2001年10月

2001年10月5日(金)  「分かっちゃいるけど」


大学の友達3人と今日は飲むのである。
社会人になってしまうとなかなか会う機会が減ってしまう。(内一人は無定職だが)
学生の頃も騒いだが久しぶりということもあり、話に大輪の花が咲き、満開である。

よく、「お酒飲むとどうなるの?」って聞かれるが、答えは至って単純。
「今よりも、もっと喋ります」

考え事しているだけで「体調悪いの?」って聞かれて、聞き返すと「今日はおとなしいから」と言われるくらい、僕は良く喋るらしい。自覚症状は全くなしです。

じゃあ、何で「酔うと喋る」と分かっているのか?
友達と飲むとだいたいその後カラオケになるでしょ。
その時、声が出ないのよ。原因は飲み屋での喋りすぎ。

次がカラオケだって、分かっているのについついはしゃいじゃって、喋りすぎて歌えなくなる。
いい加減。学習しないと・・・。

 

2001年10月6日(土)  「失敗ってあります?」


1時くらいまで飲んでいて、それからやっぱりカラオケに行きました。
帰宅したのが朝の6時。もう・眠くて眠くてとりあえず布団に入ったのであります。

目を覚ましたのは10時頃。どうも気持ちが悪い。トイレでリバースを試みるも全く何も出ず。
そりゃそうでしょ。最後に食ってから10時間以上も経っているから、消化されているはずである。
が、どうもおかしい。これは酒の気持ち悪さじゃない。だましだまし、また寝ようと試みるが1時間後に同じ症状。何か悪い物でも食ったのか?拾い食いはしてないぞ!!
1時間ごとに目が覚めて、リバースを試みる始末。最後には「トイレで寝てやろうか」と思う。

が、何年か前に実際にしたことがあるのだ。余りにも調子に乗って飲み過ぎて、気持ち悪い。
酔っていたせいもあるが、有事に備えてトイレで寝る。って言っても体半分トイレの床で、上半身はドア開けて廊下なのだが。

その日の夜に恐ろしいことが起こった。
トイレの中に「突っ張り棚」を設置しておりそこに石けんやらシャンプーやらを乗せておいていたのである。夜中に、「ミシッ」という音の後、崩れ去ったのだ。床で寝ている私の上に・・・。
「ガラガラ、ドンドン」いや〜びっくりしたね。同時に痛かったね。
起きあがる気力もなく、そのままシャンプーと石けんと共に朝まで寝ましたけど。
朝確認すると、一つも水の中に入っていなくて、「ラッキー」って思った自分がちょっと情けない。。。。。

 

2001年10月9日(火)  「どーしてくれよう?」


夜中に友達からメールが来た。
「アエラ」の一行コピーをみんなで考えよう!のページがあると言う。

今週の一行コピーは
「隠れ家どこにアルカイダ」だ!

余りにもくだらないが、私も作ってみた。

 

「モウ食べられないぞ、ウッシッシ」 (狂牛病)

「脳が全てをギュウじってる」 (狂牛病)

「ヤっとクルゾ、優勝セール」 (セ・リーグヤクルト優勝)

「複製は諭吉」 (ニセ一万円札)

「来月、幕張はモータいへんでショー」 (東京モーターショー)

 

くだらないことが止まらなくなった、夜でした。

 

2001年10月12日(金)  「世を儚む仮の姿」


朝、いつも通りに駅に着くとなにやら騒がしい。
「妙な朝だ」と思いつつホームへおりる。そこでアナウンスがあって初めて状況が判明。

「当駅において人身事故が・・・・」

該当するホームを見てみると中途半端なところで電車が止まっている。時間にして10分ほど前。
まだ、ブルーシートをかけ始めているところだった。

とりあえずホームで待ってみる。何度もアナウンスが入るが電車が動く気配はない。

ところで、人身事故の際のアナウンスだが、今回もそうだが、先日都内の事故でもそうであったが、
はじめは「お客様を救出しています」って言っていたのが、時間が経つにつれ
「除去しています」になるのは、いかがなものか?
をいをい、対象が「生き物」から「物体」に変わっとるぞ!!
気持ちのいい物ではない。

結局2時間待ったみたがいっこうに動く気配がない。動いていた隣の私鉄に乗って、目的の方向とは全くあさっての方向へ動く。行ったこともないような埼玉の駅で乗り換えて、2時間後に会社に到着。
ちょっとした小旅行をしてしまった。

後で分かったことだが、中学3年生の13歳の少女が飛び込んだらしい。

なんだか、いろいろあって会社に着いたときにはもうぐったり。

 

2001年10月13日(土)  「本当の平和とは??」


ノーベル化学賞を日本人が授与された。大変喜ばしいことである。

さて、ではノーベル平和賞は誰が授与されたかが、今日の新聞に載っていた。
答えは、国連とその事務総長アナン氏である。

これには大きな疑問と懸念を抱く。つい先日アメリカがアフガニスタンに軍事報復を行ったところである。
テロに対する攻撃でも戦争なのである。
このような状態ある世界で、その仲裁役である国連に平和賞を授与するのはおかしいのではないか?

ノーベル賞を決めるのはノルウェーの「ノーベル賞委員会」だそうだ。余りにもばかげた事だ。アメリカのテロへの対応策で決めたことが大きな要因らしいが、対象国では戦争なのである。

いいかげんな選定により、ノーベル平和賞も地に落ちたものである。

 

2001年10月16日(火)  「お手軽、情報社会」


知ってた?
昨日、「東京の地下鉄でテロが起こる」って噂が広がっていたことを?

僕は全く知らなかった。今日の昼のワイドショーで知った。
毎日、地下鉄を利用している身としては他人事ではない!のだが、もし、一昨日や昨日の朝にそれを知っていたら、地下鉄に乗るのをやめていただろうか?

それにしても、今回の噂は大変な物だったようである。インターナショナルスクールが休校した程なのである。
どうしてこんな事になったか。それは携帯メールの影響だという説もある。
そういえば、アメリカのテロのあと色々なメールが流れてきた。
「友達を一晩泊めてくれ」だとか「Q33 NY」だとか(これが分からない人は連絡くれたら送ってあげます)

手軽に情報伝達ができ、しかも顔の見えない文字情報だけだから真実が見極めにくいのであろう。

ちなみに、東京の「営団地下鉄」って、正式名称は「帝都高速度交通営団」っていうの知ってた?

 

2001年10月17日(水)  「変化」


めがねを先週、新しくしました。
結構評判がよいです。
うれしいです。

今日はこのホームページのトップを変えました。
前と大きくは変えていないのですが、だいぶ印象が違うでしょ。
自画自賛です。

 

2001年10月19日(金)  「寝起き」


昨日、会社に泊まった。
なんでか、会社に泊まった時、特に編集室でシュラフで寝ているときに限って朝電話が鳴る。

そもそも、寝起きは悪くないのだが「ボケ」ている。
家では一人でいるからよく分からないが、今朝みたいに寝起きに電話がかかってきて取ると、自分じゃない誰かが会話をしている。たとえ、それが仕事の話であったとしてもだ。ちゃんと対応していても、無意識の行動なのだ。
だから、電話を切った後、何の電話だったのか全く覚えていない。
そして、事態の重大さに気づくのである。
が、それが重大なことなのかどうかも分からないのだが・・・。

朝、僕に電話して寝ていたら、2時間後にまた同じ事を電話でしてきてね。
たぶん、覚えていないから。

 

2001年10月21日(日)  「富士山」


今、うちのバンコクの会社から人が来日している。彼がまだ富士山を見たことがないと言っていた。
去年、彼が来日した時にもそういっていたのだが、京都に行く途中にも富士山を見ることはできなかった。
そんな彼の夢を叶えるべく、本日は富士山観光である。

山中湖からは雲に隠れて半分。すばるラインは4合目は全くの雲の中。五合目まで行くと雲の上に出るので良く見える。話によると例年ならもう雪があるはずなのだが、今年は全くない。

タイからのお客は、雪がないのを残念がっていた。確かに日本人の私から見ても、「なんかちょっと違う」と言う印象である。

やっぱり見慣れている物が一番しっくり来るのだろうか?

その後、ほうとうを食べ、富士五湖周辺をまわり、コウモリ穴にも行って帰京。
彼はとっても喜んでいた。が、今日の事をどのように国の家族に話すのだろうか?
全く違っていたりして・・・・。

 

2001年10月24日(水)  「果たしてその実体は・・・?」


このページを見てくれている友達が言ったこと。

「毎日人生が楽しそうだね」

そうかぁ?自覚はしていないぞ!俺だって悩むときもあれば、落ち込む時もある。ともすればそっちの方がほとんどだって言う話もあるくらいだ。

けれど、このページ書いてある事って本当に有ったことだし、感じたことなんだよね。
全くの真実の上に成り立っているので、ある意味これが俺の本当の姿なのかも・・・。

 

2001年10月28日(日)  「タームリーなネタ」


本日は友達に誘われて栃木まで遠出。その話はまたいつか。

帰りの高速パーキングで見つけた物。
世の中散々騒がれているけど、こんな物まであったんだ!!

 

2001年10月29日(月)  「スカイスクレイパー」


今日中に終わる仕事の予定がいろいろあって終わらなかった。しかもまだまだ続く。
家に帰れなくなったので、ディレクターの滞在先におじゃまする。
とある建物の地上40階!!すばらしい眺めである。思わずバルコニーで夜景を十数分眺めてしまった。

僕は2階以上の建物に住んだことがない。だから高いところ、しかも眺めのいいところにとっても憧れを持っている。今回のようにたとえ1泊でもそんなところに行くことができて、とっても楽しかった。一度は住んでみたい環境である。しかし、余りにも高層過ぎて携帯電話の電波が届かないのは難点である。