About ALFAROMEO
◯ アルファロメオとは。
・単純に言えば、イタリアの自動車メーカのことです。
正確には「フィアット」と言うやはりイタリアの自動車メーカの傘下にいるので”ブランド”とも言えるかもしれません。
でもそれを言ってしまうと「フェラーリ」や「ランチア」なんかもフィアットの傘下ですから一緒ですね。
・上の説明はかなり簡単に、しかも現在の状況しか説明してません。
あまりうんちくを言うのは好きではないんですが、アルファロメオとうんちくは切っても切り離せない事のようですので、聞きかじった知識ですがさらに詳しく説明します。
「大体でいいや」と言う方はこの先は長いので、戻って他のところを楽しんでいただいて結構です。
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・20世紀始めにイタリアはミラノで「ロンバルダ自動車製造株式会社(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili)」=A.L.F.Aとしてスタートしました。
エンブレムはミラノ市の紋章の赤十字とヴィスコンティ家の紋章の人を飲み込む大蛇をモチーフにされています。
同じような時期に「トリノ・イタリア自動車製作所(Fabbrica Italiana Automobili Torino)」=F.I.A.T (フィアット)が設立されています。(アルファよりこちらのほうが少し早い)
アルファの第1号車は1910年に4気筒4000ccのエンジンを搭載した車で、シシリー島の「タルガ・フローリオ」というレースに参加しています。
その後年間に300台程度の自動車を生産しますが財政難に至り、1914年に「ニコラ・ロメオ」というエンジニアの方が経営に乗り出しました。
ここで「アルファ」は「アルファ・ロメオ(ALFA ROMEO)」と名前を変えます。
アルファロメオは数々のレースに参加し、その名前を残してきているのですが、そのレーシングドライバーの中には「エンツォ・フェラーリ」もいらっしゃいました。
この方は後に独立して「フェラーリ」というチームを作っています。
ちなみに1951年のシルバーストーンサーキットでフェラーリは初めてアルファロメオに勝利しています。
その後アルファロメオは1953年にレースから撤退し、量産車の生産に入ります。
量産車で有名なものに「ジュリエッタ」や「ジュリア」があります。
「ロメオ」の「ジュリエッタ」です。洒落っ気がありますねぇ。
ジュリエッタシリーズにはベルリーナ、ベルリネッタ、スパイダーの他にちょっと特殊な子たちがいて、ザガートというところがジュリエッタをベースにSV(スプリント・ベローチェ)、SZ(スプリント・ザガート)、TZ(チューボラレ・ザガート)と言うのを作っています。
アルファが好きな人が見れば、ため息が出るようなクルマだそうです。(出ます。ふうぅ・・・:by たま)
脱線しました。
ジュリエッタの次に1962年に「ジュリア」が生まれています。
この辺りの歴史はちょっとややこしくてまとまらないのですみませんがはしょらせていただきます。
1987年。アルファロメオはフィアットに買収されます。
1970年代、このころアルファロメオは国営企業という位置にいました。
かの有名な日産と提携して作った伝説的自動車「アルナ」という車を作ったのもこのころです。
どのように伝説的かというと、ほうっておくと土に帰ってしまうとか、走る前に壊れるとか。
ベースはパルサーなんですけど。
話を戻します。
当時アルファロメオは国営企業と言う立場上、雇用促進の政府の政策を強いられてジリ貧状態だったそうです。
赤字続きのアルファロメオを民間に売却しようとする動きがありました。
このころフィアットは巨大な企業に成長していました。
政府はまずフィアットに売却の算段を持ち出していますが、一度断わられたらしいです。
フィアットはこの時点で既に「アウトビアンキ」「ランチア」「フェラーリ」「セアト」「アバルト」を買収し抱えていました。
フィアットがアルファロメオ買収を断わったところで、アメリカの「フォード」がアルファロメオ買収に乗り出します。
ところが、いざ契約と言うところでフィアットが動いたのです。
当時のフィアットの総帥「ジョバンニ・アニエッリ」でした。
それにしても、どうやって発音すればいいんだろう。「アニエッリ」とか。
「アメリカに売る訳にはいかない。アルファロメオはイタリアの誇りだ。」
と言ったか言わずかは別としてアルファロメオを買収したのです。
その後のアルファロメオは山谷はありましたが、164、155、gtvやスパイダー、145とFFレイアウトのニューモデルを次々と発表しています。
簡単ですが説明は以上で終わりです。
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