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第21話:クラブマンカップ 第3戦 Trial Mountain -1-


「紐緒さん、GT
ルール変更の話、聞いてる?」
 次のレースまでまだ3週間ほどある、とある日の午後、虹野が息を切らせながらチームのガレージに駆け込んできた。
 手には事務局から送られてきた書類袋を抱えている。
「騒々しいわね」
 ガレージで整備中のクルマの運転席から、ノートパソコンを抱えて紐緒が面倒くさそうに降りてきた。
 まだレースまで少し日があるのだが、前回のレースの教訓から、紐緒はクルマのコンピュータを使用してかなり綿密なシミュレーションをしているのだ。
 整備中だと思うように進まないので、もっぱら整備のない日などを選んで行っている。
「で、でも紐緒さん。これって結構一大事よ」
「ルールが変わることは3ヶ月も前から情報は入手しているわ。入手経路は明か せないけど」
「そうなんだ、じゃあ今後どうするか決めてる?」
「勿論よ。わたし達の当初の目標であるGTワールドカップの制覇。それ以外は眼 中にないわ」
「じゃあ、ラリー競技とか、ダートトライアルには出場しないのね?」
「興味はあるけど、遠回りすることも無いわね。GTワールドカップ用の車両も熟成が進んでいるし、クラブマン制覇が済んだらすぐにGTカップへ進むわ。高見君のライセンス取得が間に合えば、途中からGTワールドカップへの参戦も考えているわよ。だから、今更そんな慌てる必要もないのよ」
「なあ、陽ノ下光って知ってるか?」
「あ、高見くん」
「…聞いたことあるわね。たしか隣のひびきの市のGTカップ選手…」
「へぇ〜、ま、GTの選手だったのか。ちょっと小耳に挟んだからさ」
「基本的に全く問題ないわ
「そう、よかった」
作者的にはあまりよくないのだが。

 クラブマンカップ最終戦の舞台である、Trial Mountainの空は、突き抜けるように蒼く澄み渡っていた。
 時折冷たい冬の風がサーキットを駆け抜けて行こうとするが、ピットロードに並ぶクルマの放つエグゾーストの熱気に遮られ、力無く消えていく。
 周囲の木々も紅葉が終わり、枯れかけた木の葉を風に舞わせていた。
「もうすぐフリー走行が始まるわ! 準備は大丈夫!?」
 ピット奥で柔軟体操をしている公人に、コース側のピット入り口から虹野が声をかけた。
 ミーティングから帰ってきたばかりなのか、書類の束を両手で胸に抱えている。
 今日はさすがに寒いので、公人の着ているレーシングスーツに似たカラーリングデザインのブルゾンを羽織っている。
 一応これがConquest Racingの正式なユニフォームだ。整備をしているスタッフも同じモノを着ている。
 腰には前回のレースでも使用した無線機を下げていた。ヘッドフォンとマイクセットも無線機本体に引っかけられるようになっているようだ。
「準備の方はいつでもオッケーだよ」
 パンパンとレーシングスーツのホコリを叩きながら、公人が立ち上がった。
 運転するだけなのに柔軟体操はあまり関係なさそうに思えるが、レースでは僅かな操作ミスがタイムロスや事故につながるので、身体を充分にほぐして全身の血の巡りを良くしておくに越したことはない。
 傍らのテーブルに置いてあるヘルメットを手に取ると、虹野の側に向かった。
「ガンバってね。でも無理しちゃダメだよ」
「もちろん。ところで、やっぱりこのレース、チームゆかりは欠場なのか?」
「そうみたい。でもチームの人たちが何人かミーティングに顔を出していたけど」
 そう言って虹野はいくつも抱えた書類袋の中から何かを取り出そうとゴソゴソやり始めた。
 ときどき他の書類や袋がずり落ちそうになっている。
「…、少し持とうか?」
「ううん大丈夫。高見くんはこれからレースがあるんだから。あ、あったあった」
 虹野が取り出したのは今日配られた最終的なエントリーリストだった。
 はい、と渡されたので見てみると、やはりチームゆかりの名前はない。
「あれだけひどく壊れちゃなかなか直らないよね」
 少し残念そうな顔を虹野がした。前回のレースで起きた事故は虹野も見ている。
 事故車両もパドックに牽引されたのを見かけていた。クルマのことを良く知らない素人でも、あそこまでクルマがひしゃげてしまってはそう簡単に直せるモノではないというのは理解できる。
「そうだな…」
 口では肯定している公人だが、頭の中では本当にそうなのかと思っている。
 レース後に朝日奈から「古式は命に別状はない」と聞いてはいるが、あとあと考えると、それも疑わしく思えた。
 仮にそうだとしても、かなりの大怪我を負っているかも知れない。
 エントリーリストを眺めながら、そんなことを考えていると、
「高見君、なにを放心しているの?」
 と背後から紐緒の声が聞こえた。
「いまからそんなにテンション下げていては、先が思いやられるわよ」
 公人と目線も合わせず、ピット前のクルマに向かっている。
「…、オレ、放心してた?」
 傍らにいる虹野に尋ねた。
「うん、ちょっとボーッとしてた」
「少し考え事してただけなんだけど…」
「心配事?」
「いや、大したことじゃないよ。前のレースを思い出してただけだから」
 気を取り直したように公人は首を2、3度横に振って、ヘルメットをかぶった。
「じゃ、気をつけてね」
 虹野の声に公人は右手を軽く挙げて応えた。


 古式のいないレースはほとんど公人の独壇場みたいなものだった。
 エントリー2度目にしてポール・トゥ・ウィンを決め、途中出場だから総合優勝は出来なかったものの、チームの実力は皆が認めるモノとなった。
 表彰式後、公人は人影のまばらなホームストレート前の観客席に座って、ボーっとコースを眺めていた。
 撤収作業を手伝おうとしたのだが、いつものように紐緒に止められて手持ちぶさたになってしまったので、わざわざこんなところまで来てしまったのだ。
 なんとなく公人には今日のレースは虚しい気がしていた。
 他のチームがあまりに遅かったかというとそんなことは無いのだが、やはり公人の相手としては力不足であった。
「ふぅ」
 ちいさくため息をついた。
 恐らく次回からのシリーズに参戦しても、この状況は変わらないだろう。
 公人のドライバーとしての力量もさることながら、クルマの出来自体がすでにクラブマンカップのレベルではない。
 GTカップでも充分に戦えるレベルの仕上がりになっている。
 贅沢な話だが、楽に勝てすぎてつまらないのだ。
「やりすぎなんだよな、紐緒さんは」
 ぽつりと独り言が漏れた。
 ふと気がつくと、ピットウォールから観客席の公人に向かって手を振る虹野の姿が見えた。
 どうやらそろそろ片づけが終わりらしい。
 虹野に了解の意味で手を振り返し、ピットに戻ろうと腰を上げたところで、視界の隅に見覚えのある顔が映った。
 相手はまだ公人に気がついていないのか、キョロキョロと周りを見回している。
「おーい、朝日奈さん、なにやってるんだ?」
 公人が声をかけると慌てたように朝日奈は辺りを見回し、公人の姿を見つけると一瞬バツの悪そうな表情になったが、すぐにいつもの笑顔に戻って大きく手を振りながら公人の方に歩いてきた。
「おひさ〜。見てたよ、ぶっちぎりだったね」
「…あんまし面白いレースじゃなかったけどね」
「なに贅沢なこと言ってるのよ。勝てるときに勝っておかなきゃ」
「まぁね。あ、そうだ。ところでさ、古式さんの様子…」
「あーー、わたしこんなところで油売ってるヒマ無いんだった! もう行かなきゃ、じゃ、じゃあまたね」
 慌てて腕時計を見て、きびすを返すように朝日奈が観客席の入り口に駆け足で向かおうとしたとき、観客席の上の方から朝日奈を呼ぶ声が聞こえた。
「ゆうこさーん、どちらに行かれたのですか〜」
 その声を聞いて、朝日奈の動きがストップモーションのように止まり、ゆっくりと公人の方を振り返ると、微妙な笑顔で笑いかけた。
「今の声、古式さんだよな?」
「う、うんそうだけど…、高見クン、ゆかりの姿見ても絶対動揺したりしちゃダメだよ、高見クンには責任ないんだし…」
 公人から目線を外し、少し悲しそうな顔で、朝日奈が小さなため息をついた。
 とりあえず古式が命には別状が無く、サーキットに来られるような状態であることに公人は内心ほっとしたが、朝日奈の台詞が気になった。
「それって、どういう…」
「実際に会ってみればわかるわ。ゆかりー、こっちだよーー!」
 観客席の上段にいる人物に向かって朝日奈が大きく両手を振った。
 公人も朝日奈の手を振る方に振り返って見たが、その人物は大きなツバのついた白い帽子をかぶっているので、すぐには古式とはわからなかった。
 危なっかしそうに松葉杖を使いながら階段を一段づつ降りている。
 公人が手を貸そうと古式のもとに行こうとするより早く、朝日奈が彼女のもとに駆け寄っていた。
 朝日奈が古式を支えながら公人がいることを告げると、彼女は驚いたように顔を上げて、いつもの柔らかな笑顔で公人に向かって会釈した。
 公人もゆっくりとした足どりで古式のもとに向かった。
 駆け寄っても良かったのだが、心の動揺を鎮める時間が欲しかったためだ。
 長めのコートの裾から覗く右足に巻かれたギプスが痛々しく見えた。
 大きなツバのついた帽子は、額の包帯を隠すためだろう。
 いつもの三つ編みのお下げも、今日は一つに束ねて、右肩から前に垂らしているだけだった。
「元気そうで安心したよ」
 言葉とは裏腹に、公人の表情は少し暗い。
 「どうもご心配をかけてしまいまして、申し訳ございません」
 そう言う古式の表情は、公人の目にはいつもとほとんど変わらないように見えた。
 朝日奈は内心ほっと溜息をついていた。
 サーキットに来る前よりずいぶん表情が明るくなっていたからだ。
 たぶん公人と会ったせいだろうが、レースが始まる前までは僅かな微笑みを浮かべる程度だったのを考えると、やっぱり今日は無理言って病院から連れて出して来てよかったと思った。
「お見舞いに行きたかったんだけどさ、忙しくて延び延びになっちゃって。今度あらためてお見舞いに行くよ」
「そんなお気を使わないで下さい。わたくしはこうやって高見さんに会えただけで充分ですから」
 古式に正面から見つめられて、照れたように公人は頬を掻いて視線をそらせた。
「あ〜、でもそんなわけにもいかないから、やっぱ一度ちゃんとお見舞いにいくよ。それより、もう陽も落ちてきてずいぶん寒くなってきたし、そろそろ戻ったほうがいいんじゃないかな」
「そうだね、ゆかり、そろそろ病院に戻らないといけない時間だよ。さ、行こ?」
 朝日奈の言葉にちょっと表情を曇らせた古式だったが、すぐに気を取り直したように、顔を上げた。
「そうですか…。高見さん、それではまた、ごきげんよう」
「あ、クルマで来てるんだろ? 駐車場まで送るよ」
「ホント? じゃあ悪いけどお願い。あたしコントロールタワー下の事務所に用あるから、ゆかりのこと高見クンにまかせちゃっていいかな? クルマのキー渡しておくから」
 朝日奈なりに気を利かせたつもりらしい。事務所に行く用はあるにはあるのだが、別に朝日奈が行かなければならない用事でもない。
 午前中に虹野がレース前のミーティングで見かけように、チームスタッフが朝日奈を含めて何人か事務手続きにやってきている。
「じゃ、クルマはB駐車場のまんなか辺りだから」
 そう言い残すと、朝日奈は小走りで観客席出入口に消えて行った。
 ぽつんと残される二人。
 西に大きく傾いた陽の光が、辺りをオレンジに染め始め、二人の影を長く引き延ばしていた。
「えーと、じゃ行こうか」
 公人が古式を支えるように、彼女の腰に右手を回した。
 古式も「はい」と小さくうなずくと、ぎこちない動作で松葉杖を動かし、歩き始めた。
 観客席裏の出入口に向かう幾重にも折り返された階段を、一段づつ降りていく。
 観客席裏側の階段はスチール製の骨組みだけの階段で、観客席と違って傾斜は割と緩やかになっている。
 傾斜が緩い分ラクかなと判断してこちらの階段を使っているのだが、やはりどちらにしろ松葉杖をついて階段を下りるのはかなりの重労働である。
 古式も辛そうな息をしながら、それでも休まずに一段づつ降り続けた。
「大丈夫か、古式さん? ちょっと休もうか?」
 はぁはぁと息を吐きながらもネを上げない古式に、公人の方が心配になった。
 もう階段もほとんど降りきっているのだが、公人の目にも古式の体力が限界なのが見て取れる。
「いえ、大丈夫です、高見さんに、あまり長いお時間を、取らせるワケには、まいりません」
 しかしそう言い終わるや否や、松葉杖をつき損なってガクンと大きくバランスを崩してしまい、前のめりにつんのめった。
 カランカランと乾いた音を立てて、松葉杖が階段を転がり落ちていく。
「…………?」
 転げ落ちてしまったと思ってギュッと目をつぶってしまった古式が、不思議そうにそっと目を開いた。
 頭から落ちたはずなのに、どこにも痛みがない。もしかしたら打ち所が悪くて痛みを感じないのだろうか、そう思って身体を動かそうとして初めて、自分がどんな状況なのかを理解した。
「…、大丈夫? 古式さん」
「え…? …あの、わたくし…?」
 古式の鼻先10cmのところに公人の顔があった。
 ボンッと音がしそうなくらいの勢いで古式の顔が赤くなった。
 彼女は公人の上でうつ伏せになるような格好でいた。腰に公人の右手が回されている。
「あの、わたくし、なぜ……?」
 突然のことで混乱しているのか、言葉が出てこない。
「あ、いや、あの、これは不可抗力ってやつで…」
 古式が階段から転げそうになったとき、とっさに公人は古式の一歩前に回りながら右手で古式を抱え、一緒に落下しそうになった自分の身体を支えるために左手で手すりをつかんだため、なんとか落下からは免れたのだが、同時に公人も足を踏み外してしてしまい、そのままバランスを崩したために古式を抱きかかえる格好で転げてしまい、結果として公人の上に古式がうつ伏せに倒れると言うようなカタチとなってしまったのだ。
 ほとんど曲芸のような真似だったので、実は公人もちょっと驚いていた。
「大丈夫? どこもぶつけてない?」
 古式がずり落ちないように抱えていた右手の力を少し抜きながら古式にそう尋ねるが、古式は赤い顔でうつむいたきり、返事がない。
「えと、どこか痛むのか? 足とか、大丈夫?」
 公人は上半身を起こしながら、うつむく古式に話しかけるが、やはり古式は黙ったままである。
 とっさの判断とは言えやっぱり抱きかかえてしまったのがまずかったかなと、ちょっと途方に暮れかけたところで古式がゆっくりと首を左右に振った。
 どうも頭が混乱してて処理が遅れているようである。
「え? えーと、今のは……」
「…だ、大丈夫です。高見さんのおかげで、どこもぶつけずに済みました…」
 ゆっくりと顔を持ち上げて言う古式だが、目線は公人を避けている。とは言え、公人から離れようとかそういう気配はいっこうになく、モジモジとしつつも公人に抱えられるままに身体を預けていた。
 そうは言ってもいつまでもこのままではいられない。
 松葉杖も階段のすき間から下まで転がり落ちてしまったし、どうしようかなと公人が考え始めたところで、更にやっかいな事態になってしまったのだった。


「高見さん、相変わらず出ていったら帰ってきませんね」
 パドック裏でそう言ってむっつりとした表情をしているのは秋穂だ。
「困ったわねぇ」
 呑気にそう言う虹野の表情はあんまり困っていない。
 メインスタンドを見上げても公人の姿が無いので、今頃はこちらに向かっているのだろうと思っているからだ。
 それに遅いと言っても、さっき虹野が「終わったよ〜」と手を振ってからまだ10分も経っていない。
 急ぎ足で戻っても着くか着かないかという時間だ。
 その程度のことは秋穂も十分承知しているのだが、いかんせん気が短いので黙って待っていられない。
 これが紐緒だったら恐らく待つことなく撤収となるのだが、紐緒は今回も荷物やクルマと共に一足先にチームのガレージに戻っている。
「あたし、やっぱり探しに行ってきます」
 秋穂がそう言うと、虹野がちょっと考えるようなしぐさをしながら
「うーん、じゃあ私も一緒に行くわ」
 と、今回は秋穂を止めようとせず、逆に自分も一緒に行くと言い出した。
 真っ直ぐ帰ってくればそろそろ着く時間である。逆にそれでも帰って来ないということは、トラブルに巻き込まれている可能性もあるわけだ。
 これは前回公人が帰ってくるのが遅かったコトを虹野がそれとなく紐緒に言ったところ、紐緒から帰ってきた返事である。
 無いとはいいがたい話だけに、秋穂だけでは心配なので虹野もついていくと言ったのだった。
 しかし秋穂はそんなこととは露知らず、虹野と一緒というだけでとたんに上機嫌になっていた。
「向かいの観客席にいたんですよね、じゃあ中央ゲートの方が近道ですね」
 言うが早いか虹野の手を引いて、パドックから観客席に向かうゲートトンネルへと歩き始めた。
 観客席とパドックを繋ぐゲートは3箇所あり、どれもホームストレートの下をくぐるように作られている。一つはトランスポーターも通れるような規模で1コーナ側に設けられ、残りの2箇所は観客席中央付近と最終コーナ側に人間用として設けられている。
 こちらは高さも2m強しかなく、内部の照明もあまり明るくはないのだが、1コーナ側のゲートに比べればはるかに短距離ですむ。
 予選やレース中は閉鎖されるが、それ以外は通常は開放されているため自由に行き来が可能となっていた。
 秋穂たちは自分たちのパドックから程近い、中央ゲートと呼ばれるトンネルに向かっていた。
 先ほど秋穂も言ったように、さっきまで公人がいた位置から最短距離で戻れるコースだからである。
 トンネルも最終コーナ側に比べればやや広く、照明も多少だが明るくなっていた。
「やっぱり少し薄気味悪いですね…」
 トンネルに入り、秋穂が虹野にしがみつくようしながら呟いた。
 コツンコツンと二人の足音がトンネル内に反響している。
「でもヘンねぇ、ここまで来てもまだ高見くんに会えないなんて」
 やっぱり何かトラブルに巻き込まれているのだろうか。虹野の脳裏に不安がよぎった。
 虹野の不安が秋穂にも伝わったのか、虹野にしがみつく手にギュッと力が入った。
「もしかしたら売店に居たり…して」
 トンネル出口、すなわち観客席側の入り口脇には売店と露店が数件ある。
 ここの売店のソース焼きソバは公人も舌を唸らせるような逸品で、実は公人お気に入りの店であることをどうやら秋穂が憶えていたようだ。
「う〜ん、でもこの時間だと、売店とかみんな閉まっちゃってるハズよ」
「そうですよね……じゃあまた誰か知り合いとかと話し込んじゃってるのかなぁ」
「だと、いいんだけど」
 虹野の表情には明らかに不安の色が浮かんでいた。
 それを見た秋穂もそれ以上口を開くことが出来ず、トンネルを出るまで二人とも無言のままだった。
 しかしその沈黙は、トンネルを出たところで思わぬ人物に声をかけられ、破られることとなった。


「あ、あなたたち高見クンとこのチームのヒトだよね? 高見クンどこにいるか知らない?」
 その人物は朝日奈だった。
 今まで走っていたのだろうか、一気にそう言い終えると、乱れた呼吸を整えるように肩で大きく息をした。
「あなた、確かチームゆかりの…」
 虹野が言い終わらないうちに朝日奈が再び口を開く。
「そう、あたし、チームゆかりの朝日奈って言うんだけど、高見クンがゆかり…えーとうちのドライバーの古式をクルマまで送ってくれるって言ってくれたんだけど、クルマに戻っても居ないの。それで、チームの方に行ってるのかと思って…」
「ううん、来てないわよ。私たちも高見クンが帰って来なくて、探しに来たくらいだから」
「そ、そう。じゃ、まだ観客席の方に居るのかな」
「とにかく行って見ましょ。でも、朝日奈さん大丈夫? かなり苦しそうだけど…」
 まだ呼吸が整わない朝日奈に虹野が心配そうに声をかけた。
 朝日奈は荒い息を吐きながらもニカッと笑顔を作り、右手を顔の前でパタパタと左右に振った。
「あはは、大丈夫、すぐ回復できるから。心配してくれてありがと」
 そう言うとヒザに手を当てて大きく2、3度深呼吸し、ヒザをバシッと叩きながら勢いよく顔を上げた。
「うん、オッケー、もうだいじょぶ。えと、じゃ行きましょっか」
「あ、うん」
 朝日奈を先頭に、3人は観客席に上る階段へと向かった。
「あの、さっき高見さんがドライバーの方をクルマまで送るって言ってましたけど…」
 秋穂が遠慮がちに朝日奈に話しかけた。
「うん、ほら、前のレースでうち事故起こしちゃったじゃない。それでドライバーもちょっとケガしちゃって。あたし事務所に用があったんだけど、偶然出会った高見クンがゆかりを連れて行ってくれるって言うからお願いしたの」
「そうだったんだ…」
 朝日奈の答えに、虹野はホッとしたように微笑んだが、その笑顔はいつもの笑顔とは違い、少し翳りのある笑顔だった。
 しかしそれに気がついたのは秋穂だけだ。恐らく虹野自身も自分がそんな表情でいることには気がついてないだろう。
「ん? あれ?」
 観客席に上る階段の手前で朝日奈が妙な声を上げた。
 「どうかしたの?」
 何気無しに虹野が声をかけると、朝日奈が小走りで階段の脇に落ちているモノを拾い上げた。
「松葉杖、ですね」
 アルミで出来た松葉杖だ。グリップ部分と脇のクッションとの間にテープで名前が貼られていた。
「これ、ゆかりのじゃん。なんでこんなところに落ちてるの?」
 狐につままれたような顔で階段を見上げると、そこに見知った2つの顔があった。
「…高見くん、なにやってるの…?」
 呆然とした顔で虹野が呟いた。
 そのつぶやきは公人の耳にもしっかりと聞こえていた。

つづく。


っていうか、いつ終わるんじゃコレ。





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