「北へ。White Bio Hazard」 第1話:出会い −7−「まったく、なんであんな気楽な連中のために、私が苦労をしなけりゃなんないんだ よっ」 スガイビルからススキノに向かって歩いている葉野香が、さっきから語気を荒げて ブツブツと独り言を繰り返していた。 すれ違うヒトが何事かと振りかえるくらいだから、独り言と言うには、幾分声のボ リュームが大きい。 「全部くそ兄貴のせいだ」 赤信号を待ちながら、苛立たしげに息を吐いた。 額から一筋、汗が流れる。 スカートのポケットからハンカチを取り出し、流れる汗を拭いた。 ちらりと空を見上げる。 雲一つ無い、真っ青な空が頭上遥か高くまで広がっていた。 「…今日も暑いな」 北海道とは言え、真夏の今の時期はやはり暑い。 僅か一、二週間ほどで過ぎてしまう北海道の盛夏ではあるが、それゆえ慣れない 身にはかなり堪えるのだ。 足もとのアスファルトからの照り返しが、暑さにさらに拍車をかけた。 葉野香も暑いのは嫌いではないが、さすがにこう連日だといい加減ウンザリもして くる。 目の前を通り過ぎるクルマの群れが、熱い空気と排気ガスを垂れ流しながら走り 去った。 熱気がまとわりつくように押し寄せ、周囲の空気と同化していく。 「もうしばらくどこかで涼んでいくか」 そう呟いて、足先を別方向に向けた。 「?」 最初は気のせいかと思った。 それほどほんの僅かで、いつもなら気がつかないような、極弱い、微かな気配だっ た。 だが、今はさっきのことで気が昂ぶっていたのか、そんな僅かな気配にも敏感に なっていた。 (どこだ…?) 意識を集中して気配の出所を探った。 ゆっくりと、大きく息を吐いて気を落ちつかせ、周囲のノイズをカットアウトしていく。 気配が輪郭を持っていくにつれだんだんと気分も悪くなり、額から暑さとは違う汗が 流れ始めるのを感じたが、それと同時に、気配がどこからのものかもはっきりとした。 後方、今歩いてきた方向からその気配を感じる。 微弱ではあるが、決して遠い距離ではない。そして間違い無く"目標"の気配だっ た。 「ちっ」 小さく舌打ちをした。 今の葉野香には目標を捕捉しても、何もする事が出来ない。 だが僅かの躊躇の後、葉野香は気配のするほうへと、足を向けていた。 「はーい、どもー、お粗末さまでしたーっ」 エコーのかかった鮎の声が、さほど広くも無いカラオケボックス内に響いた。 ペチペチペチとまばらな拍手が狭い室内に鳴っている。 「へー、鮎って結構歌上手いんだな」 智哉が感心したように言う。 「まぁね〜。これでも一応歌手目指してますから〜」 マイクを持ったまま腰に両手を当てて、どこか自慢そうなポーズをとっている。 「鮎だったら、いいとこまで行けると思うよ、私も」 「えっへっへー、そんなことあるよ」 えっへん、と胸を反らした。 ふと、智哉の視線に気がつく。 「…なんか言いたそうねぇ」 「お前は、意識しすぎだっつーの」 「言ってみ。怒らないから」 「やめとく」 ぽかっ。 鮎のゲンコツが智哉の頭にヒットした。 「なにすんだよ」 「一応、叩いといたほうがいいかなぁって」 あはは、と鮎が笑った。 つられて琴梨も笑い出そうとした。 ----気配への反応は3人ほぼ同時だった。 今までの雰囲気は一変し、琴梨は目には見えない何かを凝視するようにしてソ ファーから腰を浮かせた。 沈黙が部屋に充満し、3部屋向こうのカラオケルームの歌声が僅かに部屋に漏れ 流れてくる。 「……なんでこんなところに…」 鮎がマイクを握り締めながらつぶやく。 琴梨は知らず智哉のシャツのすそを掴んでいた。 「気のせい…、じゃないよな」 気配は弱いが、なんとなく感じるようなレベルではない。 ほんの数日前に、札幌駅地下通路で感じた感覚と同じだった。 「間違い無いよ、目標の気配…」 琴梨がソファーの上に乗せていた小さな皮製の白いリュックを手元に引き寄せた。 智哉も足もとの床に置いていた、ナイロン製のリュックのジッパーを開けて、今日、 ターニャから受け取った銃とホルスターベルトを取り出した。ベルトにはマガジンポー チも付けられ、3本のマガジンが入っていた。 このホルスターベルトもターニャの手によるものだ。 「…どうすればいいんだ? これ」 「ベルトを腰に巻いて、落ちないように長さ調節すればいいんじゃないの?」 そう説明する鮎は既にライフルにマガジンを挿し込み、チャンバーに装弾していた。 マズルキャップは、まだ外していない。 「気配はするけど、俺にはまだ何処に居るのかよくわからんぞ」 言いながら智哉は、スライドを引いて弾を装填し、デコッキングレバーでハンマーを 下ろした。P226にはセイフティが無いので、とりあえずの安全処置である。 「下の階だよ。そんなに遠くない。ここ7階だから、2つくらい下じゃないかな」 琴梨はデザートイーグルをリュックから取り出し、スライドを引いた。カシュッと硬質 な金属音が短く鳴る。 「どうするんだ?」 「本部に連絡した後、非常階段から降りて、目標を確認。智哉が先にフロアに出て、 琴梨は智哉の背後をサポート。私はその後ろから距離を取って援護する」 「うん、それでいいと思う」 「いきなりだな。やれるのか、俺に?」 「大丈夫だよ。私たちもブッツケで出来たんだから」 携帯電話を鞄から取り出しながら鮎が言う。 「じゃあ本部に連絡するから、外の様子確認しておいて」 言いながら片手で携帯電話の短縮キーを押し、鮎が本部に状況を伝え始めた。 その間に智哉と琴梨は部屋のドアから外の様子をうかがっていた。 幸い通路に人気は無い。歌声が聞こえるが非常口までの間の部屋には客は居な いようだ。カウンタに女性店員がいるが、一人のみである。 ただ、非常階段はカウンタの隣にあり、カウンタ前を通らなければ行く事が出来な い。 「お会計済ませちゃったほうがいいよね」 「でも緊急事態だぜ? あの店員も早く非難させたほうが…」 「ダメだよ。ちゃんとお金は払わないと」 上目使いで琴梨が怒る。 「お金払ってくるから、伝票ちょうだい」 しかも智哉に向かって命令モードである。 智哉はテーブルに戻り伝票を取ると、琴梨に渡さずに部屋を出た。 「お兄ちゃん?」 「今日は俺のオゴリ」 そのままカウンタに行き、料金を支払った。 部屋に戻ると琴梨が智哉を捕まえて 「私、怒らせちゃったの…?」 おずおずと言う。 「ん? いや、別に?」 「だって、お兄ちゃん…」 「あぁ。元々おごる気だったんだから、気にするな」 「おお、智哉って案外と太っ腹」 電話を追えた鮎が、二人の間に割り込んできた。 「おだててもこれ以上何も出ねぇぞ。それよりなんだって?」 「とにかく目標の停止が最優先。後の事は本部が上手くやってくれる手筈よ」 「応援とかってのは、無しか」 「あるわよ。それにめぐみちゃんも駆け付けるって。今本部だから、早くても15分くら いはかかると思うけど」 「……」 「琴梨?」 急に黙り込んだ琴梨に鮎が声をかける。 琴梨は緊張した面持ちで、階下を見とおすように床を見つめている。 無意識に智哉の背に隠れるように後ずさった。 「どうした?」 「なんだか、今までと様子が違うの。…一体とかそんな感じじゃなくて…」 「複数? そんなはず無いわよ、今まで単独でしか現れた事ないじゃない」 「だから、私も信じられない」 「確認してみるしかないだろ」 「お兄ちゃんには、どう感じる?」 「わからん。でもなんだか下の階全体からいやな感じがする」 「ちょっとちょっと、ヤなこと言わないでよ。こっちは今戦力3人しか居ないんだから」 鮎がドアを少し開けて、僅かな隙間から廊下を見た。 状況はさっきと変わらない。廊下に人気は無く、カウンタに店員が一人いるだけで ある。 「今のうちに行くわよ」 鮎を先頭に部屋を出た。カウンタ前を通過する時、店員が驚いた顔をしていたが、 特に騒がれるような事は無かった。どうやらモデルガンか何かかと思われたらしい。 何も言わなかったのは、余計なトラブルを避けたためだろう。 STARSだと名のって協力を求めてもよかったが、パニックになるのが目に見えてい たし、下の階で目標を攻撃すれば嫌でもなんらかのパニックは誘発するだろう。 非常階段に入り、気配を確かめながら階段を降りて行く。 三階分降りたところで、琴梨が不快感に顔をしかめながら 「ここ」 と一言だけ言った。 「間違い無い?」 鮎の問いかけに琴梨はコクリと頷くと、ホルスターから銃を取り出してセイフティを 解除した。ふう、と小さく深呼吸する。 智哉も腰のホルスターからP226を引き抜くと、デコッキングしていたハンマーを引き 起こした。 「開けるぞ」 智哉がドアノブに手をかけた。ギィ、と軋む音と共に、ゆっくりとドアが開かれた。 めぐみは、STARS内にあるターニャの工房にいた。 「ターニャちゃん、なんでもいいから急いでー!」 慌てた様子のめぐみとは対照的に、ターニャはのんびりと思案にふけながら銃の保 管されているロッカーを眺めている。 めぐみは琴梨や鮎と違い、出動にあわせて数種類の銃の中からターニャに選んで もらっている。 普段生活しているのが札幌から離れた美瑛町で、そこではまだ目標が出現してお らず、通常生活の中で目標と交戦することがないためである。 主に使うのはショットガン系だが、状況に応じてアサルトライフルを使用する事もあ る。 「なんでも良くはありません。状況にあわせて選ばないと、かえって使いづらくなりま す」 そう言いながら、小さく頷いて選んだ銃は、SPASだった。 大きく無骨なデザインのショットガンである。 12番ゲージのショットシェルを使用するので、一般的なショットガンと性能は同じよ うなものだが、ストックが折り畳み式になっているので屋内での取り扱いは悪くない。 「それ、大きいからあまり好きじゃないよ…。そっちの、いつも使ってるストック付きの じゃダメなの?」 「屋内戦ですから、ストックが長いのは扱い難いと思います。大丈夫。めぐみさんにあ わせて、ちゃんと調整してありますから」 スリングを付けてめぐみに手渡す。 「ターニャちゃんがそう言うなら……」 渋々と言った感じで受け取り、スリングベルトを肩にかける。 「ショットシェルは2種類用意しました。こっちの赤いほうが、通常の散弾です。青いの は、散弾が大きめで火薬も多めに詰めてあります。破壊力が強いですが、その分反 動も大きいです。使い分けてください」 それと、と言い置いて再度ロッカーに向かい、 「一応緊急用に、STARS正式採用品のSIGを渡しておきます。ですがめぐみさん用 にカスタマイズしておく時間が無くて…」 そう言いながら、SIGを皮製のホルスターに入れた。 STARSでは、琴梨や鮎などの特殊スタッフと彼女らをバックアップするスタッフ以 外は、通常は銃器を携帯していない。 ただ一応特殊機関でありいざと言う時の対処のため、非武装のスタッフ用の正式 採用銃として、SIG-SAUER社製P230JPをスタッフ全員分用意している。 P230は本来セイフティが無いのだが、普段あまり扱わない者が所持するため、セ イフティのあるJPモデルが採用されている。選定にはほかにも小型の拳銃がいくつ か候補に上がっていた。警察組織とつながりがある関係で、結局P230JPが採用さ れたと言う経緯もあるが、最終的にはターニャの趣味で決められたらしい。 「ターニャちゃんがメンテしてるなら、きっと大丈夫だよ」 めぐみはターニャからホルスターごと受け取って、手提げカバンに詰めた。 「じゃあ行ってくるね」 「はい、頑張って来て下さい」 手を振ってめぐみが工房から出て行く。それを、小さく手を振って見送るターニャだ が、めぐみがドアから出て行くと、小さく息を吐いて気合を入れ直した。 「うん。さて、それじゃ次の仕度しますか」 そうつぶやくと、銃ロッカーを再び開けて、ふんふんと鼻歌交じりで物色を始めた。 「お兄ちゃん、右に3体!」 「見えてる。琴梨も前に出過ぎだ、あまり離れるな」 スガイビルの目標の数は、今までから比べて、極端にその数が多かった。 フロアのドアを開けてから既に10分。倒した目標の数は既に15を超えていた。 フロア内の階下へ降りる階段を使い、1フロア下がったものの、未だに目標の気配 が消えない。 だが同時に大量の目標に迫られていないだけ、まだマシなのかもしれなかった。 「18体目…。一体何体いるってのよ!! 鮎がマガジンの残弾数を確認しながら、叫ぶように言った。 「落ちつけ。キレたってどうしようもない」 「判ってるわよ、でもっ」 「こう言うときこそ、冷静にならなきゃ」 無理矢理笑顔を作る琴梨に、鮎も黙らざるをえなかった。 目標の出現が途切れた合間に、智哉と琴梨も残弾数の確認をした。 智哉が残り3マガジンと3発。 琴梨が2マガジンと4発。 鮎が1マガジンと残り5発と言ったところだった。 「……あまり余裕は無いかもな…」 元々長期戦を考えて装備を渡されているわけではないので、弾数の残りは多くは 無い。 明るい照明と電飾に彩られたゲーム機のフロアで、3人はしばしの休憩を入れた。 今いるフロアからの目標の気配は薄くはなったが、下階の気配は依然強いままで ある。倒した目標の血臭が強く漂い、臭覚が麻痺しそうだった。 戦闘状態に入って僅か10分だが、3人の疲労の色は濃い。 目標の気配はそれだけで精神力を消耗するようだ。 ましてや、目標の数が今までとは全く違う。琴梨、鮎ともこんな戦闘は初めてだっ た。 華奢な身体でデザートイーグルを撃つ琴梨も、大型のライフルを振りまわす鮎も、 肉体的な限界がそろそろ近い。 ターニャによって完璧に個々人に合うようカスタマイズされていても、物理的な重さ や射撃時の衝撃は積み重なってくる。 琴梨は両手で銃を握ったまま、フロアにへたり込んでいた。 鮎は琴梨ほどではないにしろ、さっきから腕を自分でマッサージしている。 智哉にしても、初の戦闘で気は張っているのだが、身体の疲労は隠せない様子 だ。 「大丈夫か、琴梨」 「うん。……いや、結構しんどいかも…」 疲れた笑顔で智哉に返す。 「とにかく、休める今のうちにちゃんと休んでおこう。俺は、そこで飲み物買ってくる」 5mほど離れたところに、自動販売機があった。非常時ではあるが、水分補給は3 人にはありがたい。 「緊張感無いわねぇ」 鮎が柔軟しながら言う。体育系の部活に所属してるからか、さすがに体力の回復 が早い。 「何飲む? 俺はスポーツドリンクにするけど」 「あ、じゃあ私も同じので」 「私は果汁100%の天然生絞りオレンジジュース!」 「鮎は青汁、っと」 「え、うそ? ちょちょちょっと待ってよ」 「冗談だよ」 3本の缶ジュースを抱えて、智哉は琴梨と鮎のもとに戻ってきた。 結局、智哉と琴梨はスポーツドリンクで、鮎は果汁80%のオレンジジュースだった。 「まだ本部の人たち到着しないのかな…」 ジュースを飲みながら、鮎がポツリとつぶやいた。 はぁ、と重苦しそうなため息をつく。 まだなんとか対処できるほどの数だが、さらに多勢に囲まれたら無事に出られる保 証は無いし、その事態にならない保証も無い。 心に恐怖感が染み込んでくるが、首を振ってそれに耐えた。 「ねぇ、この中から逃げられると思う?」 「思う」 即答する智哉に、さらに鮎はため息を付いた。 「あんたって楽天的なんだか、状況判断できてないのか、よくわかんないわね」 「鮎こそ、なんでそんな悲観的なんだ? らしくないぞ」 「だって、周りの気配、智哉だって感じてるでしょ? ものすごい数なのよ? いっぺ んに囲まれたら、いくら3人でも太刀打ちできないわよ!」 智哉は腕時計を見た。このフロアに入ってすでに10分以上経っている。 本部の応援が到着するには、まだ時間がかかりそうだった。 目標の気配は濃くなりつつあったが、まだ近くには迫ってきていない。 「落ちつけ。逃げられると思っとかないと、逃げられる気もしなくなる」 缶に残ったスポーツドリンクを飲み干して、握る手に力をこめた。 バキベキと音を立てて薄いスチール缶が潰れていく。 「私も、ここから絶対出るって決めてる。お兄ちゃんと鮎がいれば、私は怖くない」 琴梨が鮎の手を握った。震えていた鮎の手を握った琴梨の手もやはり、震えてい た。 「……うん、そうだね」 鮎は僅かに微笑んで琴梨の手を握り返す。震えは止まっていた。 STARSがスガイに到着した時には、すでに所轄警察によってスガイ周囲は包囲さ れていた。 周囲には多少野次馬が集まってはいたが、ほとんどは近づかずに遠巻きに眺めて いるだけだった。 「やはりこちらに来ていらっしゃいましたか」 そんな中から、ターニャは葉野香の姿を見つけていた。 見ず知らずの、しかも外人に話しかけられて、葉野香は困惑しつつも返答した。 「……誰だ?」 他人を寄せ付けない、いつもの表情だった。しかし、ターニャはそんなことは意にも 介していない様子で、話を続ける。 「STARSのターニャ・リピンスキーと申します。葉野香さんのことは、薫さんから話を 聞いていました。やっぱりイメージ通りの方で、安心しました」 言いながら、ターニャはにこりと微笑んだ。 「あぁ、STARSのヒトか。…、なんか調子狂うな…」 困惑が表情にまで伝わり、葉野香は降参するように頬をポリポリと掻いた。 「ではあの、用意のほうは済んでますので、こちらへどうぞ」 背後に停めているワンボックスへ来るよう促すが、葉野香は何のことかさっぱりわ からない。 「…用意って……、何のことだ?」 「STARSへ協力していただけると、薫さんからお聞きしていますので、その用意で す」 「あ、ああ、そうか。ずいぶんと手回しがいいんだな」 「私は私の仕事をしているだけです。結局は皆さんに頑張っていただかないといけな いんですから、このくらいは」 「STARS」と書かれたワンボックスのドアを開け、ターニャが先に乗り、続いて葉野 香が乗り込んでドアを閉めた。 窓は中から外は見えるが、外から中は見えないようになっている。 「薫さんから話を聞いて、相性の良さそうなものをいくつか持ってきているのですが、 私は葉野香さんにはこちらが一番合うのではないかと思います」 頭に「?」がいくつも浮かんでいる葉野香の前にケースが出された。 ターニャがロックを外し、ケースを開けた中にあったのは、FN-P90だった。 独特の形状を持ち、攻撃力が非常に高い弾丸を使用する銃である。分類的にはサ ブマシンガンにあたる。プルバップと言われる、トリガーより後ろにボルトが来る構造 のため、コンパクトな割には銃身長が長く安定した射撃が可能となっている。マガジ ンも独特で、装弾数は30発となっている。 また組みこみ式オプティカルサイトは外され、代わりにレーザサイトとフラッシュライ トが装着されていた。 「葉野香さんにはサブマシンガンのP90をお渡しします」 「は?」 「葉野香さんにぴったり合わせたチューニングは間に合ってませんので、多少違和感 はあると思いますが、それでも充分に使えるくらいには調整してあります」 「いや、そうじゃなくて、ちょっと待ってくれ」 「心の整理はまだつきませんか?」 ターニャは笑顔で言い放った。 「今日が明日になったところで、葉野香さん自身が決心しないと、同じ事ですよ」 「確かに協力するとは言ったさ。でも、それで銃持ってあの中に飛び込めって言うの か?」 「はい」 「はい…って、あんたも簡単に言ってくれるんだな」 葉野香の両のこぶしが握られている。 この非常時に終始笑みを絶やさないターニャに、苛立ちを感じているのは間違い無 い。 ただ同時に、いざ本当にSTARSに協力し戦闘に参加する場面に遭遇して、及び 腰になっている自分に腹も立っていた。 そんな葉野香の心境を察したのか、ターニャの顔から笑みが消え、真剣な面持ち で葉野香をまっすぐに見つめなおした。 そして静かな口調で再び口を開いた。 「今、あのビルの中、上の階では、葉野香さんと同じ能力を持ったSTARSの隊員3名 が、大量の目標のいる真っ只中で戦っています。歳も葉野香さんとほとんど変わりま せん。5分後にもう一名正面口から突入しますが、今の状況ではどうしても能力者の 力が足りません」 ターニャはケースから銃を取りだし、マガジンを装填した。弾丸は通常の5×7では なく、先端部が中空になっているものを装弾している。通常弾では貫通力が強いの で、目標内部で縦回転し破壊力を高めるよう工夫された弾丸である。 「STARSの別攻撃部隊も現在こちらへ向かっていますが、今の段階ではまだあなた たち能力者じゃないと対処できません」 チャンバに初弾を装填し、葉野香へ銃を差し出す。 「戦って下さい。それが、あなたのためにもなると思います」 その言葉で、半ば反射的に葉野香は銃を手に取った。 ポリマーフレームのP90は、思ったよりも冷たくなく、そして重かった。 めぐみは正面入り口でスタンバイしていた。 彼女は智哉たちと違って本部から直行しているため、STARSの他の隊員と同じ制 服と簡易なボディーアーマを着用している。だがさすがにめぐみに丁度良いサイズが 無いので、すそと袖は折り返され、一番小さなサイズのボディアーマも幾分大きめで ある。本人はちょっとだけ気になっているらしい。 STARSの制服の色はやや暗めのブルーで、肩にSTARSの部隊マークのワッペン が貼られている。基本的に自衛隊などの戦闘服同様のシルエットだが、もう少しデザ インには気を使い、威圧感を感じさせないように配慮されている。 足元もブーツではなく、皮製のハイカットスニーカーのようなデザインだ。 ボディアーマは明るいグレーで、これには文字で「STARS」とだけ書かれていた。 他に帽子が2種、黒のキャップと白のベレー帽があるのだが、めぐみはどちらもか ぶってはいなかった。 めぐみの耳にかけた無線機のレシーバに通信が入った。 「少し突入を待ってください。今もう一人行きますから」 ターニャからだった。 「あれ? ターニャさん来てたんだ。もう一人って?」 「葉野香さんと言う方が一緒に行きます。初めてなので、色々教えてあげてください」 「あ、うん、わかった。でも急いでね」 ターニャが「わかりました」といつもの調子で返事をした5分後に、葉野香がめぐみ の元にやってきた。 STARSの制服に着替え、右手にはぎこちなさげにP90を下げている。 長い髪の毛は後ろに束ね、黒のキャップをかぶっていた。もちろん、眼帯は外して いる。 「葉野香さんね? わたしは愛田めぐみ。よろしくね」 「ああ、左京葉野香だ。よろしく頼む」 言いつつも、何か戸惑っているような表情でじっとめぐみを見ている。 「どうしたの?」 視線に気がついてめぐみが尋ねる。 「いや、なんでも無い…んだけど、えと、……小学生じゃないよな?」 「むーー、これでも中3だよ! そりゃ確かに小さいのは認め……るけど、まだまだこ れからなんだから!」 「あ、すまん。謝る。ゴメン」 慌てて葉野香が頭を下げた。 「わかればよろしい」 満足げな表情でめぐみがうなずいた。 「じゃ、そろそろ突入するよ。ミッションは中で戦ってるみんなとの合流。目標殲滅よ り進路を確保して、一旦補給に戻るルートを護るのがメインよ。私がリードするから付 いてきて。で、最初に注意しておくけど……」 あらたまった様に葉野香に向き直った。 その表情は真剣そのものだ。 「躊躇しちゃダメ。あれが何なのか知ってると思うけど、情けをかけるなら、撃って」 「…ああ、判ってるつもりだ」 それを聞いてこくりとめぐみは頷くと、彼女が先に立ってスガイ入り口をくぐった。 中は、ヒトの気配は無く、代わりに辺り中から目標の不快な気配が漂っていた。 ただ姿はまだ見えない。 「こんな気配は初めてだ…」 「わたしもだよ。なんだか頭がクラクラしてきそう」 生気の感じられないフロアで、ゲーム機が陽気な音をたてている。 シュールと言えばシュールな光景だった。 照明自体は落されていないため暗くは無いが、障害物が多いので、見通しはあま り良いとは言えない。 「上の階の連中、大丈夫なのか?」 中に入ってから銃声はまだ聞こえてこない。 フロア自体ある程度つながっているので、発砲していればイヤでも音は聞こえてく るはずである。 「判らない。でもきっと大丈夫だと思…」 言い終わらないうちに、いきなり右斜め前方に向かってめぐみが発砲した。 クレーンゲーム機の陰、3m程先に頭部を無くした目標が立ち、数瞬後に自らの血 だまりの中に膝を突いた。 めぐみは次弾を装填しながら目標に近づき、心臓目がけてさらに散弾を食いこませ た。 通常散弾とは言え至近距離での発砲なので、破壊力は凄まじい。無数の散弾に 貫かれて頭部と心臓周囲はほとんど跡形も無く飛び散っている。倒れた目標の背後 には、赤い飛沫が飛び散っていた。 「頭と心臓。両方撃たないとホントの意味で倒れないの。それから、出来るだけ返り 血は浴びないほうがいいかも」 床に広がった血だまりを避けるように、めぐみは後ろに数歩下がった。 「まぁ確かに気持ちのいいもんじゃないしな」 停止した目標を眺めながら葉野香が言った。目標はぴくりともせず、血だまりの中 に倒れていた。 「それもあるけど、まだ原因が良くわかってないから」 ガシャッ、とSPASの次弾を装填しながら、めぐみが力無く言う。 「原因…か。そう、だな……」 葉野香の表情が険しくなり、その直後、左真横から突然現れた目標に向かって、 全く躊躇せずにP90のトリガーを引いた。 最初の数発は頭部へ、すぐに胸部に銃口を移し、心臓を貫いた。 貫通力を抑え破壊力を高めた弾丸は、僅かな時間で目標の動きを止めるに至っ た。 「私が…、やらなくちゃ行けないことなんだ…」 ポツリとつぶやいた。 「?」 「いや、なんでもない。先を急ごう」 めぐみは一瞬不思議な表情を浮かべたものの、すぐに周囲を警戒しながらゆっくり と先へ進んだ。 葉野香も後方に注意を向けつつ、めぐみの後に続いてスガイの奥へと脚を進めて いった。 続く