今まで私が聴いてきたいろいろなブル8を紹介します

君に合うブル8はどれか!
アーノンクール(ベルリンフィル)
ブーレーズ(ウィーンフィル)
ティントナー(アイルランド国立SO)
ケーゲル(ライプチヒ放送SO)
ヴァント(バイエルン放送SO)
リオネル・ログ オルガン編曲版 番外
チェリビダッケ (ミュンヘンフィル 1993年 METEOR)

ベイヌム(コンセルトヘボーO)

マゼール(ベルリンフィル)
カラヤン(ベルリンフィル '76年)
ヴァント(北ドイツ放送SO)
ヨッフム(ベルリンフィル)
ショルティ(ウィーンフィル)

朝比奈隆(大阪PO)
マタチッチ(N響)
アイヒホルン(リンツブルックナーO)
バルビローリ(ハレO)
ロジェストヴェンスキー(ソビエト文化省SO)
スイートナー(シュターツカペレベルリン)
ホーレンシュタイン(ウィーンプロムジカO)
スクロヴァチェフスキー(ザールブリュッケン放送SO)

ギーレン(南西ドイツ放送SO)

ベーム(ウィーンPO)

バレンボイム(ベルリンPO)

テンシュッテット(ロンドンPO)
ジュリーニ(ウィーンPO)
セル(クリーヴランドO)
クナッパーツブッシュ(ミュンヘンPO)
コボス(シンシナティSO)
レーグナー(ベルリン放送SO)




私的 ブル8 楽章別ベスト3(時々刻々変化します? 1位の楽章をくっつけて演奏を聴いてもだめだね。)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章 総合
1位 ヴァント ギーレン セル クナ ヴァント
2位 ヴァント(バイエルン) セル 朝比奈(大阪PO) ヴァント セル、朝比奈(大阪PO)
3位 セル 朝比奈(大阪PO) ヴァント、チェリ 朝比奈(大阪PO) ギーレン
次点 朝比奈(大阪PO)、ギーレン ヴァント スクロヴァ、スイートナー アーノンクール スクロヴァ




コラウス・アーノンクール指揮 ベルリンフィル
(TELDEC8573-81037-2輸入)


エキセントリックな演奏で有名なアーノンクールがどんな演奏をするのか楽しみだ。

 第一楽章は意に反して、かなりオーセンティックな演奏だ。出だしからゆっくりしたテンポで重々しく開始される。細部にわたってかなり神経を使っており、ギーレンの演奏に近いものを感じた。展開部に入っても、スロ−テンポは続くが、ヴァント、朝比奈のようなテンポのゆれはほとんど見られない。金管は、特にでしゃばっているようにも聞こえないし、ちょうどいい感じがした。次に何が起こるかというような、期待感は感じられなかったが、安心して身を任せることができた。ヴァント、朝比奈には展開部での懐の深さで一歩及ばないが、すばらしい演奏には違いない。

第二楽章は、やや速めのテンポだ。主題の歯切れが良いし、私の好みで言えば、許容範囲内ぎりぎりの早さだ。ヨッフムの早さにはもうついていけないけれど。中間部分は、速めのテンポでかなりさっぱりと淡白に仕上げているが、一部弱音に対して神経質な感じも受けた。私の理想からすると、もう少しゆっくりで、あまり弱音に神経質にならないでほしかった。

第3楽章は、27分あまりも時間をかけており、一部神経質な面も見られるので、セルに迫る演奏になるのではないかと期待した。ほかの指揮者がよくやる、楽想の盛り上がり部分でテンポを早くする様子もなく、何の心配もなく身を浸ることができた。しかし、11分後半あたりのバイオリンのフレーズがあまりにもはっきりしすぎているのと、セルのような、盛り上がりの部分で逆にテンポを落とすような演奏であればなおよかったと思った。でも、すばらしい演奏だ。

第4楽章の始まりは、ギャロップの後のティンパニーの強打にびっくりした。
そして、提示部が終わって展開部に入り、第一主題が出るところの間の取り方とテンポの落とし方はすばらしい。いったん落ちたテンポはそのままで展開部が進んでいく。この展開部はチェリの演奏に見まがうようなゆっくりしたテンポと細部へのこだわりがある。再現部では、第3主題がこれほどナイーヴになった演奏も珍しいほど。コーダに入ってのティンパニーの恐ろしいほどの強打の後、ゆっくりと上り詰めていく。そして、最後の最後に金管を思いっきり吹きぬいてかみ締めるように終わった。


第2楽章以外は大変すばらしい演奏だった。ブルックナーファンにとって、買っても損のないCDだ。特に終楽章は、展開部からのスケールの大きさと細部へのこだわりはすばらしかった。アーノンクール特有の独自の解釈がほとんど見られず、安心して聴けるブル8だった。朝比奈あたりの、大づかみで全体を作り上げていくのと異なるアプローチだ。



boulezbru8

ピエール・ブーレーズ指揮  ウィーンフィル 
(Deutsche Grammophon 459 678-2 輸入)

 ブーレーズといえば、現代音楽とくるが、ロマン派の大作に挑戦している。
第一楽章は、すばらしい演奏だ。
即物的な演奏を創造してたが、そんなことはまったくない。
出だしから、弦を強めにしっかり引かせ、芯のピシーっと通った引き締まった演奏だ。
テンポも中庸である。展開部では、ヴァントや朝比奈のような絶妙な間の取り方とテンポの動きはないが、どちらかというとセルに通じる無駄のないすっきりした運びと、名門ウィーンフィルの弦の美しさが目立った。

 スケルツォは、かなり速いテンポでこれまた激しく、かつすっきりの極みだ。実際この位がスケルツォのテンポなんだろうが、私個人の好みでは、もう少し腰を落ち着けたゆっくりしたテンポが良いのだが。
中間部もインテンポでかなり軽快に進んで行く。もう少し中間部は、曲の襞、綾のようなものもあって良いのではないかと思う。あまりにも機械的に進めてしまっている。ちょっとドライ過ぎる感がある。

 アダージョも、芯のピシーと通った演奏だ。セルのようにナイーヴなところがない。ぎっしり内容が詰まってスカスカしたところがない。それゆえ、心を落ち着けて浸りきれない。頂点の部分でも、テンポがぐいぐい上がって劇的な盛り上がりを見せる。ブルックナー本来の自然、神への敬虔な祈りのようなものが感じられなかった。ひとつ救いは、最後のホルンと弦の掛け合いのところはホッとするやさしさがあった。

 終楽章も、傾向は同じだ。速めのテンポでぐいぐい進んで行く。第3主題の提示後はぐっとテンポを落とししみじみと歌いすばらしかった。しかい、残念なのは、第1主題がいかにも早過ぎることだ。
展開部に入って、いままでのインテンポが嘘のようにぐっとテンポを落としえぐりの深いすばらしい演奏になってきた。再現部からの第1主題もなかなか良い。やや金管がうるさい感じもするが第3主題も提示部よりじっくり進んで良くなっている。コーダも良い。ほの暗い中から、ブルックナーが顔をもたげ、はるか彼方を見上げる感じがよく出ていた。金管もこれでもかというほど思いっきり吹かせ、ティンパニーも革がわれんばかりに打ち鳴らされ、最後のミレドも充実のうちに終わった。

全体的に見て第1,4楽章が良かった。特に4楽章の後半はいままでの演奏が嘘のように懐が深くなり、充実していた。反対に、スケルツォはいかにも速すぎ、中間部も味気なかった。アダージョももう少しナイーヴな面も出すべきではなかったろうか。あまりにも即物的だった。


tintner

ゲオルク・ティントナー指揮 アイルランド国立SO

(NAXOS 8.554215-16輸入)

 ノヴァーク第1稿のブル8である。第1楽章は、いつものブル8に慣れていると、やはり粗削りだ。どっしりとしたところがない。原石という感じだ。しかし、よりオルガン的要素が残っている。第1稿は以前、インバルの演奏を聴いてあまりにドライなのにがっかりしたが、ティントナーはどうだろう。

 この、ティントナーの第1槁はなかなか聴ける。かなり高齢な指揮者とのことだが、そのせいか、スマートに仕上げることには気を使っていない。一つ一つのの音をじっくり仕上げているのだ。特に、展開部からの指揮は、すばらしい。うねりは少ないが、懐の深さを感じた。

 しかし、1稿ゆえ、ティンパニーが少ないので、どうも金管が目立ってしまっているし、劇的な効果が薄れている。極めつけはコーダだ。静かに消えて行くかなと思ったら、いきなりフォルテシモで長調でやられるとね。またもやハッピーエンド?5番あたりだと許されるんだけど。

  第2楽章は、かなり速いテンポだ。老齢なティントナーからは想像つかないような、実に若々しい演奏だ。中間部は、ノヴァーク第2稿より素朴な感じだな。

  3楽章は、非常にゆっくりした、そして内なる広がりを持ったすばらしい演奏だ。開始12分ごろからひとつの山が訪れるが、これは、ハース版などに慣れ親しんでいると、やや耳障りな感がある。また、5番に似たような、所々ちぎれちぎれの音となるところがあり、少々滑らかさにかける。そして、24分あたりの楽章の頂点の部分では、シンバルがバシバシ鳴り響きちょっとあからさまだ。版がそうなっているのでは仕方がない。しかし、版が違うとはいえ、そして、私自身ハース版やノヴァーク第2稿のほうが気に入っているとはいえ、演奏自体がすばらしいので、あまり関係なくなってきた。本音はハース版あたりでやってほしかったけれどな。

  終楽章はアダージョとは一転して、若若しい演奏だ。第1主題が出てくるたびにぐいぐい押してくる。一方では、第3主題のところは決して急がない。セルの演奏のように、主題ごとに明確に特徴付けている。巨匠のように展開部での粘り、うねりはないが、コーダにおけるスケールの大きさは、すばらしかった。

  ティントナーには、やはり、ノヴァーク第2槁か、ハース版あたりを録音してもらいたかった。どうも1稿はティンパニーが少ないので金管ばかりが目立ってしまっている。しかし、この演奏で、第1稿の良さが分かったような気がした。特にアダージョはすばらしかった。ノヴァーク第2稿やハース版でやってもらえば、5本の指に入っただろう。


 
kegel

ヘルベルト・ケーゲル指揮 ライプチヒ放送SO

(PLIZ East German Revolution 442063-2 輸入)

 ケーゲルのブル8はなかなか見つからないとあきらめていたら、一ブル8ファンからケーゲルのCDが最近結構店頭に並んでいるとの情報を得て、東京へ出張の日にお茶の水のディスクユニオンに中古で700円で売ってるケーゲルのCDを発見。ラッキー!、さっそくゲットした。 
 
 ケーゲルのベートーヴェンの4番あたりを聴くと、ブル8も、かなりスピード感のあふれる直線的な演奏を想像していたが、見事にはぐらかされた。

 第1楽章は一音一音確実に鳴らし、地に足がついたしっかりした演奏だ。ティンパニーが容赦なく叩き付けるのが印象的だ。金管もそれほどうるさくない。ヴァントのような懐の深さはないものの、なかなかすばらしい演奏だ。特に印象的だったのは、コーダの部分だ。悲しみのやるせなさを、死の告知のトランペットとともに打ち鳴らされるティンパニー思いっきりぶつけている。今まで聴いたブル8の中では、一番悲しい第1楽章の終わりだった。

 第2楽章もなかなかいい演奏だが、主題の部分が、ホーレンシュタインの演奏のように後を引いて鳴っているのが惜しまれる。ピシッときまっていない。中間部もややあっさりして起伏が少ないようにおもえた。もう少し感情移入があってもよかったか。

  アダージョは1楽章と同じように、一音一音、しっかりと鳴らしているが、もう少し細かいところにこだわった、ゆっくりした演奏のほうがよかった。最後の変奏あたりから、そわそわして落ち着きがなくなってきてしまった。

 第4楽章は、相変わらずティンパニーの容赦のない強打は続いている。展開部で第1主題が出る部分のティンパニーを絡めた行進はすばらしい力強さが出ている。このような一歩一歩が巨人の歩みのように力強い演奏を聴いたことがない。展開部の後半で少しテンポが速くなってしまったのは残念だが、腰の座ったどっしりした演奏だ。コーダの部分も、ティンパニーがこの世の定めのように割れんばかりに打ち鳴らされ、悲壮感あふれる幕切れとなる。

全体としては、第4楽章がベストだ。この楽章は今まで聴いた中でも上位にランクされる。ティンパニーが始終うるさいが、特に違和感を感じなかった。それどころか、曲のスケールを大きくし、ケーゲルの悲壮感が出ていて、ドラマチックだった。惜しかったのは、アダージョがもう少しじっくりと取り組んでほしかったことだ。

 しかし、このCDは、自殺したケーゲルからブル8ファンへの素敵な贈り物だ。


wand2

ギュンターヴァント指揮 バイエルン放送SO

(The Bells of Saint Florian AB-6-7)

The Bells of Saint Florianというプライベートレーベルからのヴァントのブル8。
 アナログ録音ながら、音はきわめて良い。1996 made in USAとあるが、最新版のブル8より前の演奏のような気がしてならない。

 第1楽章は、彼の最新版の解釈とほとんど変わらない演奏だ。展開部からの膠のような粘り、最後の運命の告知の部分のゆっくりとした終わり方等非常に似ている。ただテンポが幾分速いのと、金管が非常に良く鳴っていることから、若々しく、硬質の印象を与える。私はこの演奏がかなり気に入った。

  第2楽章は、主題の提示部分が歯切れが良く軽快で、最新版よりも好感を持てたが、中間部は、少しあっさりしていて、朝比奈のような味わいはなかった。

  アダージョは、悪くはないが、ややテンポが速く、もう少し腰を落ち着けてほしかった。また、金管が所々うるさく感じるところがあった。最新版と比較すると、懐の深さの違いのようなものか。

  第4楽章も、力のこもった、硬質の演奏だ。金管が思いっきり吹ききっており、テンポも比較的速い。この楽章はホントに手に汗握ってしまうほどだ。このCDはスタジオ録音なのだろうかと疑うほど熱気にあふれている。マタチッチのN響ライヴを彷彿させる。

  全体的な印象では、新版に比較すると、発展途上の演奏という感じを受けた。別な言い方をすると、硬質で若々しい躍動感があるが、懐の深さとどっしりとした安定感がいま一つか。。発展途上といっても、水準は非常に高い。最新版との比較の上での話だ。ヴァントが、最新版のすばらしいブル8にいたる一つの道標として聴くと興味深いものがあった。


lionel

リオネル・ログ演奏 オルガン編曲版  番外
(BIS CD-946 輸入)

オルガン編曲のロマンチックはあったような気がするが、ブル8はこれが始めてかな。オルガンなので一応番外として扱ってみる。1997年、ログ氏は日本でこのオルガン版ブル8を結構演奏して回っていたようだ。

 さすがオルガンだけあって、初っ端から、我が家の12cmダブルバスレフスピーカーから6畳の部屋を揺すぶるほどの重低音が鳴り響いた。

  第1楽章は第1稿のような音を想像していたが、主旋律がはっきりしないところが所々見られ、曲のつながりが曖昧になって、ピシッと決まらない。ここいら辺は編曲を工夫すれば解決するように思われるのではなかろうか(音楽のことはほとんどわからない私がこのような事を言うのもおこがましいが)。しかし、全体的にこの楽章はオリジナルを、まあまあうまく再現していると思う。

  第2楽章の主部は、どうもいけない。スケルツォ特有の切れのいい節回しが見られない。オルガンの限界なのか。また、副旋律が聞こえすぎてどれが主旋律で曲を作っていくのか全くわからない。中間部はかなり良い線いっている。時々出てくる重低音が、聴いていて気持ちは良いが、唐突すぎてしまっているところが惜しい気がする。フォルテに重ねるように重低音を入れたほうが良いと思う。

  第3楽章は演奏効果はかなり良いと思う。しかし、ややテンポは速く、せかせかしておりもう少しじっくり演奏してほしかった。また、盛り上がりの部分での、一押しが足りなく、腰砕けの感があった。

  4楽章は、良い演奏だ。編曲が旨くいっていて、主旋律を中心に、厚めの音が功を奏している。特に、第3主題などは、オルガンに打ってつけの主題だ。この主題が形を変えて何回も出てくるので、楽章全体が引き締まっている。主題に助けられている。一つ誠に惜しいのは、コーダのところからの音がごっちゃに鳴ってしまい、何がなんだかわからないうちに終わってしまった点だ。一台のオルガンではどうにもならないのだろうか。

  全体的に見て、良くも悪くもオルガンの演奏になってしまっている。編曲でもう少し、主旋律を旨く浮き上がらせるよにしてやればもっと良い編曲になったと思う。4楽章は、コーダ以外は大変立派な演奏だった。ほかは、アダージォはじっくりいってくれればもう少しよくなったと思うし、スケルツォは一番よくなかった。しかし、ブル8ファンにとっては、難しいオルガンへの編曲をよくやっていただいたと感謝したい。あの大編成のオーケストラをたった一人で再現しているのだから、脱帽だ。

  蛇足だが、オルガンの音はダブルバスレフに非常に相性が良かった。曲の内容がどうあれ、重低音の渦の中にいるのは気持ちの良い経験だった。


celibru8

セルジュ・チェリビダッケ指揮  ミュンヘンフィル

(METEOR MCD-036-037)

中古で1200円で出ていたのでget!
いつの演奏だか不明。1993年とあるが
音は、ライヴながら良好。 ティンパニーの音が引っ込んで聞こえるのが惜しい気がする。

 例によって第1楽章からテンポは非常にゆっくり極まりない。20分もかかっている。それゆえ、序奏でフォルテでガーンと叩き付けるところは、何か腰砕けの感じを受ける。背骨がピシーっと通ったところがないので、蛸のような感じがする。いい意味でも悪い意味でも、音楽に浸る分にはいいかもしれない。

 展開部からのバックの弦のピチカートもまったく弾んでいない。テンポはさらにゆっくりとなっていく。これだけのゆっくりテンポで大風呂敷を広げ、音楽を作っていくカリスマ性はすごい。いろいろ批判はあるが、ブル8のいろいろな演奏の一つの対局として立派に存在する。私自身も、この演奏に少しめりはりをつければ大変気に入ったに違いない。

 第2楽章は、意外と速いテンポだ。チェリにしては少し速すぎはしないかなというくらい速い。音が弾んでいて、なかなかいい演奏だと思う。こういう演奏もできるのに、なぜに、ほかの楽章が著しく遅いのか。以前、チェリのベートーヴェンの交響曲を何度かエアーチェックしたことがあるが、概してスケルツォ楽章は早めのテンポでぐいぐい進めている演奏が多かったのを覚えている。スケルツォはさて置いて、ほかの楽章は、このブル8ほどはゆっくりしていなかった。チェリはブルックナーに特別な思い入れがあるのか。

  アダージョは、セルよりもゆっくりで30分もかかっている。私個人の感じでは、このくらいゆっくりでも、あまり違和感はなかった。まさに音楽に浸るには、心地よい30分だった。クナのようにごつごつしていなく、しなやかな音が幸いしていた。

  終楽章もアダージョを引きずっているような、やわらかな音と、地を這うようなゆっくりなテンポに圧倒される。ひたすらインテンポで、柔らかく進んでいく。チェリのうなり声は聞こえるが、絶対な速くなったり、尖ったりしない。何もなかったように、ゆったり時が過ぎていくように、進んでいく。そして、コーダに入っても仕切り直しという感じもなくそのままのテンポで、終わるのであった。

  最後まで一気に聴き終わると、はじめはゆっくりなテンポに違和感を感じたが、しまいにはこれでいいんだと感じてしまう、いや感じさせてしまうチェリの魔力みたいなものに圧倒された。くわばらくわばら。1,4楽章もアダージョに感じてしまう。聴いた後、セルの1楽章でも聴きゃにゃ、魔法からさめないかも。

 先日木村氏よりメールをいただき、氏は「ブルックナー演奏でもっとも大切なのは、テンポにおける「急と緩」、音のダイナミクスにおける「大(喧騒)と小(静寂)」、と適度な即興性にあると考えています。これは、ブルックナーの教会オルガニストとしての経歴を考えると、当然そうなることで、彼の交響曲も、こうした特徴を踏まえた演奏が理想的であると言うことができます。」とのこと。ブルックナー自身もそう考えていた可能性が強い。チェリの演奏を聴いたらどう感じるだろう。チェリの演奏は、まったく正反対のブルックナー像を描いているといえる。


beinum

エデュアルト・ファン・ベイヌム指揮  王立アムステルダムコンセルトヘボーO

(FHILIPS 442 730-2 輸入)

力強いブル8である。 1955年の録音としては良いほうだろう。一応ステレオになっているが、左右の分離はさほど良くない。

 第1楽章から、やや早めのテンポで、男らしい、骨太のごつごつしたブルックナーが現れる。力強いとは言え、ショルティーのようにドライではないし、マタチッチのように太い大河のようでもない。細かいところにはとらわれず、ぐいぐい進んでいく。しかし、第3主題にくると、シューリヒトの如くテンポを落とすような、テンポの動きが随所に見られる。書道で言えば、太い筆で、濃い目の墨で、力強く書いた行書のようだ(ジュリーニだったら、中太の楷書かな。)。

  第2楽章は、非常に早いテンポだ。しかし、レーグナーのような軽さは見られない。ずしっと手応えある。中間部はゆっくりとした懐の深い演奏で大変立派だ。第2楽章のテンポの設定では、マゼールの演奏と全く反対になっている。同じ曲なのにどうしてこれほどちがうの(マゼールノヴァーク、ベイヌムハース版のちがい?)?

  第3楽章は、幻想的でナイーヴな祈りと言うよりは、もう少し現実的な、図太い力強い祈り(こんな言葉変だが、)と言う感じを受ける。セルの演奏とは対極をなすような感じだ。だから、頂点へ上り詰めるあたりでは、ドンドンテンポが速くなり、ぐいぐいと進んでいき、金管がうるさいほど鳴り響く。劇的で迫力は満点である。

  第4楽章も同じ傾向。第2主題、コーダの前半の部分などは、ややテンポを落し気味に進むが、一音一音にアクセントがあり、ぐいぐい進んでいってします。聴いた後はベートーヴェンを聴いたかのような感じが残った。

  全体的な感じとして、ベートーヴェンの解釈が生きているようである。骨太ごつごつ、早めのテンポ。音楽に浸るというよりは、音楽に乗っていく感じの演奏だった。これがブルックナーにあっているかどうか疑問だが、一回きりのコンサートなら、指揮者といっしょに燃えたかもしれない。


mazzel

ロリン・マゼール指揮  ベルリンフィル

(EMI RED LINE 7243 5 69796 2 8  輸入)

  第1楽章はすばらしい演奏だ。テンポはゆっくりとして雄大に進んでいく。小波の中のホルンとオーボエの哀愁に満ちた響きは胸を打ってくる。展開部に入ってからはヴァントほどではないが、彫りが深くえぐる感じが良く出ている。テンパニーは容赦なくバンバン打ち込まれていく。金管も思いっきり吹ききっている。特にコーダのところは、これほどテンパニーと金管が気持ち良くなりきっているのも珍しい。ややうるさいきらいはあるが、劇的な幕切れを暗示しているようだ。

  第2楽章は、ややテンポは速いが、地響きにも似たテンパニーの強打が、容赦無く続いている。荒々しい感じもする。ブルックナーの世界からちょっと外れているが、乗りは抜群だ。一番残念のは、中間部があまりにもあっさりして、スピードの任せてさっと通り過ぎてしまっていることだ。もう少し、じっくりいってほしかった。

  アダージョは、はじめの頃は、金管がうるさい感じはするものの、じっくりしたテンポで良いかなと思っていたが、最後の変奏部分に入るとテンポが上がってせかせかしてしまうのが残念だった。頂点の部分でのスケールの大きさは他を圧倒するほどだが、あまりにも劇的すぎて、しらけてしまう感じもある。もう少し金管を押さえ、ナイーブさがあれば、私の好みに合ったのだが。

  第4楽章の出だしから、金管が甲高い音を発し、テンパニーが相変わらず革に穴があくほど強打され、ものすごい迫力だ。第4楽章だか許される表現だろう。テンポは雄大でこのくらいが一番良い感じがする。コーダに近づくと調子に乗ったテンパニーがドンドンと叩きまくり、それに金管が乗りまくって、堂々たる幕切れとなる。

  全体的に、劇的な演奏で、金管とテンパニーの強調の目立った豪華絢爛たる演奏だった。カラヤンの演奏がおとなしく聞こえるほどだ。第1楽章は良い演奏だと思ったが、他ではもう少し、ブルックナーの素朴さ、奥ゆかしさが、ほしかった。


karajan76bru8

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィル('76年録音)
 (Deutsche Grammophon 439 969-2 輸入)

 帝王カラヤンのぶる8はブルックネリアンの間ではあまり話題に上がらないのでどんなものだろうかと、とにかく聴いてみた。旧盤が1500円で出ていたので購入。

  第1楽章は、ゆっくりと堂々としたテンポである。主題提示部は大変良いですよ。先入観で、速いテンポで押しまくるのかと思っていたら、じっくり丁寧な音作りだ。さざなみの中のオーボエも、哀愁を帯びてるし、これは参った。展開部に入っても、一部やや上滑りな感があるが、粘るところは粘っている。豪華絢爛、中味無しの演奏などといわれているが、私は、スケールの大きさと丁寧な音作りに大変気に入いった。録音も20年前の割に、低音も良く入っているし、なかなか良い。

  第2楽章は、中庸のテンポで開始された。ややフレーズの切れが悪いのが気になるが、ヴァントの新盤に良く似た演奏だ。中間部分は、やや少し力ずくな面が出てしまい、いただけない。自然体でやってもらいたかった。

  第3楽章は、一部力が入ったり、金管がうるさいのが気になるが、悪くない演奏だと思う。盛り上がりの部分でも、気になるようなアッチェレラントもなく、音楽に浸ることができた。

  終楽章も、堂々とした演奏だ。何も考えずに曲に入れた。テンポも、ちょうど良いし、欲を言うなら、金管をもう少しおとなしくしてほしかった。また、大河が流れるようなうねる感じが出ていればなお良かった。

  カラヤンのブル8は晩年の録音が有名のようだが、この旧盤もかなり良い印象を受けた。同じベルリンフィルのヨッフムより、ずっと良い演奏と感じた。華麗なばかりで、実のない演奏などといわれているが、どうしてどうして。ブルックナー演奏の巨匠と言われている指揮者の録音と比較すると、彫りの深さ、懐の深さの点で及ばないが、聴いていて引っかかるところも少なく、何も考えずに曲に浸れた。逆に言うと、特長が無いといえばそうだが。何回も聴いていると物足りなくなってきてしまうような気もする。


 同時期に録音された、ベートーヴェンの合唱が力ずくで、あまりにも薄っぺらな演奏でがっかりしたのとは対照的だ。


wand

ギュンター・ヴァント指揮 ハンブルグ北ドイツ放送交響楽団

(RCA VICTOR 09026 68047 2輸入)


 やっとのことで中古でてにいれた。
 私にとっては、ヴァントのブル5はやや模範的な演奏で面白味に欠けていた。そういう先入観があった。もしやまた模範的ではと、

 第1楽章からかなりスローテンポである。しかし、ジュリーニのようにただ遅いだけではなく、フレーズが著しく粘稠性があり、スケールがとてつもなくでかい。膠のように伸びたり粘ったりしている。かなり個性的な表現だ。ブルックナーファンが絶賛するのが良くわかった。朝比奈よりもえぐりが深い感じだ。しかしそれが、ブルックナーの無骨さ、懐の深さを上手く表現している。金管もおもいっきり鳴っているが、決して耳触りにならない。運命の告知から最後にかけては、クナ、朝比奈に匹敵するすごさだ。この楽章は文句なく私のベスト1となった。

  第2楽章も、強弱を旨く使い、立派な演奏だ。ギーレンやセルに比べると幾分速いテンポながら、音がぶ厚く、かえってどっしりした感じを受けた。所々で見せるテンパニーの強調は、新鮮な感じを受けた。個人的好みでは、はじめに主題が提示されるところのフレージングをもう少しはぎれよくやってくれれば完璧だったが。中間部は、悪くはないが、朝比奈あたりと比較するとやや平凡な感じを受けた。

  アダージョは、セル、朝比奈、スクロヴァ、スイートナーと並んで何も考えずに浸りきれる完璧な演奏だ。こういうテンポでこういうバランスで鳴ってほしいなと言う個人的欲望を満足させてくれる。また、迫力、スケール感では、朝比奈とヴァントが抜きんでている。私個人的には、透明でややナイーヴなセルに引かれるところだが、その差は微々たるもの。ヴァントは、ブルックナーに関して凡人の指揮者たち(凡々凡人の私がこんな事言っても良いのか疑問だが。)がよくやる、頂点へ上り詰める途中でのアッチェレランドなど断じて行わない。うれしい限りだ。最後の弦とホルンの掛け合いも見事だ。

  フィナーレも、第1楽章ほどではないが、粘稠性がある演奏だ。第1主題ははぎれよく始まるが、第2主題はぐっとテンポを落とし、粘ること粘ること。第3主題のフレージングは面白い。最初の部分は、ややはぎれよく鳴らすが、動機の終わりの頃は前半部分と区別するかのように粘ってくる。提示が終わって第1主題が再現するところは、金管が思いっきり鳴るのが普通だが、ここではなぜか押さえられていてあれっと思った。コーダに入る手前での間の取り方は絶妙。長からず、短からず。そしてコーダの迫力とスケールは、クナにはちょとおよばないが、朝比奈と並んで、他のどの演奏をも飲み込んでしまうほどである。

  ヴァント、負けましたよ。私だけは何と言おうとセルが一番と思っていましたが、やはり、他のブルックナーファン同様、ヴァントがトータルでベスト(しかし、第2楽章はギーレン、アダージョはセルがベスト)と言わざるをえまい。脱帽。




オイゲン・ヨッフム指揮   ベルリンフィル(’64年録音)

(Polydor RESONANCE 4310163-2 輸入)

 旧ブルックナー全集の1枚。
 第1楽章は早めのテンポで勢い込んでどんどん進んでいってしまう。せかせかした感じだ。響きに奥行きがなく、すぱっと切れ味は良いがうすっぺらな表現になってしまっている。展開部に入ると幾分テンポもゆっくりとなり、ドレスデンとの新盤を思わせる、奥行きの深さの一端を垣間見ることができるが、またコーダに入るとせかせかしたテンポに逆戻り。

  スケルツォも、軽快な足取りで進む。どっしりとしたところがない。何か軽い感じを受ける。重々しいなたをどすんという感じではなく。切れ味鋭いナイフですぱっと切った気風の良い演奏だ。好みの問題だが、重いなたでどすんのほうがすきだ。この楽章は、新盤と同じような感じを受けた。中間部は、なかなか良い演奏だ。過度にロマンティックにならず、かといってぶっきらぼうに進めず、丁寧な音作りが良かった。

  アダージョは、出だしから、テンポがしっかりした雄大な演奏だ。同じ頃の録音のブル5のアダージョは大変良かったので期待して聴き進めた。しかしながら、またもや頂点の前後でテンポがみるみる上がってせかせかした演奏に成ってしまった。残念無念!もっとどっかと腰を据えて鳴らしてほしかった。

 フィナーレは引き締まった演奏だ。速いテンポでぐんぐん進む。19分余りで終わってしまう。あの結晶化したレーグナーの演奏よりも速い。しかし要所要所は押さえており、あまり違和感はなかった。コーダの部分もじっくりとテンポを落とし、最後は疾風のごとく駆け抜けた。

  全体的に見て、テンポの動きがかなり見られ、アッチェレランドも多様されていて、音が薄っぺらに感じてしまった。フィナーレは良かったが、もう少し懐の深い演奏にしてもらいたかった。晩年のブル8は、かなり改善している。






ゲオルク・ショルティ指揮  ウィーンフィル(LONDON POCL-9565)

気風のいい骨太のショルティの演奏はどうか。ワーグナーではいい演奏を残しているが。

 第1楽章からすごいダイナミックレンジのある演奏だ。ピアニシモのところは蚊のなくようにか細く、フォルテのところではここぞとばかりに目いっぱい鳴らしている。また、第2主題などは、ウィーンフィルの美しさを出し、かなり艶っぽく演奏させているが、作為的な感じを受け心に響いてこない。展開部に入ってからは力のこもったパッセージが多く、自然な流れよりも力で押していく演奏だ。スイートナーとは違った意味での劇的な、筋金入りの第1楽章である。

 第2楽章は、アップテンポで歯切れが良い。力でぐいぐい押してくる。中間部は、やはりウィーンフィルの美しさをだして、か細く、ナイーブに仕上げている。しかし一旦フォルテになるとどすこいとばかりに力強さがみなぎってしまう。

 アダージョも、肩の力が抜けるというより、肩にぐっと力が入ってしまう。交感神経が優位に立ってなかなか副交感神経が働かない、そんな感じだ。最後の盛り上がりの部分でもアッチェレランドが見られ、ぐいぐい押してくる。これほど身を委ねられないアダージョも珍しい。

 フィナーレは最初かなりいいと思った。散策の部分もじっくりかみ締めて演奏されている。力が抜けた感じだ。しかし、展開部に入ってからは、また、ごり押しの演奏だ。コーダの部分でも行進曲張りにぐいぐい押し捲る。終始肩に力の入った演奏だった。

全体的に、肩の力の入った、筋金入りの演奏だった。ブルックナーの呼吸とか、懐の深さ、大河の流れ、純粋な心、そういった物に欠けていたような演奏だ。火の玉小僧ショルティじゃ仕方ないか。



 朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニーオーケストラ(Pony Canyon PCCL-00253)


 やっとのことで中古版2800円をgetした。私には初めての朝比奈だ。

 第1楽章の出だしから、一音一音、しっかりと気持ちを込めぬいて始まる。ライブの熱気がひしひしと感じる。朝比奈の唸る声も聞こえる。提示部では、まだ金管が調子が出ないようで、セルやギーレンに劣る部分も見られるが、ホルンとオーボエの哀愁を帯びた響きで始まる展開部からは、朝比奈の独断場だ。どのフレーズもクナに迫るほど呼吸は深く、しかし、こもらず生き生きしている。非常にゆったりとしたテンポの最後の部分はまさにクナの現代版を聴いているような感じを受けた。現在ライブでこれだけの演奏をやれる指揮者はほかいようか。ゆったりとしたギーレンの演奏より40秒短いのに朝比奈のほうが余裕を持って鳴っているのは不思議だ。

 第2楽章は遅くもなく早くもないテンポではぎれよく始まる。好みの問題だが、もう少しゆっくりなほうが私の好みに合う。中間部は大変ゆったりとした演奏だ。途中で止まってしまうのではないかと思われる箇所もあった。こういう演奏を聴くと、本当にクナの演奏に近くなってきたなと感じた。

 アダージョも相変わらず、ゆっくりとしたテンポでブルックナーの深い呼吸を知り尽くしており、絶対に横滑りするところがなく、身も心も浸りきることができた。盛り上がりの部分でも、じっくりと、しっかり鳴っており、その迫力にかなうものはいまい。セル、スクロヴァア、スイートナーにまったく引けを取らず、4者どれをとっても完璧だ。スケールの大きさで、朝比奈が一歩リードか。

 フィナーレもスケールは雄大、オケも絶好調になって、金管も調子が良い。提示部の第3主題の散策のテーマがいくぶん速いのが気にかかった。また、再現部あたりからのフレーズをもう少し、粘っこくやってほしかった。力ぎってしまったところもなきにしもあらず。コーダに近づくに従い、一段と呼吸が深くなり、ふーっと深深とした深呼吸をした後に、ブルックナーが振り返り、堂々と最後を締めくくる。

 あのクナの歴史的演奏と同じように、演奏が終わっても、拍手は起こらず、ホールがシーンと静まり返った。これぞブルックナー休止の後に、我に返った観客が始めて割れんばかしの拍手を送った。こんな演奏実際に聴けた人は、一生自分の糧となるだろう。




ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 NHK交響楽団 

マタチッチとN響の演奏は、12,3年前、私もFMクラシックでよく耳にしていた。ベートーベンやブラームスのN響とは思えない熱気を帯びた演奏がすばらしかった。エアーチェックした演奏は今聴いてもさすがと思えてくる。
 ブル7もマタチッチ、チェコフィルの演奏は完璧のように私は思っている。このブル8も世紀の名演奏といわれていた。果たして、どうか。


 第1楽章から、ライブの熱気がひしひしと伝わってくる。出る音が一つとして軽いものがない、すべてマッシブなずしっとくる音である。輪郭をくっきり出してあいまいなところなどない。マタチッチが指揮をするとN響はがらりと変わってしまう。不思議なものだ。金管も、朝比奈、大阪POあたりの録音よりは安心して聴ける。ただ、第3主題あたりはテンポが速すぎ奥行きがなくなっているところが惜しい。展開部へ入ってからは、えぐるような感じが良く出ていて立派である。


 第2楽章は、歯切れ良く、早めのテンポである。これも、中味の詰まった1音1音がずしっとくる。決してすっきりはしておらず、レーグナーより荒れ狂う。ベートーベンのスケルツォのようだ。中間部分は、対照的に、デリケートに演奏し、ハープの部分もやさしく包むように鳴っていた。

 第3楽章は、N響から、つやのある音を引き出し、すばらしい演奏のように思えた。しかし、またもや、頂点の部分へ差し掛かるあたりから、著しいアッチェレランドがあり、残念に思えた。

 第4楽章も、出だしから、ぐいぐい進んでいく。音は相変わらずマッシブ。しかし、第3主題あたりもぐんぐん進んでしまって、ブルックナーの散策が、充分に味わえなかったのは残念だ。展開部からは、第3主題は相変わらず速いが、さすがマタチッチ、スケールの大きな演奏を聴かせてくれた。コーダの部分も、アダージォのようなアッチェレランドはみられず、最後まで、しっかり足が地に着いた堂々たる演奏であった。

 ライブのせいか、手に汗握る熱気のこもった演奏で、演奏会場で1回きりであれば感動したかもしれない。何回も聴くとなると、もう少し客観的に冷静な部分もあっても良かったと思う。そうすることで、スタジオ録音の7番のような、呼吸の深い、奥行きのある演奏に成ったのではないだろうか。マタチッチ自身も我を忘れて曲に陶酔してしまったような気がする。



eichhorn

 クルト・アイヒホルン指揮 リンツブルックナー管弦楽団(カメラータトウキョウ 32CM-225)

 アイヒホルンと聞けばブルックナーの一連の交響曲の録音で名をはせたが、全曲録音半ばで世を去ってしまった。ブル5ではいまひとつの感があったがブル8はどうか。

 第1楽章は出だしから、まさにブルックナー呼吸。懐が深く、低音の弦をしっかり引かせていて大変好感が持てた。1音1音しっかりと鳴らしている。良い出だしだ。しかし惜しいことに、コーダの部分でやや響きが硬くなり、奥行きが浅くなり、早足になってしまったのが、残念だ。この部分がなければ、並み居る強豪の仲間入りをしても良いのだが。

 第2楽章は、かなりの速さで突っ走ります。しかし一つ一つの音はしっかりしており、足をすくわれるようなことはない。個人的は好みでは、セル、ギーレンのような、歯切れの良いゆっくりテンポが好きだ。。中間部分は、ロマンがいっぱい。腫れ物に触るようなデリケートの部分が随所に見られ、やややり過ぎの感じを受けるが、これはこれで良いともう。好感は持てた。

 第3楽章も、出だしから、懐が深くこれはすばらしい演奏になることが予感できた。しかし、またもや、またもやである、盛り上がりの部分で、あのアッチェレランドが、どうして。わたし楽譜を見てないし、ろくに読めもしないのでわからないけど、なぜもう少しゆっくり演奏してくれないの。残念だ。

 フィナーレは良い演奏だ。第1,2,3主題とも程よいテンポで、一歩一歩進んでいく様はまさにブルックナーの呼吸である。ただ、第1主題が途中途中に現れるところは、テンポが上がって、ちょっと気にかかった。また、最後のコーダに入る部分はもう少しうねるような感じが出ていても良かったような気がする。スクロヴァあたりから比べると、平坦の感じを受けた。最後のミレドは、クナ、セルに負けじとじっくりかみ締めて充実しきって幕を閉じる。


 全体的には好感の持てた演奏だが、所々に、引っかかるところがあり、時々引っ張り出してまた聴きたいCDと思うには一歩足りなかった。


 ジョン・バルビローリ指揮  ハレ管弦楽団(BBC RADIO Classics 15656 91922 輸入)

 バルビローリと言えは、シベリウス、イギリスもの、ブラームスの交響曲、マーラー9番などを思い出す。シベリウスはブルックナーに通ずるところもあり、期待した。
1970年Royal festival hallでのBBC放送のライブ録音のようだ。 


 第1楽章の冒頭は誰よりもゆっくりと開始され、あのジュリーニよりもゆっくり。これはどうなることやらと思っていると、次第にテンポは速くなり、普通のテンポになってしまった。第2主題などはかえって速い演奏の部類に入るほどだ。弦がやや荒っぽく、金管も時々裏声に鳴っていまいちの感がいがめない。展開部からなかなかうねっていて、調子に乗ってきたようだ。しかし、テンポが微妙にゆれて、速くなったり遅くなったりする。最後は、また、クナのようにゆっくりとなり、1楽章の幕は閉じる。

 第2楽章はかなり速いテンポである。速さに金管がついていかず、空めぐりしているところがある。速さではレーグナーに匹敵するか。かなりスタッカートが効いていて、きびきびしている。しかし、レーグナーとも微妙に使い方が違っている。彼のブラームスなどは総じてテンポがゆっくりであるが、これはかなり速い。彼の解釈はこの速さなのであろう。13分で駆け抜ける。ギーレンは17分だ。

中間部は、ロジェストヴェンスキーほどではないが、弦のビブラート、すりあげをつかいロマンいっぱいに鳴らしている。

アダージョは出だしから程よいテンポで浸れる。しかし、クレッシェンドでだんだん強くなってくる部分ではテンポも速くなってくる傾向があり、じっくり進んでもらいたかった。最大の盛り上がりの部分でも気持ちが先走ってしまい、腰が軽い印象を受けた。最後の弦とホルンの掛け合いの部分ではまたもやテンポを落とし、ホーレンシュタインに負けじと切切と歌い上げた。

 フィナーレも出だしから、スタッカートを効かせきびきびと始まる。第3主題も散策の足音がどしどしと力んでいるようにきこえる。所々、テンポが速くなったり遅くなったり引っかかるところもあるが、なかなか力強く、立派な演奏だと思った。コーダに入る手前での第3主題がきわめてゆっくりと演奏され、それもだんだん速くなってきて、コーダに突入する。コーダに入るやや長めの休止後、ゆっくりとブルックナーは振り返り、最後のミレドは、歯切れよく終わる。


 全体的に、テンポの変化が著しく、ロマン的だったが、金管がもう少し上手く、弦もつややかであったら良かったのにと思ってしまう。ロマン的な演奏が、第4楽章では上手く働いていて好感を持てた。



 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 ソビエト文化省交響楽団

 先日初めて新宿の高島屋HMVにいったところ、お勧めCDでこのブル8があった。備え付けCDプレーヤーでちょっとばかし聴いてきた。第1楽章のはじめのころだけであったが、金管ビンビンだなあ、と感じた。1984年ライブ録音らしい。ロジェストヴェンスキーのブル5はびっくりものだったらしいが、ブル8はどうか。

 第1楽章はテンポはオーソドックスで奇をてらったところはないが、所々で金管、木管が不自然に(?)強調され、雰囲気を壊してしまうのが残念だった。逆にこんなところで陰でこんな木管が鳴っていたのかと驚かされるところもあった。

 第2楽章は、冒頭のテーマはスタッカートが良く効いていてやや早めのテンポ。またもや所々、いや、思わぬところで金管が強調され、なんか不自然だ。

でもこんなものかと思っていたら、爆弾は中間部分と、アダージョにあった。

 スケルツォの中間部分は、テンポが非常にゆっくりとなり、お涙頂戴させていただきますとばかりに、弦が啜り泣きをはじめ、ビブラート、ポルタモント(?)がビンビンで甘露飴をなめているような気がする。甘ったるくて、おどろおどろしい。こんな演奏初めてだ。

 アダージォもお涙頂戴を引きずっている。テンポゆっくりで、身も心も浸れるかと思いきや、所々で例の金管の強調が出てくるは、弦は相変わらずすすり泣くし、最後の変奏の部分に入る手前のバイオリンの独奏の部分も、これほど甘ったるくなったのを聴いたことがない。メランコリーのアダージォだ!

 第4楽章も、テンポゆっくりで一歩一歩かみ締めながら進んでいく。この楽章は好感が持てた。クナばりの間のとりかたを使って、意味深な感じを出したり、確か、ハース版の演奏なのにフォルテシモの部分であのシンバルが高々とジャーンと鳴ったり、ロジェストヴェンスキーの独自の解釈であろう。


 演奏したところが多分ロシア(ソ連?)だし、オーケストラもロシアだし、チャイコフスキーばりの演奏が好まれるのかもしれないが、あの金管の的外れの強調と、甘ったるい弦には参りました。

 しかし、変わった演奏のブル8コレクションではあってもいい1枚かもしれない。面白い演奏には違いない。



suitner

オトマール・スイートナー指揮 シュターツカペレベルリン(徳間ジャパン TKCC-15015)



 第1楽章は、弦のトレモロがしっかりと聞こえ、はじめから力強い感じを受けた。そう思っているそばから、フォルテシモの部分ではこれでもかというほどダイナミックレンジを大きく使い、劇的な幕開けとなった。スクロヴァもかなりダイナミックだが、スイートナーはそれに劇的と悪魔が取り付いたみたいだ。ホルンのねっとりとしたフレーズの表現はブルックナーの呼吸を増強するようで私は大変気に入った。言い方は難しいが、ねっとりはしているが、ジュリーニのように後を引かない。宇野氏も言っているが、こういう表現でも決してブルックナーの姿を崩していないのが立派。スイートナーの演奏を聴くと、ジュリーニあたりの演奏がなんと平坦なことか。

 第2楽章も、はじめに目いっぱいスタッカートを効かせぐいぐい進め、第1主題を印象づけている。レーグナーに似ているが、あれほど突っ走ってはいない。ギーレンやセルのようなテンポがゆっくりでスタッカートを効かせた表現とスイートナー、レーグナーのようなアップテンポの表現とで好き嫌いが出るが、このような表現は、第1楽章からのつながりでしごく当然だ。中間部は情緒たっぷりである。

 第3楽章は、すばらしい演奏だ。テンポ、フレーズのもっていきかたといい完璧に近い。聴いていて引っかかるフレーズがほとんどなく、何もかも忘れて演奏に浸ることができた。スクロヴァの3楽章と甲乙つけがたい。スイートナーのほうが盛り上がりの部分での劇的効果、ハース版のオーボエの哀愁を帯びた響きの点でやや上かな。セル、スクロヴァ、スイートナーのアダージョは本当にすばらしい。宇野氏の言葉ではないが、何回聴いても一日中聴いても良いなと思ってしまう。

 終楽章も、最初から、びんびんにスタッカートをきかせ、テンパニーを革がちぎれんばかりに目いっぱいたたかせている。しかし、テンポはブルックナーの呼吸にぴったりと合い、もたれるところもなければ、せかせかしたところもない。コーダに入って、テンポはゆっくりとなりテンパニーが人生の定めのように容赦なく打ちつける。最後に少し速くなり、またゆっくりとなり、最後のミレドが疾風のように終わる。テンシュテットに似ている。ころいらへんは、もう少しじっくりと運んでもらいたかった。

スイートナーはN響のテレビ放送で何回も演奏を聴いたが、これほど劇的な演奏は聴かなかったように思える。第2楽章の速さと、フィナーレのコーダの部分が少し惜しまれるが、1、3楽章は大変気に入った。特にアダージョはセルに並ぶベスト1にあげたい。





holenstein

 ヤシャ・ホーレンシュタイン指揮 ウィーンプロムジカオーケストラ

(VOX LEGENDS CDX2 5504 輸入)

 ホーレンシュタインはユダヤ人で、生前はマーラーの指揮には一家芸を持ってたともいわれ、ブルックナー〜マーラーラインのつながりでどのような演奏をするのか楽しみだった。

 廉価版で有名なVOXの2CDで1000円そこそこ。1枚はリストのファウスト交響曲がカップリングされていて、そちらはステレオで音も良かったが、ブル8はなんとモノーラルでヒスノイズも目立ち良い音とはおもえない。しかし、聴いているとあまり気にならなくなる。オーケストラも2流で、聞いたこともない。演奏はやっと音を出している感じで、時々金管も変な音を出す。


 第1楽章はきびきびしたテンポでどんどん進んでいく。しかし、第3主題に来ると次第にゆっくりとなり、提示部の終わりのあたりのホルンとオーボエの朗々となる部分ではテンポはいつのまにかゆっくりとなっている。後半もなぜか、せかせかしたところがなく懐がグーんと深くなり、呼吸も深くなってくる。前半のせかせかがなければ、なかなか良い演奏と思った。

 第2楽章はてきぱき進んだ良い感じだが、なぜか、主題の尾っぽが後を引いている。ぴしっと決まらない。面白い演奏だ。中間部は途中で演奏が止まるかと思うようなゆっくりテンポになったり、ハープを思い入れたっぷりに鳴らしたり、ロマン的な演奏。ただこういう演奏がブルックナーにあっているかどうかは疑問。

 アダージョは良い演奏だ。テンポの変化もほとんどなく、弦の響かせ方などは、艶っぽい感じを出して、ロマン的な演奏が良い方向に働いている。頂点に達する部分でも決してテンポが速くならず、じっくりと鳴らしている。好感が持てた。最後の弦とホルンの掛け合いの部分がこれほどせつなく鳴った演奏も珍しいような気がする。

 第4楽章も迫力はないが、ロマンあふれる演奏だ。決して薄っぺらになっていないのが良い。呼吸も演奏が進みに連れて次第に深くなり、懐の深さを感じる。第1楽章のせかせかした感じはまったくない。第1楽章の冒頭を聴いてこの最後のフィナーレを誰が想像できたか。コーダの部分ではアッチェレラントをかける演奏が多々あるが、これは、逆に次第にゆっくりとなってくる。最後のミレドも充実のもとに幕を閉じる。

後半の3,4楽章は、ロマンあふれる、懐の深い、これはこれで良い演奏のような気がした。確かにこの様式をマーラーに当てはめるとぴったりくるのかもしれない。


skrowa

 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー指揮ザールブリュッケン放送交響楽団

 '96年輸入盤で非常に話題になった一枚。スクロヴァチェフスキーの名前は今までまったく知らなかった。宇野氏の交響曲名曲名盤にブラームスの第2交響曲にハレOと録音したものが推薦盤になっていたのみであった。

 新品でCDを購入したが、1200円そこそこという安さと、録音の優秀さで、びっくりした。ライナーノーツには、一時、ジョージセルに師事していたと記されていた。これは期待が持てた。

 第1楽章はゆっくりなテンポで進んでいく。録音も優秀、残響も程よい。スケールも大きくまさにブルックナーを感じさせる。しかし、滞るところもなく、細部まで丁寧に仕上げている。ブルックナーの呼吸を知っているのである。最後のトランペットの告知のところは、スイートナーに勝とも劣らず、厳しく思いっきり吹かせている。劇的すぎるかもしれないが、違和感なく聴けた。ブル8の理想的な演奏の一つと考える。 

 第2楽章は、主題はもう少し歯切れの良いもであったらと少々惜しまれる。ギーレンのようなフレーズにしてほしかった。中間部は、丁寧に仕上げ、どの演奏よりもデリカシーがいっぱい詰まっている。少しやり過ぎかもしれないが、私は、聴いていて好感を持てた。

 第3楽章は、すばらしい演奏だ。テンポといいフレーズのつなぎ方といい、長いクレッシェンド、デクレッシェンドといい文句無し。所々のヴァイオリンの独奏の部分はロマンを感じる。後半の盛り上がりの部分も決して急がず、そのスケール大きさといったら、録音もあいまって、クナよりも上のような気がする。もし私が指揮者だったらこういう指揮をしたいと思った。そんな気がした。

 第4楽章は、出だしからスケール感を感じざるを得ない。しかし、第3主題の部分はやや音を引きずってしまい、歯切れが悪いのが惜しい。フォルテシモのところなどは、びっくりするほど金管を空めぐり寸前になるまで思いっきり吹かせている。コーダに入って、最後の最後で、一度テンポを落とし、えぐるように表現したところなどは、スケール感を増強させ、聴いていて気持ちが良かった。ただ、ミレドが足早に終わってしまったのは残念だった。


 すばらしい演奏で、話題になるだけのことはあると感じた。若干引っかかる部分もあったが、たいしたものだ。7番も良いとのうわさだし、個人的にはいまいちの5番も評判が良いらしい。この指揮者には朝比奈、ヴァントの次の世代のブルックナー指揮者になってほしい。そして、実際にブル8をこの耳で聴いてみたい。


 ミハエル・ギーレン指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団
(KLASSSIK-AUSLESE INTERECORD INT 860.914輸入)

 中古CD店で見つけた。2枚組みで1200円だった。各楽章の演奏時間がかなり長めなのでゆっくりした雄大な演奏を期待した。  


 第1楽章からゆっくりとしてテンポで細部を丁寧に仕上げよとしている。そんな意図がうかがわれる。しかし作為的には響いていない。ジュリーニほどはもたれないし、非常に良い演奏と思う。スタッカートを旨く使って粘らなくしているようだ。展開部に入るところのオーボエ(?)のなんと繊細で哀愁を帯びて響くことか。所々無造作に金管が入るところがあり、善し悪しの意見が分かれるかもしれない。しかし、私は、この1楽章大変気に入った。

 第2楽章も相変わらずテンポはおそめであるが、しかし、ジュリーニやスクロバのような主題のもたれはない。やはりうまくスタッカートを使っているからだ。テンパニーの使い方も上手く、心が自然と弾んでくる。演奏時間は17分でジュリーニと余り変わらないが、よっぽどすっきりしている。大変気に入った。私にとっては完璧に近い。

 第3楽章もテンポ、フレーズとも非常に好感を持てる。ただ、後半の盛り上がりのところでは、少しテンポが上がってしまうようなところがあり、ややあっさりして惜しい。好みの問題だが、もう少し粘っこくやってほしかった。この楽章は、いつ聴いても時間を忘れてしまう。

 第4楽章の出だしは、セルを思わせる、すっきりした表現で、スタッカートを強調し、気持ちが良い。
第3主題の散策の部分もスタッカートが旨く使われ粘らないのがいい。それとなく気がついたが、第1第2ヴァイオリンを左右に配置しているようである。左右の掛け合いがなかなか聴きものだ。フィナーレだって迫力満点。金管を鳴らしすぎ少しうるさいが許せる。聴き終わった時の充実感はかなりのもの。あっぱれギーレン!



 ギーレンという指揮者は、私にとっては無名の指揮者であった。しかし、演奏のほうはブルックナーの呼吸を知っている、非常に良い演奏であった。びっくりした。スクロバと良い勝負だ。これはブルックナー好きにはお勧めかもしれない。ベーム版はなかなか良いようなこと書いてしまったが、ベーム版よりギーレンのほうがブルックナーに合っているような気がする。もう少し注目されても良いブル8のCDだ。


 ール・ベーム指揮ウィーンフィル

 第1楽章の出だしから、クナを彷彿させるゆっくりしたテンポである。スケール感があるぞ。しかし、やたら、弦のトレモロが耳についてくる。こんな響かせ方もあるのか。これは良い感じで進んでいくぞと思いきや、途中で第2主題がやたら速くなったり、最後のコーダの部分では、テンパニーを思いっきりたたかせてこれでもかこれでもかと自虐的に進めていく。ライーナーノーツではナーヴァスになっていないと解説しているが、もっと自然体でたたいてほしい。

 第2楽章はテンポについては申し分ない。この速さがぴったりだ。しかし、相変わらず、フォルテシモのぶぶんでも、弦のトレモロが、金管に負けじと耳に入ってくる。こんなにトレモロがうるさく感じる録音も始めてだ。中間部分でも、ナーヴァスにはなっていないが、あまりにもぶっきらぼうに金管を鳴らせすぎている。もう少ししっとりとしてほしい。でもこのくらい荒っぽいほうが、スケルッツォらしいといえばそうだが。

 アダージョは大変感動的ですばらしい演奏だ。この楽章は、ベームは陰に回り、曲自体に目いっぱいかたらせている。だから、曲の内面が自然と出てくる。盛り上がりの部分でも誰かさんみたいに決して急がない。余裕を持って鳴っている。何も考えず、ブルックナーの世界に入れた。

 終楽章も立派な堂々とした演奏だ。3つの主題の取り扱い、テンポ、長いクレッシェンドやデクレッシェンドをしっかりと演奏し、聴いていて安心して身を任せることができた。決して急がず、ジュリーニみたいに滞ることもなく、一歩手前でとまっている。コーダに入る部分での間の取り方が妙である。最後だって、決して急がない。大曲をしっかりと締めくくっている。個人的には、終楽章だけは、クナの次にこのベームが来る気がする。

ベームのロマンティックは大変気に入っていた。この8番も、3,4楽章は優れた出来栄えを見せている。ただ、1楽章のコーダの部分と、2楽章の、ぶっきらぼうな中間部が惜しまれる。



ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリンフィル

 天才バレンボイムのブル8、かなり前からブルックナーには取り組んでいて、若き日のシカゴのブル5は一時話題になったように記憶している。ライナーノーツでは、自分が指揮者になろうと決意した大きな理由の一つがブルックナーで一生この音楽とともに生きていきたいと述べている。


第1楽章はいい演奏です。テンポも中庸を行き、変に小細工したところがなく現代的な演奏。うねるような感じと懐の深さはいまひとつだが、聴いていて引っかかるところがなく、自然な感じで聴けた。

第2楽章は、ややテンポが速く、もう少しスタッカートが効いていてもよかったような。中間部でのデリカシーはなかなかのもの

第3楽章も立派な演奏だ。ハース版のようだ。ただ、盛り上がりの場面ではテンポが速くなってしまって今一つ堪能出来がなった。この部分テンポを速くする指揮者が多いが、楽譜に指定があるのかな。

第4楽章も堂々とした演奏。第3主題でもじっくり演奏してこれはいい感じと思いきや、コーダの部分ではぐらかされてしまった。フルトヴェングラーの顔がのぞいてしまった。どんどん速度が速くなっちゃって尻切れとんぼの終わり方。ライナーノーツでも、彼自身、コーダはぶっきらぼうの終わり方が良いのだといっているがそのとおりの演奏だ。指揮者の好き好きだけれど、ブルックナーを一生求め続けるのであったらこの考え方はどうなのだろうかと考えさせられた。 私は好きになれない。テンシュテットや、シューリヒト、スイートナーあたりは許せるけど。ここいら辺が、今一つバレンボイムがブルックナー好きに気に入られない要因なのかもしれない。


tennstedt

 クラウス・テンシュテット指揮 ロンドンフィル

(EMI CLASSICS CDM 7 64849 2 輸入)

晩年は、巨匠のほんの一歩手前で、咬頭ガンに倒れた、不遇の指揮者だったテンシュテットのブル8である。

第1楽章は、構えた重々しさがなくすっきりと進んでいく、カリスマ的演奏ではない。どうして第2主題はこのように早く演奏するのかなぁ。ど素人で、楽譜も読めない私がいうのもおこがましいが、どうなのだろう。シューリヒトなどは、第1,3主題は、早いのに、第2主題になってくると極端にテンポを落とし、聴く側が面食らったのが、印象的だった。中間部から、後半はうねるよな感じがよく出ている。

第2楽章は早めのテンポで始められ、ぐいぐい進んでいく。中間部は、今一つあっさりしすぎている。もう少しねっとり、しっとりしていてもよかったのでは。

第3楽章は、やや早めのテンポですが、細かいところまで神経が行き届き、ホルンも朗々となっており、
、じっくりと浸ることができた。ただ、後半の盛り上がる部分の手前あたりが小走りになって、あっという間に突っ走ってしまう。ここが唯一残念なところだった。ここら辺は、マタチッチのN響ブル8とそっくりだ。第3楽章に関しては、どの指揮者の演奏を聞いてもみなすばらしく聞こえてしまう。曲自体がすばらしいのか、ブル8を録音するような指揮者の思い入れがすばらしいのか。また最後の、弦とホルンの掛け合いのところでは、目頭が熱くなった。

第4楽章はすばらしい演奏だ。第1主題はややテンポが速いけど、はじめのころだけで、第2,3主題とじっくり聞かせてくれる。コーダに入る部分は思いっきりテンポを落とし、懐深く抉り込んでくる。ここら辺はスクロバの演奏より更に懐が深い感じを受けた。その後やや速くなり、また直前で、ゆっくりとなり、最後のミレドの終わりが、ものすごい速さで終わる。この最後にきてのめまぐるしいテンポの変化にびっくりした。聴いた後の4楽章の充実感はすごかった。録音していたテンシュテットが我を忘れて、心の赴くままに振ってしまったという感じを受けた。

1983年の録音で、その後テンシュテットも病魔に伏し、一時復活したけれど。
今ごろ、ブル8の再録音が可能であったなら、もっと彫りの深い演奏を残してくれたに違いない。


  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮  ウイーンフィル(DEUTSCHE GRAMMOPHON 415124-2)

 発売当初はレコードアカデミー賞で賞を取ったようで、わたしもこれぞブル8の本命とばかり少々値が張りましたが、買った次第です。当時はアパート住まいで、CDプレーヤーしかなく、レコード盤が聞けなく、唯一CDのブル8はこれだけだったので、こればっかり聴いてました。

 第1楽章からテンポはかなりゆっくりしています。録音もいいし、スケール感があります。弦もしっかり一音一音ひいています。しかし、クナのスケールのような底知れぬものというのではない感じ。所々ゆっくり過ぎて、凝集力に欠けてしまうような感じを受けます。ブルックナーの音楽は小さなフレーズを少しずつ少しずつ積み重ねていくものと思っています。あまりにゆっくりだと積み重ねが途切れてしまうのではないかな。実家に時々帰ってきて、セルやクナの演奏を聴いてしまうとそう感じてなりませんでした。チェリビダッケの演奏も同じように感じることがあります。

 第2楽章もゆっくりペース。スケルツォ主題が歯切れが悪く、もう少しスタッカートが効いていてもよかった気がします。

 第3楽章もゆっくりペース。しかし、楽章の雰囲気からいって、こういう演奏の方が、クナの3楽章などよりは、無条件に身も心も浸れます。隅々まで丁寧に心が行き届いている。そんな演奏です。宇野氏の言っておられる、アルプスの威容の部分もホルンが朗々と鳴り響き、雄大さを感ぜずにはいられません。

 第4楽章もゆっくりです。第3主題がちょっと歯切れが悪い感じがしますが、スケールの大きい立派な演奏です。第1楽章でみられた滞りの部分も少ないようです。スケール感といったら、クナは別として、スクロバチェフスキーとためをはる感じを受けます。こういう雄大な演奏を聴くと、私の好きなセルの第4楽章が小さく見えます。

 ラテン系の指揮者がもろオーストリア人の(?)曲をこんなに立派に演奏するのはたいしたものです。ジュリーニの7番や9番の演奏もかなり良いです。
 ブラームスの1番の演奏などは最高のできです。この指揮者のベートーベンの交響曲も聴きたくなりました。アバドよりいい演奏をしそうです。
 


szell

ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団(CBS/SONY 52CD207-8)

   

 私が買った初めてのブル8でした約、15、6年前、廉価版で2枚組みLP2600円でした。録音も結構よかったし最近の録音のように金管がやたらうるさくないのがいい。

 第1楽章から、乱れのないすっきりした表現と、程よいテンポで進んでいく。ブル8ではテンポは僕にとっては大事な要素せかせか進んでしまうのは絶対嫌いですかといってゆっくりで、ブルックナーの呼吸が滞ってしまうのも嫌ですセルのテンポは良いですよブルックナーの呼吸を知っています

第2楽章は、他の録音と比較するとややゆっくりしているようです。しかし冒頭のテーマも、適度にスタッカートが効いていてGood。ジュリーニや、スクロヴァチェフスキーの演奏では、もう少し、スタッカートを効かせればもっと良いのだけれどと思います

第3楽章は、ややゆっくりのテンポと透明な響き、乱れのないすっきりした表現、自然の流れ最後のホルンと弦の掛け合いの部分はいつも目頭が熱くなります

第4楽章は、やや早めのテンポで始まりますがかの宇野芳功さんが言っていますブルックナーの散策の部分では、じっくりと演奏は進められ堪能できます。スケールの小さめの演奏ですが最後のコーダの部分でも、決して急がず、クナの演奏ほどではないですが、一音、一音噛み締めて終わるのが良いです。スクロヴァ、スイートナーの演奏ではコーダの最後の部分でテンポが速くなり、私にとっては今一つ。

セルの演奏は、即物的などといわれていますが、透明な、すっきりした表現と、私情の入らない演奏がブル8にあっていたのではないでしょうか。クナほどスケールは大きくないけど、これが私にとってのスタンダードで、今でもベスト1です。

ブルックナーファンなら持っていても損はない1枚。


ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団(WARNER PIONIA 64XK-10/11)

    

 かの有名なクナのブル8です。乾いた録音と、うわばみのようなどでかいスケール。これには誰にもかないません。初めて聴いた時には、目からうろこものでした。

第1楽章は、最初からゆっくりした巨人の歩みが聴かれます。ゆっくりだけれど決して滞らないのが不思議。さすがクナか。一音一音、気持ちを込めぬいている。まさに精神音楽。最後のトランペットの啓示の部分もわざと弱く吹かせて、逆に意味ありげな感覚を表現している。こころにくい。宇野芳功さんがクナの演奏は客観的表現と言っておられますが、私は決して客観的表現とは思いません。でも、いろいろな仕掛けがぴったりとブルックナーに合っているのです。

第2楽章は、やはりゆっくりだけれど、スタッカートが程よく効いていて、すばらしい。中間部分は思い入れが強すぎる感もあるけど。

第3楽章も、一音、一音じっくりと気持ちを込めぬいて進められる。もう少しすっきりとしていても良いと思いますが。ブルックナーは野人で、無骨な人だったらしいですから、こういう表現が合っているのかもしれない。

第4楽章。これは最高傑作の演奏です。こんな演奏実際に生で聴きたい。またもや、巨人の歩みで進められ、しかし滞らない、ブルックナーの呼吸が生きている。所々で、意図的(?)に間を入れて、緊迫感を増すような表現、所々で、ティンパニーをわざとはっきりと打たせたり(コーダに入る部分など)、最後の最後になって、今まで我慢に我慢を重ねていた金管たちにここぞとばかりに思いっきり吹かせたり、ほれぼれする細工が施されている。しかし決してブルックナーの姿を壊していない。あっぱれ!最後の3音も、足早に終わってしまう演奏が多いけど、これくらい一音一音かみしめなくっちゃ。


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 ロペス・コボス指揮 シンシナティ交響楽団(TELARC CD-80343輸入)

 演奏はアメリカのオーケストラだけど演奏はなかなかのもの。しかし、録音のせいなのか、なぜか薄っぺらに感じてします。金管がぺらっぽいみたい。少し腰が軽い感じの演奏。テラークというレコード会社は、デジタル録音のごく初期の頃から有名であったけど、なぜか好きになれなかった。残響がやたら多かったのを覚えている。確か、当初は録音マイクを極力少なくしてとっていたようだけれども。でもこのレコードは、残響は少ない。もう少しどっしりしているといいな。また、セルの演奏のような緊張感みたいなものが欲しいな。楽章の終わりはなかなか雰囲気有り、次ぎに何かあるよと余韻を残します。

第2楽章はきびきび進められ良い調子だ。しかし、中間部はあっさりしすぎていて何か物足りない感じがしてならない。もう少し思い入れがあっても良いような気がする。ハープのところももう少し雰囲気を入れればなあ。

第3楽章も速いテンポで進められ、少しあっさりか。シューリヒトのあれとは違う。オケのせいかな。でもこの楽章はいつ聴いてもいいね。感動します。

第4楽章は良いですよ。このレコードでは一番いい楽章です。早めのテンポで始まるけど、第2主題から第3主題への移行部はテンポを落とし雰囲気たっぷり。コーダに入る部分でも、テンポを落とし、これからさてととブルックナーが振り返り腰を上げている雰囲気が良く出ています。途中ややテンポがあがりますが、最後はじっくりと噛み締めておわります。



regnerbru8

ハインツ・レーグナー指揮 ベルリン放送交響楽団
(BERLIN Classics ETERNA 0031182BC輸入)

 レーグナーは、9番でかなりいい演奏を残しており8番もそれなりに良いものであるだろうと期待していました。しかしあまり話題にはならなかったようですし、中古盤で5〜600円で売られているのでどうかなと。このような思いを胸に針をおろしてみました(CDだからこんな表現しませんね。)。

第1楽章はかなり早めのテンポでぐいぐい進んで前の音が鳴りきらないうちに次の音へと移行していく。何せ、12分半ほどで終わってします。ジュリーニなどは17分もかかっている。いくらなんでも早すぎはしないか。唯一、3主題の提示が終わり、展開部に入ろうというところでは、テンポをぐっと落とし、楽器を朗々と鳴らしているけど。緊張感を有し、無駄のない表現だけにもっとテンポを落としてもいいような気がする。

第2楽章も相変わらず、ぐいぐい押してくる。金管も思いっきり鳴っており、半狂乱の踊りである。踊る人もこのテンポについていけるのか。しかし、中間部はぐっとテンポを落とし、思い入れたっぷりで鳴らしている。私は音楽の知識はほとんどないのでわからないけど、テンポの解釈ってこれほど違うのですかね。

第3楽章は一転してスローテンポ。でも他の演奏と比べるとこれが普通のテンポだけれど。録音のせいかもしれないけど、バイオリンの線が細くビブラートが効いていて、冴え冴えとした感じが出ている。厳しい雪に埋もれた山の自然が浮かぶ。昔、NHKの自然のアルバム(?)で冬の山の動植物が厳しい雪に耐えて生きている姿を放送したことがあるが、その時に、ブル8のこの楽章がバックで流れていたのをふと思い出した。レーグナーのCDではこの3楽章がもっとも良い出来だと思う。いろいろ思いにふけりながら、音楽に浸れることができた。

第4楽章も出だしからぐいぐいとばしています。1、2楽章と同じと思いきや、第2主題からはテンポが次第に緩やかになり、はぐらかされた感じ。第3主題あたりになるとじっくりとブルックナーの散策が行われている。良い調子になってきた。第1主題が顔を出すとまた早くなる。セルの終楽章もややこの傾向がある。しかし、第1主題は軍隊の騎馬の行進を想定したともいわれているので、こんな表現も合っているのかもしれない。レーグナーは3つの主題をそれぞれ特徴付けたかったのだろうか。コーダに入るあたりからまたテンポがゆっくりとなり、最後は足早に終わります。

全体的に見て、3楽章は冴え冴えとしたいい演奏だと思いました。4楽章は許せる(素人の私がこんなこといっちゃっていいのかな。)。1、2楽章がもう少しじっくりいって欲しかった。


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