赤とんぼ
作詞 三木 露風 作曲 山田 耕筰
昭和2年12月17日に作曲されているが、「この道」「からたちの花」と共に、山田耕筰の
代表的な名作歌曲の一つになっている。詞は、三木露風が七歳の時、実家へ帰った母
への慕情と、故郷の幡磨平野への思いをはせたものである。露風は昭和3年から36年まで
三鷹市牟礼に住んでいたが、昭和39年12月21日午後9時過ぎに、自宅付近で交通事故の
輪禍に遭い、頭蓋底骨折で同市の野村病院に運ばれた。そして29日、脳出血のため亡く
なった。享年65歳だった。奇しくも翌年の12月29日には山田耕筰が亡くなっている。
(日本抒情歌全集1の解説より)
昔、山田耕筰氏は車で移動中に憲兵の検問を受けたが、「やまだこうさく」を「やまだこうしゃく(公爵)」と発音して
無事通過出来たと聞いたことがある。
1.夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
2.山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか
3.十五でねえやは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
4.夕焼小焼の赤とんぼ
とまっているよ 竿の先