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第14話:クラブマンカップ 第2戦 Clubman Stage R5 予選2。



 フリー走行とは言え、最初の数周は混乱を避けるためにペースカーの先導で走って行く。
 最初数周は必ず参加しなければならない決まりだ。ペースカーがピットロードに待避した後は好きなようにピットに出入りすることが許可されている。
 これはレース直前までマシンを完成させられないという、技術力の無いチームの参加を防止するための処置だとオフィシャル側は説明するが、実際はイベント的な一面の方が強いようだ。
 ペースカーが先導し、各マシンとも乱れなく最初はきれいな列を作って進んで行く。
 ペースカーも徐々に速度は上げて行くが、それでもレーススピードの3割程度までである。
 4周ほど回ったところでペースカーがピットロードに待避した。
 口火を切ったように数台が猛然と加速してホームストレートを駆け抜けて行く。
 中にはペースカーと一緒にピットに入って行くクルマもいるが、大多数のクルマは調整のための走行なのでいきなり加速などをすることはなく、5割程度の速度で走っている。
 公人はと言うと、猛然と加速した数台の中にいた。
 別に公人自身はそんなフル加速する気は無かったのだが、アクセルをいつも通りに不用意に踏み込んでしまった結果、先頭集団の中に入ってしまったと言うわけだ。
 ストレート上なのでうかつにブレーキもかけるわけにもいかず、そのままの流れで緩い下りの右コーナーと左コーナーで構成されたトンネルセクションへとクルマを走らせる。

 コーナーに差し掛かり、前後のクルマの動きを見ながらブレーキングしつつレコードラインを開けた。
 公人は別に思いっきり走らせたいわけではなく、あくまで最終調整のための走行と考えている。
 トンネル内の左カーブでアウト側に寄り速度を落とす。
 イン側の壁ギリギリを数台のクルマが駆け抜けていった。
 「ったく、紐緒さんもやりすぎだよこのエンジン。危うく吹っ飛ぶところだったぜ」
 エンジンパワーが足周りに勝ちすぎて、逆に少しバランスが悪くなっている。
 それなりにブレーキも強化してあるようだが、エンジンパワーに対して全然足りていない。
 「どうかしら高見君。エンジンに対して足周りとブレーキが弱いという印象はないかしら?」
 トンネルを抜けたところで電波が受信できるようになったのか、いきなり紐緒から通信が入った。
 まるで見ていたようなタイミングである。
 「…判ってるんだったら、最初からきちんとしておいてくれよ」
 脱力感におそわれる公人だが、さすがに運転まではおろそかにしていない。
 「直感的にそうは思ったけど、計算機上でのシミュレートでは問題なかったのよ。やはり走ってみないと判らないモノね」
 「悠長だなぁ。先週のテストでバッチリ仕上がっていたのに、なんでいまさらエンジンなんていじったわけ?」
 「逆ね。先週の段階ではまだエンジンは完全な状態ではなかったのよ。それよりも、対策は考えてあるからピットに入りなさい」
 「もう入り口入ってるよ」
 そう公人から通信が入り、紐緒がピット奥のブースから出てきたとほぼ同時にピット前に公人がクルマを停めた。
 エンジンを止め、クルマから降りる。
 「30分ほどで作業は終わるわ。昨日の夜に新しいデータでシミュレーションして出た値だから、間違いないはずよ」
 ヘルメットを脱いでいる公人にお構いなしにそう紐緒が説明する。
 その間にピットクルーがクルマをピット内に引き入れて作業を始めだした。
 「足はなんとかなるけど、ブレーキが全然ダメ。エンジンのパワーを全然吸収しきれてない」
 「そのへんも考えてあるわ。とにかくあなたはもう一度コースについて秋穂さんからレクチャーを受けておきなさい。ここでは一瞬のミスが命取りになるわ」
 そう言い残して紐緒はピット奥の専用ブースへと入っていってしまった。
 入れ替わりに秋穂が公人の目の前に立っている。
 公人と目が合うとニッと笑って
 「じゃ、始めましょうか。虹野先輩はいませんけど」
 ちょっとだけ意地悪そうな言い方だった。

 「なぁ秋穂ってさぁ」
 奥の机で秋穂とコースの最終チェックをしている最中に、公人が思い出したように口を開いた。
 「はい?」
 秋穂もマップから顔を上げて公人の顔を見る。
 虹野の事になると公人に対しても敵対するような素振りを見せる秋穂ではあるが、それ以外では特に公人のことは嫌ってもいないし、ドライバーとしての力量も認めている。それだからこそ今みたいに熱心に公人に自分の調べた知識の全てを教えているのだ。
 公人の顔を直視している秋穂の顔は多少の微笑みさえ見られる。
 「なんですか?」
 もう一度返事をする。
 「いや、ここまでコースとか走るときのポイントとかよくわかってるのに、なんでドライバーをかって出ないんだ? 前からちょっと不思議に思ってたんだ」
 「ダメですよ。わたし運転ヘタですから」
 「下手なヤツがここまでコース調べられないだろ。どう聞いても秋穂の説明の仕方はドライバー視点だしな」
 「それは…」
 うつむいて口ごもる秋穂。公人にも言いにくい事なのかと察しがつくほど重たい表情を浮かべている。
 「わりぃ、変なこと聞いちまったかな」
 「いえ、そんなことはないです」
 「ま、いいさ。誰にだって人にゃ言いにくいことってあるし。さて、続き続き」
 秋穂の暗い顔が放つ雰囲気を吹き飛ばすように公人は明るく言った。
 が、それを聞いた途端、急に不思議そうな顔で秋穂が公人の顔を見始めた。
 「? どしたんだ? 不思議そうな顔して」
 「高見さんって、以外と淡泊なんですね。もっとしつこく聞いてくると思ってました」
 「あのなぁ、あんな暗い顔でうつむかれたら誰だってそれ以上聞こうなんて思わないって」
 「そんな暗い顔してました?」
 「ああ、財布忘れて街まで買い物行ったみたいな顔してたぞ」
 秋穂は既にあきれ顔で机に頬杖をついている。
 「…今の冗談かなにかですか?」
 「…いや、別に…」
 しかしそっぽを向いた公人の頬は照れたように赤い。
 「ホントはあんまり大したことじゃないんですけれどね。昔、高見さんみたく薦めてくれた人がいて、それでレースに出てみたんですけど、大クラッシュに巻き込まれちゃって。それ以来怖くて走れないだけです」
 うつむきながら話す秋穂の顔は笑みが浮かんでいるが、それも無理に作ったような笑みのように公人は思えた。
 「それで、もう二度とレースの世界には足を踏み入れないって、そう思ったんですけど、そんなときに虹野さんに出会ったんです」
 「虹野さんに?」
 「ええ、わたしも最初は見ていてなんだかイライラしていて、レースの事全然知らないで何が面白くてレーシングチームなんかにいるんだろって思ってました。そんな甘いものじゃないんだって、ちょっとバカにしてました」
 今でも全然だけどね。そう茶々を入れたい公人だが、雰囲気がそれを許さない状況だったため、黙って秋穂の話のペースに乗ることに決め、口を出すのはしばらく控えていた。
 「でも、すごく一生懸命なんですよ。そして楽しそうなんです。それを見ていたらわたしもホントはこの世界が好きなんだって理解できたんです。なんだか胸のモヤモヤが晴れた気がしました。そして虹野さんにこのチームに入れて貰ったんです」
 いつの間にか秋穂の身の上話にまで発展してしまっていたが、公人には返す言葉が見あたらなかった。
 「そうか」
 と言う、芸のない一言が発せられたのみである。
 この時の公人の頭には別な疑問が浮かんでいた。
 「虹野さんはどうしてレーシングチームで仕事してるんだろう」
 口には出さなかったが、機会があれば一度聞いてみたい、と公人は思う。

 秋穂による公人へのコースのレクチャー作業は紐緒の一言で終了となった。
 作業が終わったと言う紐緒の一言で、再び公人はクルマに乗り込み、コースに向かっていった。
 ピットロードは安全のため徐行が義務づけられている。
 アクセルの軽い一踏みでとんでもない加速をしてしまうので、アクセルを踏む足にも変に力が入ってしまう。
 ゆっくりとピットロード出口に差し掛かり、コース上のクルマの有無と安全を確認した後、アクセルを踏み込まない為の右足の力を、遠慮無くアクセルを踏み込む力に変えて一気にコースに飛び出していった。
 直後のトンネルセクションで、とりあえず紐緒のチューニングを信じつつ、タイヤの限界を探りながら左へとハンドルを切り継いで行く。
 さっきとは違い、アウト側のタイヤがグッと路面を捕らえている。コーナリング速度も段違いだ。
 フロントがブレイクしそうになったところで直線が見えてきたので、そのままアクセルを踏み込みながらハンドルをニュートラル位置に戻しつつ、トンネルエンドでシフトを一つ上げ、次のコーナーに向かって更に加速を続けた。
 Rが小さめの次のコーナーが直前に迫る。
 ブレーキ、足周りとも先週のセットとは違い、タイミングがまるで判らない。最初は少し遠くから軽めのブレーキングでコーナーに入ってみたが、想像以上のブレーキの効きだった。
 強く急ブレーキを踏んだ訳でもないのに身体が前方に投げ出されるようなパワーである。
 ダダダダッと右足にブレーキペダルから伝わるABSの感触を感じながら、ハンドルを右に切りコーナーをクリアして行く。
 「だから、やりすぎなんだよ。紐緒さん!」
 文句を言う公人の顔は何故か楽しげだ。
 冗談のようにパワーを絞り出すエンジン、しっかりと路面を捕らえ続ける足周り、エンジンパワーに負けないブレーキのストッピングパワー、そしてそれらがもたらすハンドリング。
 面白くないはずがない。
 続くコーナーも僅かなブレーキング時間と、直後に加速してあっと言う間にクリアしていく。
 速度計の針は加速を始めれば息継ぎすることなくどこまでも進もうとする。
 ハンドルも思った通りのラインを素直にトレースしていく。
 「今度は文句ないようね」
 最終コーナー手前の登り左コーナー直前で紐緒から通信が入った。
 「まぁね」
 コーナー直前なので返事は短い。いくら扱いやすくても速度は200km/hは出ているのだ。楽しんでも油断は禁物である。
 ブレーキディスクが赤熱するようなフルブレーキと同時に5速から4速にシフトダウンする。
 直後ハンドルを切り、鋭いがスムーズにコーナーをクリアし立ち上がって行った。
 「もう4、5周回ってからピットに戻る」
 「了解したわ。こちらからも走行中の各部の状態をモニタしてるから、その方が都合もいいわね」
 紐緒がそう言い終えた時にはすでにピット入り口を過ぎて、ホームストレートを駆け抜けようとしていた。
 右側の壁ぎりぎりの位置を走っているので、そこに溜まっていたホコリやタイヤカスなどが走行の風圧で舞い上げられている。
 そのままの勢いで1コーナーに向かい、入る寸前でやはりフルブレーキ。そしてトンネルに進入していった。

 「今の高見くんでしょ? すごく調子よさそうね」
 事務所から戻ってきた虹野が目の前のホームストレートを快走している公人のクルマを見て、そう秋穂に声をかけた。
 フリー走行が始まった頃から各チームの責任者が事務所に集められて、最終調整とタイムスケジュールの確認が行われていた。
 このチームの最高責任者は紐緒だが、このような打ち合わせなどには虹野が出席する事になっている。
 さすがに虹野は出席も初めてなのでちょっと緊張気味だったが、連絡事項がほとんどだったので何事もなくミーティングは終了した。
 このミーティングの他に予選前にドライバーズミーティングもあるが、連絡事項などは先の責任者を集めたミーティングで連絡されているので、「事故の無いように気をつけましょう」などと言った簡単な注意事項のみとなっている。
 「あたしがあの後更にしっかりとコースを教えておきましたから」
 快走する公人のクルマを眺めやりながら、自身たっぷりに秋穂が言う。
 「あれ? 最初からずっと走っていたんじゃないの?」
 「さっきまでクルマも最終調整してたんです。そのかいあって先週より性能が上がってますよ」
 「そうなんだ。でもまだフリー走行なんだから、あんまり無理して欲しくないなぁ」
 コースの方を振り返りながら、ちょっとだけ不安げな表情でつぶやいた。
 まだ予選も始まっていない段階でクラッシュなどしたら目も当てられない。
 公人に限ってそんなことは…と虹野も思ってはいるが、それでもやはり心配なモノは心配であるらしい。
 「高見さんだって、それくらいのことは心得てると思いますけど…」
 秋穂も虹野と同じ方を見ながら、今度は自身なさげにそう言った。
 「今は6、7割程度で走っているわ。少なくともその程度は考えて走っているようね」
 いつの間にかピット奥から出てきていた紐緒が2人の背後に立っていた。
 わざとか無意識なのか、相変わらず気配をほとんど感じさせずに背後に立っているのでちょっと心臓に悪い。
 「足周りとブレーキをちょっと変更したから、予選までに馴染ませておかないといけないのよ。それでもあと4、5周で一度戻ってくるわ」
 紐緒の耳には公人や他のクルーとの通信用の無線機をつけている。マイクも頬骨の振動を拾うタイプのモノで、エグゾースト音で充満するピットでの会話では、雑音を拾いにくいこのタイプの方がなにかと便利ということらしい。
 全てのピットクルーが無線機をつけている訳ではないが、虹野や秋穂の耳にも同じモノがついている。
 公人のヘルメットにも無線機はついているが、こっちは同じ機能ながら当然カタチはヘルメット用となっている。
 どちらも紐緒オリジナルとのことだ。
 「それより、事務局のほうからはなにかあったの?」
 紐緒が虹野に先ほどのミーティングについて尋ねた。
 「あ、えーっと、注意事項の確認と、予選からのタイムスケジュールの調整がちょっとあったわ。予選は予定通りの時間に行われるんだけど、本戦の方は10分遅れで始まるって。それ以外は予め貰ってた資料通りのことを読み上げてただけだったわ」
 虹野はメモを見ながらそう説明した。本戦が10分遅れるのは今回のレースからコースチェックを強化する事になったため、そのため予め配布された予定表より10分遅れるとのことだった。
 「そう、ありがとう」
 「もういいの?」
 「ええ、レギュレーション関係は一通り頭に入っているし、あとはタイムテーブルがわかれば問題ないわ。ご苦労だったわね」
 ピット奥の方に振り返りながらそう言うと、いつもの計測ブースへと紐緒は戻っていった。
 「…虹野先輩、紐緒さん機嫌いいみたいですね」
 紐緒の後ろ姿を見送っていた秋穂が虹野の耳元で小声でささやいた。紐緒の地獄耳ぶりは秋穂も十分に知っている。
 別に多少の事では紐緒は怒ったりなどしないのだが、それでもジロリと睨まれると秋穂などは思わずすくみあがってしまうほど、紐緒の睨み付けは強烈だ。
 顔の右半分が髪の毛で覆い隠されているので表情が読みとりにくい、というのも一因ではあるようだが。
 「そうね、あんまり紐緒さん表情には出さないけど、やっとレースに出場できるからうれしいのよ」
 しかし、虹野はそんな紐緒の僅かな表情やしぐさなんかを読みとる事の出来る、チームでも数少ない存在だ。
 いつもまわりに気を配り続けている虹野だからできる事なのかも知れない。
 逆に公人は紐緒に対しては割とマイペースで、特に顔色をうかがったりするようなこともない。
 何考えてるかよく判らないし表情からも判断しにくいから、と言うのがその理由らしい。

 そうしているうちに公人も予定していた4周を終え、ピットに入るための周回に入っていた。
 7割程度で走っていたとは言え、他に走っていた数台とはほぼ互角の走りだった。単なるフリー走行で熱くなっても仕方がないので、コーナーで並んだときは無理に競り合ったりせずにゆずったりしていたが、それでも立ち上がり加速で簡単に追いついてしまっていた。
 相手も本気を出しているとは限らないが、予選、決勝ではかなり高い戦闘力を誇示できそうだ。
 最後の周回は流し気味に走って、そのままピットレーン入り口から自分のチームのピットへと進み、クルマを停めた。



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