「北へ。White Bio Hazard」 第1話:出会い −6−「カラオケ?」 翌朝、琴梨たちが朝食を食べている時に、遊びに行こうと鮎が訪れてきた。 と言っても鮎が殊更早く来た訳ではなく、ただ単に琴梨たちの朝食が遅かっただけ である。 今日の鮎の格好は、こげ茶の少し厚手のTシャツとショートパンツ、といった出で立 ちだ。 やっぱりパッと見、男の子に見られてもおかしくない。 「あと、ゲーセン。東京モンにスガイ2段活用を教えてあげる」 琴梨のいれてくれたコーヒーを飲みながら、鮎が笑顔で言った。 スガイとは、札幌市中心部にあるアミューズメントスポットで、ゲームセンター、カラ オケ、映画館などの施設が一つのビル内に集中している。 ロケーションは狸工事とススキノ大通りの間くらいにあり、道外観光客よりは市民 の利用のほうが多いようだ。 鮎の提案を聞いて、智哉はモグモグとトーストをかじりながら思案顔だ。 「…なにか今日、用があった?」 智哉の顔をうかがうように鮎が尋ねる。 「ああ、今日はSTARSの本部に行かないといけないらしいんだ」 智哉が言うのを聞いて、琴梨がこくこくとうなづく。 夕べ、めぐみたちが帰った後、本部から連絡があったらしい。 電話を取ったのは琴梨だった。 「じゃ、私もつきあうよ。終わったら行こ?」 「それでいいならいいけど。琴梨も行くだろ?」 「あ、うん、私は…」 トーストにジャムを塗る手が止まる。 「行こうよ、琴梨」 鮎がテーブルに身を乗り出して、琴梨の目の前まで顔を近づけた。 「…でも、邪魔になるだろうし…」 智哉には聞こえないくらいの小さな声で琴梨が鮎にささやくと、鮎は一瞬驚いた顔 を琴梨に向け、大げさにため息をつきながらガクッと首をうなだれた。 「琴梨、ちょっと来なさい」 「え? あ、ちょっと、鮎〜」 椅子から降りた鮎がトーストを持ったままの琴梨の手首を掴んで、問答無用とばか りに強引に廊下まで引きずって行った。 ドアが開き、そして閉まる音が聞こえた。 「…なんだ?」 状況を掴みきれない智哉が、呆然と廊下のほうを眺める。 「琴梨も私の子にしては、案外奥手よねぇ」 もそもそとトーストをほおばりながら、呆れたように言う陽子。 「はぁ…、なにがですか?」 状況を掴んでいない智哉はもちろん陽子の言葉の意味など判るはずも無い。 「いいコンビだわ、二人とも」 呆れたように言う陽子だったが表情は楽しそうだった。 琴梨と鮎の二人が再びキッチンに帰って来たのは10分ほど経ってからだった。 何事も無かったように席に戻る二人だが、琴梨の顔が心持ち赤い。 「…なにやってたんだ?」 いぶかしげに智哉が尋ねると 「な、な、なんでも無いよ。それより、トーストのお代わりはいいの?」 怪しさ大爆発な慌て方で琴梨が返した。 いくら鈍い智哉でも、こんな慌てた様子を見れば、琴梨が何か隠しているのは丸わ かりである。 再度同じ質問をしようと智哉が口を開きかけたところで、横から鮎が口を挟んだ。 「そんな事より、本部行った後にスガイ行くんだから。早く食べちゃってよ」 冷めかけたコーヒーの入ったマグカップを両手で回している。 「……ま、いいか」 智哉は小さく息を吐くと、コーヒーカップのコーヒーを一気に飲み干した。 「お代わりは?」 琴梨が智哉に向かって手を伸ばす。 「いや、いいや」 「割と小食なんだね」 カップを回す手を止め、鮎が言う。 「まぁ、朝はな」 智哉はそう返すと、自分の使った食器をまとめた。 「そのままでいいよお兄ちゃん。私がやるから」 「いいよこれくらい。流しに置けばいいのか?」 「じゃあ、うん、シンクの中に置いてくれればいいから」 食器を持って流しに向かう智哉の後姿を目で追っていた陽子が、テーブルに身を乗 り出した。 「…それで、結局どう言う結論になったんだい?」 興味津々である。 「どうって…」 即座に赤い顔になる琴梨。 「とりあえず智哉は琴梨のか…」 言いかけた鮎の口を琴梨が大慌てでふさいだ。 「ああ鮎、言っちゃダメだよーー」 「なにを言っちゃダメだって?」 台所から帰ってきた智哉が琴梨の背後から声をかけた。 「はうっ、お兄ちゃん? ななな何でも無いの。うん、全然なんでもないんだよ」 真っ赤な顔で力いっぱい言っても説得力ゼロだ。だがしつこく聞いたトコロで琴梨や 鮎が言うとも思えないと判断したのか、智哉はそれ以上追及せず再び席に戻った。 「それで、そのSTARSの本部って遠いのか?」 「そんなに遠くないよ。地下鉄で行けば15分くらい」 今だ冷静になれない琴梨に変わって鮎が言う。 「私がこの後仕事じゃなかったら、一緒に行けたんだけどね」 ふぅ、と陽子が小さく息を吐いた。 「おばさんものんびりしてないで。急がないとロケバス来ちゃうわよ」 「え? もうそんな時間かい?」 慌てたように時計を見ると、残り10分と言った時間だった。 「わ、わ、わ、急がないと」 ドタドタと廊下に消えていった。 その姿を呆然と見送る3人。 「おばさんも相変わらずね」 鮎のつぶやきに、琴梨は苦笑しながらうなずいた。 3人がSTARS本部に到着したのは、もうすぐ正午になろうかという時間だった。 エレベータで地下に降りて管制室に入ると、待っていたと言わんばかりに眼鏡をか けた女性が近づいてきた。 「あ、梢さん」 そう言う琴梨の前で彼女は立ち止まり、少し不機嫌そうに腰に手を当てた。 「遅いわよ、琴梨ちゃん。朝からずっと待ってたんだから」 琴梨より少し背が高いので半ばかがむようにして琴梨の顔を覗きこむ。 「ゴメン、みんなで仲良く寝坊しちゃって」 てへへと笑う琴梨の顔に反省の色は無い。 「まぁ、いきなりだったから、今回はしょうがないけど」 ふう、と大げさにため息をつくと、智哉のほうに向き直った。 「あなたが北嶋智哉さんね。初めまして、人事担当の里中梢です」 「あ、北嶋です」 智哉の返事に梢は満足そうに微笑むと、言葉を続けた。 「今日来てもらったのは、書類関係の手続きとターニャさんからの武装を渡すためで す。じゃあ、早速ですがこっちへ来てください」 梢の案内で通されたのは、管制室の隣にある会議室だった。 大きな楕円形の円卓が中央にあり、その周りを囲うように肘掛のついた事務用の 椅子が20脚配されている。 会議室の壁は素気ないベージュ無地の壁紙が貼られ、部屋の四隅には背の高い 観葉植物が置かれていた。 照明は蛍光灯と白熱電灯の間接光による多少黄色みがかかった淡い白色で、暖 か味のある落ち着いた雰囲気を室内に作り出している。 無論、地下なので窓は無いが、天井が高く作られているため、閉塞間はない。 「適当にかけていてください。すぐ書類とお茶を持ってきますから」 梢はそう言うと3人を残して部屋から出て行った。 「なんかせっかちなヒトだな」 手近な椅子に座りながら智哉が琴梨に言う。 「遅れてきちゃった私たちも悪いんだけどね」 「でも梢はいつもあんなもんだよ。ちょっと自己中なとこあるし」 「誰が自己中ですって?」 こめかみをヒクつかせた梢が、会議室のドアから鮎をにらんでいた。 手には書類入れを持っているが今にも床に叩きつけそうな雰囲気である。 「あちゃ、聞こえた?」 言葉同様、鮎は悪びれない態度で舌を出した。 「…、まあいいわ、今は相手してるほどヒマじゃないから」 こめかみに青筋を浮かべつつ智哉に歩み寄る。 その後ろを、湯気をくゆらせる茶碗をトレイに3つ乗せた女性が、長いストレートの髪 を揺らしながら続いて歩いている。 出て行ったと思ったらすぐ戻ってきたのは、この女性がお茶と一緒に書類入れも 持って来ていたからだった。せっかちな割におっちょこちょいな梢をよくフォローしてい る。 梢は智哉の隣の椅子に座ると、書類入れから数枚の書類を出し、胸ポケットから ボールペンを取り出した。 「えーと、これが誓約書なんかの用紙。一通り読んだら最後の紙に名前を書くところ があるから、そこに、名前、名字、の順に3箇所、書いてください」 用紙は全部で5枚。STARSの簡単な説明と「目標」に関しての説明が、やはり簡 単に書かれていた。 「…これだけ?」 「なにが?」 「いや、書類」 「そうだけど…、なにか問題でも?」 「こう言うのって、もっと面倒なもんだと思ってた」 最後の用紙に名前を書きながら智哉が言う。 「実際は計算機のほうで処理してるからね。多分あなたが思ってるより全然簡単だと 思うわ。この書類書きも儀式みたいなものだし、名前はこのまま読みこんで、本人認 証用に使うだけだから」 「あのさ、一応俺、夏休み中だけ、なんだけど…」 「うん、聞いてる」 「そっか」 「期間は短いけど、それでも正式な手続きしないと後が面倒だからね」 言っている間に名前を書き上げて、梢に手渡した。 「ご苦労様。それじゃターニャ呼んでくるから、ちょっと待ってて」 智哉から受け取った用紙を書類入れに入れると、入ってきたドアから早足で出て 行った。 バタンとドアが閉まり、会議室の中が一瞬静まり返る。 やっぱりせっかちなヒトだなと智哉は思ったが、口には出さないでいた。 「ターニャさん来てるんだな」 智哉が琴梨に話しかけた。 「そうみたいだね」 「銃か…、なんか実感が沸かないな」 お茶を一口飲みながら、智哉がつぶやくように言った。 あまり良いお茶じゃないな、と、夕べ琴梨のいれてくれたお茶の味を思い返す。 「…慣れるしかないよ、お兄ちゃん」 表情こそ微笑んではいるが、口調は重い。 「琴梨は、もう慣れたのか?」 「…持ってる分には慣れたけど…」 そう言ったきり、琴梨はうつむいて口を閉じた。 ふ、と鮎が小さなため息をつく。 「やっぱ撃つのは抵抗あるよ。相手がアレだって言っても」 「…そうか、それ聞いて少し安心した」 「なんで?」 「この間、琴梨と鮎が無造作に撃ってたように見えたからな」 智哉が言うと、鮎が納得したような顔で小さく頷いた。 「撃つ時はなにも考えないようにしてるから」 ニマッと鮎が笑顔を作った。どこか嘲りの色を含んだ笑顔だった。 おかしくて笑ったわけでは無い。 ただ、笑顔以外の表情が思いつかなかっただけだった。 悲しそうな顔をするのは偽善くさく感じる。無表情でいるのもらしくなかった。 鮎の笑顔につられて琴梨も、暗くうつむいていた表情を幾分かやわらげた。 「それにしても、よくわからないな…」 智哉が椅子の背もたれに身を預けると、ギシリと音が鳴った。 見た目よりずいぶん安い椅子らしかった。 「わかんないって、なにがさ?」 「なにもかも、だよ。俺たちの能力、目標、全部」 「そだけどね、おいおい判って行くと思うよ。でも、わかんないなりに出来る事もあるでしょ」 「そうなのかな」 「まぁ、智哉もそのうちわかるよ。イヤでも、ね」 鮎はそう言いながらずずっとお茶をすすった。 途端に顔をしかめる。 「…相変わらず安いお茶ッ葉使ってるわね、こーゆーとこでケチなんだから」 渋そうな顔で茶碗から口を離すや否や、琴梨に向かって小さな声でつぶやいた。 「安いって言うより、これ、古くなっちゃって湿気てるお茶ッ葉だと思う」 「なんでそんなもの出すかね」 「みんなお茶飲まないから、余ってるんじゃないかな」 「ほとんどコーヒーかペットボトルのお茶だもんね。じゃなんでわざわざお茶なんか出すかな」 「梢さんなりに気を使ってるんじゃない?」 「誰に?」 「たぶん、お兄ちゃん」 「ふーん、あの梢が、珍しいわね」 「…そうなの?」 「梢相手だと琴梨のほうに分があると思うけど、あの子も強引だからね、気をつけた ほうがいいよ」 「…ほえ?……」 ぼそぼそと言う会話なので智哉の耳には聞こえなかったが、琴梨が赤い顔でうつ むいて会話が終わった様子は智哉にも見えていた。 梢が会議室から出ていって5分後、三度カチャリと会議室のドアが開き、梢とター ニャの二人が姿を表した。 「どうも、お待たせしました」 ぺこりと頭を下げるターニャの手には、先日よりも3回りくらい小さなハードケースの カバンと、布製のやはり同じような大きさのバッグが下げられていた。 「時間も無いようですので、手早く終わらせてしまいましょう」 ターニャはそう言いながら智哉の隣の席に腰を下ろすと、無造作にカバンを開けて 銃を取り出した。 カバンの中から出てきたのは、先日智哉たちの家に持ってきたP226が2丁と、マガ ジンが4本、それに銃弾が2箱だった。 その他に布のバッグから銃のホルスターとマガジンケースを取り出して、机に並べ た。 銃にはマガジンは入っていたが弾は入っておらず、ターニャはマガジンを抜いて銃 本体を智哉に手渡した。 「メンテナンスや弾の補充などは私がしますから、いつでも遠慮無く言ってください」 言いながらマガジンに弾を入れている。 あまりに無造作なので智哉はしばらく呆気に取られたように、手に握られた銃を眺 めていた。 銃にはキズ一つ無く、丁寧に磨き上げられているように見えた。 「どうされました?」 ほうけたような表情で銃を眺めている智哉が気になったのか、ターニャが声をかけ た。 「…、いや、なんか実感が沸かなくて」 「大丈夫ですよ、智哉さんなら、必ずこの子たちと上手く付き合っていけます。私が保 証します」 「ターニャさんが保証してくれるのはうれしいんだけど…」 煮え切らない様子の智哉に、ターニャは、んー、と少し考えるそぶりをした後、パッ と智哉に向き直った。 「では、保証書をつけましょうか」 うれしそうなその表情からは、悪意は感じられない。どうやら心からそう言っている らしい。 まさに名案とばかりに両手を合わせてうんうんと頷きながら、ポケットから取り出し たメモ帳をめくって、ボールペンで何か書き始めた。 なんか日本語の使い方が間違ってるよなぁ、智哉がそう思ったとき、 「…お兄ちゃん」 いつのまにか智哉の傍らに来ていた琴梨が、小声で諌めるように智哉に話しかけ た。 「いや、俺もこの展開は読めなかった」 「ターニャさんなりに気を使ってくれてるんだから、あんまり困らせちゃダメだよ」 「わかってるんだけど、やっぱな…」 「はい、出来ました〜」 ターニャが、じゃーん、と効果音付きで今書いたものを皆に見せた。 ターニャが日本に住むようになって、すでに3年と半年の月日が経過していた。 父親が死去する以前から、年に1、2度、現在住みこみで働いている小樽のガラス 工房に父親と一緒に数週間ほど訪れていたコトも手伝ってか、日本語を覚えるのに それほど時間を要しなかった。 今ではほぼ完璧な日本語を話す事が出来る。 また、ターニャは母国語と日本語の他にも、イタリア語とスペイン語を片言ながら読 み話すことも出来た。 ガラスの製法に関する文献を読むために、独学で学んだものだ。 ターニャは言語に関しては、一般人よりも優れた習得能力を持っていると言えるか もしれない。 しかし、そんなターニャにも、こと、日本語に関しては、どうしても超えられない壁が あった。 会議室の中が、不思議な空気でつつまれた。 笑顔でいるのはターニャただ一人である。他の者たちは一様に、難解なものを見る 顔をしていた。 「…えと、それ、もしかして、保証書?」 重苦しい空気を破り、智哉が口を開いた。 「はい」 ターニャは笑顔と共に返事を返す。 「ターニャさんって、日本語話すのは、すごく上手だよね」 「はい、ありがとうございます」 なんの疑いも持たない謝礼の言葉だった。 その笑顔に、智哉はそれ以上口を開くのを、諦めざるを得なかった。 言うべき言葉が、喉から先に上がるのを拒んだためだ。 「どうぞ、智哉さんに差し上げます」 メモ帳をきれいに破り取り、智哉に差し出した。 智哉はあいまいな笑顔でそれを受け取る。 「これでもう、安心ですね」 「いやそれはどうだろう」 智哉は言えなかった。言いたかった。言えば絶妙の突っ込みだっただろう。 しかし、今のターニャの顔を見たら、そんなことは絶対に言えない。 「では私は、まだ仕事が残ってますから」 彼女はカバンを閉じてぺこりと頭を下げると、浮かれた調子で会議室のドアから出 て行った。 廊下から鼻歌が聞こえ、遠ざかっていく。 「……日本語話すのは、すごく上手なんだよな…」 智哉の手元に残された紙を、琴梨、鮎、梢の3人が覗きこんだ。 皆一様に、無言だった。 智哉たち3人が本部から出たのは、午後2時を回ったあたりである。 ターニャから武装を受け取った後、目標に付いての詳細な説明があったためだ。 目標の動きを止めるための方法や、今までの解析で判ってきたことなどが、智哉た ちに説明された。 その中には、薫が持ちかえった最新の解析結果も入っていたが、結局未だ結論に は程遠いものだった。 本部を出た3人は、地下鉄駅までの僅かな距離を歩いていた。 僅かに雲の泳ぐ快晴の空から降り注ぐ陽射しは、関東のそれに比べて幾分か穏 やかなものだったが、それでもジリジリと肌を容赦無く焼いている。 「暑いけど、イヤな暑さじゃないな」 智哉が涼しい顔で言った。 「札幌は湿度が低いからね」 そう言う琴梨は、早くも額から汗が流れ始めている。 「本部は空調効いてて涼しかったなぁ」 だるそうに鮎がつぶやいた。 現在の気温は32度。真夏の盛りとは言え、札幌にしては暑い日だ。 「そんなダレるような暑さじゃないだろ」 「ダレるには充分よ」 「がまんがまん、地下鉄乗れば涼しくなるよ」 「うぃ〜っす」 ヘロヘロと鮎の腕が応える様に上に伸びた。 大通り駅で地下鉄を降り、そのままポールタウンを通って狸小路3丁目に出た。 夏休み中なので、学生の姿がちらほらと見え、そこそこ賑わっているように見える。 「さすがにこの辺は人も多いね」 そう言いながらも、琴梨は寂しそうな表情で周囲を眺めている。 アーケード両側の店舗のうち、店を開けているのは全体の半数程度だ。 残りの半数は、シャッターで固く入り口を閉ざしている。 「別に市内がヤツラであふれてるワケでもないから。怖がりすぎるのもどうかと思う し」 頭の後ろで手を組みながら、鮎もアーケードの中をぐるりと見まわした。 「でも、結局はもぐら叩きだからな。あんまり出歩かないほうがいいんじゃないか?」 「そりゃそうだけど、みんな生活もあるから、そうは言ってられないよ」 「早く解決しなきゃいけないね」 「……」 琴梨の言葉に智哉は無言で答えた。 問題の解決は確かに急務だが、智哉が聞かされた話の限りでは、現在のSTARS の活動は、まだ対処療法の段階でしかない。考え得るもっとも単純で危険な方法 だ。 問題の根本を探ろうと動いてはいるようが、未だ決定的なものは見つかっていな い。 手詰まり一歩手前の状態で踏ん張っているのが現状だった。 「…お兄ちゃん?」 智哉の顔を琴梨が覗きこんだ。 「…ん」 「難しい顔してなに考えてたの?」 「いや、なにも…。難しい顔してたか?」 「なんだかそう見えたから」 「大したコトじゃないよ。それより、そのスガイってのはまだ遠いのか?」 「もうそこだよ」 琴梨の指差す先に、周囲より大きなビルが見えた。 ドアをくぐり中に入ると、1階は大型筐体などが設置されているゲームセンターに なっていた。 「どうする? 先にちょっとゲーセンで遊んでく? それともカラオケ行く?」 先導していた鮎が、振りかえって二人のほうに向き直った。 「私はどっちでもいいよ」 「オレもどっちでもいいぞ」 「二人とも主体性が無いなぁ」 「誘ったのは鮎だからな、鮎が決めてくれ」 「そう? じゃーねぇ…」 鮎は一瞬考える素振りを見せたが、 「じゃ、先にカラオケ行こ」 ほぼ即決だった。 「…迷い無しだな」 「まーね。やりたい事には忠実なのよ、私」 「堪え性が無いとも言うな」 「あー、ひどーい、琴梨、智哉がひどいんだよ!」 笑いながら琴梨の肩に鮎がもたれかけた時だった。 「うるさいっ!」 脇から見知らぬ女性の声が聞こえた。 声色に怒りの色が含まれている。 「さっきからぎゃあぎゃあってうるさいんだよ、あんたら」 ずいっと一歩歩み寄った女性は、左目に白い眼帯をかけた黒い髪の女の子、左京 葉野香だった。 機嫌の悪そうな顔で腕組みをして、鮎たちを睨みつけている。 「…なによ、ゲーセンで騒ぐなって言うほうがおかしいんじゃないの?」 鮎が負けじと言い返した。 「ふん、能天気に騒いじゃってさ。今がどんな時だか判ってんのか?」 「なにそれ」 「ったく、平和な連中だな」 呆れたように言うと、葉野香は踵を返して早足でスガイから出て行った。 智哉と琴梨は、その後姿を半ば呆然と眺めていた。 ただ一人、鮎だけがプンスカと怒っている。 「…誰なんだ?」 「え? ああ、猪狩商業の左京よ」 「知り合いなのか?」 「まさか。この辺りじゃちょっとした有名人だから、知ってただけよ」 智哉のほうを見ることも無く鮎はそう言うと、エレベータのボタンを押した。 カラオケは別フロアにあるためだ。 「鮎、あんまり気にしちゃダメだよ」 琴梨が心配そうに声をかけるが、鮎は気にした様子もなく 「大丈夫、あんな程度、気になんかしないよ」 鮎が苦笑しながら、振り返った。 琴梨が心配そうに眉を下げた顔をしているが、口元には笑みが浮かんでいた。 琴梨の傍らにいる智哉は、ガラス張りのエントランスから見える空を、ふと、何気なしに眺めた。 「智哉?」 鮎が口を開く。 「ん? ああ、いい天気になったなって思って」 「雲、無くなったね」 「大丈夫、カラオケは冷房効いてるから」 「鮎、お前な、この程度で暑い暑い言ってたら、東京に住んでる俺はどうするんだよ」 「多分、体の構造が違う。きっとこの辺りに冷房袋とかあるんだ」 鮎が智哉の脇腹の辺りを突つきながら、真顔で言う。 「そんなワケ無いだろが」 智哉が言い返すも、鮎の表情はいたって真面目だ。 「一昨年の夏に、父さんに連れられて東京の築地に行ったんだ。すごく暑い日だっ た。でもそんな中で、駅から出てくるサラリーマンのヒトなんて、汗もかかずに背広着 て歩いてたんだよ? 私Tシャツ一枚でも汗だくでクラクラだったのに」 「慣れだな。このくらいの気温なら、うちの親父も背広来ていくぞ」 「やっぱり冷房袋持ってるんだ…、きっと智哉も平気な顔して背中とかからこっそり放 熱してたりするんだ」 「…鮎、なに考えてるかは判らんけど、なんかちょっと興味あるぞ、それ」 二人がそんな会話をしている中、琴梨は、二人から一歩離れたところで、微妙な笑 顔を送っていた。 続く