[旧談話室]もよろしこ! |
■--ayuの詞・・・ >>>渚 -- 2002/12/18-20:30..No.[7032] |
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RAINBOW、じっくり味わって聴いています。自分がすごく揺れているのが分かります。 今年になってからは、自分が本当に「ファン」なのか分からなくなりました。 ayuの出すシングルに満足できなくて「こんなもんだったのかな。」と思ったり。 ファンになったきっかけはデビューシングルです。詞の持つ世界観に、どうしようもなく 惹かれました。それからファンになり、詞を通して自分自身を見つめたり新しい道を見つけたり。 ayuは私にすごく大きな影響を与えてくれる、憧れみたいな存在でした。 それが、今年になって響かなくなりました。何て言えばいいのかよく分かりませんが・・・ 今までは詞を通して「自分」や「未来」「道」を考えていたのが、いつのまにか 「ayuの今の状態」を考えるようになっていました。Vを聴いた一番最初の感想は、 「ayu、幸せなんだろな〜」でした。曲調とか、詞は普通にいい詞だと思いました。 ただ、共感とか感じるモノが全くと言っていいほどありませんでした。 本当に、特別な所は「ayuの歌」というだけで、他の歌手だったら気に留めていなかったと思います。 もしかしたら、ayuは満たされ始めてて、私はまだ乾ききっているからかもしれません。 でも、もうayuの「詞」には惹かれなくなってしまいました。 それが、今回のアルバム。すごい、キました。 一年ぶりくらいに、感じるモノがありました。惹かれました。 それ自体はすごく嬉しかったのですが、なんでこういう歌詞が書けるのに、 ああいうシングルをだしたんだろう、と強く思いました。 今では自分の事なのに全然なにを考えているのか分からなくて。 みなさんは、ayuの詞、どうですか?聞かせてください。 |
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>>> nanako -- 2002/12/18-20:54..No.[7034] | |||
私はあゆに関してシングル曲よりアルバム曲の方が好きっていうことがけっこうあって。 それはやっぱりシングルで出すには「万人受けする詞」でなければいけなくて、 その規制が少し緩くなった時に出てくるあゆの鋭い表現が好きだからだと思います。 そしてそういう条件を自分の中で消化していくあゆはやっぱり凄いなぁ、と思ってしまいます。 | |||
>>> 飛鳥 -- 2002/12/18-21:02..No.[7035] | |||
私もあゆと同じ場所でもがいている自分がいて、 居場所がなかった・・・と言う言葉に胸を打たれ それからあゆという人物はなん何なんだ!!この曲この詩は!! と驚きとすごい自分が求めていた物なんかそういうものを感じました. はじめて聞いたのにたった1回で涙がボロボロ出ました. はじめてアーティストの歌を聞いて衝撃を受けました. そして.どんどん進化してどんどんあゆは心の心境や大事な物など 発見や絶望.失望を感じそれで出来上がった曲なのに 私もなんか自分が求めている、自分が聞きたいというか、 なんか違うなぁ・・・と感じ始めてきました. でもそれはあゆの環境や気持ちの変化の現われで あ・・・自分もうあのときのあゆと同じ場所にいないんだ. まだ私はこの場所から1歩も踏み出せないで 立ち止まったままなんだ・・・ と気づき・・・ あゆはいまとてもしあわせで あゆにはたくさんの仲間がいて・・・・、 わたはまだ、A song forXXで立ち止まっている. まだそれしか本当に癒されないというか そうだよね.って思えない. ほかのアルバムも あ…!!!って思ってもそれは私が夢に見ていることで それはいま私が今感じていないのもので・・・・・・ なんかいってることがわけがわからない内容になってきてしまいました・・・。 | |||
>>> 雄介 -- 2002/12/18-22:04..No.[7037] | |||
浜崎あゆみの詞が最初から好きという人はおそらくA Song for ××の影響が大きいでしょうね。僕は正直昔のあゆの詞が大好きです。最近ではHANABIの詞に感動したくらいであまりぐっとくるものは感じませんが、やっぱりあゆがどんどん普通になってきてるって感じがします。(いい意味でも悪い意味でもなく) ↑に書いた(居場所がない人々)はそういうところを感じると思うんですけど、何ていうか、あゆの歌、詞で現実逃避をしちゃぁ駄目だと思います。昔の曲にはそういうのが多いですからね。 歌に感動、そして人生もかわるっていうのもわかるけど、逃げる方向にとらえがちじゃないですかね? うまく言葉が表現できなくて、申し訳ないです。 | |||
>>> 千折 -- 2002/12/19-00:25..No.[7045] | |||
「いつまでも同じ所には いられない」 A Song for ××の歌詞の一部です。 浜崎あゆみは、あの状態から抜け出すことを強く望んでいたのでしょう。 「あの頃確かに楽しかったけど それは今じゃない」End roll しかし・・・果たしてあゆの渇きは癒されたのか? 富と名声、仲間と恋人。 それは確かにあゆの一部を満たしただろう。 しかし、あゆの持っていた「絶望」とは、そんな浅い物ではなかったように思えるのだよね、私は。 それが「浜崎あゆみ」というアーティストを私が興味深く見ている大きな要因なのですね。 | |||
>>> Sho -- 2002/12/19-00:46..No.[7047] | |||
RAINBOW聴いててもうayuの作詞は限界に近づいてるんじゃないかって思いました・・何か聞き覚えのあるフレーズばかりで。具体例出してくと解釈の議論ばっかりになるのであえてしませんが。パクリ騒動もありましたしね。ただ僕がそう思ったってだけです。別アンチとかじゃないっすよ(笑)あとA song for xxのころはたぶん自分の曲を今ほど聴く人の存在まで考えて詞書いてなかったからあれだけぶちまけられたわけで。でそのぶちまけた苦しみとか怒りに多くの人が共感していったんだろーし。でも今のあゆは何ていうかもうlove&peaceな感じだから(笑)もうあゆは完全に違う世界の人になってしまってる。もうどうあがいても完全に普通の人の目線で物見たりすることはできないからいわゆる「共感できる」って詞はもう出てこないんじゃないかなと。でもあゆの鋭い洞察力は衰えつつもまだ健在だ・・と信じたい(笑) | |||
>>> ミント -- 2002/12/19-01:27..No.[7048] | |||
あゆの詞の良さっていうのは、「ネガティブだけれど、その先にある希望」だと私は思ってるんですね。 なんでそう思うかっていうと、あゆは「ネガティブ肯定派」ながらも、 『運命はつかむものだと思った』とか、『一人きりで生きていく』などという力強い生命力も持っているからです。 だから私は、あゆの本領はTrustや、Fly high、SEASONSなどの詞にあると思っています。 POWDER SNOWみたいな完全に「逃げ」の曲は、「たまにはこういう気分にひたりたい」って時にはいいけれど、 雄介さんの言う通り、現実逃避の要素が強すぎて、あまり聞き入りすぎないようにしています。 ↑もちろん、曲自体の評価は星5つです。 私はRAINBOWの収録曲を聞いて、やっぱりあゆは昔と変わっていないんだなー、と思いました。 Voyageを聞いた時も、「あゆ幸せなんだろうな〜」とは思いませんでした。 確かにあゆは、自分を支えてくれる大切な人に出会えたのかもしれないけど、 その人の力を持ってしても『癒えぬ傷』というものを未だに抱えているんですから。 (ここで傷が癒えちゃったというのなら、あゆは本当に幸せなんだねって言えるんですけどね) でも、「そんな傷を抱えながらも幸せになりたい」ってあゆは思っている事に私は感動しました。 この歌詞がもしもただのネガティブ指向の詞なら、「この傷がある限り私は幸せになれない」になってたと思うんです。 でも違いました。 「この傷を抱えながらも、幸せというものを探していこう」という内容の詞でした。 私は本当にこっちで良かったと思っています。 ・・・ってまあ、話が少しズレました。 Voyageの感想が、「あゆ幸せなんだなー」って所がちょっと気になったので、どうしても書きたかったんです。 | |||
>>> ミント -- 2002/12/19-01:56..No.[7049] | |||
↑のは、ちょっと論点がズレたので、別にレスさせていただきます。 「ayuの今の状態を考えてしまう詞」というのは、ちょっと?な気がします。 それだったら今までの詞だって、あゆの近況を中心にして書いてきたんだから、とっくにそう思ってしまってたはずです。 何度も言われている事ですが、多分、渚さんとあゆとの間に「状況の違い」によるズレが生じているんでしょうね。 それは仕方ない事です。人間一人一人違う人生歩んでますから。 ただ、↑のレスで書いた事を読んでもらえば分かると思うんですが、 決して根本的な事は昔と変わっていないと思うんです。 それと「ayuの今の状態を考えてしまう詞」と渚さんは言ってましたけど、そこから何か考えたりはしませんか? ただ「あゆ幸せなんだな〜」で終わってしまうのは、ちょっと悲しいです。 映画に例えて言うと、 自分と全く違う生き方をしている登場人物などを見て、その人の生き方などから色々と感じ取ったりする事はありませんか? そこから自分自身の状況や立場を見直したりする事はありませんか? すると自分自身がだんだんと見えてくる。そして、次の目標を見つけ出す事が出来るかも・・・ なんか無理矢理今のあゆの詞を押し付けてるみたいな文章に見えてきそうなので、ここで止めときます(汗) 渚さんは今までちょっと、あゆと自分を重ねすぎていた面があったんじゃないのかな? これからは自分だけの価値観を作り上げていく段階に入っているのかもしれないよ。 それはとてもいい事だと思うよ。 | |||
>>> よし -- 2002/12/19-14:43..No.[7060] | |||
アルバムと一緒にもらったあゆのインタビュー見ました? 「今までは乗り越えなきゃいけないと思ってたことも抱えたまま行ってもいいんだって思った」とか、「自分が見つけた真実が人と違っていたりしてズレを感じたりしてたけど、今は真実はひとつだけじゃないんだって思えるようになった」というようなことを話してますよね。 私は、あゆがアーティストとしても、一人の女性としても、すごく成長してるんだなって思いました。 その時その時のあゆの『今』が詞にあらわれてて、共感という意味ではそこに共感する人もいれば、そうでない人もいるということだと思います。 けど、あゆの中で変わらない部分っていうのが常にアルバムの曲には入ってるとおもいませんか? 私は、あゆの向上心というか、生き様をとても尊敬してます。 英語にしたって、アジアの人達に少しでも伝えたいって思って勉強してるんですよね。昔は『あゆ、英語わかんないから〜』なんて言ってたのに(^^) | |||
>>> け -- 2002/12/20-00:00..No.[7090] | |||
あたしも一時期「A song for ××」聞いて自分と重ねて聞いてましたね。 とっても自分がかわいそうな気がして。あのころはただそんな自分をかわいそがってあゆの歌にすがりつくことしかできなかった。 でも、今思うのは、あの詩にに涙する人が大勢いるならもしかしたら誰もがそんな言葉にできない寂しさとか孤独とか抱えて居場所をさがしているのかなって。 だからといって傷を舐めあってても前には進めない。って思ったんだ。 あゆのファンはあゆがすごいスピードで成長していってるように感じて、そのスピードと変化ににとまどいを感じてるのかもね。 あたしはそんなあゆを見ててとっても頼もしく感じます。それによしさんの言うようにあゆの変わらない部分ってのもすごく感じる。 あゆの詩をどう思うのかってのは人それぞれだけど、「RAINBOW」聞いてあたしはぞくっときたね、それは今までの詩を聞いてきたからな訳で、これだけを始めて聞いたならこんな風には思わなかったと思う。 あたしは今のあゆとても好きだよ。 | |||
>>> あば -- 2002/12/20-00:08..No.[7091] | |||
あゆはいつも何かの中にネガティブをさがしてるような気がいつもしてて、それはきっと今でも変わらなくて、今回のアルバムではあゆが手に入れてしまった自由までもその対象になってるように感じる。A song for ××の頃のネガティブさとは次元はもうはるかに違うけれど変わらないのはそこかなって思った。 | |||
>>> 渚 -- 2002/12/21-18:09..No.[7131] | |||
みなさん、レスありがとうございます。読んでいて、自分の視界の狭さを改めて実感しました。 ミントさんも書いているように、多分自分とayuをダブらせていたんだと思います。恥ずかしい話ですが。 あまりにも、境遇が似ていたからでしょうか・・・。自分でも分かりませんが・・・。 どんなに境遇が似ていても、結局は別々の個々の人間だという、本当に当たり前の事を見失っていたみたいです。 ayuの詞に共感できる、っていうのは多分これからないと思うけど、詞って共感するだけじゃないなと気付きました。 これからは、ayuの詞によっかかって行くんじゃなくて、ayuの詞から学んだりしながら平行に行きたいと思いました。 いろんな事を気付かせてくれて、本当にありがとうございました。 ミントさん>> Voyageの感想についてなのですが・・・ 「癒えぬ傷」をまだ抱えていて、これからもずっと抱えていくんだろうというのは、私も思いました。 ただ、Voyageの詞は私から見ると、すごく眩しいんですね。シングルってそれこそ何十万人の人に聴かれるもので、 そのシングルでああいう歌詞が描けて、紅白とかの大きな舞台でも堂々と歌える・・・ 私には、やっぱりできません。ayuの詞の中でもっと前向きで明るい詞はたくさんあるけれど、Voyageは別物に見えます。 何て言えばいいのかは分からないけど、ただ安易に「幸せそうだな〜」と思ったのではない事を分かっていただければ嬉しいです。 | |||