オーストラリアのスポーツ事情

オリンピックでのオーストラリアの活躍

オーストラリアは人口が少ない(約2,000万人)割にオリンピックでのメダルの獲得数が多い。最近のオリンピックではシドニー大会、アテネ大会でいずれも第4位であった。上位は2回とも米国、ロシア、中国の大国であった。人口一人当たりのメダル獲得率では多分世界一ではないだろうか。  

南オーストラリア大学の調べによるとオリンピックの金メダル1個当り4,000万豪ドル(約35億円)の費用がかかっているとのことである。この費用にはどこまでの範囲が含まれているか定かではないが選手団の参加費用、選手の養成強化費用などなどであろう。この費用が日本と比べて高いか低いか知らないが少なくともこちらでは余り批判の声を聞かない。  

また、オリンピックの競技ではなかったときでもテニスでは数多くの世界的な選手が輩出されたし、ゴルフでもピーター・トムソンとかグレッグ・ノーマンなど有名選手が出ている。

国民のスポーツ好きと恵まれた環境  

それだけ国民がスポーツを好み、政府もスポーツ環境の充実に力を入れている。我家の近くのヤラ川でも学生や会社勤めが終わった社会人がボートをこいでいるし、ボタニックガーデンやアルバート・パークの周回ジョギングコースを走っている人が多い。  

会社勤めの社会人が平日気軽にスポーツに楽しめるのは、スポーツ施設が豊富にあるということの他に、日本に比べて通勤時間が短い、実質労働時間が短いということも理由になっている。会社では5時になればさっと買える人が殆どである。日本のように自転車通勤をしている人も多く道路には自転車専用レーンもあるくらいである。こちらの自転車は日本で普通に見かける所謂“ママチャリ”は滅多に使われず、殆どが変速機付きのスポーツ車である。

 また、安くプレイできるゴルフ場が沢山あるためにゴルフをする人も多い。パブリック・コースであれば1,500円位でプレイが可能である。9ホールのコースも幾つかあり更に年金生活者には割引料金が適用されるので1, 000円もかからないでプレイを楽しむ高年者も多い。  

教育面でも学校でのスポーツ教育が奨励され教育カリキュラムにスポーツが十分に組み込まれている。これは英国のパブリックスクール、イートン校の体育重視の伝統が導入されているとの事である。更に身体障害者に対するスポーツの普及活動や政府の予算配分も恵まれている。この為かパラリンピックのメダル獲得数でも常に上位に位置している。

フットボール観戦と熱狂的なファン  

秋になりメルボルンではオーストラリアン・フットボール(AFL)のリーグ戦が始まった。これはサッカーやラグビーのようなフットボールの一種だが、もっと荒っぽくオーストラリア独自のスポーツである。プロのチームが幾つかありニックネームがつきロゴマークも持って、日本の野球やサッカーのように人気がある。観客はひいきチームのユニフォームや襟巻、ロゴマークのついた物品を身につけて熱狂的に応援している。人気選手はプロ野球のスター選手のようである。優勝チームが決まるリーグ戦終了の春先まで職場や仲間との会話でもAFLの話題が出ないときが無いくらいである。我々日本人もAFLの動向には少し関心を払っていないことには会話についていけない。  

シドニーやブリスベーンではAFLよりもラグビーが人気ある。ラグビー・リーグという日本のラグビー(こちらはラグビー・ユニオンと言い、オーストラリアでも行われているもの)とちょっとルールが違った13人制のラグビ―が人気あり、ひいきの各チームに対して熱狂的なファンが応援をしている。  

クリケット  

クリケットも忘れてはならないスポーツである。もともと英国のスポーツであるが、オーストラリアではフットボールと並んで人気がある。他の英連邦諸国でも盛んで世界ではサッカーについで2番目に競技人口の多いスポーツだそうである。(人口の多いインドで人気があるという事も影響している由)  

英国からは植民地時代の初期に本国から送られた囚人やその後の入植者によってもたらされ、人気あるスポーツとして続いている。こちらでは子供達が空き地や公園でクリケットをやっているのを良く見かけるが、丁度日本の子供が野球やサッカーに興じているような感じである。  

夏の季節、週末はあちこちにあるクリケットグランド(オーバルと呼ぶ)でクリケットの試合をしているのを見かける。20数年前にこちらに駐在していたときに秘書の女性が週末になると「参加しているクラブのクリケットの試合がある」と言っていたのを思いだす。  

クリケットには「テスト・マッチ」と言う正式な国と国の試合があるが、これに勝敗がつくまでには5日間を費やす。  

特にオーストラリアとイングランドの「テスト・マッチ」を別名“The Ashes”と呼ぶそうである。これは1882年にイングランドが初めてオーストラリアに負けたときに「Sporting Times」と言う新聞に「この程イングランド・クリケットが亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。亡き骸は荼毘に付され、その灰はオーストラリアに持ち帰られました。」という死亡広告が出され、更にボールの灰が入った壷が贈られたが、以来勝利したほうがその壷を獲得することになった。・・・との話がもとになっている由である。  

オーストラリアの勝利は「クリケットの本家で元の宗主国のイングランドに勝ったのだから我々オーストラリアも大したもんだ。もう一人前の国である。これからもオーストラリア中一丸となって頑張ろう。オージーに生まれて良かった。」などとその当時のオージーは思ったかもしれない、何れにせよこのことはオーストラリア人の団結や愛国心の高揚に役立ったそうである。

参考リンク:オーストラリア大使館の関連ページ


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