出張目的
出張目的はオーガニックのスパゲッティーやショートパスタの製造メーカー見学とそのメーカーとの日本市場開拓の打ち合わせの為でした。
日本のオーガニック食品の市場はかなり拡大しており、関心の度合いも深まっています。流通の各段階で新規に取り扱いを始めるべくいろんな準備をされているところも多いことから、これが市場に現れて来て、消費者の理解や関心も一層深まればマーケットも一気に拡がるのではないかと思います。
一方イタリア料理もますます人気が出ているようで、パスタやオリーブオイル等のイタリア料理の食材の輸入も増えています。パスタの輸入量は1994年に5万5千トン、95年6万3千トン、96年7万トンと増えており、そんなところでオーガニック・パスタの輸入機会もまだまだ拡大の余地があるのではないか期待しております。そんな思いでこれまでファックスだけで連絡を取っていたメーカーを実際に訪問して取引を進めるに足る会社かどうか見極め、今後の具体的な進め方を交渉する事にしました。
第1日目(日曜日)
予約したアリタリア航空は本来午前11時くらいの出発のところ大幅に遅れて午後6時の出発になった.金曜日の時点で旅行社からの連絡では出発は午後8時ちょっと前ということだったので出発日に資料の整理など出来るかなと思っていたが念のためアリタリアの成田事務所に連絡とって出発時間を聞いてみたら午後6時と早くなっていた。もしこちらから問い合わせをしなかったらどうなっていただろう.旅行社のいう時間に飛行場に行ったらもう飛行機は出発した後だったと言うことになっていたかも知れない。
とは言うもののやはり出発時間をチェックしたおかげでトラブルもなく間に合うことが出来た。飛行場までは例によって家内に車で送ってもらった。夕方出発のフライトにのるのは久しぶりだったが,第1ターミナルのイミグレーションは混んでいた。フライトはほとんど満席95%の入りと言うところか。今回は3月にアメリカ出張の時に使った大韓航空の時のようにビジネスクラス格上げしてもらうと言うようなことは無かった。それでも離着陸の時にスチュワーデスが座る前の席でまずまずであった。もっとも離陸の時に前に座ったのは屈強なイタリア人のスチュワードでいささかがっかりしたが。
飛行便がアリタリアと言うことで乗客はイタリア人も多いのかなと思ったらほとんどが日本人でそれも結構若い人も多い。不景気と言っているが日本人も結構裕福になったものだ。もっともディスカウントチケットや格安ツアーが一般化してこの分野でも価格破壊が進んできた事も気軽に海外に行く人が増えている理由のひとつになっている筈だ。
アリタリアにのったのは久しぶりで昔広州交易会に参加したときに日本から香港にいくのに乗って以来と思う。我らの席をサービスした乗員はスチュワーデスが一人であとはスチュワードであった。スチュワーデスの制服の色もカーキ色でデザインもイタリア製にしてはよくなく、最初にサービスされる飲み物に普通一緒に出されるつまみが出されないとか、食事もそんなにうまいものではなくアリタリアの印象はそんなによいものでは無かった。
TOPへ戻る
ミラノ空港に着いたのは夜の11時半くらい、荷物をとって通関を済ませて外にでたら12時過ぎであった。アリタリアでバスを仕立てるといっていたがアリタリアの係員が誘導するわけではなく結局こちらで探さないと見つからないというありさまでここでもアリタリアの評判を落とすことになった。バスはミラノ中央駅までであったが予約して有ったホテルは駅のすぐ近くでタクシーを使う必要もなかった。飛行場では夜遅くで銀行もしまっていて両替も出来ずタクシーに乗る場合はホテルに就いてから両替をして支払いを済ませようと思っていたがその必要はなかった。荷物も少なく場所も駅からすぐ近くで歩いていくのに全く苦痛はなかった。
会社勤めの頃は出張といえば海外の駐在員にホテルを予約してもらうとかそのホテルも親方日の丸で結構よいホテルに泊まっていたが今はそうはいかず、今回は日本で海外のホテルリストを見て代理店経由予約を入れた一泊朝食付き100ドルくらいのところに泊まった。早く仕事を軌道に乗せてファイブスタークラスのところに泊まりたいものだ。日本との時差が7時間ゆえ日本の朝の9時過ぎ(ミラノの午前2時過ぎ)を待って日本に電話をした。ちょっとトラブルがあって滞っていた通関が切れが切れたことを確認して一安心。
TOPへ戻る
第2日目(月曜日)
昨夜午後2時過ぎにベッドに入ったが眠れないこともあり、商談に備えて資料を読み返したり、日本の状況説明を纏めたりして過ごしたら結局朝まで一睡もしなかった。とは言うものの飛行機の中で寝ていたこともあり、時差を克服する為にはここで寝ないのが却ってよかったかも知れない。
朝食はホテルの宿泊代に含まれているが、コンチネンタルスタイルのバイキングであった。希望すればホットディッシュは別料金で作ってくれる。パンや飲み物、ヨーグルトなどもバライティーに富んでいてまずまずであった。ホテルは日本人も多く、朝食で席が隣り合わせになった日本人はブランドものの服飾品の買い付けに来ているとのことである。ほとんど毎月こちらに来てブランド品を仕入れていくとのこと。聞けば元々板前をしていたが着物の販売の内職をしている内になぜかブランドものの輸入販売の仕事を始めたという。この仕事を始めて6年でバブルの頃は儲かったが、最近は商売も厳しく今年は特に景気が悪く大変だと言っていた。
他にもちょうどミラノで開催中の家具の見本市に参加のために当地に来ている人もいた。ミラノの市内観光案内によると、見本市は6日間で約15万人の入場者が予想されるとのことでかなり大きな規模らしい。ミラノの家具といえばそのデザインも有名なので見本市に行きたかった。しかし丁度今日が最終日とのことで断念せざるを得なかった。ちなみにイタリアの家具はその販売の60パーセントが輸出に向けられ、世界一の家具輸出国でもあるとのことである。
TOPへ戻る
パスタメーカーとの待ち合わせはホテルのロビーで朝8時半という事であった。しかしながらメーカーの社長が来たのは結局9時くらいであった。遅れてきてもすまないのあいさつもなかったがこれがイタリア風なのかもしれない。社長は息子と一緒に来た。息子はミラノ大学で経済学を学んでいるとのことで卒業したらおやじの後を継ぐとのこと。息子はおやじより英語が上手で今回息子を手助けに借り出した模様。息子の運転で70キロくらい離れた工場に向かう。車はアルファロメオの結構馬力のあるやつで、高速道路をかなりのスピードで走った。アルファロメオも今はフィアットに買収されておりイタリアには現在車のメーカーはフィアット1社だけだという。日本の車は少なくはないとは言うがそんなに多く見かけなかった。さすがにベンツやシトロエン、オペル等はよく目に付いたがアメリカ車はフォードが目に付いた。これはフォードのドイツの工場で作っているという。
メーカーの社長は1940年生まれ、私より2才年上。最初は祖父の経営する食品加工機械のメーカーに働いていたがその後独立して貿易をやりアフリカからコーヒーやココアの輸入をやり、その後南米の黒砂糖を知るに至って自然食品とかオーガニック食品に関心が広がり現在の仕事にいたっているとのこと。健康とか環境に関連した仕事に従事している割には常に葉巻を手から離さず相当なヘビースモーカーである。
工場には1時間弱のドライブで着いた。工場のある町は人口5千人、町と言うより村と言った感じである。そこはミラノから70キロ位の場所であるが農村で何故か昔良く行った中国の農村を思い起こした。麦畑が目に付いたが冬小麦がほとんどあった。殆どと言ったのは2、3月に植える張る小麦もあると言ったからである。
同社の製造品目はオーガニックのパスタ、オーガニックの砂糖の粉末並びにその加工品で規模は非常に小さいものであった。パスタの製造にしても連続式の乾燥ではなく作ったパスタを一旦乾燥用の棚に吊して低温で(36度くらいとのこと)乾燥させるやり方である。日本では調理したときにアルデンテ(適当な堅さ)を出すために高温で乾燥させるが、社長によるとこの低温乾燥のやり方だと栄養分も失われずによい製品が出来るとのことである。
これまでファックスでやり取りはしてきたが会って面と向かって話をするのは初めてでお互いの経歴や現在の仕事の状況を紹介しあう。ついで社長に同社の概要や販売政策輸出方針等の説明を受ける。当方からは、日本の関連業界の状況説明や当社の考え方を説明する。
TOPへ戻る
昼食は近くのリストランテでとった。スパゲッティ・マリナラを注文し飲み物は何がよいかというので赤ワインを頼んだ。社長は「マリナラだから白ワインがいいんじゃないの?」なんて言っていたが私は魚だから白ワイン、肉は赤ワインなんて事は決めていない。イタリア人でも結構頭が固いなと思った。出された赤ワインは冷えていたが、赤ワインはこんなに冷やしたら駄目。あまり旨くないワインは冷やした方がいいのかなあ。でもスパゲッティ・マリナラは旨かった。
ちなみに昼食をとる場所としては他にタベルナとかバール等があるがリストランテはましな方で、他は簡単な食事に使われるようだ。ミラノではオフィスでは昼食時間も今は1時間で簡単に済ませる向きが多いが、工場のある場所は従業員も家に帰って食事をするとのことで昼休みも2時間にしている。これなら昼食後昼寝をする時間もあるのかも知れない。
TOPへ戻る
パスタに関してはいずれもオーガニックの製品だが、小麦からふすまや胚芽の部分を取り除いた小麦粉から作ったホワイト・パスタと、ふすまや胚芽の部分も一緒に挽いた小麦粉から作った全粒パスタの2種類を作っている。社長に言わせると、オーガニックのパスタなら全粒の小麦粉で作ったパスタを食べるべきだとのこと。胚芽やふすまには栄養分やミネラルが沢山含まれているし小麦の風味や味がたっぷりするので全粒パスタを食べた方がよいといっていた。原料の有機栽培の小麦は近隣の農家と契約栽培を行っている。ホワイトパスタの原料の小麦粉は製粉会社に挽いてもらっているが、全粒粉は自社保有の水車で石臼を回して小麦を挽く製粉工場で挽いたものを使っている。
原料の小麦もオーガニックとして証明書の付いたものを使うが、製品もオーガニック食品の認定団体で認定を受けて、その認証マークを付けけて出荷される。イタリアにはかかる認定団体がいくつかある(手許の資料では9団体がIFOAM=オーガニック農業運動の国際連盟=に登録されているという)。イタリアでは国内の各地方にかかる認証団体を置いておりその地域の農家や加工業者が利用しやすいようになっている。ヨーロッパでは1991年にEUのオーガニック食品の統一基準を制定、イタリアも関連の国内法を持っている。認定団体はイタリアの農業法や各地方の法律に則って認定を行っており団体によっては政府の代表も参加している。もし虚偽の表示をしたり、基準からはずれていたものを販売すれば法律によって罰せられることになり、この点関連の基準が曖昧で法律もない日本より安心できるといえる。
TOPへ戻る
昼過ぎ水車の製粉工場を見に行った。場所は会社から車で30分くらいのところで、田園地帯の真ん中にあった。建物は古いが一部改修した様で、水車も元々は木製だったのだろうが今は金属製の大きなものが使われていた。水車の直径は9メートル有るとのことであった。石臼の直径は2メートルくらいで昔日本でも家庭で使っていたものを大きくしたような感じである。石臼で挽いた粉をかたわらに設置した電動式の篩でふるっていた。石臼は水車を、篩は電力を動力源にしているところが何となくおかしかった。この水車小屋の粉屋の主人は典型的な田舎のイタリア人というといった素朴な感じで敷地の隅々まで案内してくれた。
水車の製粉工場を出て社長が予約してくれていた隣町のホテルに行く途中ちょっと寄り道をしてこの地方の旧跡である小高い丘の上の古い砦を中心にした集落に立ち寄ってくれた。これは中世の町が一部そのまま残っているとのことで砦や教会、公会堂とかそこに至る古い家の間を縫って通る狭い曲がりくねった石畳の小道などは昔のままであろうと思われる。砦の廻りには既に水はないが堀を巡らし、入り口の橋は開閉式になっているなど昔がしのばれる。さすがに砦は使われていないが教会をはじめ他の建物は今も使われている。こういうのを見ていると確かに古い歴史のあるヨーロッパに来たなあという感じがする。
田舎町でのホテルは工場から5キロくらい離れた隣町にあった。この界隈では一番のホテルとのことで言われるだけあって立派なホテルであった。チェックインのあと社長とは一旦別れてシャワーを浴びてちょっと横になった。8時半にピックアップしてもらい夕食をご馳走になった。メニューを見てもイタリア語のものしかなく社長のお薦めの料理を選んでもらった。前菜に生ハム、ついで中に挽肉や野菜が詰まったラザニアの如くのパスタのクリームソースかけ、最後のメインディッシュがスモークチーズをグリルしたもの。生ハムは勿論旨かった。チーズのこんな食べ方は初めてだがこれもよかった。ワインは赤ワインだがこれはちょっと冷えすぎていて今一つだった。
TOPへ戻る
第3日(火曜日)
イタリアでの実質2日目である。工場の事務所で双方からの質疑応答や今後の進め方に就き話し合いを行う。
パスタと並んで同社のもう一つの製品であるオーガニックの黒砂糖について説明を受ける。ちなみにこの商品は沖縄でも生産されている黒糖に属するものである。普通の砂糖は糖蜜を除き、更に精製して真っ白な精製糖にしたものだが、黒糖はサトウキビを絞り、そのまま煮詰めて製造したもので砂糖の作り方としては昔からの製法のひとつだそうである。ビタミンやミネラルが豊富に含まれている上にアルカリ性という事で健康にもにもよいと最近日本でも需要が伸びている砂糖である。日本では沖縄の生産量が最近7千トンに減少しているので中国やタイから1万2千トンくらい輸入されている。日本の需要量は2万から3万トンくらいと言われている。
この種の砂糖は中南米にも生産があり、同社はコロンビアからオーガニックの証明を受けた製品を固まりで輸入しそれを粉末に砕いて小袋に入れて健康に良い砂糖として自然食品専門店などにおろしている。他にもそれをコーヒー用の角砂糖にしたり、ハーブを混ぜてキャンディーなどにも加工していた。輸入量は年間高々250トン位とのことで一部スイスやフランスにも輸出している由だが日本の需要量の多さを聞いて驚いていた。沖縄では豚肉の角煮等にも黒糖が使われるし、カリントウや他の和菓子製造にも使われるので一部の自然食品愛好者だけに消費される欧州とは比較にはならない。当社はコスタリカから同じ様なオーガニックの黒糖の見本を入手しておりキャンディーなどの二次加工品はともかく黒糖そのものはイタリア経由の場合価格的に競争できにくいことを説明した。
TOPへ戻る
今回、実際に社長にも会い工場も見て加工や包装、そこで働く人達の態度も見てこれならまず大丈夫だろうという確信も持てた。当方からはどうせやるなら日本における総代理店という事でやりたい旨を申し入れた。海外の製品を売ろうとする場合、やはり自分で実際に製造現場を見たり経営者に会って本当に信頼できる相手かどうかを確認しないと駄目だ。実際に見ていないと説得力のある説明も売り方も出来ない。基本的には双方合意に至ったが、当社の事もよく知らないだろうから半年から1年の試行期間を経て双方に異議が無ければ正式契約に入ってもよい旨を提案した。帰国後代理店契約書のドラフトを当方から送るのでそれを見て検討して貰うことにした。
見本やパンフレットを旅行ケースにたっぷり詰めて貰った。昨日の日本からの電話ではお客さんの1社がオーガニック食品の取り扱いに興味があるので見本をもって帰って欲しいとの事である。これが実際の商売に繋がると良いが・・・と思えば重い荷物も苦にならないだろう。
昼飯は工場で同社の製品のパスタを試食することにした。工場のキッチンでいろんな種類のパスタをゆでて貰って食べ比べた。オーガニックのオリーブオイルにニンニクのスライスを入れてちょっと加熱して香りを付けたものでパスタを絡め、塩とレッドペパーやバジルの乾燥させた粉末をミックスさせたものをかけて食べた。この塩と香辛料のミックスは良かった。パスタの味を比較するにはソースなどを掛けない方が良いのはもちろんである。普通のホワイトパスタ以外にもふすまや胚芽も一緒に挽いた全粉セモリナで作ったもの、蕎麦粉とか海草入りりのもの、赤ピーマンの粉末で赤い色のパスタなど、又形もロングパスタのスパゲッティやフィトチーネからショートパスタのペンネ、シェル、マカロニなどいろいろ食べ比べた。形はともかく 1)ホワイトか 2)全粒か 3)小麦以外の他のものを混ぜたものかに大別される。
個人的には今まで食べ慣れているホワイトパスタが一番旨いといったところ社長は又しても全粒のパスタが穀物本来の味も風味もあって一番といっていた。確かに食べ慣れてそのもの自体ののうまみが判れば良いのかも知れない。日本蕎麦だって子供の頃最初に食べたときはあまり旨いとは感じなかった。蕎麦自体のうまみを感じるのはかなり大きくなってからだった。全粒パスタも食べ慣れるとそのものの良さが判ってくるのかも知れない。
ワインはオーガニックの赤ワインを出して呉れたがこれが美味しかった。カベルネ・ソーヴィニオン種の葡萄で作ったもので瓶の片側は赤ワインの澱(おり)がついてこの瓶が長いこと横にされていたことが伺えた。今回は冷やしすぎにもなっておらず、その香りや口に入れたときに感じる渋みにも奥深い味わいがありイタリアに来て3回目にして初めて旨いと感じたワインであった。
TOPへ戻る
昼過ぎ工場に別れを告げ社長の運転でミラノに向かった。ミラノでは自然食品専門店を3ヶ所案内して貰った。いずれも同社の取引先だが1社はコンビニ2つ分くらいの広さで比較的広いミニスーパーといった感じでここは有機栽培の野菜や果物、パンなども売っていた。丁度1ヶ月前に行ったロサンゼルスのホールフードマーケットヤードやワイルドオーツマーケットの如く大きくはないし、店自体も陳列もきれいではないが思った以上に品数が多かった。ここ欧州でも豆腐は健康食品として人気が有るとのことで堅めの豆腐がプラスティックに包装されて売られていた。名前は忘れたが小麦蛋白を使って作ったものも菜食主義者に売れているとのこと。醤油や甘酒(豆乳のような感じで飲まれているらしい)等日本の名前がそのまま使われている商品も目に付いた。あとの2店は、ひとつはミラノで一番大きなスポーツジムに付属している店、今一つはちょっと小型の専門店だった。それぞれに特色はあったが、いずれも健康食品等も売られていた。社長にホテルまで送ってもらい日本でのフォローアップを約束して分かれた。
夕食は近くの中国料理屋でとった。海外で1人で夕食をとる場合、最近は東洋食をとることだ多くなった。昔は中国料理が便利だったが最近は韓国料理、タイ料理等もが多くなっている。地場のレストランの場合、客はたいていグループかカップルで来て食事と会話を楽しんでいる。そんな中に1人で黙ってフルコースの料理を食べてもなかなか楽しめない。また、ひとつの皿から次の皿に移るのに時間がかかる。その間まことに手持ちぶさたである。ましてイタリア語のメニューでは今一つ判りにくいものがあり、近くに東洋食のレストランがあるとつい足が向いてしまう。水餃子、海産物の鍋、豚肉とザーサイの細切り炒め、飲み物はビールと赤ワインのグラスでちょっと食べ過ぎた感じであった。アルバイトのウェイトレスは中国の杭州市から留学中というが北京語は勿論英語もイタリア語もよく話せていた。中国も国際化が進んできておりこの学生も本国に帰っても活躍できる場所が幾らでもある事だろう。
TOPへ戻る
第4日目(水曜日)
今日はミラノで丸一日観光等でのんびり過ごすことにした。日本を出発前には出来れば他の食品輸出業者を訪問しようとも思っていたのだが、別の相手先に行くのにはちょっと場所がミラノから離れすぎていて日程があわないことなどで観光をすることにした。ホテルのコンシェルジュからめぼしい場所を聞いてみた。ダ・ビンチの「最後の晩餐」のフラスコ画があるサンタマリア・デッレ・グラツィエ教会、スフォルツァ城、ドゥウオモ(大聖堂)、及びドゥオモ広場近くで高級服飾品や皮革製品、装飾品の専門店の並ぶヴィットリオ・エマヌエーレ通りを勧められた。
まず「最後の晩餐」の教会にいくことにした。ミラノ中央駅からは地下鉄で五つ目の駅の駅で降りて徒歩で10分のところに教会があった。地下鉄から地上に出ると日本でもそうだが教会の方向が判らずちょっと迷ったが街のの角角に通りの名前が書いて有り地図と対比することですぐに判った。「最後の晩餐」は教会の聖堂とは別の棟に展示されておりその前に長い列が出来ていた。修学旅行で地方からミラノにやってきたものと思われる学校の生徒たちとか、アメリカから来た引退後の老夫婦たちの団体たちが何十人も並んでいた。しばらく列の後ろに並んでいたがいつまで待てば順番が回ってくるか判らないので教会の聖堂に入り中に置かれた彫刻や天井画を眺めて「最後の晩餐」は断念することにした。
教会から地下鉄駅に向かう通りでイタリアの印象を悪くする事に遭遇した。交差点で信号待ちをしているときに横から近づいてきた幼い子供を抱いた夫婦がポスターのようなものを見せて何か言ってきた。最初は寄付を頼んでいるかなと思ったがどうも金を恵んで欲しいと言うことのようだ。昔ロンドンで街頭で募金を頼まれて小銭を渡したらもっとたくさん欲しいとしつこく言われていやな思いをして以来、この手の街頭での募金や物乞いには一切応じないことにしている。今回も「ノー・ノー」と手を振って通りを渡って行き過ぎようとしが相手はしつこく食い下がってついてきた。足早でやり過ごそうとしたら腕をとって引き留めるくらいであった。イタリア語が出来ないので「ノー!」とか「駄目だっ!」とか言って振り払ったが、20メートルくらいつきまとってきたしつこい物乞い夫婦であった。私のことがよほどお人好しか金持ちに見えたのだろうか。でも後者に見られることは無いだろう。それとも彼らにとって観光地にやってくるたいていの日本人はいい鴨なのだろうか。
ミラノのドゥオモ(大聖堂)は何となく見覚えのある建物でテレビか映画かで見たことがあるような気がする。イタリアではヴァティカンのサンピエトロ寺院に次ぐ二番目の大きさの聖堂だそうである。聖堂の前の広場も大きい。ブランドものの売られる専門店やカフェが並ぶヴィットリアオ。エマヌエーレ通りは観光客や外国人も多いが、さすがにイタリアンファッションで決めた格好いいシニョーレやシニョリーナも多かった。イタリアのファッションやデザインのセンスは本当に目を引くものがあると思う。この通りと交差するアーケードにイタリア風のカフェと競うようにこの街には不似合いなマクドナルドの店もあったが客も結構入っていた。あのマックのロゴマークの看板は変えようもないが店の造りは何となくシックな周りの雰囲気に合わせるような感じであった。スカラ座もすぐ近くの所にあった。外から見た感じは有名なスカラ座にしては何とも貧弱な建物の劇場であった。日本人と見てか当日券の切符を買わないかと近づいてくるダフ屋がいた。
歩き疲れてホテルに帰った。これまで海外に出張してもお客さんと一緒の時でも無い限り1人で観光に出歩くと言うことはあまり無かった。今回は日程がぽつっとあいたことと歴史の重みもあるイタリアの都市で仕事だけではしょうがないと観光に出歩いた訳が残念ながら大した感慨もなかった。ミラノという街も限られた場所を歩いただけだったがあまりきれいな街ではなかった。もっと事前にいろいろ下調べをした上で歩くべきだったと思う。イタリアはミラノ以外にもローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリ、シチリアと多くの有名な場所がある。明日の朝は帰国の途につくが次は仕事を忘れてゆっくり各地を回りたいものだ。 (完)_