう、OS/2なんてほとんど見なくなってしまった。

 slackware版のLinuxを2年前にいじったが、かなり難しく、その当時知識もなかったせいもあってインストールさえできなかったが、今回発売された日本語版 TuboLinuxを手にすると、この2年の間に非常に初心者にもわかり易くなってきたことがわかる。ネットワークやモデムその他の設定が、かなり、CUIからGUIに変わってきて、やさしくなった。

 これから需要が伸びれば、日本語ソフトも更に増えるだろうし、いろいろな設定も更に易しくなるかもしれない(大変な苦労してPC-UNIXを自分のものにした諸先輩には申し訳ないが。)。ひょっとすると、PC-UNIXはPCのOSの第3の波にいや、第2の波になりえるかもしれない。


full CGアニメ「ビーストウォーズ」に米国の底力を見た

('97 12/11)

 水曜日の夕方の番組で、テレビ東京で放映されているフルコンピュータグラフィックアニメのビーストウォーズには見るたび感心してしまう。はじめ、うちの二人の子供が面白そうに見ているのを、たまに少し横目で見ていたが、よく見ると、すべてがCGである事に気がついた。毎週、正味20分ほどのフルCGのアニメをつくるのにどれだけ労力がいるか計り知れない。いくらなんでも日本で制作しているのではなかろうと思っていたが、やはりアメリカ製だった。

  話の内容は、見知らぬ星で、動物や恐竜の姿をしたロボットが、鮮やかに変身しながら、敵味方に分かれて、戦いを繰り広げるものだが、変身の仕方のみごとなことにはびっくりしてしまう。アメリカの底力を知った。なんか、テレビゲームの感覚で見ることができる。

 アニメといえば最近では日本のお家芸のように国内は言うに及ばず海外でも人気が高いが、これからは、コンピュータを駆使したCGアニメが続々とアメリカあたりから出てくるのではなかろうか。私の小さい頃は、優れたアニメは、アメリカ製作が多かったが、アトムや鉄人28号あたりから、日本のアニメのほうが面白くなってきた。

 CGアニメは、現在、トイストーリーやこのビーストウォーズのようにアメリカ製が優れているが、歴史は繰り返されるで、10年もすると日本でも優れたCGアニメが台頭してくるかもしれない。 でも、ちょっと前では、数分のCGアニメを作るのに気が遠くなるような手間がかかっていたのに、技術の進歩はたいしたもんだ。

 うちのガキどもも、気に入っているらしく、ビデオにとって、一日何回となく、ポケモンとこのビーストウォーズをみている。


臓器提供意思表示カード

('97 11/26)

  臓器移植法案は可決されたが、臓器提供にあたり、生前の臓器提供の意思表示と、家族の同意が必要なので、なかなか実際には運用が難しいように思う。この条件は、合っても一向に構わないし、日本では必要と思うが、もう少しスムーズに運用できるようにすべきだ。

  先日の新聞で、移植学会の会員に臓器提供意思表示カードを配ったという記事が書いてあったが、当の移植学会でさえ、やっと、カードを配るようではいただけない。ましてや、一般の人が意思カードを進んで書くとは思えない。いろいろな障害があるのかもしれないが、はんば義務的に、例えば、20歳の成人式の時などに、地方自治体で意思カードを配って記入してもらうようにするようになれば少しは一般の人に浸透するのではないだろうか。もちろん、提供したかなければ、それはそれで意思表示なわけだから。

  臓器提供を待つ人はたくさんいるし、私のお世話になった女子医大をはじめ、日本全国で、移植のできる病院も整いつつある。受け皿はできているのだから、もったいない。

  私も常々、意思表示カードはどうすれば手に入れることができるのかと思っていたら、何のことはない、先日、用事で行った保健所においてあった。さっそく記入して、財布に忍ばしてある。


Turbo Linux 頑張って!

('97 11/12)

 パシフィックハイテック社から、日本語版のlinux(ターボリナックス)が出るようだ。ドスマガの付録にβ版が入っていた。Redhat linuxをもとにインストラーを日本語にし、日本語のFEPがはじめから入っており、日本語ワープロもついている(FEPとワープロの入ったProでは3万円弱とやや高めだが)とのこと。

 今年の初め、Redhat linuxをかじり始め、何とか、windowsのファイルサーバーまでいったが、日本語の壁は厚く、日本語のファイルを上手く扱えるまでには至らずに終わってしまった。sambaのソースコードをコンパイルしてインストールすればできないこともなかったのだろうが、しんどくてあきらめてしまった。

 パシフィックハイテック社のHPをのぞくと、これから、日本語のためのlinuxをやっていこうという姿勢がうかがわれ、大変期待している。RPMファイルで、日本語の扱えるsambaも出してくれるのではないかな。また、一応ワープロソフトがリリースされたので、これで後、表計算ソフトが出れば、windows以上linux未満の私みたいなタコにもどうにか日常で、linuxを使えるようになるのではなかろうか。


 現在windows一色で、MACはどうにか存続している。OS/2に至っては、落ち目の一途をたどっている。ここで一矢を投じられるのは、linux以外ないであろう。個人ではなく業者がlinuxの日本語化に本腰を入れてきた。ターボリナックス頑張ってくれ。私も、もう一度linuxに挑戦してみる気になった。



金管奏者は歯が命

('97 11/1)

 日本ブルックナー愛好会に入会させていただき、隔月で送られてくる会報「Adagio」をいつも楽しく読ませていただいている。

 先日届いた29号に新日本フィルのチューバ奏者、宮川氏との対談が載っていた。その中で、宮川氏は「金管楽器奏者は歯がダメになるとオシマイ」と言っていた。 50歳を過ぎるあたりから歯ががたついてくるとかなり演奏が厳しくなるということだ。歯を悪くして引退したホルン奏者もいるという。また、良い歯科医師に巡り合い、かなり歯がなくなるまでホルンを吹いていた人の話しも載っていた。

 私も、以前から、木管金管を吹く人は歯がなかったら(特に前歯)吹けるのかと疑問に思っていたが、やはり、金管奏者は歯がしっかりしていないとだめだということがこの記事を読んで良くわかった。ヴァイオリン、ピアノ、打楽器だったら、総入れ歯でも実質的には関係ない。だから、かなり高齢でも、ヴァイオリンやピアノをすばらしく演奏する巨匠はいるが、総入れ歯のじいさんで、さっそうとトランペットなどの金管をビンビン吹いているジャズマンやオーケストラ奏者はあまりいないようだ。

「芸能人は歯が命」だが「金管奏者も歯が命」だ。

  金管奏者の人へ、50過ぎてから歯周病でごっそり歯が抜けることはよくある話、信頼できる歯医者さんへ定期的な検診(特に歯周病)をお忘れなく。

  でも、金管奏者を満足させるようなしっかりした、入れ歯をつくれる歯科医師もたいしたものだな。かなりシビアに作らないとだめだろうな。幸い、私の開業している田畑地帯では、金管奏者はほとんど(いや、全く?)いないので助かっているが。(市内の木村先生よりメールあり。 金管奏者の前歯に冠を入れる時に、スリットを入れてくれと頼まれ苦労したとのことです。)


猫も杓子もダイエット、私もダイエット

('97 10/28)

 平成のグルメ日本、猫も杓子もダイエットだ。そして、私も恥ずかしながら、8月の中旬からダイエットを行っている。身長が168cmそこそこで、一時体重が71kgにも成ってしまったのである。 6月以降、論文が通ったことで、何回となく飲み会があり、アルコールが入ると、満腹中枢がいかれてしまい、欲望に任せて食ってしまったのが間違いだった。

 ジーパンがかなりきつくなり、診療中も腹の部分が圧迫されているのがわかった。他人からは、肩あたりに肉がついたようだとか、顔が丸くなったとか言われるように成ってしまった(性質が丸くなるのは良いが顔が丸くなってもしょうがない。(-_-;))。

 中学生の時は、165cmで52kgしかなく、あばら骨が見えていたので、祖母から「洗濯板」などといわれ馬鹿にされるほどであった。大学で陸上をやっていた頃は58kgで維持していた。

  しかし、卒業して、病院に就職してからは、体重は上昇の一途。ほとんど毎晩、アルコール漬けの生活。運動はたまにやるゴルフぐらい。就職して3年目あたりから、オフロードバイクを乗り始めて東京周辺の林道を攻めまくっていた時は上昇は一時ストップしたが、地元で開業してからは、また上昇の一途、68kgをいったり来たりの状態。

  中学の時からは何と16kgも上昇、大学の時からも10kg太ってしまった。中学の時から比べると、四六時中巨大なフルタワーのパソコンを体に背負っているようなものだ。

 これじゃ体に言い分けないよ。

  そこで、お盆明けから、少し、アルコールと食事を制限してみようと決心した。朝昼は普通に食べて、夜は、豆腐、納豆、ところてん、野菜、味噌汁、果物などをとって、できるだけ、油物を取らないようにした。ご飯、ビール、焼酎もテニスのある水曜のみとした。

  最初のうちは、寝る頃に無性に腹が減って、悲しくなる毎日であった。一日仕事をやって、なぜこんな満たされない夜にならなければいけないのかと、情けなくなった。

   だが、どうにか、1ヶ月も過ぎると、みるみる体重が減ってきた。あっという間に、68kgぐらいになった。眠る前の空腹感による情けなさも、明日の朝、どんなものを食べようかという期待感に少しずつ変わってきた。今まで、寝る前に明日どんなもの食べようかなどと考えたこともなかった気がする。不思議な気がする。

  現在どうにか65kgに限りなく近づいてきた。できれば、62,3kgで維持できたらと考えているが、さてどうなることやら。年末年始の飲み会続きをどう乗り切るかだ。


幼稚園の運動会を見て

('97 10/14)

 12日の日曜日は娘の幼稚園の運動会だった。数日前から喘息の発作が起きてどうなることかと思っていたが、点滴と吸引でどうにか回復し、元気に参加することができてほっとした。

 当日は、晴天に恵まれ、園児たちが、遊戯、体操、かけっこと小さいながら頑張っていた。

 平均台を、他の子の4倍近くも時間をかけ、恐る恐る渡る子もいれば、駆け足で、さっと渡ってしまう子もいた。

  リレーでも、5歳にしてすばらしいフォームで疾走する子もいれば、のんびりと走る子、にこにこしながら走る子、そっくり返って走る子もいれば、猫背で走る子もいた。クラス全員でリレーするので、途中、抜きつ抜かれつの連続で、どんでん返しもあって、見ていて大変面白かった。

  本当に子供というのは個性豊かなのだと改めて知らされた。今日は、体育の面だけだが、絵を描かせたり、楽器を演奏させたりしても、個性が出るのは同じだろう。これから5年、10年、20年先でも、この子供たちの豊かな個性が、発揮されていることを願いたい。

 現在の社会情勢だと、後、5,6年もすれば塾へ通い出し、中学受験、高校受験へと向かっていく。そこは点数、偏差値で序列された世界になってしまう。そんな中、大事な個性が埋もれなければ良いが。


うら悲しい秋の夜長はこの曲を

('97 10/11)

 10月になり、運動会のシーズンになってきた。季節も次第に秋の気配が濃くなってきた。暑い日があると思えば、冬を思わせる北風が吹く日も時折訪れるようになってきた。雨の日もかなり寒くなってきた。いよいよ冬も間近か。

 こんなうら悲しい日が続いてくると、聴く音楽も変わってきた。ブル8(この曲は季節はあまり関係ない)はもちろん聴いているが、ブラームスの交響曲3,4番、モーツァルトのピアノ協奏曲27番k.595あたりに手が伸びる回数が増えてきた。

 宇野氏も言っているように、ブラームスは後期へいくほど彼の体臭がむんむんしてくる。特に、3番のシンフォニーなどは、ブラームスの英雄交響曲などと言われているが、フォルテで豪快に終わる楽章はなく、すべてさびしい終わり方だ。そこには苦難を克服しぐんぐん突き進む英雄の姿はなく、弱みを持った余りにも人間的な英雄がある。3楽章に至っては、メランコリーの極致、映画のサントラになるほど。こんなの春や、夏の暑い真っ盛りにとても聴けない。いまだから聴けるようなものだ。

 モーツァルトのk.595は、澄み切った秋空に時折うら悲しい冷たい風がひゅーと吹いてくる感じだ。秋晴れの良い天気だが、その裏には、次第に冬が近づいてくる、そんな感じがしてならない。第1楽章で、テーマが急に単調になったりするところがまさにそれだ。第2楽章も、バレンボイムのように弱音をつかって優しく優しく弾かれると、もうたまらない。こんなの、春夏には聴けない。

  冬になってしまえば、腹を括って、しょうがないとあきらめるし、冬来たりなば春遠からじだし。なぜか今の季節は、気持ちが中途半端だ。でも一番日本的かもしれない。


PCソフト、生かすも殺すも本人次第

('97 9/7)

 先日、歯科医師の友人宅に遊びに行った。彼が、プレゼンテーションソフトで、歯槽膿漏や歯科治療の患者説明用プログラムを作ったので見てほしいと言うので、彼の診療室のほうにもお邪魔した。

 おそらく、歯科用のうん十万円するソフトでも買って作ったのだろうと思っていた。
彼曰く「メディアセンターって知ってる。ペイントショッププロちゅうソフトについているんだけどもね。あれいいよ。便利で。」
私「何だ。そんなの俺も持ってるよ。あのおまけのやつだろう。」

  彼はおもむろに、診療台のそばにおいてあるPCの電源を入れ、MOをセットした。メディアセンターを立ちあげた。やはり、私も持ってるあのおまけのやつだ。

  次に彼は、MOに入っているファイルをよびこんだ。画像でも一覧で出てくるのかと思っていた。するとどうだ。画像もあるが、wavファイルも画像に混じって交互に表示された(再生はされないで、ファイル名だけのサムネイル)。

そして、ツールバーの表示−スライドショ−を選んだ。

  すると、画像が表示され、それに伴って彼の声で録音した、表示されている画像説明用wavファイルが再生されるようになっていた。それが次々と表示され、一連の歯槽膿漏の説明が懇切丁寧に行われるようになっているのであった。画像は、歯科関係の雑誌等からスキャナで読み込んで、ペイントショッププロで加工して作ったと言う。画像もセンス良く、うまくまとまっていた。

  また、受付では、386のCPUを積んだノート(中古で安く購入したとのこと)にdos版の、データベースソフトThe cardを旨く使い、患者の予約管理を行っていた。次の日の来院予定の患者の処置内容、部位が、一目で分かり、即座に印刷できるようになっていた。

  私は、これらを見せられ、びっくりし、感心し、反省させられた。

 彼は、約1年半前、PCを買った時に、IMEの出し方もわからなかったのに。何と言う進歩。PC暦、7年の私なぞ、とうに追い抜かれてしまった。

 私と言えば、馬鹿の一つ覚えみたいに、ただ、巨大ソフトをバージョンアップし、そのほんの一握りの機能しか使わず、また、安いおまけソフトなぞ、見向きもしない。ああ、何と言うあほさかげん。私のPCライフに反省を促してくれた出来事であった。



秋葉原、オーディオからPCへ、そして....

('97 8/15)

 最近、ホームページの関係もあって、クラシックCDを聴くことが多くなり、そろそろスピーカーもどうにかしなければいけないと思っていた。

 現在使用中のスピーカーは、長岡鉄男氏設計の、ダイナロード7と言う20cmフルレンジスピーカー片側2本ずつのバックロードホーンで、それにホーンツイターを乗せたものである。約20年前の学生時代の春休みにラワン合板で自作したものだ。スピーカーユニットも、今ではもうダンパー部分も硬くなり、さらにコーン部分は子供たちに指でへなへなにされ、こんなスピーカーユニットでクラシックを聴いて批評を述べるなど間違っていると言っても良いくらいの代物になってしまった。

 しかも、この大きなスピーカーは今の自宅にはとても置けず、70mほど離れた両親の住んでいる家の仏壇のある部屋においてある。ここまでいちいち聴きに行くのもしんどい。かといって、ヘッドホンではいまいち。そんな訳で、少し小型のスピーカーボックスを作ることにした。

 一人目の子供が5年前の4月に産まれたので、その年の5月のゴールデンウィークはどこにも行けず手持ちぶさただった。そこで、これまた長岡鉄男氏設計の、後面開口のバックロードホーンを作り始めたが、途中で挫折しそのままになっていた。7月に学会も終わり少し休日は暇もできたので、5年前に作りかけだったスピーカーボックスの続きをやろうと重い腰を上げた。やっとのことで、ボックスは最近完成した。ざっといいかげんに色を塗り、さて、秋葉でスピーカーユニットを買おうと出かけていった。

 秋葉もPC関係の店はだいぶ知っているが、スピーカーユニットのお店は、もう、15,6年行っていない。昔よく行っていたお店もなくなってしまい、やっと、ラジオ会館4Fに見つけた。なんだ、プラザわかまつのそばじゃないか。気がつかなかった。15,6年前までのオーディオ全盛の秋葉では、スピーカーユニットを売る店も結構あったし、ユニットを扱っている会社も、fostex はもちろん、coral, technics, YAMAHA,ONKYO,diatone,....たくさんあった。しかし店頭にあるのは、fostexとtechnicsが若干あるだけ。カタログを見ても、製品のラインナップがかなり少なくなっている。やはり、いまはPCが全盛か。

 今、秋葉では、PC関係の店が、大小あわせるとかなりの数に上り、まさにPC一色と言っても過言ではない。さあ、私が60歳ぐらいになる、20年後の秋葉はどうなっているのか。エレクトリックタウンには間違いないだろうが、さてその頃PCは.... 





再び、中学二年(14歳)

('97 8/11)

 10日のNHK特集で、第二次世界大戦中、ジャワ島の日本軍捕虜収容所に収容されていた、オランダの13歳の少女の2年に及ぶ500ページの収容所日記に関する事が扱われた。13歳とは思えない鋭い視点と、人生観にびっくりした。

 この少女は、家族がインテリであった関係かもしれないが、今も昔もこの14歳前後の年代の人たちは、多かれ少なかれ内部では、びっくりするくらいの鋭い視点や、おぼろげながら人生観さえも持っているのではないかと思う。 ゆえに、ある一面ではもう大人と同等に扱っても良いのではないだろうか。この問題は、首切り殺人で逮捕された、少年の法的扱いにも関係してくると思うし、逆に、我々大人が、彼らと相対する時は、大人と同じ権利も持つかどうかにもかかわってくる。

 私も、地元で開業して早、8年余り経つ。開業当時、まだ、保育園児で、治療のたびに泣き喚き苦労した子供たちが、もう中学生となり、男の子は少々にきび面で頼もしく、女の子は、しおらしくなってしまって、自分も年食ったなと感じる毎日だ。彼らを呼ぶ時も、昨年までは愛称で呼んでいたが(勇太君ならゆうちゃんとか里見さんならミーちゃんとか)、今年からは、飯田君とか野本さんとか呼ぶようになった。治療の説明でも、ほぼ大人と同じように説明している。

 むかし、武士の世の中で、元服の年齢がちょうど13,4歳ぐらいだったと思ったが、案外、この年齢も若すぎはしないのではないかと思えてきた。




実験動物に思う

('97 8/4)

 大学での実験動物としてのイヌの入手がここ数年著しく困難になっている。 10年ほど前迄は、かなりの頭数が安価で入手できたのだが。イヌと言っても厳密なルートは知らないが、野良犬がほとんどである。検疫を終えたイヌが、業者から大学に運ばれてくる。

 大動物実験では、イヌは重宝がられている。私が手がけている実験も、歯科における生体材料なので、できれば、ウサギやラットより大きめの動物のほうが人間により近似して良い。イヌの骨の治りが、人間の数倍も良いのは困るが、過去の沢山の他のイヌの実験データと比較検討できるので良い事が多い。

  しかし、もう数年でできなくなるかもしれない(かなりの費用を出せばできるようであるが、少ない研究費で行うには著しく高価になる。)。全世界的な動物愛護運動の前には、無理のようである。

  動物実験に関して、その動物の尊厳をできるだけ冒さないようにと、ヘルシンキ宣言というものがあり、実験する最の動物のあつかいかた等が述べられている(私自身、宣言の全文には目を通していないが。)。また、欧米では、大動物の実験の論文は、敬遠されるようになってきているとのことだ。

  罪と罰のラスコーリニコフのようになってしまうし、動物愛護運動家の人たちにはお叱りを受けるかもしれないが、野良犬も保健所に連れて行かれれば、結局処分されてしまうのであれば、最後の一仕事で、実験動物になってもらって、世のため人のためになってもらいたいと思う。

  条件反射の実験で、胃に穴を空けられたイヌが、活躍したし、人工衛星のも乗ったイヌもいた。私のやっている実験も、どれだけ世のため人のためになるか疑問な点もあるが、医学の面で、過去に沢山のイヌが犠牲となって、我々に貢献してきたことを忘れてはいけないし、これからも貢献してほしいと願う。


インターネットで医療相談

('97 7/31)

 先日、私の同級生(三児の母)が子供を連れて歯科治療のために来院した。子供を診おわった後、この同級生から、相談を受けた。 真ん中の子供(小学5年生男子)がある特殊な病気に罹ってなかなか直らず、困っているとの相談であった。診断はついたものの症状が変わらないらしい。どこか近くでこの病気の専門の先生がいたらぜひ紹介してほしいとのことであった。歯医者をやってれば少し位は知っているのではないかと期待して来たらしい(歯医者も医者の端くれと思っていただけるのは大変ありがたいが(~_~;))。

 その場は、知らないので勘弁してくれと引き下がった。 しかし、同級生からわざわざ相談を受けたせいか気になって頭から離れなかった。だめ元半分で、せっかくインターネットやっているのだから上手い方法はないものかと考え、とりあえずyahooあたりで「医療相談」で検索した。いくつかのサイトが引っかかった。何々 「インターネット医科大学」いかにも、なにか子供だましのようなサイトの名前だ(webmaster殿には申し訳ございません。こんなこと言ってm(__)m)。とりあえずだめもとで、この同級生の子供のことをメールした。


  ところがところが、非常にご親切に、本当のお医者さんから(あたりまえか。)丁寧なメールが届き、私の近くの大学病院にその病気に詳しい専門の先生がいるとの情報をいただき、紹介状も書いてくれるとのことであった。

  数日後には紹介状が郵送で届いた。それを知った同級生も大変喜び。子供を連れて紹介された病院に行くことになった。その後はまだ、同級生から経過は聞いていないが、少しでも子供の病気が良くなってくれることを望む。

  しかしまあ、遊び半分でやっていたインターネットがこんなところで役立つとは思わなかった。それとともに、親切にご相談にのっていただいた、面識もない「インターネット医科大学」の一先生に心から感謝する次第だ。




小学生戦士

('97 7/20)

 今日、中学校時代の同級生で、3男児の母になっている人と子供のことで少し話す機会があった。彼女の真ん中の子供で、小学5年生の子の話題になった。彼は3人の中では一番まじめらしく勉強も熱心とのこと。時折、ぼくは、○○くんとライバルで、この間のテストで勝ったけど、今度は負けてしまったとか話すそうなのである。
 自分たちが、小学校高学年の頃は、50m走で○○君に負けたとかは言ったことはあるが、この頃から、勉強で、○○とライバルで、勝った負けたなどと言ったことは、ほとんどなかったし、現代の子供は、こんな小さいうちから、勉強で相手を蹴落としたり、相手に蹴落とされたりと大変だなとつくづく思ってしまう。

 金曜日、東京の大学に行った時のかえりなど、次の日の土曜が学校が休みの時などは特にだが、夜10時ごろに柏の駅に小学生がいることいること。その数にはびっくりしてしまう。塾の帰りの小学生だろう。みんな、わいわいがやがやと一見楽しそうで、電車の中でも、ゲームなどをやりながらはしゃいでいるが、異常だねと言いたくなる。

 自分のことを振り替えると、○○君に負けたり勝ったりと考え出したのは、高校2年のあたりからだろうかな。しかし、少なくとも、小学生の時は、こんな事を考えていなかったと思うし、周りの同級生たちも同じだったろう。 まだ、身も心も未熟の小学生の時から下克上の戦乱の世界に足を踏み入れなければならないなんて、何と悲しい事か。

 私の子供はまだ小さいのであまり切実ではないが、中学受験のことを考える時期になってみると、かなり私も悩むだろうな。


老人医療費急増の一端を見た

('97 7/12)

 ある老人が私の診療所へ来た。
「先生、入れ歯作ってくれよ。ゆるくなってすぐおっこっちゃってよ。上下ああねんだよ。」

総入れ歯で、約1年前に私が作ったものだ。よく見るとかみ合わせもそれほど悪くなく、赤い歯肉の部分を少し足してやれば充分使えそうだ。その旨をこの老人に説明したが、

「だがよ。保険でできんだんべ。新しいの作れねのかい。」

もう一度、少し修理すれば今使っている入れ歯がまだ使えることを説明した。しかし、

「ほんでもよ。新しいのできねのかい。新しいのがいいべよ。」

ここまで言われててしまうと作らざるを得なくなってしまう。 そんな時、私の脳裏にはこんな事が駆け巡るのである。

  ああ、また保険の無駄遣いか。でも、ここで自分の意見をごり押しすれば、この老人は気難しい歯医者だと思って、せっかく前回、私のところで総入れ歯を作らせてもらったが、別の歯医者に行ってしまうな。患者を失うことになるな。しょうがないな、患者の言うとおりするか。

 老人保険を使えば、上下の総入れ歯は1020円(2ヶ月にわたれば2040円)でできる。保険3割負担だと大体15000円以上してしまう。上下総入れ歯を作れば私たち歯科医師に入るお金も多いけれど、技工料、診療時間、装着後の調整などを加味すれば、出るものも多いので、利幅は少ない。

 私は老人保険を決して悪く言うつもりはない。今のお年寄りは、敗戦後の日本を立て直してくれた人たちで、若い頃に、大変な苦しみを味わっている。感謝しなければならない。私の年代のように、高度成長期時代に乗っかって何不自由なく育ったのと訳が違う。老後ぐらい、安心して暮らしてほしい。しかし、一部で歪みが出て、老人医療費が急増している。もちろん、急増の原因には、意志の弱い私を含め医療関係者のほうにも重大な責任がある。 しかし、老人保険の上であぐらをかきすぎてもまずいのではないかと思う。

小話を一つ。

かかりつけの医師「○○さん、しばらく来てなかったけど、血圧はどうかな。」
老人の○○さん「いや先生よ、風邪ひいて、体こわしてたんで、こられなかったんだよ。やっと元気になったんで来たんだよ。」
医師「********」


神戸の首切り殺人、魔の中学二年、そして、エヴァンゲリオン

('97 7/1)

 神戸の首切り殺人にはびっくりした。犯人が中学生であったからだ。この中学生、新聞によると、神戸の震災の時は近所の人を気遣うほどの気持ちを持っていたが、中学に入って急変したらしい。評論家によると非行が最も多発する中学二年生前後の時期を「魔の中学二年」と言うそうだ。

 自分の中学二年生のころを振り返ってみても、確かに、魔の中学二年と言うのがぴったりしていることがわかるような気がする。この頃は、自分、両親、先生、果ては社会のいやな面がどんどん見えてくる時期だった。くだらないことで、落ち込んだり、反発したり、なんかギクシャクしていた。両親に対しても嘘のつきまくり、好きだった野球の練習にも、なぜか反発して何回か休んだりした。日記もなぜか、中学二年の一年間だけは一日もかかさずつけた。後にも先にもこの中学二年の時だけで、後はまったくつけたことがないと言っていい。なぜか不思議だ。内容は他愛のないことだが、当時は真剣に考えていたのだろう。やはり魔の中学二年か。

  大ヒットしたアニメ、エヴァンゲリオンの主人公、シンジも14歳ぐらいだった。謎めいた内容で人を引き付けたが、一方ではシンジの人生で最も多感な時期、魔の中学二年を象徴的に描き、同年代や、その時期を過ぎた大人までも引き付けたのかもしれない。


テレビチャンピオン 狭山茶のおっちゃんに感動!

('97 6/21)

 木曜日の夜は子供がマッハGOGOGOを見ている流れで、テレビチャンピオンを見ることが多い。
先日は、素人の料理王選手権をやっていた。
参加者は、主婦2名、男性は私と同じぐらいの年代の同業者の歯医者さんと、狭山茶を売る店主のおっちゃんの計4人であった。面白いのは、男性の二人は自分の職業にとことんこだわった料理を遊び心で作っていることだ。歯医者さんは石膏、印象材や技工用エンジンを使って料理を作り、おっちゃんは、どの料理にもお茶を使うというこだわり様。一回戦で歯医者さんは敗退したが、最後まで残った狭山茶のおちゃんが、飄々として、爽やかだった。

 最後は披露宴の料理を作ることになっていたが、ここでもおっちゃんは、茶をとことん用い、料理を作った。汗だくで一生懸命作っている2人の主婦とは対照的に、お茶をちびちびすすりながらいかにも楽しんでいた。結果は2人の主婦に大差で負けたが、最後の言葉が泣けたね。
レポーターに、夫婦を長く続ける秘訣は何ですか尋ねられ、「いやなことはぐっと我慢し、1時間たったらけろっと忘れることです。(すこし文面はちがっているかな?)」

何というか、戦後の大変な時期を乗り切り、自分の職業のお茶の料理にはとことんこだわるが、生き方はとらわれず、飄々としている。人生を自分で幸せにしている。そんな姿が爽やかだった。

私も、20年後にはこのおっちゃんのように生きられたらと思った。




臓器移植法案可決に思う

('97 6/19)

 臓器移植法案が可決した。欧米で臓器移植が盛んに行われ、日本からもわざわざ外国に行って移植手術を受けている現状からすると可決したのも当然かもしれない。しかしながら、臓器提供者は生前に提供の意志をはっきりさせなくてはいけないし、遺族の同意も必要である。移植法案が可決したとは言えかなり厳しい条件だ。
 異論もあると思うが、オランダのように、国民に対し生前に臓器提供の意思表示を義務づけるようにでもしないとなかなか臓器移植も進まないのではなかろうか。

 こんな事を考えている中、私が病院に勤めていた時に角膜を提供したあるおばあちゃんのことを思い出した。このおばあちゃんは、口の中のガンで入院していた。先輩と私が担当していた。
 かなり進行したガンだった。このまま対症療法で短い余命をまっとうするか、かすかな望みの手術を選択するかどちらかであった。おばあちゃんは前向きに手術を選んだ。
 大手術だった。手術は成功し、ガンが取れたようであった。しかし、おばあちゃんには手術が大きすぎたか、手術後から血小板がどんどん減っていった。血小板の輸血をしても間に合わない。手術から一度も回復しないまま多臓器不全で亡くなってしまった。
 臨終を先輩の先生が告げた。もちろん息子さんたちもそばにいた。息子さんも涙を流していたが、しばらくして言い出した。「おふくろは、死んだら角膜を提供するといっていた。」母の臨終を覚悟してたらしく、アイバンクの書類らしきものを持ってきていたようだった。
眼科の先生が呼ばれ、ご遺体から、眼球を摘出し、義眼を入れていった。

 おばあちゃんがいつ頃アイバンクに登録していたのか定かではないが、召される前に最後の一仕事をしたんだなと胸が熱くなったのを覚えている。


 日本もオランダみたいに生前に臓器提供の意思表示を行うようになったら、私は、脳死を含めて死んでしまったら、体のどこでも良いから遠慮なく使っていただきたい。もし、肉親がこういう状態になっても同意すると思う。所詮、命も天から授かったと思えば、あたりまえだ。後は、しっかりとしたモラルを持った医師たちに頑張っていただくだけだ。




医歯薬系 ウーマンパワーにびっくり

('97 6/16)

 昨日の日曜に、関東医歯薬獣医陸上競技大会が筑波大学で行われたので、後輩の応援に子供を連れていってきた。

 私が走っていた今から約20年前とはだいぶ様変わりしていた。それは、女性の参加者が非常に多かったことだ。私のころは、女子の種目などほとんどなく、時々オープン競技で100や200、400mの競技があったぐらいだった。ところが、女子の100,200,400,800mはもちろん、幅跳び砲丸投げなどのフィールド競技も行われており、びっくりした。

 大学の後輩と少し話をしたところ、今の大学1,2年生は女子が40%もいるそうな。そんなにいるんじゃ陸上競技をやる女性も増えるはずだ。将来は、歯科関係の大学も半分が女子になるのではなかろうか。こういう状況では、あと10年もすると歯科医師もかなり女性が多くなってくる。男子の後輩が言っていた。「将来、歯医者は女性の職業になるでしょう!」 



キシリトール入りのガム

('97 6/7)

 歯科用語に書いた甘味料「キシリトール」が大ブレークだ。詳しい経緯は分からないが、多分厚生省の認可でもおりたのだろ、各お菓子メーカーから続々とキシリトール入りガムが発売を開始していている。
現在私がわかっているだけで、ロッテ、トライデント、明治製菓の3社である。その後も、数社から発売されるらしい。もうkioskで売っている。

 私も先日、大学時代の同級生の先生から、歯科医院用のキシリトール100%含のロッテガムを2箱ほどいただいた。1,5cm正方形のタブレット型のガムが12個入って300円とのことだ。一口噛んでみると、かなり刺激的な甘さだが、さっぱりしていて、口の中に残らない。ぶどう糖のような腰の重い甘さではなく軽快な甘さで好感が持てた。家にもって帰ったらあっという間に一箱子供たちにくわれた。

 市販のキシリトールガムはキシリトール含有量を50%ほどに落とし、値段を下げているようである。あとの50%は詳しくは知らないが、ステビアやエリスリトールになるのであろうか。

 常識では考えられない。虫歯予防の観点から言えば、甘いものが口の中に長時間あることは虫歯発生には一番いい条件だ。それが、甘いガムを噛んで、逆に虫歯抑制につながり、積極的に摂取したほうが良いと言うのであるから驚きだ。

 もっとも、北欧あたりではキシリトールフッ素入りガムは常識らしい。ドイツの大学にに行った友人によると、学生食堂では、食後にキシリトール入りガムを噛むようにと、おかずといっしょにガムがついていたそうだ。日本が遅れていただけだ。
 でもでも、くれぐれもブラッシングを忘れずに。


Rock will never die.

('97 6/4)

 先日初めて新宿の高島屋内HMVに行ってきた。秋葉付近ではなかなか手に入らなかった、バルビローリのブルックナー8番を捜す目的だった。

 店内はさすが新宿、秋葉あたりとセンスの違いを感じた。さっそくクラシックのコーナーへ行った。各コーナーにはおすすめのCDが聴けるようにCDプレーヤーが数台置いてあった。お目当てのバルビローリのブル8もあった。店お勧めのロジェストヴェンスキーのブル8、ムラヴィンスキーのチャイ5もついでに買ってきた。

 さて、帰りに、一通り店内を回った。マイケルジャクソンやSPEEDの新CDが盛んに宣伝されていた。ロックのコーナーでも数箇所CDプレーヤーが置いてあったので、所々で、何枚か聴いてみた。

 店のお勧めCDの中に「これを聴かないとこの夏は過ごせない」とのキャッチコピーのロックのCDがあった。Foo Fighters というグループ名だった。さっそく試聴。はじめから、なにやらキングクリムゾンノのムーンチャイルドばりのボーカルエフェクト。声は、ビーチボーイズ、ドノバン、スティーヴミラーのような、何かサイケっぽい。メローディラインがポップ。ビートはタイトでパンクっぽい。

 聴いているうちに、奥のほうでくすぶっていたロックの炎がまためらめらと燃え上がってきた。結局このFoo FightersのCDを買ってしまった。ロックなんて何年ぶりか。

 テレビのCMで「青春時代に聴いた音楽は一生聴くこととなる」ようなのを聞いたことがあるが、まさにそれだな。ビートルズ、ストーンズはもちろん、ラズベリーズ、リンダロンシュタット、ボストン、あたりを買いあさっていたころが懐かしい。今でも、ジョージハリソンのLP「リヴィングインザマテリアルワールド」は感動ものだし、フリートウッドマックの「噂」もいつ聴いてもポップポップで最高だ。

 最近のポップスベストテンはつまらない。アメリカのヒップホップだがラガーだかラップだかわからないが、その類のものが(知識不足だごめん)幅を利かせている。そんな中、この間、エアロスミスが1位になったのはうれしかった。

Foo Fighter を買ってから、ブルックナーだけでなく、昔のロックも聴きたくなってきた。
私の中でも、「Rock will never die.」か。

 


コンピュータが谷川、羽生を破るのは何時?

('97 5/31)

 現在、谷川、羽生の名人戦の真っ只中である。緻密な寄せの谷川と、天才羽生の戦いは現時点では3勝1敗で谷川が王手をかけている。谷川が勝てば永世名人の位につく。将棋に詳しい友人の話だと、今回の名人戦は、指し手がまだあまり進んでいないのに投了する戦いが多かったそうだ。いかに序盤戦が大事かがわかる。

 一方、海の向こうでは、コンピュータが遂に世界のチェス名人を破ったことが報じられ、来るべき時が来たかなという感じを受けた。これから何年か先には遂に谷川、羽生を破るコンピュータも出てきても不思議ではなくなった。

 今度は私事になるが、最近、パソコン用将棋ソフトにはまってしまっている。おまけについてきたAI将棋と対戦し、最強のレベルでほとんど勝つようになってしまった。私は、高校から大学のはじめごろまで一時期将棋にこっていたときがあった。アマ段位は持っていないが、まあまあさせると思っている。こんな訳で、もう少し強いやつがないかと、ホームページを検索していたところ、ありましたありました。現在市販されているパソコン将棋ソフトのレビューをやっているところが。

 この情報によると、AI将棋2が全日本パソコンソフト将棋選手権(?)で全勝優勝したそうなのである。
さっそく秋葉で8000円弱でAI将棋2を購入。即、最強のレベル5に挑戦。何度か対戦すると4部6で私が少し勝率がいい。こんなもんかと思ったら。いきなり画面に、「これからはあなたを生涯のライバルと考え、本気を出して戦うことを誓います」と言うようなメッセージが出た。するとレベルのダイアログボックスにレベル6、7がいつのまにか追加されていた。心憎い演出である。

 こうなったら、レベル7で戦わなくっちゃと思い、再挑戦。さすがレベル7は強かった。なかなか勝てない。少しでも序盤戦でミスすると、ずるずるとじり負けしてしまう。名人戦ではないが(次元が違うが、)、本当に序盤戦で決まってしまう。訳の分からない、いかにもにも機械がさしているような指し手はほとんどない。私の同じレベルの人間とさしているようだ。

 1万円もしないパソコンの市販将棋ソフトでこれくらいまで来ているのであるから、スパコンを使えば近い将来、プロと対等に戦えるソフトも出てくるのではと思ってしまう。

 私も少し将棋のレベルを上げ、将棋ソフトもどきに、「あなたを生涯のライバルと......」なんて言われないようになりたい。でも強いな。


バーンスタインのブルックナー9番への思い

('97 5/28)

 10日ほど前だったかバーンスタイン指揮ウィーンフィルのブル9を聴いた。バーンスタインはブルックナーの交響曲ではこの9番に思い入れがあるのか、かつてニューヨークフィルともこの曲を録音してたようだ。ニューヨークフィルとの膨大な録音の中では、マーラーはのぞいて、ほかの録音はクラシック名曲のたぐいのものが多かったなか、このブル9は異質のような気がした。

 演奏のほうは、聴く側の先入観があったかもしれないが、やはりマーラー的な演奏だったような気がする。第1楽章の第2主題などは、シューリヒトやレーグナーの演奏になれた私にとってはなんとロマンチックに聞こえてきたことか。第2楽章のスケルッツォも悪魔的でホルストの惑星の火星の演奏を聴いているようだった。終楽章もロマンにあふれたものだったが、朝比奈がどこかのインタビューで、「ブル9の終楽章は本当に振っててさびしくなってしまうんです、終わりに近づくに連れて」とかいっていたのを聞くとマーラーの9番の終楽章に相通ずるものがあるのかも知れない。

 ブル9はブル8よりもさらに結晶化している気がして、個人的にはシューリヒトのような、早めのテンポで無駄のない、引き締まった演奏が、あっていると思っていた。しかし、、一方ではバーンスタインの演奏を聴くと、死期の近かったブルックナーが、ちらっと生身の人間の顔をのぞかせた部分もあるのかなと思えてきた。真偽はいかに。



Memphis 危うし!

('97 5/20)

 日経パソコンによると、ビルゲイツ氏がMemphis は年内に出ないかもしれないとのスピーチを行ったと報じている。

 Memphisといえば言わずと知れた次のwindowsバージョンである。IEとwindowsの融合、アクティヴデスクトップ、AGP、USB、IEEE1394と話題に尽きなく、今年年末パソコン商戦の目玉になるはずである。年内にMemphisがこけると、パソコンが売れない、ソフトも売れない、パソコン業界の不況という筋書きになりかねないとのこと。 パソコン業界というものが、いかにマイクロソフトとインテルにおんぶさっているかがわかる。

 しかし、私が考えるに、このMemphisがもたついている隙間を縫って、ウインテルのほかの会社がのし上がるチャンスがあるようにおもえる。

1)ほかのOSがシュアを伸ばす。
 MACだってラプソディーでうまくやりゃシュア拡大できるかもしれない。OS/2、ネットスケープもしかり。また、windowsを使い込んだ人には、少しユーザーフレンドリーになったlinuxという手も出てくる。なかなか面白くなりそうだ。

2)ほかのIntel互換CPUのシュアの拡大。
 ハードがあまり売れなきゃ、マザーボードだってあまり売れない。それなら、pentiumUに移行が遅れpentium用のsocket7も長く残る可能性だってある。そうなれば、AMD、CyrixのCPUが使いたくなってくる。

ウインテル陣営がもたついている間どうなるか、この一年ほどは楽しみだ。ウインテル二人勝ちでも面白くない。パソコン業界がこの機会に良い意味で活性化すれば幸いだ。



DVD-RAMへの場繋ぎはPDだ!

('97 5/15)

 現在のPCにおけるマスストーレッジデヴァイスとしては、MO、PDあたりが一般的だろう。ほかに、 Jazなどがあるが、普及しているとは言い難い。MOは、PC関係のグラフィック、特にMAC関係ではほぼ業界標準的な感がある。しかしながら、ここに来て、今年中にDVD-RAMが製品化することが決まったようで、にわかにPDに目が注がれるようになった。
 
 それと言うのも、松下、NECあたりが、PDも読み(書き?)できるDVD-RAMドライブを作成中だからである。なぜなら、PD自体はじめから、DVD-RAMを考えた時にその産物みたいな感じでできたものだから、DVD-RAMと相性が悪いはずがない。

 出はじめのころのPDは、CDROMドライブと兼用できるメリットはあったものの、読み書きが遅く、ドライブもメディアも高価だった。ところが、最近は、6倍速、8倍速(?)のドライブもあるし、それ自体かなり値段がこなれてきており、6倍速で3万円台で出ている。 コネクトもSCSIだけでなくATAPIもある。メディアも2500円ぐらいになってきた。一方、性能に優れたMOの650MBはセクタの問題で使い勝手が悪い。

 現在マスストーレッジ購入を考えているなら、PDが買いだ!DVD-RAMの出はじめはかなりドライブが高値になるに違いない。その間、PDを使っていて、すこしDVD-RAMの値段がこなれてきたら。そのまますんなり、移行できる。また、ベイの少ないディスクトップPCにはベイの節約にもなる。それに、ヘビーゲーマーでなければ、あほみたいな20倍速のCDROMドライブを買うより、プラスαでPDのほうが良いと思う。

 かく言う私も、約2年半前に4倍速のPDをバルクで5万円弱で購入して使っている。一番重宝するのが、HDDのバックアップだ。HDDパーテーションを600MB少々にして、パーテーションごとにxcopy32.exeでバックアップしている。また、バックアップしたいデータを一応片っ端からバックアップしているが、なかなか650MBいっぱいにはならない。
 頻繁にアクセスしないゲームならPDにインストールしても使える。ただ、DOOMなどは、場面が変わるところで2呼吸ほど待たされ、ターミナルベロシティーなどは画面が途切れ途切れになって面白くなかった。ここら辺がPDの限界かもしれない。

来年暮れにはDVD-RAMでも買いたい。




現実からの逃避

('97 5/8)

 連休前は、日々の診療、歯科医師会の仕事、大学での論文のことと、頭の中がこんがらがってしまうようにめまぐるしく、忙しかった。果ては交通違反までやってしまった。4月29日から1週間休みを取って、はじめの4日間を東北のほうに家族旅行に行くことになっていた。内心は早く行きたくてしょうがなかった。結局家族旅行に行っても、子供に振り回されてゆっくりできないだろうと思ったが、今の私の周りの現実から逃避したかった。運悪く、休みの1週間前に娘が風を引いて出発が危ぶまれた。27日頃から彼女の体調も良くなりいけることとなった。
 日本ブルックナー愛好会発行の「アダージョ」26巻の中で、福田研さんが言っている。「旅行とはここからよそのどこかに行くことによってやりのこしてきた仕事、中途半端なままの人間関係を切り離し、復讐する」ことだと。旅行へ行く前の私の気持ちはまさにそれに近いものであった。
 私の好きな、川北義則著 PHP研究所発行の「人生愉しみの見つけ方」でも、時には行方不明になろうと言っている。

 案の定、旅行は子供たちに振り回されて結構疲れたが、仕事のこと、家族以外の人間関係から逃避できて、精神的にはすっきりした。

 大学卒業後勤めた病院でも、4,5年目にもなると、病棟患者の大部分を一手にまかされ、病棟担当の4ヶ月間は毎日がプレッシャーの連続だった。病棟担当が終わる9月には、1週間まとめて休みを取って、何回か北海道をバイクで一人旅に出たことがあった。あれも現実の逃避だったのかもしれない。

 近頃は、ポケベル、携帯電話が普及し、いつどこからでも連絡取れるようになり、一見便利になったようだが、良い意味での現実からの逃避ができなくなり、サラリーマンをはじめとして、現代の人たちは大変だと思わずにはいられない。かく言う私は、わがままかもしれないが、ポケベル、携帯電話は一切持っていないし、持ちたくもない。


PROXY SERVER  SOFTの誘惑

('97 5/3)

 linuxを再びかじり出した目的は、linux PCをファイルサーバと、LANからのPPP インターネット接続のためのモデムまたはTAの共有であった。

 今のところlinux PCをファイルサーバとして使えるようになったが(しかし、HDDの調子が悪く旨く使えていないが、これはハードの問題)、モデム共有でPPP接続の設定は、おっくうになってまだ手をつけていない。安易な方向に流れそうになってしまっている。

 それというのも、SOHO向けに3万円前後のproxy serverソフトが販売されており(マイクロソフトでも期間限定で、無料でお試し版がWebにアップされている)、ハードのほうでもダイアルアップルーターが安くなってきているからなのである。

 ダイアルアップルーターはまだやや高価で富士通あたりで6万円ぐらいなものが出ている。色々細かい設定ができそうでよさそうだが、TA、モデムが不用になってしまうようで、資産が無駄になる。

 気軽なのは、PROXY SERVER SOFTだ。5/1号のドスマガにもPROXY97とi.SHARE2.0が載っていた。PROXY97のほうはMACからも使えるようで、後は、NT用のバージョンが出て、処理速度が速ければ完璧?。

一方、linuxは余計なソフト代もかからず手軽に挑戦できるが、設定がややこしいのがどうもしり込みしてしまう。はじめは、linuxで安くできればと思っていたが、金にまかせてPROXY SEVER SOFTに誘惑されている今日このごろである。


苦しみもまた愉し

('97 4/25)

 昨日はまたもやトラブル続き。大学の事務の人から論文提出書類の不備があり、受理できないとの電話あり。それに加え、現在の歯科医師会の仕事にまたもやトラブル。あーあ一瞬落ち込んだ。参ったなぁ。さいごのとどめ、論文で相談したかった教授が家庭のご不幸で実家に帰ってしまった。とほほほトリプルパンチ。

 もうやんなってしまった。しんどいな。

こんな落ち込んだ時、目を通すあの本でも出して読んでみるか。

川北義則著 PHP研究所発行の「人生愉しみの見つけ方」

この本の目次だけ読んでも元気出てくる。

開き直ってのんびりしよう
愉しさは苦しさの向こうにある
苦しさの中の愉しさに気づいているか
計画どおりに運ばないことを愉しむ時代....

どんな苦しい時でも愉しんじゃおう。
結果がどうあれそれをすべて受け止められる懐の深さ。
川北氏はたいしたもんだ。私はこれほど懐は深くないから、心底、川北氏の気持ちにはなれないが、できるだけ近づけようと思う。この懐の深さには憧れてしまう。


あーあ、するとまたその陰にはブルックナーが。
ブルックナーのシンフォニーの懐の深さに憧れてしまうのと同じかな。

もう一息だ。がんばりましょう。
私には川北氏の本とブルックナーがあるではないか。


pentium Proは何処へ

('97 4/20)

 ここ1、2年ほどCPUのめまぐるしい変化があった時もなかったような気がする。
pentium、pentium Pro、MMX、pentiumU、AMD k5、k6、Cyrix、低価格alphaと、すごい種類。
この中で、socket 8のpentiumProだけが行き場を失っている。

socket 7は、pentiumはもちろん、MMX、Cyrix、AMD k5、期待の大きいk6といろいろ変化が楽しめる。k6ががんばってくれれば将来性は、まだある。AMD独自のチップセットを開発し、AGPに対応するとのアナウンスもあり、どっこい、socket 7は死なず。

pentiumUは、これからのCPUだ。スロット1の規格になるので2次キャッシュがCPUに組み込まれているsocket 8のpentiumProはどう見ても、対応が難しい。

後は、AMDあたりで、pentiumPro互換のMMX対応のCPUを出してもらえるかどうかだが。

私は、昨年秋に、asusのM/B、NP5を購入し、pentiumPRO150MHZ(166で動作)をさして使っているが、今考えると、いろいろなCPUが使えるsocket7のT2P4あたりのリビジョンの新しいものを買えば良かったと思えてくる。

最後の望み、ベストセラーTP4XEでAMD k6が使えればなぁ。

こんなに早くklamathが姿をあらわすとは、先の見通しをやや誤ってしまった。


思わぬ誕生日プレゼント

('97 4/19)

  数日前に歯科医師会のある仕事を行わなければならない羽目になってしまった。その仕事をするには、ある長老の先生の承諾を得なければならなかった。この先生は現役時代から、気難し屋でとおっていて、近寄りがたく、苦手であった。ほとんどしゃべったこともなかった。

 恐る恐る電話をした。訳を説明した。すると、明日15日に承諾書に印を押すと、返事が返ってきた。
 
 父母が作った野菜を手土産に、いわれたとおり15日に先生のうちにお伺いすることになった。
車の中では、心配であった。行ったはいいが、ごねられてはんこを押してもらえなかったらどうしよと。

先生の家に着き、居間に通された。先生は、机に向かって待っていた。個人的に話をするのはこれが始めてだ。しばらく見ていなかったせいか、やややつれたように見えた。

私は事情を説明した。
”君、紙を机の上に置きなさい。ここへ書けばいいんだな。はんこは三文判じゃいけない。”
と言いながら、先生独特の特徴のある字で承諾書にサインし、実印のようなはんこで判を押してくれた。

これだけでも私はうれしかった。
”先生、どうもありがとうございました。”と私は深々と頭を下げた。

”君、その仕事一生懸命やりなさい。針の穴くらいのチャンスでもあったら逃しちゃだめだ、そのチャンスを突いてドーンとやりなさい。”
今まで穏やかだった先生の目が、その時、一瞬キラっと輝いたような気がした。

”このような若造にはもったいない言葉です。先生すいません。一生懸命がんばってきます。”と言いながら、自然と頭が下がった。

こんなに私の仕事を理解していただいているとは、夢にも思わなかった。激励までしていただいた。
自分がこの先生を、見間違えていた恥ずかしさと、夢にも思わない激励とで、思わずうれしくて目頭が熱くなってしまった。

帰りの車の中で、
”よーし、この先生の気持ちを無駄にせぬよう、だめかもしれないががんばってみよう”と心に誓った。

そうだ、15日の今日は私の誕生日だ。そういわれれば、朝、かみさんからおめでとうと言われたようないわれないような。もう39歳にもなると、どうでもいい気がしていた。かみさんの機嫌の良い顔と、子供たちの元気な姿があればそれで良いと思っていた。プレゼントなんて関係ないと思っていた。

しかし、思わぬプレゼントが.....

短い時間であったが、この初老の先生とのやり取りが、私にとって最良の誕生日のプレゼントとなった。


先生ありがとう。がんばってみます。



人間万事塞翁が馬

('97 4/13)

 長年やってきた論文がやっと提出の運びとなって、まだ完全ではないが、大学へいって提出書類の整理を行い、印鑑も押してきた。ここまで来るのが長い道程であったが、どうにか先が見えてきて、8合目まできた感じだ。少しうれしかった。会合に出た後、お決まりのコ−スで、クラシックCDの中古屋、次に秋葉原と回った。中古CD屋では、探していた、アイヒホルンのブルックナー5番を見つけて、これまたラッキー。ギーレンのブルックナー8番も見つけた。
 
その後、茨城に戻って支部歯科医師会の会合に出て、友人宅に寄り、深夜自宅に帰る途中であった。ブル5を聴きながら論文のこと、歯科医師会のことをいろいろ考えていたその時だった、はっと思ってももう遅かった、信号無視をしてしまった。やばいとおもってももう遅い。おりしも、春の交通安全週間。後ろから、警らのパトカーがきらきらとよってきた。もう腹を括ってしまった。酒はもちろん飲んでいなかった。青切符を切られてしまった。しょうがない。
 
 警官いわく”あのー、印鑑なんて持っていないですよね。”どひゃー。いつも印鑑なんて持ち歩かないのに今日に限って持っていた。論文書類に印鑑を押さなければならなかったからだ。かもがねぎをしょってきたようなもんだ。おもむろに印鑑を押し、指定の期日までに反則金を払うこととなった。
 なんてついていないんだろうと思いながらも、よかった、側から車が来てなくて、不幸中の幸いだった。
 
 今までの自分の人生でもそうだった。一方でラッキーなこと、うまくいったことがあると、一方では、今回のように自分に責任があることもあるが、何かうまくいかないこと、アンラッキーなことが必ずあったような。

 つい思い出してしまった。中国の格言 人間万事塞翁が馬 ってのを。
 
 人生なんて良いこともあれば悪いこともある、予想ができないものだ。いちいち良いことあったから喜んでも、悪いことがあったから悲しんだってしょうがない。もう少しでかく構えないといけない。(正確にはどういう意味なのか、私の勝手な解釈かも)

 さすが、4000年の歴史。懐がでかい。中国っていう国は昔から、あっちのこっちの王朝が変わりばんこに国を治め、いちいちあっちの王朝がどうの、こっちの王朝がどうので、嬉んだり悲しんだりしていてもはじまらないし、国もばかでかい、将来だってどうなるかわからないものだ。そんなことで、上のような格言が処世術の一つとして生まれたのかもしれない。


 幸不幸は背中合わせか。とふと考えた一日でした。


ある日突然brucknerが

('97 4/10)

 あれは、今から約20年前、大学2年の春休みであった。長岡鉄男氏設計のバックロードホーンのスピーカーボックスをDIYショップからベニヤの合板を買ってきて作っていた時だった。NHKFMを聴きながら作っていた。今考えると朝比奈隆のインタビューをやっていた。彼いわく (私がブルックナーを始めたころは、日本でやっている人もほとんどなく、どう演奏すればいいのかわからなかった。だから楽団のメンバーと話し合って、とにかく楽譜に書いてあることを正直に音にしようじゃないかってことになった。今も私はその時と同じ考えでいる。)というようなものだった。そしておもむろに朝比奈指揮のブルックナーの第7交響曲がかかった。

 私は、スピ−カーボックス作りに余念がなく聴き流していた。しかし......第3楽章のあのスケルッツォが始まった時、ふっと耳を奪われた。あの先鋭的なリズム、天から奈落の底に落とされるようなパッセージ、心休まる中間部。その後、耳から離れなかった。なんか気になってしょうがなかった。

 当時は、私もクラシックを聴き始め2年ぐらいたっていた。ベートーベン、モーツァルト、バッハ、ブラームス、ショパンなんて名曲類を少しずつ廉価版レコードを買って聴き始めていた。ブルックナーなんて名曲の紹介にもなかったし、はっきりいって、眼中になかった。

 新学年が始まり、東京での学生生活が始まった。しかし、あのブル7の3楽章が頭にこびりついていた。とにかくレコードを買って聴いてみよう。生協のレコード売り場にいった。1300円のブル7があるではないか。シューリヒト指揮ハーグフィル。なんか聞いたことないな。とにかく買ってみよう。
 
下宿には当時、レコード再生装置はなかった。そのまま何週間か過ぎ、5月の連休あたりに、実家に帰ってきた。実家には、春休みに作った巨大なバックロードホーンスピーカーが仏壇のある部屋にデーンと構えていた。さっそく針をおろした。雲の中から、長調だがなぜか憂いを含んだ第1主題が朗々と鳴り始めた。なぜか尻切れとんぼの休止が多い。第2楽章。しっとりしてなんて優しいアダージョなんだろう。そして第3楽章。あの先鋭的なリズムだ。大音量で聞いたら、まさに天から奈落の底に落とされる快感が湧きあがってきた。3楽章だけ何回となく聴いた。

 そのうち、第1,2,4楽章もなんとなくわかってきた。尻切れとんぼももうあまり気にならなくなった。第2楽章を聴いたらなにか込み上げるものがあるのに気づいた。

 それからというものブルックナーの虜になってしまった。中古版のベームのロマンチックを買い、廉価版セルの8番3番を買い、廉価版のカイルベルトの9番を買い、そこから私のブルックナー遍歴が始まった。

 あの朝比奈の7番を聴いた時に、私の脳細胞のシナプスとシナプスがごく細いブルックナー回路を形成したのであった。それから、回路は次第に太さを増したに違いない。

 宇野氏が言っている。ブルックナーはある日突然わかるもんだって。私がまさにそれだった。



民生、陽水の「ありがとう」からbrucknerが見える

('97 3/15)

 私の診療室ではFM東京を流しっぱなしにしているが、この頃、奥田民生と井上陽水の「ありがとう」という曲がよくかかっている。奥田民生はユニコーンの時からなかなかいい曲を書くなと思っていた。puffyのアジアの純真を聴いたときこの曲作りは、'70から80年半ばごろまでロックに浸かった私にとっては懐かしいものであった。後で奥田が曲を作ったことを聞いて、なるほどやはりと一人で感心していた次第だ。
 前置きはこのくらいにして、このありがとうという曲、

........してくれてどうもありがとう
........してくれてどうもありがとう


と続いていく。この中で奥田が

笑い飛ばしてくれてどうもありがとう

と歌う。
普通であれば、俺がここまで何々を一生懸命にやってきて苦労してきたのに何だあのやつ、俺のやってきたこと笑い飛ばしやがった。とんでもないやつだ。冗談じゃない。頭にきた。

と、こうなる。ではなぜここで 笑い飛ばしてくれてどうもありがとう  なのか。

そうだよな、俺も俺なりに一生懸命やってきたけど、やつの見方こらすると笑われても当然なところもあるよな。やっぱりまだ未熟なところあるのかもしれない。物事の見方が狭くなっていた。広い視野で見て笑い飛ばしてくれたやつには、そうだよなむしろ感謝しなきゃいけないのかもしれない。どうもありがとうって。

という気持ちなのかなぁ。

曲の中で

優しい人、冷たい人
好きな人、いやな人

と歌っている。
普通であれば、冗談じゃないよ、あの時俺をむげに扱って、冷たくあしらったあんなやつに、ありがとうなんていう筋合いないよ。
あんないやなやつ、いつも自分ばっかりでいい気になっていて、自分が大将だと思ってやがる。ほんといやなやつだよ。ありがとうなんていう理由がないよ。

である。ではなぜ、冷たい人や、いやな人にもどうもありがとうなのか。

でもな、冷たい人や、いやなやつに会ったからだよな、今の自分があるのは。人に冷たくすることが、冷たくされる側にはどんなにつらいものか教えられたよ。自分もああいうことすると、ひとから嫌がれるんだよな。そう考えると、いろいろそういうことを教えてもらった、ああいうやつにも感謝せにゃならんかもしれない。逆の意味で今の自分の一部になっているのかもしれない。どうもありがとう。

ということかもしれない。

この曲の根底には、自分は、周りのいろいろな人たち、果ては社会、自然、というものに助けてもらって生かしていただいているという謙虚な気持ちがあるような気がする。

そこで、brucknerだ。brucknerの交響曲は、すでに言い古されているかもしれないけど、神への敬謙な思い、大自然に対して、人間なんてちっぽけで、無力ではかないな存在だということを教えてくれる。その中から、純な心、自分を取り巻く自然に対して敬謙な気持ちが湧いてくるような気がする。brucknerのアダージョ楽章などを聴いていると、特にこんな気持ちになってくる。

すると、ほら、ありがとうの歌と共通してくるではないか。

いつの世でもそうかもしれないが、奢り高くてひどいことをする人がたくさんいる。

私自身も、奢っているところがないかというと嘘になるけれど、自分も、周りの人をはじめいろいろなことで、毎日生かしていただいているという気持ちを心の片隅に持っていたいなと思う今日このごろなのです。


中原会長さんしっかりして!

(’97 3/6)


 約1週間ほど前の新聞に、歯科医師会長中原爽先生が地方遊説の時に日本歯科医師会代議員の方々にワイシャツのお仕立て券と現金30万円を渡していたことが載っておりました。

 中原先生は会長就任してから参議院議員としてもご活躍され、前回の保険の改正でも、歯周病の治療体系の改善、補綴維持管理料の導入と、きちっと治療をされてる先生方にはやりがいのある改正内容を積極的に進められ、我々も大変尊敬しておりました。
 しかし、いくら歯科医師会の会長選挙は公職選挙法に則っていないとはいえ、あからさまな金品の授受は控えるべきではないかと思います。お金の出所も気になるところで、自腹で出しているのか、我々の会費から出ているのかどうなんでしょう。会長の公の交際費もありますからそこいらへんは定かではありませんが。

 いずれにせよ、我々歯科医師会会員は、保険改正等も含めて会長さんには頑張ってもらわなければなりません。会員のために一生懸命やっていただければ、お金を渡さなくても我々は必ず中原先生を応援いたします。ですから、お金を渡すようなみみっちいことはせず、我々会員の声を反映するよう、頑張っていただきたい。
 


石油流出事故 使わない桟橋建設に45億!

('97 2/13)

本日のテレビのニュースで、あの石油流出事故で結局使わなかった、転覆した船までの桟橋に45億もかかっていると聞いて唖然とした。結局その費用は国が負担するとのこと。つまり我々の税金が使われるわけだ。
 私の両親と同じのような老人があのふきっつぁらしのなか、身を削って地道に油をとっている様子や、また、無償のボランティアの人たちががんばっている様子を見ていると、この45億円は何だったのかと思えて、腹立たしくなってきた。自治体の長たる人は何をやっているのか!
 人間だれでもうまくいかないことや間違いはあるが、これはひどすぎる。もう少し考えて欲しい。
 建設業者には失礼かと思いますが、漁夫の利を得てしまったようなもの。
 一生懸命油を取っている人がかわいそうだ。 世の中こんなもんさと思えばそれまでだが.....


再びLinux

(’97 2/2)

 約1年半ほど前、Linuxをかじってやろうと、Linux入門の本と、LASER5 Slackware版 Linux+JE4を購入。セカンドマシンのDELL optiplex XM590にインストールを開始した。しかし何回やっても途中で止まってしまってだめ。IDEのCDROMと相性が悪そう。その後やっとのことでHDDからインストールに成功した。しかし、Xwindowの設定で躓き、何としても立ち上がらない。もう疲れ果てて、イソップの酸っぱいぶどうではないけれど、人が言っているほど面白くないOSと決め付けてしまっていました。

 しかしその後、私自身とLinuxを取り巻く環境は次第に変わってきました。dos/vマガジンでは米田氏がLinuxをやさしく解き明かし、私もインターネットを始め、JFをはじめいろいろな資料にアプローチがしやすくなってきました。おりしも日本で初めてLinuxジャーナルが発売され、売れに売れているとのこと。今までちょっと小耳に挟んだことはありましたが、使い勝手の良いRedhat版の最新のLinuxが発売されまた再びLinuxに挑戦したくなりました。

 早々、秋葉のプラットホームでRedhat R4を3800円で購入、DELLマシーンにインストール。boot disk付き。HDDのパーテーション容量のところで若干躓きましたが、無事インストール終了。Xサーバーには、Metro−Xがついていて、GUIで設定できて、ビデオカードの設定も、何と天の助けか、DELLが載っているではありませんか。XL100にしたら(なぜかXMT590を選ぶとだめ)やった、高解像度で美しいXwindow立ち上がった。FDD、CDROMも認識。ほっと一安心。

 Redhat版は、ソフトのインストールもコンパイルなどと難しい作業はなく、RPMファイルが用意されていればwin95とはいかないけれどかなり簡単そう。また、いままでキャラクタベースでやっていたことがかなりの部分でGUIでできそうです。

 さあ、これからは、日本語化とネットワークをいじりたい。また躓いて投げ出すかもしれないけど。UNIXを学びたい人にはslackwareのほうが良いかもしれないけど、Linuxを使ってなんかやりたい場合にはRedhat版のほうがユーザーフレンドリーな点で優れていると思います。まだ、Redhat版に関する記事や書籍が少ない状況ですが、将来の予想では、Slackware版よりも一般的に受け入れられるのではないかなと思います。

 


濡れマスクで風邪知らず

('97 1/14) 

今年も風邪の季節がやってきました。毎年私は、1月から2月にかけて、風邪で熱が出て寝込むことが必ず一回はありました。平成5年の1月には風邪で1週間も診療を休んだことがあり、いつもいやな季節で憂うつです。

 ところが、平成6年の3月頃書店でふと見つけた歯科医師が書いた風邪対策の本「さらばかぜ薬」(臼田篤伸先生著 三一書房)を読んで以来、確かに風邪はひきますが、あまりひどくならなくなったのです。

 どんな風邪対策をするかというと、表題にもありますが、夜眠る時に、濡れマスクをして眠る。ただそれだけです。市販のガーゼマスクにぬるま湯を滴るか滴らないくらい含ませ、上1/4ほど折り返し、鼻孔をふさがぬようにして使用します。それで寝ます。

 臼田先生によると、風邪は夜中に作られるそうです。上気道粘膜を構成する繊毛上皮は表面が乾燥すると抵抗力が落ちて風邪ウイルスが侵入しやすくなます。その表面が乾燥するのが眠っている夜中なのだそうです。繊毛上皮の乾燥を防止するために、いつも湿った空気を吸入すればいいわけです。そこで濡れマスクの登場です。

 私は、昨シーズン、風邪はひいたもののこの濡れマスクの使用で軽く済み、どうにか発熱せずに冬を越すことができました。今シーズンも今のところ、やや風邪気味ですが、「気味」で済んでます。

 皆さん一度試してみては。詳しくは臼田先生の本を読んでください。かかったかなと思ったら濡れマスク!

国の財政赤字はどうなっちゃうのでしょう

('96 12/28)

 乗っけからかなりシビアな話題で恐縮です。職業柄医療保険に関連して、国の財政赤字についてことさら気になる毎日です。頭に浮かぶ事柄だけで保険医療はどうなってしまうのだろう。自分の老後に果して年金が少なくとも積んだだけもらえるのだろうか、自分の子どもが社会に出て働くようになった時、国の財政はどうなっているのだろうか、などなど...心配事がいっぱいです。

 某新聞による試算では、2025年に黒字にするには、年金支給を65歳以上、年金保険料5年後とに2.5%up、医療費自己負担22%以上、公共事業2004年から一定、政府事務経費現行のままというかなり厳しい政策でやっていかなければならないとのことだそうです。

 私たち国民も勉強不足であった面もありますが、国の先頭に立つ人間がその場限りの政策に終始し、票取り合戦とコレクティングマネーに勤しんでしまったためではないかと思っています。でも後ろばかりは見ていられません。これからどうするかです。日常

明るく楽観的に生活していても、頭の片隅にいつも危機感を忘れちゃだめだと思います。


始めですから自己紹介をします

名前 真中信之
生年月日 1958415
住んでるところ 茨城県岩井市
仕事 歯科医業
趣味 DOS/V PCいじり、クラシック音楽観賞、へぼテニス
家族 妻一人、子ども三人



ご意見ご感想待ってます mail adress fukiage@fureai.or.jp

 homeに戻る